伊里塚君が来た
バイクの音は、明崎も確かに聞いていた。
滞在8日目のことである。
けれどそれは日常の雑音でしかなく──
その後バイクがアパートの駐車場に止まり、持ち主が階段を上がって自分の家まで来てピンポーンとしてくるとは、よもや思わなかったのだ。
え、誰やろ。
出掛けるつもりでちょうど廊下に居た明崎は、玄関まで行ってドアスコープを覗いた。
すると。
何故かそこには伊里塚が立っていた。
「……あるぇ?」
『あれ、じゃねぇよ。早く入れろ』
思わず首を傾げた明崎に、ドアの向こうから返事が返ってきた。
「え、伊里塚君やん!ホンマもんや!どないしたん?なんかあったん?」
「何処居てもやかましいなお前は……」
矢継ぎ早に聞きながら明崎がドアを開けると、早速げんなりした様子の伊里塚が姿を現した。
黒いバイクスーツを着て、ヘルメットとリュックを抱えている。
長身だから、びっくりするほど似合っていた。
「……やっば。むっちゃカッコええやん」
「ありがとよ。ほら、早く中入れって。ドア閉まらねぇ」
明崎が靴を脱いで後退すると、伊里塚は開けっ放しだったドアを閉めて中に入った。
ってか伊里塚君バイク乗んねんな、知らんかった。
「あ、お帰りー」
リビングから槇もやって来た。
「ワリィな」
「着替え置いとくから、シャワー浴びて来なよ」
「ん」
心得たような槇と、当たり前のように頷く伊里塚。
そんな2人を「え?」「ん?」と交互に見遣る明崎。
「しかし何処行ってもあっついな」
「ね〜。関西なんか特に暑いのに」
「ホントにな」
「……んん?」
これは、もしかして。
思い当たった明崎は、槇にそっと聞く。
「今日、元々来る予定やったん?」
「結構前から決まってたよ」
「えー!」
今度は伊里塚を見て明崎は声を上げた。
「そんなん言ってくれたらよかったのにー!」
「面倒クセェ。誰がお前に言うか」
「ひっど!!」
前髪を掻き上げながら本当に面倒臭そうに述べた伊里塚。
更に明崎がぎゃんぎゃん騒ぎ出したので、「おいなんとかしろ」という視線を、槇に投げた。
「はいはい。伊里塚君、半分仕事で来てるからさ」
「仕事?そうなんや」
槇が明崎の後ろから割って入ると、明崎は少し落ち着いてくれた。
「僕も伊里塚君と確認作業あるんだ。ほら、君も時間」
「うん。でも伊里塚君……」
時計を見た明崎は、その流れで伊里塚を見上げる。
……帰っちゃうんやろ?
無言のメッセージを向けられた伊里塚は、今にもため息を吐きそうな呆れた表情を浮かべた。
「別に逃げねぇよ」
「今日から5日間泊まるんだって」
聞いた瞬間、明崎の表情が見る見る輝きだす。
「え、ホンマに!?」
「狭くなるけどな」
「やったー!」
「やったー、って。お前どんだけ俺大好きだよ」
「うん、超大好き!行ってきまーす!」
即答した明崎は話す隙も与えず、嬉々として家を出て行った。
伊里塚が呆然として「マジか……」と言いながら見送ったことなど露知らず。
ドアが閉まるまで見届けて、伊里塚は漸く槇に向き直った。
槇はニコニコといつものように笑っている──かと思ったら、目が笑っていなかった。
「……おい」
「一生婚期逃してたらいいよ君なんか」
「洒落なんねぇからやめろって」
とうとう溜息を吐いた伊里塚は、靴を脱いで玄関から上がった。




