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西果て鉄道運行中  作者: 斉藤さん
第一部 かつての要塞列車
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三章 エースとそのファン

 戦闘機関乗り、そのエースと呼ばれる人物は、現在三人いる。

 その全てが壁外の住人であるが、その中でも特に有名なのが、ディルゴイチを駆る現役最高の乗り手、シルカルスト=アインベイツだろう。

 幼少より、壁内に認められ、曲芸乗りとしては、群を抜いた技術の持ち主である。造形の整った顔立ちをしており、彼にはファンも多く、戦闘機関乗りにしては珍しく、壁内に居を構えた人物もであった。

 こう言った者たちを、成り上がり等と呼んだりもするが、それだけの力を持っている人物たちばかりで、ただの嫉妬扱いしかされないのが、世の常である。


 そしてヒタギ=ヤマカワ、戦闘に関してなら最上位とされている戦いの申し子の様な女だ。

 三巨頭の一人である列車王の娘で、彼の主催する闘技場における永年勝者である。戦いに関してなら、間違いなく最強、そう言われるだけの実力を備えており、シルカルストですら彼女と戦う事に関しては、拒否するほどの腕前の持ち主だ。

 彼女もまた、壁内への打診が来る程に、優秀であり同時に、クルワカミネの戦闘機関における教導隊のトップに存在している。


 最後がヒサシゲ=タカナ、鬼才と呼ばれ、エースと呼ばれる存在の中で、唯一の重戦闘機関乗りであり、骨董品乗り(スクラップマイスター)と揶揄されるエースである。

 だが、腕は間違いなく優秀と言うしかなく、開拓事業における最後の切り札とすら言われていた。ただ彼は、その機関乗りとしての実力よりは、個人の方が有名な人物でもある。

 ただし壁外の住人に対してだけではあるが、それは仕方ないだろう。先に挙げた壁外における三巨頭を襲撃し、暴れまわった悪童であり、勝利した悪童でもあるのだ。

 彼らのメンツもあり知られていないが、エースと呼ばれる中で最も壁内では、有名ではないが、壁外に関してなら敵対しては絶対行けない人物である。


 だがいかんせん地味だった。前の二人が、あまりに華々しい、表の活躍をしていく中で、彼一人は自殺部門における専門の乗り手であり、この世界の中では裏の活躍が多すぎた。さらには、もうひとりの三巨頭の大敵であるコルグートの弟子と来ている。

 関わるにはあまりにも、無茶苦茶な経歴を持ってしまったが故に、日の目を見ることはなかったのだ。


 そして物語の始まりに時間はもどる。

 ポーオレは、自分にとって最愛の人物の名を告げる。幼馴染として、名前を出したはずなのに、目の前の片眼鏡の女は、顔を真っ赤にして頭を必死に上下させて、知っているとばかりに激しいく動いていた。


「え、病気ですか、それとも万能結晶が頭に」

「違うよ、ただ私は彼のファンです。超ファンです、え、なんで、あのヒサシゲ=タナカと幼馴染なの、サインもらってよ」


 エースの癖に地味で、有名でもない、そんな男の筈なのだが、ヒサシゲの事を告げると、ポーオレが驚く自体に何故か発展した。

 確かに名前を聞けば、ああ居たねそんなエースと、言われるぐらいには有名ではあるが、ファンと言われるような活躍は、殆どしていない。


「あの、知ってるんですか、彼はエースにしては、名前以外知られていないと思っていたのですが」

「なに言ってるの、あのヒサシゲ=タナカって言ったら、闘技場における三十人抜き、しかも、この時代には珍しい重戦闘機関乗りなんて渋い選択をするエースだよ。

 さらには、専用機が旧世代の踏破系超重戦闘機関ペナダレンなんて、はっきり言ってよほどの腕どころか、エースでも最高の腕を持ってると言っていい人なんだよ」


 自分の主人が、こっち側に詳しいのは知っていたが、よりにもよってヒサシゲをここまで知っているとは思わなかった。というのが彼女の本音だろう。

 ポーオレは、あまりこちら側のヒサシゲのことを知らない。そもそも彼は、自分の腕を誇るような男ではないし、そもそも腕自慢をするよりは、夢について必死に語り続ける男だ。将来性などポーオレは考えたこともないし、自分が稼ぐつもりでいるぐらいだった。


 彼を見下しているとかそういう事じゃなく、あの男にそんな甲斐性があるかと言われれば、誰だって首を横に振らざるを得ない。

 三十近くまで夢を語り続ける男に、将来性など期待してはいけない。


「いえ、彼にそんな能力があったとは思っていませんでした。そう言えば、初めて乗ったペナダレンでいきなり選別始発をやってましたけど」

「どう考えたって、人間業じゃないよそれ、どれだけ化物だったんだよ。もしかしてポーオレは戦闘機関に関してあまり詳しくないの、それがどれだけ無茶か」

「ええ、最低限の知識しかありませんね。それに、私はあまりにも彼が簡単にこなしてしまうものだから、選別始発は難しくないものだと思って、彼に三日ぐらい習って終わらせてしまいました当時ですから九歳ぐらいの話ですか」


 簡単に言うが、それがどれほどの事か、流石は壁外の才媛とでも言うべきか。

 それとも流石は、エースと言うべきか、どちらにしろ二人して、常識外れの事をしているのは、間違いない。

 確かに壁外では、子供が選別始発を行うのは、一桁であったとしても少なくない。そうやって戦闘機関に対する操縦技術を上げるのは、もはやただの遊びの一環ですらある。それでも、それなりの訓練を積んで、初めて行うのが、選別始発である。


「エースにだって、このポーオレはなれる可能性があるっていうの。いつも思うけど、ポーオレはさすがに完璧すぎじゃない、美人で、頭も良くて、それで戦闘機関に対する才能もあるとか、ただの反則だよ」

「私はあんな鉄の棺桶好きじゃないんです。アノラック(鉄道オタク)でもないんですよ、それに私はそれなりの努力をしてきました。お嬢様はその努力をしている所でしょう」

「アノラックなんて、随分と失礼な。ただちょっとそちら側に普通の人より詳しいだけの人だよ」


 だが、普通の人は、エースといえど、ヒサシゲの活躍なんか知らない。

 闘技場はそもそも壁外の事であり、確かにスカウト等はいるが、それこそアノラックのような奴だけだ。

 しかもヒサシゲの性格や、壁外の評判が、開拓部門に入る事になったと言うのに、詳しい情報が伝えられない状況での活躍だ。それを知っているものなんて、アノラックと言われても仕方がない。


 不服そうに顔を膨らませるお嬢様は、ポーオレを責める様な視線を向けるが、その程度でダブルスタックカー侍女が、揺るぎ等するはずもない。

 彼女が、動揺するなんて言うのは、常にヒサシゲ絡みの内容だけだ。


「彼は、いや、折角だから惚気けておきますが、ヒースは私の物なので一応ですが、とったら彼を殺しますよお嬢様」

「惚気た挙句に、寝取ったら殺すって、別にそんなつもりはないよ。憧れてもいいじゃん、ただの曲芸使いのエースに、戦いだけの無能、そんな中で、たった一人だけ戦闘機関乗りの本分を間違えない人だよ。

 そりゃ憧れもするよ。まして腕が腕だ、私の予想じゃ、ヒサシゲ=タナカは、エースの中でも最高の乗り手だよ。憧れないなんて、私じゃないと思わないでしょ」

「ただ、とったら殺しますよ彼を」


 脅し方が酷い、しかもだが彼女は基本的に、嘘はつかないから余計に恐ろしい。

 どこか冷めた視線が、意味もなく背筋を震わせて、二の句が告げなくなる。だが、そこはそんな視線を放つ侍女が、天性の馬鹿だと言わしめたお嬢様だ。


「しかもなんで殺すの、普通は逆じゃない。それに私は、本当にそんな気はないから」


 怯むが、それ以上の事はしなかった。

 どこか脅えている様な仕草だが、ツンドラのような冷たさを持ったポーオレの視線を、受け止めて、首を横に激しく振りながら声を上げる。


「当然じゃないですか、殺したら一生、彼は私の物になる。相手は、彼を奪われて永遠に苦しむなんて、一石二鳥じゃないですよ」

「重いよ、絶対にその愛嬢表現は重いよ。男がついて行けなくなるレベルだって」

 

 お嬢様の言葉に不快感を示すように眉を顰めたポーオレは、厳しい表情をした後ゆっくりと微笑んだ。

 その表情の変化に、驚いたお嬢様は、一歩後ろに下がり表情が固まった。


「重いとは失礼な、私は適正体重です。いえむしろ痩せているぐらいですよ、お嬢様と一緒にしないでください」

「私も別に肥ってなんかいない。それよりも、どこにその要素があったのかな。単純にポーオレの愛が重いといっただけだよ」

「そちらは、今更のことです。言われなくても重々承知しています。ただ、そこで止まらないのが私ですよ。私の情の重さを受け止められる相手にしか惚れませんから」


 だってそうでしょう、そういう男が好みなんですよ私はと、平然と惚気けてくれる。

 ただ困った事に、本当にポーオレは美人なのだ。傍から見るから、触れただけで手折れるような花の可憐さを持っているが、その正体は要塞か、それとも城塞か、そんな代物だ。

 絵になるだけで反則という存在に、女として少なからず嫉妬を抱くお嬢様は、一度視線を外して、元に戻す。


 恋する乙女と言う代物を実物大で見た所で、普段きつい美人が、どこか愛らしく見えるだけで、その表情にツナギは流石に無いだろうと、彼女唯一の欠点を見て、劣等感をマイナスするぐらいの抵抗しかできない。


「そう、なんというかご愁傷様というか。いい面だけを見るとそうだけど、エースも人の子ってやつなんだ、開拓者として必死すぎるぐらいに必死だから、夫婦としては不適当と」

「ああ、それでのお話なのですが、私そろそろ教育係を辞めさせて貰いたいと思っているん

ですよ」


 モノのついでの様に、出された言葉に、お嬢様は固まった。

 表情が塊、聞いた言葉に対して、なんとも反論し難い空気を漂わせている。何を言ったのか再度聞き返すと言う、発想が出来ずに、ただ蝋細工の様に冷まされた塊のように変貌していた。


「え、ええ、いや、え」


 冗談を言わないポーオレの言葉に、然しもののお嬢様も感情が追いついてこない。

 この天性の馬鹿とすら言われた片眼鏡のお嬢様だが、姉のように思っていた相手の言葉に流石に動揺が隠せないようだ。

 ポーオレからすれば、ついでの事の様に出されたものではあるが、お嬢様からすれば、はっきり言って寝耳に水だ。


「ちょっと、え、なん、なんで」


 赤い髪を振り乱しながら、納得がいかないと、腕を振り回してうなってみせるが、ポーオレはただいつもの事かと、冷めた視線でいるだけだ。

 意味がわからないし、いきなり過ぎたのもそうだろう、吐き出す感情が、すべて混乱のあとに出てきている為、正しい言葉が伝えられない。


 そして結局その混乱から、解答を得る為の言葉は、ヒステリックな響きを持ったである。


「意味が分からないよそれは」


 彼女の動揺は間違いなく誰にでもわかるものだっただろう。

 流石にポーオレも驚いて、片眼鏡のお嬢様を凝視するように視線を強めていた。三年ほど教育係として過ごしてきたが、このお嬢様にとって、ポーオレは唯一年齢の近い同性であった。

 それでも十歳ほど離れているのだが、少し年の離れた姉といえばいいのだろうか、そんな存在だったからこそ、簡単に自分の前からポーオレが居なくなる事は、驚きと同時に悲しみもあったのだろう。


 実際の話をすれば、彼女が権力をつかって無理やりポーオレを教育係に固定することは可能だ。だがそれが出来る関係ではない、そんな事をすれば二人の関係は致命的に、終わってしまうことぐらい、お嬢様じゃなくても理解できる話だ。


「流石に適当すぎましたか、ただ説明不足はお詫びさせていただきますが、後の統治者がたかが教育係の言葉如きに、感情を乱す等という事はないように、覚えておいてくださいね」

「ここまで教育しなくていいから、理由、大切なのはそこだよ、若干涙目な私を見て第一声が、それって酷過ぎるにも程があるからね」

「いいんですよ。私が居なくなった後の教育係は、あなたを甘やかすのは目に見えていますからね。私の言葉を忘れるようなら、あなたも天性の馬鹿から、ただの馬鹿に変わるだけでしょうし、次善の策というやつですね」


 ポーオレはしれっと言ってくれるが、最善の策が欲しいよと、お嬢様は涙目だ。

 しかし彼女が、厳しかったのもここまでである。


「私はそろそろ結婚しますので、お嬢様に関わる時間がなくなるんですよ」

「なんで、プロポーズ受ける気になったの、前までの話だったら、絶対に断る感じだったよね」

「ええ、本来なら首を横に振るつもりだったんですが、とうとうですねヒースの馬鹿は、クルワカミネを発つんですよ。そうなって、彼と離れると思うと、色々思うところもありまして、嫌がってでも無理矢理に、ついて行こうと決めてしまいましたので」


 衝撃的であったのは間違いないだろう。

 

「うん、分かった。ポーオレの言っている事は、凄く良くわかった、お祝い事なのも慶事だってのも。ただね、今までの話からどうやって結婚につながるんだよ。しかもポーオレ、あれだけ全否定してるのに」

「そうですね、西域開拓なんて十中八九自殺ですよ。ですがね、お嬢様の夢を叶える人物とと言ったでしょう、ヒースは多分ですが成し遂げますよ。それに、成し遂げなくても一緒に死ねるんですから、幸せじゃないですか」

「相変わらず重いなぁ愛が、聞いているだけで、恐怖に似た何かを感じるよ私。

 けど、本当にいけると思ってるの、私が言うのもなんだけど、エースの領域に入った人間は、確かにみんな人外みたいな事をしでかすけど、その西域開拓事業で、そのエースが何人帰らぬ人になったかも」


 彼女は西域があると思っているが、同時にその工程が、どうあっても難解なものであることも十二分に理解していた。

 自殺部署と言われていたのは、伊達などではない、開拓者は当たり前、関係者すらも首を吊る事が多かった場所だ。仕事よりも自殺の方が、業務などと、冗談では無い話がよくされたものである。

 開拓者の類義語が自殺者であるのはもはや、このクルワカミネの中では、常識の内容である。


 いつかは、確かにお嬢様は思っていたとしても、知人が、それに向かうといって肯定できるほど、のんきな存在では断じてない。


「あら、あれだけ夢があると言っておきながらその口、一度縫い合わせたほうがいいのでしょうか。あなたは、夢を愚直に貫く才能があるとは思います、それはヒースとて変わりませんが、まだその為に命を賭けるという発想がないようですね。

 そう教育して来たのは私ですけど、これが出来ていれば、私も無茶な事をせずに済んだというものです」


 私の教育方針は間違っていなかったと、頷いているポーオレだが、結局は失敗した以上なんの意味もないだろう。

 そのことを思い返して、憂いを口からため息にして吐き出した。


「あの、そこな美人さん。勝手に百面相されても困るのですが、結構私に不都合な教育したと仰った様な」

「いえ、別に、クルワカミネの王として必要な教育を施しただけです。ただこっちもはもう、無理心中の様なものなので、いちいちお嬢様に、隠すのもなんだなと思いまして」

「そこ隠そうよ、私そのまま成長したら、クルワカミネ継げないってことじゃない」


 何を今更と思うが、半分命を捨ててるポーオレは強かった。

 鉄面皮もいい所な表情のまま、そうですと肯定するように一度、確かに首を動かしたのだ。その事実の少なからずショックを受けるが、どこかで否定できない自分がいたのは間違いなかっただろう。


「あなたは、私が教育しなければ、戦闘機関に乗っていましたよ最低でも。しかもノリと勢いで、選別始発にまで向っていた筈です。そんなアグレッシブな馬鹿、いえ大馬鹿、違うお嬢様を教育するのは勤めですからね」

「言い直しが、明らかに攻撃目的だと、ここまで涙が出そうに、なるものなんだね。しかも自分で否定できないから辛いんだけど」

「それはそれはご愁傷さまです。そういった訳で、結婚よりも先に新婚旅行の予定も決まりまして、教育係をやっている余裕がなくなるので、辞めてしまおうと思いまして」

「まだプロポーズされてないよ、なんで自信満々なのそこまで。っていうか予定が無茶苦茶だよ、どれだけ自由に結婚を考えてるの」


 ポーオレの自由な思考に、ついていけないお嬢様は、叫びだしそうな感情を抑えきれずに、声を上げてしまう。

 そんな取り乱した彼女をポーオレは見ながら、ひどく楽しそうな笑顔を作っていた。

 確実にわざとやっているのだろうが、お嬢様が彼女を姉と思っている様に、ポーオレだって、それなりに情がわくというもので、本質的にかなりヒサシゲに似ている、お嬢様に対して、悪感情など抱けるわけもなかった。

 だからついつい、悪戯を仕掛けて、慌てる姿を楽しんでいる訳なのだが、自分の悪趣味に少しばかりの失笑を交えて、そろそろ落ち着きなさいと、お嬢様の肩を叩いた。

 「あう」と、不思議な声を上げて、興奮で滲んだ瞳を確認しつつ、ひどく整った顔で笑顔をお嬢様に見せつける。


「その辺りは、気にしないで下さい。説明するにも面倒くさい関係なんですよ」

「うん、もう言わなくても、その辺りは何となく理解させられたよ。ただ、もう少し、いや今日が最後って、わけでもないだろうけど、しんみりした感じで終わらせようよ」

「それは無理ですね。大体こうなったのも旦那様の所為ではあるんですよね。きっと後悔する事になるでしょうから、私は何もしませんが、この世界には理屈抜きで、感情で動く大馬鹿者がいる事を理解するべきでした」


 既に過去形で語られているあたり、もう取り返しがつかないのだけは、わかってしまう自分が嫌だったお嬢様は、あえて聞き返すことはしなかったが、その原因の部分は気になってしまう。


「それでお父様は、一体どんな粗相を」


 もう、真面目に言うのも疲れたという態度で、先ほどさし出されていた、冷めた紅茶を喉に流しながら、心を落ち着かせようとしていた。


「ヒースから、西域開拓事業の援助を打ち切るだけならともかく、ペナダレンを権力と金を使って奪ったあげく、さらには暴行加えてペナダレンの謝礼すら奪って放置しました」


 しかし無理だったのは仕方ない。

 だがここでお嬢様にあるまじき行為をしてしまう。口に含んでいた紅茶をそのまま吹き出し、床を汚すだけでは収まらず、自身の来ている服にすらぶちまけ、むせてしまったのかそのまま咳き込み続けると言う、これが本当に次代の王様か、と言うような光景を作り上げてしまう。


「ちなみに本当です。ここまでされて黙っている程、ヒースは優しくないですし、温和じゃありません、私はどうなっても彼の味方でいたいので、これ以上お嬢様の教育係はできないんです」


 それは私だって同じだと、クソ親父と叫びたくなるのに、むせた体が会話をすることも許さない。

 ただ、お嬢様は、ポーオレをそんな状態で見ながら、一つ思った事がある。


「ポーオレ、実は相当怒ってるでしょう」


 会話すら、ままならない筈のお嬢様は、やけに自然にその言葉をだしてしまう。

 だがそれが、地雷である事ぐらいわかっていたはずだ。体が喋る機能を現状では有さないと勘違いしたから、だした言葉であったのに、まさかとお嬢様自体思っているだろう。


「ええとても、だってその所為で、ヒースは西を目指してしまったんですから」


 逆鱗に触れるとは、この事であると、分かりやすく教育係として、お嬢様に指導しているポーオレを見ながら、怯えたように身を縮めてしまう。

 それは恨み節であると同時に、どこか晴れ晴れとしたものではあった。何故なら今までみたいに、ヒサシゲが残ると、分かっているからこそ出来た、結婚の拒絶ができなくなる理由になったから。

 そう言う意味ではポーオレは、どこかありがたいとは思ってはいた。だが口にされれば不愉快は、ここに極まると言う物だ。


「だから私は、とても怒っていますラディアンスお嬢様」


 だから響いた言葉は間違いなく、怨念染みた物であった事だけは、間違いないだろう。

 彼女にとってはこれまでが続いていけば、あと数年はこのつかず離れずの関係が続けられただろう。少なくとも無理矢理に、ヒサシゲについていくと、言い張る必要はなかった筈だ。

 ポーオレは、ただヒサシゲに一緒に行こうと、言って欲しかっただけなのだ。


 一人の夢ではなく、二人の夢にして欲しかった。結局それは叶わない、ペナダレンと西域を目指す事、それはどこまで行ってもヒサシゲの夢であり、彼女の夢はまた違うものだった。

 人はひとりで生まれて死んでいく、その間に連れ合いがいても変わらない。


 一緒の夢など存在しないと、ポーオレはヒサシゲの決断によって自覚させられた。

 そんな事をヒサシゲが、言うことなんて絶対にない。そうわかったからこそ、彼女はすべてを諦めて一つを選択してしまった。


「ただ、その事について誰も責めたりしませんよ。むしろ感謝をしているぐらいなんです。ようやく同じスタートラインに立てましたから」


 ただポーオレは、そのことを誰かに吐き出すことなどはしない。

 こればかりはどうあっても逆恨みだ、理性的である彼女がその事で、報復等と言う発想をすることはないのは間違いないだろう。

 強いて言うなら、不機嫌になるぐらいがいい所だ。問題があるとするなら、もうひとりの方である。


「問題があるとするなら、ヒースの方ですよ。あまり有名じゃないのが、災いしましてますね。

 彼はエースの中で最も苛烈な性格をしています。怒らせると、本当にどうなっても責任が取れませんので、ご注意の程を、喧嘩を売る相手を、間違う事の愚かさを、きっちり理解しておいてください」

「いや、家のお父様が悪かったけど、流石にそれはエースだって無茶だよ」

「無茶、というか、ペナダレンを奪ったのは不味かったですね。ヒースは、喧嘩は弱いですが、敵にするには、本当に面倒な男ですからね」


 頑張ってくださいと、彼女はこれまでにないほど弾んだ声で、そんな事を言ってくれた。

 旦那自慢は勘弁してくれと思うが、ポーオレは嘘はつかない。嘘をつかないのだ。

 そのことがラディアンスの嫌な予感の警鐘を鳴り止ます事はない。ヒサシゲのファンではあったが、彼の事と言われると戦闘機関乗りとしての話しか知らないのだ。


 現在存在する三人のエースの中でも、特別といっていいほど情報に対して、規制がかけられてしまった男。その来歴を知る事になった時、きっとだがラディアンスは、顔を真っ青に染めてしまうことだろう。

 嘘でしょうと、表情を強ばらせて、哀願に近い形でポーオレを見るが、どうにもなりませんとばかりに首を横に振る。


 たしかにあまりに過激な内容であるために、情報に規制がかけられてしまったエース。だが彼をよく知る人から言われた内容は、どうにも背筋の寒くなるような内容で、彼女の口からは、枯れた笑い声しか出ることはなかった。


執筆BGM

ノーラ・ベイズ Take Me Out to the Ball Game

ダークダックス フニクリフニクラ

Kenny Loggins  Danger Zone

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