scene-6.【魔王】
「ようこそ、勇者よ」
「……」
「名乗るまでもないだろうが、私は魔王だ。そして、ここはまお……」
「……おい」
「うん?」
「うん?じゃねーだろ……。なに可愛く首かしげてんだ!」
「駄目だったか?」
「駄目に決まってるだろ!だいたい、なんなんだよ!これわ!」
「なに、と聞かれてもな。見たままだとしか答えようがないのだが」
「なんで、そこらかしこに花とか絵とか綺麗に飾ってあったりして、応接室みたいな雰囲気になってんだよ! ……なんで、こんなにやたらと歓迎ムード出してんだよ……」
「歓迎しているからに決まってるだろう。色々気を使って、このとおり準備しておいたし、こうしてお茶とお菓子まで用意しているんだぞ。ここまでやっておいたのに、それでも戦う気満々だと思われると色々とショックを受けてしまう所だったぞ?」
「何をしたいんだよ、お前わ」
「歓迎したいんだが?」
「魔王に歓迎される勇者って……。何だったんだよ、俺の旅は!」
「ん~。強いて言えば、茶番?」
「おい!……答えろよ、助言者!」
「なんだ、気がついていたのか」
「やっぱり、お前だったのか!」
「引っ掛けだったのか? まあ、良い。……よく分ったな」
「これまで嫌って言うほど、その声を聞いていたからな。ただ……」
「ただ?」
「……お前が、女だとは思わなかった」
「そうか。……コーヒーは?」
「ハァ。……もらうよ」
ガタッ。
「砂糖は二個だったな」
「うん。あとミルクも」
「わかってる。……ほら」
「ありがと」
ズズズズ。ぽりぽりぽりぽり。
「……おいしい」
「そうか」
「あっ。もしかして、これ、あの村の?」
「やはり覚えていたか。あの時、随分美味しそうに食べてたのを覚えていたんだ。だから、人間に化けられる部下に頼んで、買いに行かせた。喜んでもらえたようで何よりだ」
「……それで?」
「それで、とは?」
「とりあえず、お前が助言者の正体で、俺と戦う気がないのは分った」
「ああ」
「でも、お前が何を企んでいるのかが、未だに分からない」
「企んでいるとは人聞きが悪いな」
「じゃあ、何を考えて、こんな真似をしたのか教えてくれ」
「そうだなぁ……。細かい部分を抜きにして、目的だけ言おうか」
「ああ」
「お前、私の夫になれ」
「……は?」
「勇者が魔王に婿入りするんだ。これで色々と問題は解決。勇者はようやく幸せになれるし、魔王も何の不安もなく生きていく事ができる」
「……えーと……。それは勇者でないと魔王は倒せないからって理由でいいのか?」
「一応は、そうだな。もちろん、お前のことが気に入ったからって理由も一番目にちゃんと入ってるぞ」
「……なあ」
「なんだ」
「正直に、言っていいか?」
「いいぞ」
「馬鹿にしてるのか?」
「そんな訳はない」
「じゃあ、なんでこんな真似するんだ」
「今度は、ちゃんと順をおって話そう。……この部屋に隠し通路があるのは知ってるな?」
「ああ。そこを通って入ってきたから……」
「あれは脱出経路じゃない。こう言えば分かるか?」
「……え?」
「私が臆病な小心者だって話はしたな? そんな私が、あんな分かりやすい弱点を抱えた抜け道を、いつまでもあのまま放っておく訳がないだろう。それなのに、あの通路は、放置されたままだった。不自然に思わないか?」
「それは……」
「つまり、その必要があるから放置していたんだ。なぜなら、あれは入った者を逃がさないための袋小路の絶対の罠。本来は、そういった目的のために作った特殊な通路だからだ。人間の世界で、将来、とてつもないレベルの脅威に育ちそうな個体を調べさせておいて、その人間にしか認識できないように調整した小妖精を私自身の分身として取り憑かせる。その上で、ここにおびき寄せるといった策だった。……お前のように脅威として成長しきる前に、ここまで一人で来させて、この部屋にまで入り込ませれば……私の勝ちは確定するからな」
「……そんなの……」
「やってみなくては分からない? ……お前は馬鹿か? それをお前に教えたのは誰だった?」
「それは……」
「私だろう? お前なら、私に……魔王に勝てる、と。……それをお前は信じてしまった訳だな。だが、魔王に一人っきりで勝てると、本気で思っていたのか? ……思い上がるな、人間風情が」
「くっ」
「まあ、そんな訳で、これまでは強くなりそうなヤツや、脅威になりそうなヤツをピンポイントで狙って誘い込んでは、ここで始末してきたんだが……」
「なんで、そこで視線をそらす。……顔まで赤くして」
「誤算だった。大いなる誤算だ」
「なにがだ」
「お前を見つけたのが早すぎたんだ。……お陰で、随分と長いこと一緒に居る羽目になった。……そうだったな?」
「あ? ああ」
「生まれた頃から、ずっと側にいて、ずっとお前のことだけを見守ってきたんだ。……そんな真似をして、何の感情もわかないほどには、私は冷血漢ではなかったようだ」
「……」
「正直に言うと、最初はな……ペット感覚だった。拾った子犬、拾った子猫、その程度だったよ。特に、お前は捨て子の上に、薄汚い路上生活者だったからな。人間というよりも、小動物に感覚が近かった」
「……ああ」
「お前には、本当に、色々と教えてきたな。言葉の喋り方、読み方、意味。文字の読み方、書き方、意味も……。歌の楽しみ方、絵の楽しみ方、演劇の楽しみ方。生き物の名前、食べ物の名前……。戦う術も、逃げる術も、生きていくための術も何もかも。……本当に、色々教えてきた。お前は時に、私のことを母のように慕い、父のように敬い、兄のようになつき、弟のように邪険に扱ったな」
「……」
「女として見てもらえてなかった事は多少気にはなっていたが……。まあ、その程度のことは大して気にならなかったというのが素直な所だ。私にとって、お前と過ごした十数年間は本当に楽しかったからな……」
「お前……」
「この感覚は、男と女というよりも、これはむしろ母と子の感覚、あるいは姉と弟の感覚に近いのかもしれない」
ふわっ。
「……ようやく、触れた」
「……」
「ずっと触りたかった。こうして、抱きしめたかった。……お前が泣いている時、苦しんでいる時、悲しんでいる時、私はいつも声をかけることしか出来なかった。それが、ひどく苦しかった。大事に思う相手が目の前で苦しんでいるのに、言葉でしか慰めることが出来ない……。あの時ほど、己の無力感に苦しんだことはなかった。あの時ほど、お前のことを撫でたいと思った時はなかった。あの時ほど……こうして、抱きしめたかった時はなかった」
「……」
「ようやく、夢がかなった。お前が苦しんでいる時、ただ言葉でしか励ますことしか出来なかったことを、ずっと気に病んでいたんだ。……悪かった。ちゃんと側にいてやれなくて」
「……やめろ」
「もう、離したくない。……好きだ。人間よ。勇者よ」
「もう、やめてくれ」
「なぜ、嫌がる?」
「駄目だよ」
「なぜだ? お前は私が抱きしめようとした時には逃げなかったじゃないか」
「甘えたらダメなんだ。……ここで甘えたら、俺、駄目になる」
「駄目になっていい。お前はもう十分に苦しんだ。これからは、私が幸せにしてやる」
「そんなの……」
「お前は人間のために尽くしてきた。そんなお前に人間は何をしてくれた?」
「……」
「困ったときだけ呼び寄せ、頼るだけ頼って、用がすんだら適当に金貨を与えては放り出す。それ以外の扱いをされたことが一度でもあったか? それなのに、お前はまだ『どこかの誰かにとって都合が良いだけのヒーロー』であり続けるつもりなのか? そんなのは救世主じゃないぞ、ただの便利屋だ」
「……へんりや、か……」
「ああ、そうだ。よく、考えてみてくれ。自分にとって一番いい選択は何なのか。自分が幸せになる道は何処ににあるのか……。建前とかに騙されずに、しっかり考えてみてくれないか。お前を最も愛してくれているのは誰なのか、それをよく考えみて欲しいんだ」
「……とりあえず、離してくれ」
「いやだ」
「……恥ずかしいよ」
「駄目だ。私は、まだお前のことを抱きしめていたい」
「なんで、そんなに」
「何年抱きしめたいのを我慢してきたと思ってる。ちょっとくらい抱きしめても良いじゃないか」
「……いや、その……」
「どうした腰をそんなに引けて」
「いや、だってさ……。その……。さっきから、顔の部分に……あたってるから」
「……少しは女として認識してくれるようになったのだな」
ギュッ。
「なんだか、妙に、うれしいな。これが恋というものなのか? それとも、この感情こそが愛というものなのか? ……はははっ、なんでも知っているつもりになっていたが、この程度の事も私は知らなかったのか!」
「……魔王」
「……すまない。ちょっとはしゃぎすぎた」
「いいよ」
「そうか。時間なら、まだある。朝まで、ゆっくり考えてみてくれ。私は、お前の決断に従がおう。どうしても戦いたいというのなら、ちゃんと覚悟を決めて戦ってやる。二人で静かに暮らしたいと言うのなら、喜んで、それを受け入れよう。……だから、焦らず、難しく考えずに、ただ心のなかにある答えを見つけてくれないか? ……勇者と魔王などではない。お前と私の二人のこれからについて、ちゃんと考えてみてくれ。……私たちは憎みあっている訳ではないはずだ。宿命だの、運命だのといった下らない言葉に踊らされて、意味もなく殺しあうなんて不毛の極みだろう?」
「……」
「あと、一応、後悔のないように、私の出した答えを先に伝えておく」
ぎゅっ。
「愛している。勇者。ずっと昔から」