一
まどろみのなかで腹に感じていた重みが、もそもそと顔の方に動いてきて目が覚めた。目を開けたのに真っ暗、いや真っ黒だった。飼い猫の背中が目の前にあった。
顔をあげると、カーテン越しの薄い光で目覚まし時計の示す時間が見えた。アラームが鳴る十分前。起きるにはちょうど良い時間だったが、寒いので布団から出たくない。
いつもならこのまま母が起こしに来るまでまどろんでいるが、今日はすることがある。
猫を起こしてしまわないようにそっと布団から出たが、一緒に猫も体を起こした。
「おはよう、タック。起こしちゃったか」
黒猫は天水を見上げて、朝の挨拶を返すように鳴いた。その後、布団の上で体を伸ばしてから、天水の部屋の扉に付いている専用の出入口から出て行った。
カーテンを開けると目映い光が差し込んできた。細めた目が明るさに慣れてから、窓を開けた。鋭い冷気が部屋に入ってきて、大きく息を吸い込むと全身に冷たさが回っていくようだった。
飼い猫を見習って、両手をあげて背伸びをすると少し眠気がやわらいだ。はいた息は白かった。
窓を閉めて部屋から出た。一階に下りて台所にいる母の背に挨拶をなげかけると、いつもより早く起きた彼女をめずらしがった。タックは居間のストーブの前で丸くなっている。 やがて父と姉が下りてきて、朝食を終えると毎年恒例の一家全員参加の大掃除をはじめた。家中の窓を開けてストーブの電源を切ったら、タックは仕方なさそうにどこかへ歩いて行った。
昼食のあと、天水は身支度をして外に出た。玄関先の日当たりのいい石の上にタックが寝ていた。彼女が出てきたことに気付いたのか、顔をあげて確認し、すぐに元の体勢にもどった。
「いってきます」
と声をかけると、しっぽだけを左右にゆっくり動かした。見送ってくれたのだろうか。
メールで指定された場所に指定された時間より早く来た。天水は駅の壁の前に立って、駅前広場の様子を眺めた。
他の町はどうかはわからないが、この町にはこの時期に一年で最も多くの人が訪れる。駅から出て来る人は絶えることなく、バス停に並んだりタクシーに乗ったりした。
天水は待ち合わせの時に、相手を待つために早く来るようにしている。その後のことを想像しながら待つことも、待っていた人がやってくるのを見ることも好きだった。
待ち合わせの時間が迫ってきたので駅の入り口を見ていると、待ち人が出てきた。彼女は周囲を見回して、天水の姿を見つけると近づいてきた。
「こんにちは」
「こんにちは。早いね、いつも」
そう言った鷹見の息も白い。鷹見は寒そうに手をさすってから、思い出したように鞄から缶ジュースを取りだした。
「はい、これ。お土産」
缶に印刷された有名な祭りの絵とりんごジュースということから行き先は聞かなくてもわかった。
「ありがとうございます。ずいぶん遠くに行きましたね。飛行機ですか?」
「そんなお金ないって。夜行バスだよ」
天水はりんごジュースを鞄にしまった。
「ところで、旅行に行く余裕があるくらいですし卒論は終わりましたよね、もちろん」
冬休み前に鷹見が「卒論が進まない」と嘆いていたことを念頭に置いて、聞いた。
「まあ、あれだよ。提出期限は冬休み明けだし。うん、大丈夫」
言い訳をしているようでも、自分に言い聞かせているようでもあった。
「頑張ってください、部長」
天水は、なんだかんだ言っても結局何とかするだろうと思っているので、あまり心配はしていない。
「いいかげんその部長って呼ばれるのはなあ。今は天水が部長なわけだし」
「でも、言い慣れてるほうがいいですよ」