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紫己がええ言うてくれるまでは近づかんことにする──
望んでいた言葉のはずなのに。
耳に届いた途端、頭の中が真っ白になった。
それから、身体中の至る所まで冷たい痺れが走って、漸く笠原は思考を取り戻す。
けれど、明崎の答えに対して何も言葉が出なかった。
「学校でも家でも。俺はまぁ、この通り何とでもなるから心配しやんといてな」
コップを床に置いた明崎は──諦めて笠原の願いを受け入れた彼は、困ったように笑っている。
「ともかく君は自分のこと優先して」
立ち上がった明崎は出入り口に向かう前に、そっとこんな言葉を掛けた。
「でも、何かあったら言ってな。……いつでも、力になるつもりで居るから」
──本当に、これでいいのか。
笠原の心が、不意に揺らぐ。
こんな風に遠ざけて、本当にこれで良かったのか。
良いに決まっている。
望んだことだ。
……なら、何故こんなに気持ちが揺らいでいる?
何故、こんなに迷っている?
何が怖いことがある。
……いつものことではないのか。
けれど笠原の目の前で、明崎が背中を向けた瞬間。
突然、身体の奥底から針に刺されたような痛みが突き抜ける。
嫌だ
それに押されるようにして、迷いの正体が薄い膜を破り、胸の内から飛び出した。
1人は、もう嫌だ……!
これまで笠原が目を背けながら、心の何処かで訴えていた叫びだった。
目頭が熱くなって、抑える間も無く涙が溢れてくる。
──その衝動に駆られたまま、気づけば明崎を引き留めていた。
反動で明崎は思い切りすっ転び、ちょっと腹を立てた様子で振り返ってきたが、笠原はただ明崎を見つめることしか出来なかった。
千々に乱れた心では、何から伝えたらいいのか分からなかったのだ。
明崎もまさか笠原が泣くとは思っていなかった様で、驚いた表情を浮かべ暫く固まっていたが、やがて「……どうしたん?」とおずおず聞いてきた。
でもそう聞かれて、言葉が見つからなかった。
先程、己が口にしたことと正反対の理由で引き止めたからである。
それこそ、我儘でしかなかった。
自分こそ明崎を振り回すような真似をしていると思い至れば、やはり何も口には出来ない。
震える唇をきゅっと引き結んで、笠原は俯いた。
けれど笠原の気持ちを察した様に、明崎は笠原の両肩に手を置いて、問い掛けてきた。
「ホンマはどうしたいの?」
「………」
何か、話さなくては。
何でもないのだ、と。
大丈夫だから。
心配しなくていい、帰ってくれと。
そっと口を開いて言い掛けるが、何かが喉でつかえて邪魔をする。
浮かんだ言葉のどれもが、声にならないまま、あっという間に霧散して消えていく。
「……他人に迷惑掛けるどうこうは置いといてさ。君ホンマはどうしたいんよ?」
「………」
「言いたいこと、何でもええ。我儘でもええから。……ホンマの気持ち、言ってくれへん?」
違う。
こんなの、言うべきことじゃない。
こんなことを言って、団之介を困らせたくない。
「言って」
明崎は強い口調でもう一度言った。
「言うまで俺帰らへん」
「違、」
「ん?」
「違う……」
言うべきじゃ、ない。




