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笠原の考え事

「気ィつけや〜。ホンマに手ェも食べられるで」


と、明崎が言った矢先に、バクンッと鹿に鹿せんべいを食まれた。

指先と鹿の歯はすれすれだった。

慌てて手を引いた笠原の目の前で、せんべいをムシャムシャ平らげるオスの鹿。

その傍から、また何匹もの鹿がせんべい目当てに迫って来る。

思わず後退る笠原の口から、感想が零れた。


「……怖い」

「うん。俺も怖い」


鹿を見に行こうと言って、奈良公園にやって来た2人。

笠原は露店のおばちゃんから「鹿せんべい」なる物を買って、早速辺りの鹿に餌付けを仕掛けていたのだが……完全に圧倒されている。

鹿といえば細いシルエットのイメージが笠原の中にはあったが、そんなことは無かった。

実際はどっしりとした体つきで、上手いことすれば乗れるかもしれないと思う位、大きい。

突進されれば、人など容易く吹っ飛ぶらしい。

そんな大型動物が何頭も、しかも隙あらばカバンや服まで齧りそうな勢いで迫ってきているのだから……怖いと思うのは当たり前だった。


「てか俺、一回服の上から皮膚齧られたことあんねん」

「い、痛く無かったのか?」

「痛いに決まってるやん」


でも鹿可愛いねんなぁ、と餌を持っていない明崎は笠原に囮役を任せ、自分は鹿を撫でている。


「半分、」

「やらへん」


笠原が鹿せんべいを半分渡そうとした瞬間に、間髪入れず断られてしまった。

笠原が距離を取ろうと後ろに下がれば、鹿たちも更に詰め寄ってくる。

この時鹿たちは一様に、頭を上下にゆっくり振り被る動作を繰り返していて、何かと思ったら明崎から「お辞儀やで」と言われた。


「お辞儀?」

「世界中どこ探しても、ここの鹿しかせぇへんねんて」


確かに、言われてみれば「お辞儀」に見える……

まさか、人の動作を見て覚えたというのだろうか。

不思議なこともあるものだ。


「皆ちょーだい言うてるや〜ん。あげたらんな可哀想やで〜」


明崎に茶々を入れられつつ、手まで一緒に食べられないようにあげては、また逃げて、迫られて、またあげて……

繰り返していく内に気づけば鹿せんべいは減り、ついに笠原は最後の一枚をあげきった。

その瞬間。


空っぽの手を見た鹿たちは、途端に興の冷めた様子で踵を返し、方々に散っていった。


「………」


先程まで熱狂的に迫られていたはずの笠原は、拍子抜けして鹿たちの遠ざかる背中を見送る。

何だ……この素っ気無さは。


「……現金過ぎやしないか」

「でも可愛いねんなぁ」


まだ明崎に撫でられていた鹿が、ふいっと明崎の顔を見上げるような動作をした。

気付いた明崎が「なぁー?」と鹿の顔を覗き込んで言った。


その後、公園周辺の寺社仏閣を巡り歩き、関西滞在3日の今日は実に旅らしい1日を過ごした。

写真も明崎が一杯撮ってくれて、後で笠原のスマホにも送ってくれるという。


「タイトル、鹿に振られた男」

「何だそれ」

「ブログ」


そして帰り道。

バスの中で明崎にボソリと呟かれて笑いそうになった笠原は、窓から目を離して、隣から明崎のスマホを覗いた。

画面を傾けて見せてくれたそこには、どの鹿にも尻を向けられ、呆然と立っている笠原の後ろ姿の写真があった。

そのアングルが可笑しくて、ついに噴いてしまった笠原は、一緒になって笑う明崎の膝を叩いた。


「いった!ちょ、もう」


文句を言いながらも、笑ってしまって言葉が継げない明崎。

2人して一頻り、声を潜めて笑った。

笑いが止むと、笠原は再び窓の外に目を遣る。

そうしてバスを降りるまで、笠原は景色を眺めて、明崎はスマホに目を落としていた。



──どうしてこの時、笠原がバスから景色を眺めていたのかを、明崎は家に戻ってから知ることになった。



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