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西果て鉄道運行中  作者: 斉藤さん
第一部 かつての要塞列車
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二章 形定まらぬ開拓史

 川端康成の名著の一つ「雪国」には、我らなら一度は聞いた事のある名フレーズがある。

 たとえその作品を聞いた事も見た事がなかったとしてもだ。

 たった数文字で、その場を克明に情景を伝え切った言葉の深遠の一つであろう一言だ。


 トンネルを抜けるとそこは雪国であった。


 どこか圧迫感を感じるトンネルと言う存在。

 外界からは入ったら出るまで、同じ景色と同じ場所を動いているメビウスの輪の様に、無限に続くのではないかと言う不安を掻き立てられる。

 そんな潰されるように続く狭い道を抜けた先に広がる雪の国、閉塞感すら吹き飛ばし広がる世界を一言で、万言を尽くすよりも素晴らしく表現して見せた代物である。


 男の心情を表現するときにはきっと、その言葉を用いるのが最も正しい。応用を利かせて皮肉を使い、最後原文崩壊を加えれば、きっと素晴らしく正しいものに変わってくれるだろう。


 目を覚ますとそこは地獄でした。


 彼の心情はそんな所だろう。

 薬か何かを飲まされた事をようやく理解したのか、自身の迂闊さに苦虫を噛み潰したような表情を作り、責めるようにコルグートに視線を向けるが、初老の男は分と鼻で彼を笑いながら、万能結晶を潰すように握って珈琲のサーバーにお湯を流していた。

 熱さを気にしたそぶりの無いコルグートは、ゆっくりとカップに抽出される黒い液体のしずくを眺めていた。


 安い珈琲の香りが部屋に溜まって吐き出されることもなく停滞している間、非難の視線はあまり意味がなくただの喜劇の添え物にしかならなかった。

 彼の前の前には責めるような視線をした赤い髪をした女が一人、じっと彼を見ているだけだ。だがそれが彼にとっては一番堪える物でもあった。


 どこか滲んだ瞳には、罪悪感を掻き立てられる雫が溜まっているのだろう。言い訳をしようと開く口は呼吸をするだけの穴と変わり、振動を介して相手に伝える事などありえるわけもなかった。

 それは普段であるなら気丈な彼女が、ヒサシゲにだけ見せる表情であるのと同時に、あまり惚れた相手にして欲しい表情でもない。彼は困ったのと同じ程度には、自分の男としての甲斐性の無さに少しばかり泣きたくなる。


 今、目の前の女性の表情を作り上げたのは、確実に自分であると断言できれば尚の事だ。

 苦々しく表情を歪めながら、頭を掻き毟りたくなる衝動を必死に耐えて、ぎこちなくではあるが笑顔を作って、やあと手を挙げる。


「久しぶりだなポーオレ」


 自分の無愛想な態度にも呆れてしまいそうになるのを耐えて、ヒサシゲは彼女を怒らせるんじゃないかと戦々恐々としたものであった。

 千年の恋も容易く覚めてしまいそうな男の態度に、滲んだ罪悪感の塊さえも枯れ果ててしまう。この界隈でもかなりの著名人のひとりである彼女だが、あまり表情が変わらない鋼鉄の女と呼ばれるポーオレを、ここまで掻き乱す男はヒサシゲぐらいだろう。


 冷たい彼女の視線を突きつけられても、俺の選択は正しかったんだと思っているような男だ。鈍いのか、空気が読めないのか、どちらにせよポーオレにとっては、最悪の態度であったのは間違いはない。

 しかしそんな男が彼女の惚れた男なのだから、ある意味ではこれでいいのかもしれない。

 ただ愛情と、男の態度は別物だ、薄くではあるが無表情であったポーオレの眉間に皺がよる。


 コルグートはポーオレの表情の動きを見逃さなかったようだが、自分はやることはやったと勘違いしているバカは違う。

 やらかしやがったと思って笑う老人は、抑えのきかない感情をコーヒーと共に飲み込むが、ポーオレはそうはいかない。


 人は彼女の事を鋼鉄と呼ぶが、同時に近しい者はそのことを笑う。

 ポーオレは火の様な女だ、鋼鉄程度溶かし尽くすような燃え広がるような存在である。だから怒らせてはならない、そうなったら自分の身を心配するべきだ。

 ちなみにこんな事を言ったのは、ヒサシゲと言う彼女を怒らせる事が出来るたった一人の男だ。


「ヒース、私はかなり我慢強いほうだと自負しています」

「俺が知る限りポーオレほど苛烈な女性は知らないぞ」


 明らかに重くなる空気を知っているのか知らないのか、ヒサシゲは俺が一番ポーオレを知っていると言うかの様に胸を張った。

 飲み込んだ笑気が吹き出しそうになるのを必死に耐えながら、コルグーとは二人の動きを見ていたが、安いコントよりは笑える光景だ。


 完全に怒らせていると言うのに、ヒサシゲの態度は愛情が端々に感じられる。

 そんな彼の行為を分かっていながら、なぜ重要な部分が外れるのだと怒りを募らせながら憤慨を隠そうとしないポーオレは、鋼鉄の名を返上しなくてはならない程度には不機嫌になっていく。


「そうですか、私が怒っていると言う事もあなたは分かっていないと」

「一体どこにポーオレを怒らせる所があったんだ。ああそうか、通り魔程度にやられた所か、それは許してくれよ。あっちは確実に壁内のプロだぞ、俺は防御は苦手だ攻撃しか出来ない」

「違います、もうあなたがそう言う人だってことは知っていますから、殴ったりするだけで我慢します。ですが、何でいつもいつも、私から逃げるような真似をするんですか」


 既に殴ることが確定している事に、ヒサシゲの表情は固まる。

 しかしいつも逃げるよう真似と言葉には、さすがの彼も言葉が詰まるようだった。


「逃げているつもりはない、ただこういう事が起きるとポーオレは俺を監禁するだろう」

「怪我が治るまで安静にしない人を、休ませるにはもう監禁しかないと過去の経験から確定していますから自業自得です。まして行く事を決めたんでしょう、それを伝えるのは私が最初ではないんですか」

「爺さん、喋ったのかよ。それは俺が言う台詞だろう、次に振られた時に言うつもりだったのに」


 彼が十五になってから二十八になるまで繰り返してきた告白、その全てを断られながら平然と諦めを忘れさせる言葉を口から鳴らす。

 その事を聞いてポーオレは顔をしかめた。彼女は彼が旅立つ事を望まない、なぜならきっと死ぬ為の工程を歩むだけの無駄な行為だと思っている。どれだけ彼女が彼と両想いであったとしても、死にゆく男の告白など受け入れられるわけがない。


 ヒサシゲは告白が受け入れられたのなら、間違いなく西域を目指しただろう。ポーオレは彼にとっての枷だ、唯一の後悔であるといっても過言ではない。


「そうじゃない、なぜ私が最初じゃなかったの。それは私が最初に受け入れる言葉なんです、少なくともそこのお爺さんじゃない、それは私があなたから最初に聞くべき言葉のはずです」


 そうやって彼を止めていた彼女、それはヒサシゲに死んで欲しくないと思ったポーオレの望みであり、重くのし掛かった心の痛みでもあった。絶対に諦めないと知っているヒサシゲの夢を必死になって止めていた彼女は、抑えていた言葉を感情に乗せて罵声のように叫ぶ。

 これが我侭であることぐらいポーオレ自身が気づいている。だが他人ではなく目の前で死ぬと聞かされた彼女の精神状況が、どうであるかなど聞くまでもない事だろう。


「あなたが諦めないことは知っていました。そういうあなただからこそ、ですが、ですが、ヒースあなたは私に最初に伝えるべきでしょう」

「す、すまん、ちょっとお天道様に苛立って決めたから」

「勢いとノリですか、どこまであなたはもう、あなたって人は、なんでこう、もう、なんで」


 独占欲の強いポーオレは、自由すぎるヒサシゲにどうしても振り回されてしまう。

 彼からしてみれば逆なのだろうが、自分というものを知らない人間らしい思考であるとも言える。

 すぐにでも泣き出しそうなポーオレを必死に宥めようとしているが、逆効果にならないかと二人に不干渉を心がけていたコルグートだが、ここで若い二人にあれやこれやというのは老人の無粋だ。


 シワを深く刻みながら、好々爺の如くその光景を楽しむ。

 若い若いと、手をたたいて笑いたくなる程に、初々し二人の姿を見て自身の過去でも思い浮かべているのだろうか。


「これがマダムとキング、おまけに跳ね馬にまで恐れられている二人とは思えん」


 この壁外でしのぎを削る三つの勢力、婦人、列車王、そして首領の三つの組織。

 その二人はかつてではあるが、その全ての勢力に戦争を挑んだ経歴がある。実際に戦ったのはヒサシゲ一人ではあるが、幼子の恋愛を見るような微笑ましさを感じさせる二人の絵に、かつて的であった相手に同情し、呆れたようにため息を履いた。


 簡単に言えばただの痴話喧嘩に、爺が干渉するものではないと、高みの見物を決めているが、これぐらいの言葉を吐いてもバチが当たるものじゃない。

 二人して既にあと数年で三十に差し掛かるというのに、これで肉体関係どころか接吻一つしたことがないのだから、ある意味では病気のように感じるが、それは二人して馬鹿であるという証明行為でしかない。


「いや、それにかんしては、なんというか、ごめんなさいとしか言えないが」

「いつもそうでしょう、好き勝手にして好き勝手暴れる。もう私がプロポーズを受け入れても受け入れなくてもあなたはきっと西に行く」

「ああ、それはもう決めたから止められても辞めるつもりは一切ない」

「私が何度連れて行ってと願っても、絶対に首を縦にふらない。俺の夢だっていつも、私を置いていくのヒースは」


 それはヒサシゲが彼女を死なせたくないからなのか、もっと別の理由なのかこれから先も彼は語ることがないだろう。

 滲んだ涙が、ヒサシゲの心を痛ませ口を開くことすらも忘れさせるが、それでも頑なな彼は首を縦に動かす事も、反論する事もきっとないだろう。ただ納得させるようにいつもの言葉を言うだけだ。


「俺の夢なんだ」


 子供を説き伏せるような物言いに、たやすく燃え上がるポーオレの感情は、彼の頬を激しく叩いた。普段から肉体労働を旨とする壁外の出身者は、当然の様にそれなりに鍛えてあるのだ。

 まるで鐘を叩くように響いた平手の音は、せっかく目を覚ました男の意識を一瞬だが吹き飛ばす。先程までの暴行されたからだが悲鳴を上げるより先に、頬の痛みに彼は声を上げそうになった。


「黙りなさい、あなたいつもそうやって、それで言い訳を作る。はっきり理由を言ってくれればいいだけでしょう」

「だから、俺の夢なんだ。俺だけの夢なんだ、ポーオレの夢じゃない、相棒と俺だけの夢だ。これだけは知人であっても恋人であっても夫婦であっても譲れない。俺はこの夢だけは、自分だけの物じゃないと許せない」


 一瞬だが首が飛んだと錯覚するような威力を持った平手打ちに、ヒサシゲは随分とポーオレの中に膿を貯めていたことを理解した。

 だがそれが独占欲から来る嫉妬だと誰が気づいただろう。

 夢を見る馬鹿は、視界を曇りガラスに変えたように、彼女の真意を見通す事は出来ない。愛情を抱こうと、その人間の全てを知り尽くすなんて言うのは、おとぎ話の中にしか存在しない。

 そんな知らない部分を理解しながらも受け入れることができて、初めて恋愛は恋愛と呼べるのかもしれないが、そうやすやすとできる人間がいないのもまた事実だ。


 そこまで受け入れて彼女の感情を受け止めても、ヒサシゲは自分の夢をあきらめない。

 夢と私どちらが大切なのと、問われてもきっと彼は夢を選ぶだろう。

 夢想ばかりを掴み取ろうと必死になる男だ。

 そんな馬鹿だからこそポーオレは彼に惹かれたのだが、同時にそんな彼にうんざりする部分もあるだろう。


 しかし糸が切れたようにどんと椅子に座ったポーオレ、身を預けるように安楽椅子がぎしりと鳴いた。分かっていた事ではあったのだ、彼女には当然の夢ばかりをのたまう男に対して、自分とどちらが大切なのだと言う嫉妬もあった。

 だがこの男の本質はこれだということを彼女が忘れていたと、反省する部分だったのかもしれない。

 この男は馬鹿だった事を、一度に複数の事が出来ない、何があっても結論が夢に行き着く、大馬鹿者だという事をポーオレは忘れていた。


「あなたは、いつでもそう、いつも夢の為に私を見捨てる。なのにその度に私に救いの手を差し伸べるなんて、懐いたペットに餌をやらない飼い主ですか」

「すまん、これだけは、これだけは」


 知っていたが、こう突きつけられると彼女も涙があふれる。

 どう行き着こうと、ヒサシゲはポーオレではなく夢を取る。それは彼女にとっては受け入れがたいものであると同時に、その真っ直ぐな心根がなにより大好きな部分だった。

 だからこそ始末に負えない、彼の決意を聞くのは自分が最初で最後が良かった。いつかじゃないもう決まってしまった事実、やると言い出した時から実行に移すまでの家庭がひどく短いヒサシゲは、半年という時間を最大と見積もっているだろう。


「西域到達の夢だけは誰にも譲れないんだ」


 「私も」そう言いたくて仕方ないポーオレだが、ヒサシゲは彼女をペナダレンに乗せる事も、西域到達に対して彼女を連れて行くことも、全て認めていない。

 彼女の夢は違う、もっと家庭的で当たり前の事だ。

 目の前でスマンと頭を下げて、罪悪感から彼女に視線を合わせる事の出来ないまま、俯いているヒサシゲとの生活だけだ。


「いっつもそうだ、ヒースはそうやっていっつもだ」


 あまり周りには知られていないが、ポーオレはヒサシゲに惚れている。壁外の才媛にして壁内のお天道様の指針、壁内に存在する数々の人材の上に立つ、ラディアンス・クルワカミネの教育係だ。

 それに毎度のごとく告白して容易くそらされる男と彼女では、流石に周りの人間は立場が逆だと思うだろう。最も二人は相思相愛であるのも間違いではないが、優先順位がポーオレよりも夢である時点で、ヒサシゲは彼女をどこかで諦めている。


「いつも私をどこかにおいて、ペナダレンとどこかに行ってしまう」


 だからこそ二人の関係はこうなってしまっているのだ。

 あまりにもガタガタに歪んだ歯車のような付き合いは、奇跡的な調律によってどうにか自然に回っているように思えるが、その実は負担をかけ続ける感情の押し付け合いだろう。

 もしポーオレがヒサシゲに告白した時、きっと彼は彼女の願いを断ること知っている。自殺紛いの夢の為に、ヒサシゲはポーオレを捨てる。


「そしてその夢に私を乗せる事もない。私の夢とヒースの夢が違うから」


 ギシギシと鳴く安楽椅子が、寂しげにおいていかないでと彼女の気持ちを代弁する。後ろ髪を必死に引く聞こえない声に、ヒサシゲはただ沈黙を守るだけだ。

 どれだけ身勝手かわかっているからこそ、ポーオレの言葉を彼は彼の心に突き刺さる。


「ただの幸せなヒースとの日々が私は欲しいのに、ヒースは夢の為に命を捨てる。最低な男だ、本当にいつも身勝手な変わらないヒースくんです」

「すまん」

「気にしなくていいです。あなたが身勝手なことは、私は重々承知していますから」


 夢の方が自分の愛情より上と宣言されたにも関わらず、内心ではどう思っているか分からないが、未だに瞳には怒りと涙を溜めているポーオレが怖くて、ヘタレているヒサシゲは、この時の彼女の瞳を見なかった事を後悔するだろう。

 悪戯が成功したような強かな目で、じっとヒサシゲを捕まえ続ける目が、どこか楽しげな色を持って弾んでいた。


「申し訳ないと思っているのなら、浮気真っ最中である事を反省するべきです。私は狭量な女ですよ、ハーレムなんて認めていません」

「いや、夢と恋愛は別物だろう」

「ヒースはその二つを秤に掛けて夢を取った大馬鹿者です。言われてもさして問題ないと思われますが」


 辛辣なポーオレの言葉に、言い返すこともできずに言葉を詰まらせるヒサシゲは、やっぱり彼女に口でかなわない事を再確認させられた。彼が彼女に優っている事なんてのは、基本的に執念だけであるのだから当然の事だ。

 そんな彼の気持ちを当然知らないポーオレは、指先を自分の方に曲げながら、ちょっとこっちに来なさいとヒサシゲを呼ぶ。


「ヒースは馬鹿です、私の告白を袖にしたんです。私は夢に劣る女と突きつけられました、だからあなたには義務があるんです。あなたの夢が私の告白に劣るという証明をしなくてはいけないという義務が」

「あのな、そもそも俺は帰ってくるぞ。なんで死ぬことを前提に、西域を目指さんといかんのだ」


 ゆっくりと歩きながら、痛む体を労わる様に足をするようにして彼は歩いていた。

 痛み止めや化膿止めを飲んではいるが、直ぐに治る体があるなら人間痛みに対して鈍感でいられる。

 そういえばと得心した表情で頷くポーオレは、痛みに苦しんでいるヒサシゲを見て自業自得だと笑っている。だがそんな中で返された言葉は随分と軽いくせに、重い言葉でもあった。


 だが彼からすれば、どいつもこいつも自分が死ぬ事が確定している現状が不愉快でならない。ヒサシゲがからしてみれば、自分は生きてこのクルワカミネに帰ってくるつもりだと言うのに、誰ひとりそんなことを考えていない事実は、自分の実力を馬鹿にされているとしか思えない。

 最もそんな大言壮語を吐いて、大地の肥やしになった人間達の総称こそが開拓者なのだ。


 自分は特別と思っている。

 自分なら西域にたどり着く、どこにあるのかもわからない自尊心を持って、湧き上がる選民意識を煌びやかに輝かせる大馬鹿者の代表。

 開拓者とはそういった人間達への侮蔑であり、そもそもお天道様から見てもただの人材の投機に過ぎない。


「それがどれほど信じられない言葉かヒースが一番知ってるでしょう」

「俺なら大丈夫だって、ペナダレンがいるんだぞ、相棒と一緒にいて西域から戻ってこれないわけがないって」


 だがそれでもヒサシゲは言う、どうにかなるから気にするなと。

 確かに彼は優秀すぎるほどの機関乗りだ。誰よりも万能結晶の変化を理解し、戦闘機関を手のように操る事の出来るトップガンの一人であり。

 クルワカミネからすら認められたエースの一人ではあるが、そう言った人間が今まで帰ってきたことがないのが、西域開拓事業の無意味なところでもある。


 西という夢しか見ない男は、不服だと頬を膨らませてみせるが、正直に言えば優男とは言え三十近い男のそんな顔はただの公害だ。

 平手を一発、気持ち悪いと言う公害を削除したポーオレは、強く彼を睨んでいる。美人が起こるとたいていの場合は、その表情と相まって更に罪悪感と恐怖を掻き立てられる。さらにそこにあまり表情の変わらない、ポーオレの冷たい視線はもはやただの凶器であるのだろう。


「気持ち悪い顔はどうでもいいですが、私はそれを信用できないんです」

「大丈夫だっての、どうにかなる、どうにかさせる。厄災地点を超えて、西域にたどり着いてみせる。ついでに戻ってくるさ、五体不満足かもしれないけどな。

 夢を見るんだ、そして叶えるんだ、命だってくれてやれる夢なんだよ。その為ならもうなんでもしてやれる」


 俺の人生はそれだけの為にあると彼は笑った。

 開拓者ですら底が見えぬといい、あいつの同類なんて存在するかと否定したヒサシゲの笑は、静かに穏やかで凶相紛いの劣悪さを込めたものであった。

 夢に陶酔した男の顔は、傍から見ればそれは死相にまみれた代物で、ポーオレが知る限りヒサシゲができる最上級の笑顔なのだ。


「死ぬ為じゃない所だけしか評価できないです。止められない事は理解していましたが、相変わらずあなたは、本当に最低です」

「自覚はしてるけど、反省はしない。こればっかりは、悪いなポーオレ」


 彼女の目の前で頭を下げる。ヒサシゲはこれ以上は、自分が出来る事など無いと自覚しているのだろう。

 しかし彼女からすればまだあるぞと言いたかっただろう。

 ポーオレは呼び寄せたヒサシゲを抱き寄せて、彼の体重を抱きとめながら椅子を激しく揺らした。


「誘惑をしてみましょうかヒースに耐えられる」


 いきなり抱き寄せられたヒサシゲは目を丸くする。体中が柔らかい何かに受け止められ、何が起きたの変わらず疑問を顔に浮かべている。

 逃がさない様にと拘束するポーオレの腕は、細腕とは思えないほどしっかりと彼を受け止め逃がさない。柔らかいと感じた彼女の体に、ヒサシゲは顔を真っ赤に染める。


「私がヒースの弱点を知らないと、本当に思っているのですか」

「確かに苦手だが、あのな無理にするなって。お前もあの馬鹿の所為でその手の事は苦手だろうが」

「ヒースなら根性さえあれば大丈夫です。多分」


 深くヒサシゲはため息を吐く。

 力強く彼を抑えているポーオレから無理矢理逃げようとすると、彼女の腕から力が抜けたのかするりと脱出してしまった。


「やっぱりダメなんだろうが、あとな誘惑なんかする必要はない。気にしなくても、お前以外に興味もないゆっくり待つ」

「またそうやって釣った魚には餌をやらないんですよね。あとヒースまだ私は怒っていますよ、あなたが最初に旅立ちを告げるのは一体誰だったでしょう。きちんと答えて反省しなさい」


 ヒサシゲの頬を両手で挟み、視線を強引に彼に合わせながら、彼女は笑って彼に言う。

 二度三度と話はそらさせないと、強い決意を感じて困ったようにヒサシゲは頭を下げた。


「ポーオレお前だったな確かに、悪かった二度とこういう事はしない。

 そして俺は半年後、クルワカミネからからペナダレンで西域を目指す。俺は夢を叶えに行ってくる」


 ゆっくりと咀嚼するように彼女は頷いた。

 それが大切な言葉であると何度も反芻しながら、自分で無理やり納得させるために何度も頷く、ヒサシゲの言葉は嘘はないことを知っている。でも彼女はそれを認める事が出来ない。

 きっとヒサシゲはその言葉の通りに旅立ち、そして死ぬとポーオレはそう考え、そこから動くことができない。

 それでも彼の言葉を聞いて、花の顔ばせを綻ばせなから、ゆっくりと口を開いた。


「合格です、それがあなたが私にする最善の義務ですよヒース」


 溶けるように響いた音に、ヒサシゲは穏やかな顔で頷く。


「ですが、そしてあなたがそう言うつもりなら、私は無理矢理にでもペナダレンに乗るのであしからず」


 ポーオレはヒサシゲが勝手な人間だということは知っている。

 何度も経験したし、何度も突きつけられた。

 だったら逆も然りだ、私が勝手にしても何の問題もないはずだと、彼女の夢はヒサシゲと一緒に過ごす日常だ。

 その夢を叶えるためなら、ヒサシゲの願いなんてのはドブに捨ててやればいい。


「ポーオレさん、ちょっと今の言葉流石に驚くんだけど」

「人の夢を台無しにしようとする馬鹿がいるんです。だったらその馬鹿の夢に付き合うのはまたいいとは思いませんか、それだけで私の夢が叶うんですよ」


 それぐらいの譲歩をしなさいと笑う。

 口をパクパクと動かすだけで、反論の言葉を出せないヒサシゲに変わって、コルグートは声を上げて笑った。


「流石は嬢ちゃん、馬鹿の扱いに関しては一枚も二枚も上手だ」


 笑うジジイと、戸惑う男と、楽しげに笑う女、未だ始まならない開拓史は少しずつ形になっていく。

 まだ二つ足りないものがあるが、まだ始まりもしていない代物だ。

 だが確実に車輪の音は響き始めていた。火花を散らしながら赤い大地を駆け抜ける、そんな幻が少しずつ形になっていく。


 だがまだ所詮幻だ、所詮今は男と女の痴話喧嘩。

 

「俺の夢なんだぞ、簡単に肯定なんかできるか」

「ええ、否定してくれて構いません。無理矢理乗っていくのですから」


 汽笛の代わりに男の溜息が響く程度の幻だ。

執筆BGM

UNISON SQUARE GARDEN オリオンをなぞる センチメンタルピリオド 5分後のスターダスト

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