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西果て鉄道運行中  作者: 斉藤さん
第一部 かつての要塞列車
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五章 願望環状線

 軍靴の音を響かせるように、彼の日々は始まった。

 跳ね馬に頼んでいた事は、すぐにでも出来る事ではあったが、ヒサシゲの体調はあまりよろしくない。

 ぶり返してくる熱に、倒れそうにすらなってしまう。それを誰にも見せずに、コルグートの所にいると言って、戻るとすぐに倒れるように寝込んだ。仕事に集中していた老人は、その事に気づかず、よく寝てると彼を見て頷くとまた仕事に戻っていた。


 ヒサシゲは流石に体調が悪いのか、馬鹿なことをしたとは思っているようだが、後悔はしていない。自分にとっては最善だったと、確信しているように獰猛に笑っている。

 楽しかった、それは子供の頃ペナダレンに初めて触れた時のような感覚、ただ全てが広がって見えて、自分の行き先がどこか決まったような、ただ自分はそこに行けると決まった瞬間。

 喜ぶように連れて行ってやると、語りかけても反応すらしない、巨大な列車に話しかけ続けたあの時と同じだった。


 歓喜に震える、今から起きる全てが楽しかった。

 動き出してから始まった全てが、ペナダレンと自分だけのものだと思うと、緩む口を抑えきれずにいる。ヒサシゲは、握り締める拳に、自然と力が入るのが分かってしまう。

 全てが西に繋がっている。そのことを考えれば、体の不調すら乗り越える壁でしかない。


 先にも語ったが、この男は本当にロクでもない。

 宗教染みた信仰が、もはや狂信部類にまで変化している。ヒサシゲはペナダレンを奪われてから約三日で、随分と変貌していたが、それに気づけた身近なものは居ただろうか、仕事で目を離しているポーオレもコルグートも、きっとゆっくりと変わっていく彼に気付けていないだろう。


 昔だったら三巨頭を使うという考えすら彼には浮かばなかった。

 跳ね馬は確かに尊敬していたが、それとこれとは別と言う程には、ヒサシゲは彼らのことを嫌っていた。

 だが今はどうだ、躊躇いなく彼らの力を利用しようと考えている。悪童と呼ばれるが、もはや彼は悪党だ、歓喜に歪んだ口元を見ればいい、何しろポーオレでなくとも気付くだろう。あれは獣だ、呻くと言うより嘶くソレは、ただ獰猛に狩りをする群れを外れた狼だ。


 飢えに飢えた狼は、餌が足りぬと嘶きながら、それを楽しんでいた。

 人は変わるものだが、それでも驚く程の変貌を成し遂げる時がある。まるで誰かが乗り移ったような変貌、それは成長である場合もあるだろう、きっとそれ以外でもある。

 だが一度動いてしまえばもう止まらない。


 ある意味でヒサシゲは、いま成長期を迎えているのだろう。

 身体的なものではない。精神的なものだ、今までだって仙人染みた発想の男であったが、ここに至って酸いも甘いも噛み分けるようになっている。

 このあたりの姿をポーオレあたりに見せれば、惚れ直したというか、馬鹿が悪化したというか、どちらにせよヒサシゲは確実に変わって行っているのだ。


 先程まであった熱を覚ますように、彼は眠りについて動くことはないが、確実に動き始める事態に対応をはじめる。この順応性もそうだが、彼の普遍性は凄まじいものがある、人の心は確実に移り変わるものだ。

 しかしヒサシゲは夢を変えなかった、執着を意地を張ってでも絶対に。

 どれだけ人間が、彼に諦めろといったか分からない。しかしそんな言葉は聞こえていなかった。


 西へ、ただ西へ、ようやく決まったその筋道への歩き方が決まったのだ。

 彼は変わっていくだろうこれからも、夢に狂った男はその部分を生涯変えない。どこまでも西へ、それこそ最果てへ、限り有る大地だからこそ向かう赤い大地の果てへ。

 誰もが帰ってこない場所に行くという。命懸けの行為に、何ら躊躇いなく飛び込めるのはきっとそういう事なのだろう。


 彼に敵は、ここにいる要塞の王様でもなく、情報の化物でもない、荒くれの長でも、まして賭博の王でもない。この要塞列車に居る全ての物が負けた、あの赤い大地だ。

 ペナダレンを奪われたごときでもはや止まらない。

 だがまだその事に誰も気付いていないだろう。いや気付いてはいけないのだろう。それはつまり、ヒサシゲと同類と言っている様な物なのだ。


 少し息苦しそうに寝息を立てるヒサシゲ、だがその寝息からは考えられないだろう事が起き始める。それまでの今日は前夜祭なのだろう、きっと誰も知らないうちに変貌をはじめる。気付いた時にはもう遅い、きっとそういう変貌だ。


 だが寝ている子供は可愛いだけだ。三十近い男がそうかと聞かれれば疑問だが、少なくともその姿を愛らしいと思うものはいる。

 仕事を終わらせ、荒れた息をしながらは知って帰ってきた女がその典型だろう。見た目も能力も美人としか言い様のない癖に、男の趣味だけは悪い女は、ちゃんと眠っている男に、一先ず安堵する。


 ポーオレの知るヒサシゲなら、抜け出して暴れ出す事ぐらい構わずやってのける。実際その寸前まで行っていたし、抜け出す事も当たり前の様にしていたが、こうやって逃げ出しもせずに眠っている姿を見ると、ポーオレは置いていかれなかったとホッとしてしまう。

 そう思ったのは束の間の事になるが、少なくともポーオレにとっては、心穏やかな時間であったのは間違いない。


 コルグートが悲鳴を上げるまでは、自分の作った単一結晶がことごとく紛失しているのだ。中には納期に厳しい客もいる、何より奇人変人の一人であるコルグートに仕事を頼む稀有な人間が、そう多い筈もないのだ。

 そんな彼にとっては、唯一の飯の種とも言うべき、客の為に用意していた作品全てが消え失せたのだ、悲鳴の一つもあげたくなるだろう。一月分の仕事を全部盗まれしまえば、心が折れても不思議ではない。


 原因は寝息を立てながら、少しだけ嬉しそうに笑っていた。

 きつい視線が彼に向けられているが、完全に寝入っているヒサシゲが目を覚ます事はない。ただちょっとポーオレが濡れタオルを、ヒサシゲの顔に被せてじっと見ていたぐらいだろうか。

 ビクンビクンと悶え、必死になって酸素を探そうと藻掻くヒサシゲの姿を見て、自分のそこに眠る加虐心に悶えてしまう。


 流石にやりすぎれば笑えない行為だが、もうちょっと、もう少しと、ポーオレは自分に言い訳をしながら、頬を緩ませながらじっと彼を見ている。すぐには死なないとは言え、随分と酷い事をしているが、そんな事をしながらふと思う、それは手を差し伸べなければこのまま、息絶えてしまう。


 ならいっそそうしたほうが、ヒサシゲはどこにも行かないんじゃないかと、夢に奪われずに済むと、伸びるはずの手に独占欲が鎖の様に彼女の体を絡め取る。重い女だと思いながらも、自分の感情をうまく操れない。

 彼女はなんでもそれ相応にこなすが、それでもポーオレは人間だ。どこか欠点があってもおかしくない。胸を掻き毟るような焦燥は、どうしても消えずにこのまま永遠に、などという思考が浮かぶのも情が深すぎる彼女だからと言えるかもしれない。


 未だに自分からヒサシゲに触れられもしない癖に、思いだけはなんと、エゴばかり固まったものだろうか。

 目の前でもがいている男を見て、どこかホッとしているのはきっと、自分がヒサシゲを恐れている事実だろう。手に入らないと分かってしまっているから、このまま死んでしまえばと考えないわけでもない。


「私はなんというのでしょう。本当に臆病者ですね、あれだけ口では言えるものの」


 溜息を吐く、それは自分の恐怖を散らすためだ。

 世界で一番恐ろしいとポーオレが感じる男から、ゆっくりと濡れタオルを剥がすが、危機感がないのかあるのか、ヒサシゲは剥がされるとゆっくりと呼吸を整え、寝息をまた静かに立てる。


 震え続ける手を、ぎゅうっと握り手が白くなるのを見ながら思う。

 大好きな人だ、それは間違いないのに怖かったのだ。ポーオレはヒサシゲという男が、多分家族よりも長い時間を過ごしている人を、一番に恐れている。

 一体いつからだろうと、俯くが思い当たる場所が多すぎて分からない。


 鏖殺の限りを尽くした三巨頭襲撃事件か、それとも四十人殺しの時か、はたまたヒサシゲがペナダレンに触れた時か、絶対に手に入らないものに彼女は手を伸ばし続けているような錯覚を感じる。

 だからら恐ろしい、このままきっと心臓にナイフを突き立てたら死ぬ男が、馬乗りになって首でも占めてもきっと、諦めないとわかるヒサシゲの夢が、ポーオレからヒサシゲを奪い取る。


 触れたらきっと拒絶されるような、彼と彼女の立ち位置は、ポーオレにとってはどれほどの距離があったのだろう。一番近いからこそ感じる距離、触れても届かない場所にある思いをどうすればいいのか。

 それを肌身で感じる彼女は、ヒサシゲに触れられる事すら恐ろしかった。


 だから寄り添うようにポーオレに近づいたヒサシゲは、彼女に触れる事すら出来ない。

 ダブルスタックカー侍女が聞いて呆れる話である。

 彼女は指を震わせながら、ヒサシゲの頬をついてみた。働いている男の肌だ、万能結晶を弄ったりしている所為もあるだろうが、柔らかくは感じない、ただ硬いと思う。

 空いた手で、意味もなく自分の頬に指を当て、ポーオレはその差を楽しんでみる。

 

 全く違う、若干の熱と共に、腫れているのだから、随分と不思議な触り心地ではあるだろう。壁打ちの生活を知っているポーオレは、肌の質が全く違う自分とヒサシゲに、男と女以上の差を感じてしまう。

 何もかもが違うということが嫌になる。

 同じじゃないから、人は人なのに、いっそ同じ体だったらと考えた事だって、そんなことばかりを頭に巡らせながら、思いを遂げる前にポーオレは立ち上がった。


「嫉妬深い女、最低です。服にまで嫉妬していた頃に比べればきっとマシなのでしょうけど、本当に、ヒースみたいに真っ直ぐに一つを信じたいです」


 自分にはできないことだと分かっていたが、口に出したのか、思っただけなのか、そんな境目の声が響いて消える。残響する音すらもわからず、ただ心の中に響き続ける自問自答の反響を、まるで最愛を抱きしめるように受け入れる。

 彼女にとってはこれが、愛情表現なのだ。屈折しているだろう、随分と歪んでいるのもわかる、だがそれでもポーオレは、こんな事でしか本当の意味で感情をヒサシゲに向けることが出来なかった。


「けれど、今日は寝ている時にでも触れられましたか。よし、この指は一週間は洗いません」


 それでまた次の進みましょうと笑う。ゆっくりとしたを出しながら、ヒサシゲに触れた指を舐めながら、熱っぽく熟れた瞳はじっとヒサシゲを捉えていた。目の前で行われているポーオレの嬌態に気付かないのは仕方ないが、糸を引きながら口から名残惜しそうに離れる唇と指先に、ポーオレは視線を合わせながら、豊満な胸を掴んだ。


 視線の先に収められたままのヒサシゲに、いやその夢に絶対に負けると、寝ている男を誘惑する姿は、ただの安女郎か、松の位か、紺屋高尾じゃあるまいし、来年の三月十五日とは行くまい。

 自分の手で歪む胸の指先が、肌に触れ夜だけで頬は朱に染まって、ひどく濡れた息が、中を融かした。


「さて、残念無念のヒースくん。私は面倒くさい女ですよ、甘くは見ないでください」


 そうして濡らした指先を、ヒサシゲの唇に当てて、艶やかな視線を向けながら踵を返す。

 自分の痴態を思い出して更に、真っ赤に染まる顔が熱を帯びていく、舌を蛇のように三寸ばかりと出してみるが、その姿は鉄の女、ダブルスタックカー侍女と呼ばれるポーオレには、相応しくない程に幼い仕草に見えた。


 ヒサシゲの暴走の確認が終わった為か、どたどたと足音を立てて、こちらに向かう彼女にとってもヒサシゲにとっても先生というべき人物は、憤怒の形相のまま未だ夢に揺蕩うヒサシゲに向けて、怒号を上げるだろう。

 それ見る前に、淫乱娘は早々に立ち去るべきだろう。まだ彼と彼女の物語は始まりもしない、女が怯えるからといって触れることすらできない男と、男に触れられる事に怯える女、口で愛しているという言葉を、告げてもなんら変わらない関係は、まだ当分続くのだ。


 ヒサシゲが寝ている間に、随分と暴れまわった娘さんは、コルグートと擦れ違う、今の精神状況では起きたヒサシゲと、顔を合わせる勇気などないポーオレは、このまま実家に帰るだろう。

 コルグートとポーオレのいない数十秒、ヒサシゲはゆっくりと目を開けた。


「あの娘さんは、本当に、いつも俺を困らせる」


 頭を掻いて疲れた声を出す。全てを見ていた訳ではないが、あの自慰にも似たポーオレの行為は、流石にヒサシゲであっても耐えるには毒である。

 薄く目を絞り、ポーオレの逃げた先を睨むように見つめる。今からくるコルグートはいい、はっきり言ってタチの悪い爺だが、彼の邪魔をする事はないのは知っている。だがヒサシゲにとって、ポーオレは厄介だった。


 ある意味では最悪の難関だ。

 二人は知っている、口約束など意味がない事を、ついていくといったポーオレ、それをさせるつもりのないヒサシゲ、この境界線はどうあっても崩れる事はない。

 夢のためなら捨てられる、だが夢を建前にでもしなければ、ヒサシゲはポーオレを捨てられない。ほかの誰でもないポーオレだからこそ、雑音ではなく敵としてみるしかないのだ。


 これから半年は、チキンレースの様な物だ。ポーオレが勝つか、ヒサシゲが勝つか、敵は多いが、最悪の敵が身内だ。

 頭を掻くしかない。目を覚まして聞こえる、コルグートよりも淫猥な女の誘い。

 困ったものである、男というのは根本的に女に勝てない。夢の為に捨てられるが、夢の為にしか捨てられない、彼にとっては最愛の人物だ。

 いつの頃からか触れる事すら出来なくなった幼馴染は、身震いするほどにヒサシゲにとって最悪の敵として存在していた。


「だが当面は、爺から逃げる事から始めるか」


 あまり眠れなかったが仕方ない話だ。痛む体を無理矢理に起こしながら、部屋の壁向かって歩き出す。

 単一結晶を少量、目の前の壁に撒くと、指で引っ掻くように赤い粉末に触れた。

 一瞬にして結合を失う壁は、砂のように変貌し、壁は人一人通れるような穴を作る。万能結晶の名に相応しい効果を発揮するそれを、当たり前のことのように確認すると、準備万端と寝ている間に用意したのだろう。

 跳ね馬からの壁内への招待状が枕の下に置かれてあった。感謝の念を取り敢えず跳ね馬に送ってみるが、多分届いていないか呪いに変わっているだろう。妄想ですら嫌がらせをしつつ、コルグートに見つかる前に彼は姿を消した。


 バレたら流石に、物理的な意味で一週間は立てない重症になる。

 それ程までには、彼の師匠は化物だ。どれだけヒサシゲが名声を得ようと、大老の名は伊達ではない、彼程度では流石に叶う男ではないという判断下す。

 そうなったら逃げるの一手だ。相手の嫌がらせに関しては、もはや天運を持っている男であるヒサシゲは、コルグートがされて最も嫌がる事だけを十全に行い逃げ出した。


 よくポーオレにバレない物だと思うが、彼女も流石に自分のやった行為を思い出して、悲鳴を上げたくなっている所だ。それを必死に耐えている、もう分かってもらえると思うが、ポーオレはどちらかといえば激情家だ。

 全力で自室に篭って、うーうーと羞恥心で唸る準備をしている事だろう。そして逃げ出したヒサシゲが実は起きている事に気付いて、狩人の素質でも開花させるのではないだろうか。


 そうなる前に、ヒサシゲは全力を持って動かなくてはならない。

 ある意味でこの状況は、彼が狙って作り出したようなものだ。例外はポーオレの行動ぐらいで、痛みに疼く体を無視して彼は走り出す。

 コルグートから逃げるのは、下手をすればポーオレと戦うよりも厄介だ。更に足元に単一結晶を撒くと、ヒサシゲはそれを踏みつける。それだけで現れる加速因子が、人間を超える速度を彼に与え、壁外北部への道を開く為の移動手段になる。


 同時に正面に向かって、風圧対策の不可視の障壁の様な物を作り上げ、壁外の化物コルグートからの逃走をどうにか成功させた。だがこの暴走のせいで、ヒサシゲは当分の間だが壁外に戻れなくなったわけだ。

 はっきり言おう、あれは化物だ。このクルワカミネ全ての結晶を使う物の中で、コルグートと言う男と、ヒサシゲだけにしか、こんな狂った単一結晶の使い方が出来るものはいない。それでもヒサシゲはコルグートには勝てないと断言できる。


 だからこそ、普段は強気な男が逃げ出す選択肢を取った。

 実際あそこにあと十秒でもいたら、十八の結晶操作によって、拘束されてまた当分歩けない状況になっていたのは明白だ。

 逃げの一手だからこそ、コルグートから逃げられた様な物なのだ。でなければ、三巨頭などと呼ばれる、壁外の雄達を相手に独立を保ち続ける事なんて出来る訳もない。そして同時に、


 とりあえずの時間稼ぎは出来たと、ほっと一息つくが、まだ油断ができない状況ある以上、どうあっても警戒の色は消せなかった。すでに調整時間(夕刻)に差し掛かっている、あと一時間もすれば、門は閉ざされる。

 そうなった時、コルグート相手に逃げられる自信はヒサシゲにはない。そこにポーオレが加わるのだ。未来は病院行きしか考えられなかった。加速因子の効果は約十分程度、そのあたりが単一結晶の変化限界だ。


 そのあいだに徹底的逃げたヒサシゲは、閉門三十分前に受付に入る事ができた。

 壁外西部からここまで大体三十分ほどで着いた事になるが、普通は壁外に張り巡らされている、簡易鉄道網を使っての一時間の移動がベターである。

 ヒサシゲの移動ははっきり言って論外だが、早く着くことにこした事はなかった。早々に受付を済ますと、足早に門を抜けようとする。

 しかしあまり前を見てなかったせいか、何かにぶつかり、動揺で辺りを見回す流石に追付かれる訳はないと思っていたヒサシゲは、反射的に単一結晶をばら撒いた。赤色の乱反射が地面に散らばるが、本来であるなら別の何かが起きていてもおかしくない状況だ。


 それを起こさなかったのは、ぶつかった人物に心当たりがあったからに過ぎない。


「ちゃんと前ぐらい見ておきなさいよ骨董品」

「うるさい三下、俺は忙しいんだよ」


 武のエースとしては、クルワカミネ最強ヒタギ=ヤマカワである。

 それにしてはこれが、戦闘における最強のエースと思うほどに、小さな身長でヒサシゲの胸辺りで成長が止まっている。注意力が散漫であれば、見逃してしまうほどには視界に入らない為、悪かったとは思っているが、出てくる言葉は随分と雑だった。


 あまり会話もせずに、彼女の横を通りさっさと門を抜けようとするが、ヒタギはそれを許さないのか、ヒサシゲの服の袖を掴んでいる。まだ話があると言う事だろうが、そんなものは無視してさっさと門を抜けて一息吐きたい為、力尽くで外すともはや全力疾走でヒタギを無視して門を抜けた。

 少なくとも、門を抜けなければ、いろいろとまずい事になるのは明白だった。

 だがそれが新たな面倒事を生んでいる事を、ヒサシゲが気付けていかたといえば、まず有り得ない事だっただろう。門を抜けた所でもう一度彼は人にぶつかる事になる。


「お久しぶりだ骨董品」

「そうだな三下」


 待なさいと後ろから声を掛けてくる、聞きたくない声と合わさり、ひどく疲れた顔をヒサシゲはしているだろう。何しろ相手が相手だ、そして同時に門を超えたところで、人々の視線が彼らに集まった。

 娯楽分野の曲芸師シルカルスト=アインベイツに、武の頂ヒタギ=ヤマカワが居るのだ。さらにはここにはアノラックが多いのか、ヒサシゲの顔もしれているようで、門がどよめきに満ちていた。


 彼らからすれば驚きだろう。ここには現役のエース三人が一堂に会しているのだ。

 前者二人だけでもファンが多いというのに、あまりに知られていない最後のエースがいるのだ。地味とは言え、この集まり方は戦闘機関に魅せられた者たちなら垂涎物だろう。

 浮かれた声が響いているが、三人はあまり耳にも視界にも入れていなかった。


「骨董品、あんたには聞きたい事があるのよ」

「僕もだ、これだけは聞いておきたい事があって、古巣に戻ろうとしてたんだが」

「なんだよ」


 面倒臭そうに、二人を見るながら、早く言えよと促す。

 二人はなぜか躊躇するように口を開く。ヒサシゲ自体の悪名を知っているからこその警戒だろうが、どちらも自分の機嫌を損ねるような内容なのだろうと、ヒサシゲは考えた。

 彼自身も今は忙しい身だ、簡単には感情任せに動くまいと、考えているようだが、出された言葉に流石に思考を飛ばした。


「いや、君がポーオレさんと結婚すると」

「あんたが、軽機関に乗るって」


 あいた口がふさがらず、ヒサシゲは言葉を出せなかった。

 だが浮かんだ言葉はこれに尽きる。


 初耳です。

執筆BGM

メロキュア Agape

Jesse Frederick Every where you look

ナナムジカ 僕等の舞台

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