届かなかった声を
──ぐぃっ
後ろから、急に服を掴まれた。
「お、わっ!?」
ドシンッ!
その反動で体勢を崩した明崎は、足を滑らせて思いっ切り布団の上で尻餅をついた。
柔らかい物の上とはいえ、鈍い痛みが尻から背筋に掛けて駆け上がってくる。
それと一緒に、一度は心に沈めていた怒りも。
あっぶな……!
堪らず顔をしかめて呻きに近い声を漏らした。
「っもう〜……」
苛立ちを隠さぬままに明崎は振り返った。
──もし、この時の笠原が先と同じ無表情だったのであれば、明崎も幾らか言っていただろう。
実際、笠原の表情は何一つ変わった所が無かった。
しかし明崎を真っ直ぐに見つめる、その真っ黒い硝子玉みたいな双眸からは──ぽろぽろと涙が零れていた。
「……え」
思いも寄らぬ光景に、明崎は思わず出た声を押さえることが出来なかった。
目の前で、次々に頬を伝い落ちる涙。
明崎はしばらく何も言葉を継げなかった。
……何か言わなければ。
そうは思うものの、動揺しているせいで、まともな言葉が思いつかない。
「……どうしたん?」
長い沈黙を経て、漸く言えたのはそれだけだった。
笠原は泣きながら、そっと首を横に振った。
何も言おうとはしてくれなかった。
だが引き結ばれた唇は、今にも胸の内から迸りそうな慟哭を必死で抑えるように、微かに震えている。
身体ごと向き直った明崎は、笠原の両肩に手を置いて言った。
「……言ってみて?」
声がキツくならないように、細心の注意を払って聞いたつもりだ。
それでも、躊躇った様子で笠原に俯かれてしまう。
今度こそ、はっきりした口調で明崎は笠原に尋ねた。
「ホンマはどうしたいの?」
聞かなくては。
そうじゃないと、笠原はこのまま一生でも胸に秘めてしまいそうだ。
笠原の唇が、薄く開いた。
何か言いたげだった。
……それなのに、言葉は一向に紡がれない。
「……他人に迷惑掛けるどうこうは置いといてさ」
何かが笠原の中でつかえて、邪魔をしている。
それを察して、まず思い当たった「建前」という障害を取っ払ってやる。
「君ホンマはどうしたいんよ?」
「………」
「何でもええ。我儘でもええから。……ホンマの気持ち、言ってくれへん?」
笠原は押し黙ったまま、目を伏せている。
「言って」
明崎は強い口調でもう一度言った。
「言うまで俺帰らへん」
「……ちが、」
漸く笠原が声を出した。
「ん?」
「違う……」
吐息の様に、掠れた声だった。