【短編】そんなに幼馴染が大事なら、私も好きにしますわ
私の婚約者、ブレット・ペリシェは良い人だ。
子爵家の三男で、栗色のさらさらの髪、整った顔立ち、柔和な笑顔が特徴の騎士科と経済学部科の二つを掛け持つ貴族学院の生徒で、私と同い年。人当たりも良く、成績は中の上。騎士科に憧れたが、騎士団に入ることは難しいと評価が出たため二学年からは経済学部科を受けて資格の勉強をしている。
努力家で真面目。ただそんな彼に問題があるとするのなら、幼馴染の存在だろうか。
成人となる特別な日。
優しい婚約者からの贈物に、口元が緩む。淑女としての笑顔が崩れてしまうのは許してほしい。
賑やかなパーティー会場。今日は婚約者とファーストダンスもした。そのあと彼の幼馴染ダニエラとダンスを3曲続けて行った時はショックだったけれど、私のために選んだという贈物に免じて目を瞑ろう。
プレゼントを受け取るまで、そう思っていた。
「誕生日おめでとう、デメトリア」
「ありがとう。ブレット様」
王都の高級ジュエリー店の包装紙。ブレット様が選んでくれた大事な贈物だと思った。リボンに付けられたタグを見るまでは。
To Daniela、With love.。
「!?」
あまりにも残酷な単語が書かれていた。見覚えのある筆記。自分宛ではなく別の相手というのだから笑うしかない。
幼馴染をなんだかんだで優先する婚約者。
「ブレット様、これ……」
「喜んで貰えて嬉しいよ」
「ブレット、一緒にプレゼントを選んだ甲斐があったわね」
「ああ、ダニエラに相談してよかったよ」
ダニエラ・ノレ。
金髪のふわふわした髪に、空色の瞳。庇護欲をかき立てる愛くるしい顔。貴族令嬢とはおもえない品のなさ。異性との距離感が近く、腕を組む、手を繋ぐ、抱きつくなど日常茶飯事だった。ブレット様だけではなく、他の男子生徒にも同じような距離感で接しては甘えた声で笑うのが特徴だ。
「ブレット様、今日は婚約者として隣に居ていただきたいのですが」
「え、ああ」
「ええー、そんな。それじゃあ私は一人で壁の花になっていろってことですか?」
そもそもダニエラを招待した記憶はない。招待状もなしで会場に入ったのはブレット様が一緒だったからだろう。そう考えると頭が痛くなってきた。
「そもそもノレ令嬢を招待した覚えがないのですが」
「酷いわ。私はブレットの幼馴染なのに」
「幼馴染であろうと私には全く関係ないですし、一族としても関わりがない者を呼ぶことはしませんわ」
「デメトリア、そんなこと言わなくてもいいだろう」
扇子を取り出し口元を隠した。
「あら。ブレット様は貴族としての礼節も忘れてしまったのですね。そんな心持ちで貴族として本当によいと思っているのですか?」
「それは……」
「デメトリア様、あんまりだわ。ブレットは貴女のために頑張ってきたのに!」
「ダニエラ」
互いの家同士のためにも。各家の品格を下げる行為を阻止しなければならない。そう告げたけれど、二人の中では私が勝手に嫉妬していると思っているのだろう。どう言っても私を悪役にしたいようだ。
(頭が痛い……)
「マティーナ王女殿下のご入場です」
「マティーナ王女!」
銀髪に、蜂蜜色の瞳の美女が颯爽と会場内に現れた。私とは色違いのドレスで、今日はハーフアップをしていて百合の髪飾りをしていた。公務で遅れると聞いていたので思わず笑みがこぼれる。
「デメトリア、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
周囲も王女殿下の登場に頭を下げて挨拶をしていたが、傍に居たはずのブレット様とダニエラがいなくなっていた。そのことに卒倒しそうになる。
(婚約者として隣に居る気はないということね)
ため息が漏れそうになったが、まずはマティーナ王女の対応が先だ。ここで粗相があってはいけない。
去年もその前も思えば、誕生日パーティーで私の傍に居ることはあまりなかった。ダニエラが風邪を引いたとか、なにかと理由を付けていたのだ。今まではそれでも祖父の願いでもあり、二人で会うときは優しかったから我慢していた。
(幼馴染としてずっと一緒に居たのなら、すぐに離れるのは難しいかもしれないもの)
そう言い聞かせていたが、ここ最近学院でのブレット様とダニエラの態度には看過できなくなってきた。
貴族学校で「婚約者がいる相手に対して失礼だ」とダニエラには何度か苦言を呈した。そのたびに他の男子生徒やブレット様が庇ってきた。「ダニエラに悪気はない」と。
悪気がなければ何をしても良いのか。
そう言葉を返せば、嫉妬だとか、余裕がないとか言い出す。ダニエラがヒロインで、私のような正当な主張をする婚約者は悪女と言われる。
「階段から突き落とされた」
そんなことしていない。
「教材を隠され、捨てられた」
私は彼女の教室にすら近づいていない。そもそも学年が違う。
「学年末テストで成績が下がった」
私のせいにする意味が分からない。勉強せずに街で遊んでいたら成績も下がるのは当然だと思う。どうして私がダニエラのために過去の試験勉強を渡さなければならないのか。意味が分からない。
***
今年も見事な薔薇が咲き誇る中庭は私のお気に入りの一つだった。薔薇の芳醇な香りが満ちている中で、ブレット様の姿を探す。
(たしかこちらに向かったと聞いたのだけれど……)
パーティー会場にいないブレット様を探して中庭に出てみたら、二人が抱き合いキスしている姿を見てしまった。
(え?)
「学院を卒業したらブレットは、この屋敷に住むんでしょう? 羨ましいわ」
「そうかな? 豪邸過ぎて僕としては萎縮してしまうよ」
「じゃあ、私が遊びに来てもいい?」
「もちろん。あー、でもデメトリアが嫌がるかも」
「やっぱり私、嫌われているのね」
「ごめん。デメトリアには言い聞かせるから」
「ほんとう? 騎士として私に剣を捧げたのなら、ずっと一緒ってことよね」
「ああ」
恋人のように二人は抱き合い、再びキスを繰り返す。どう考えてもそれは幼馴染の域を超えている。
(騎士の誓いを……国や国王でもなく、ダニエラに捧げた?)
騎士を目指す者が主人と定められるのは素晴らしいことだ。しかしその相手が一個人であり、守るべき対象としてどのような結びつきがあるのかが問題だ。姫と騎士ならば主従となり、領主あるいは当主と騎士。あるいは愛する存在、妻や恋人、親友や友人であれば理解もできる。
(でもダニエラはそのどれでもないわ。幼馴染と口にしながら恋人のような間柄で、剣まで捧げている。つまり私や一族よりも彼はいざとなったらダニエラを優先する)
そんな人を夫として、当主の補佐として、なにより心を預けることも信用もできない。政略結婚であってもお互いに信頼がなければ遅かれ夫婦生活は破綻する。そもそも婿入りする彼が騎士になるのを許したのは、一族で話し合った結果だ。本来なら騎士ではなく当主となる私の補佐をして貰うはずだった。ブレット様の強い希望があったからこそ容認したのだ。その結果がこれとは。
(お祖父様が望んだ婚姻だったとしても、これ以上は許容できない。ううん、許容すれば我が伯爵家に大きな損害を与えることになる)
ブレット様もその幼馴染も自分たちの幸せしか考えていない。このまま一生、幼馴染を優先する夫であり騎士なんて何の役にも立たないだろう。オリオール伯爵家に婿入りするというのを何か勘違いしているのかもしれない。
「──っ」
踵を返して中庭を去った。
淑女として走るなどありえないのに、衝動が抑えられなかった。気付けばブレット様と一緒にお茶をしていたガゼボに来ていた。婚約者として何度もお茶会をしてきた記憶が脳裏に過る。
頬を伝って涙がこぼれ落ちた。心からブレット様を愛していたし、家族として受け入れようと思っていた。身を焦がすような愛ではなかったかもしれないけれど、努力も気配りも、思いも全部が無意味だったのだと打ちひしがれる。
「っ……うう」
いつか分かってくれる。
努力家で真面目、そして優しい彼だから幼馴染に対して強く言えないのだろう。そう思っていたのに恋人のような関係だったことがショックだった。
この国では愛人や妾は重罪だ。一昔前に王位継承問題で酷い争いがあったことで、爵位継承問題にも直結するからと婚姻時の不倫が発覚すれば重い罪となる。婚約時の浮気は白い目で見られるが罰にまではならない。
(隠れて不倫や浮気をしている貴族もいるけれど、上手く隠しているか異国に住まわせるなどこの国の法が適用されないようにしている)
そういった背景があるにもかかわらず、ブレット様は何も分かっていない。今はまだ婚約だから法には触れていないが、結婚時にも今の関係を続けるのなら大問題となる。それは私やブレット様だけの問題ではなく家同士の存続の危機になりかねない。
(それでも……もし現状を理解して、反省して謝罪するのなら……)
一度だけブレット様を信じたい。夫になる人なのだから、と私は屋敷に戻る。泣いてもいられないと涙をそっと拭った。
私がガゼボを出ると雨が降り出し、まるで私の代わりに泣いてくれているようだった。
***
パーティーが終わってすぐに私は両親とブレッドのご両親を応接室に呼び、ブレット様から貰ったプレゼントを開封して見せた。
それを見た瞬間、全員が凍りつく。
「学院内でも幼馴染のノレ令嬢がブレット様にべったりしていて、婚約者のような振る舞いをなさっています」
「なんてこと……」
「ありえない」
「今日も私を放って置いて二人でいる時間が長かったこと、ダンスも婚約者は一曲で幼馴染は三曲も続けて踊っていましたわ。それと……」
私は使用人に目配せをする。彼女は水晶玉を両手に抱えてテーブルの上に置いた。中庭とガゼボ、その他の屋敷内には監視用の魔導具が設置されている。これは祖父の代に王家からネックレスを預かっていた経緯から今もそのままにしていた。
ブレット様とダニエラの会話は聞こえなくても、抱き合ってキスをしている現場はしっかりと映っている。それを見てブレット様のお母様は顔を真っ青にして今にも倒れそうになっていた。逆に子爵は顔を真っ赤にして激高していた。
「あれほど、あの娘とは縁を切れと……!」
「私たちには婚約した時に伝えたのに……申し訳ありません」
その場に土下座しそうな勢いでブレット様のご両親は頭を下げた。話を聞くと婚約する時に距離を置くことを言い渡していたらしい。二人とも素直に頷いていたので、それを信じたと後悔していた。
ダン、とテーブルを力強く叩いたのは父だ。
「実直で努力家と思っていたが、買いかぶりだったようだ」
お父様は王城の人事部門室長で普段は穏やかで、声を荒げたことなど一度もない。髪を常に七三にして黒縁眼鏡を掛けたひょろりとしている──が、お父様は元々、騎士の家系で脱いだら凄い筋肉の持ち主だ。怒りで上等なコートとシャツを破らんとしている。
「アナタ、その一張羅高かったので破かないでくださいね」
「あ、ああ」
それに対してお母様は扇子を開いて口元を隠している。もっとも目は全く笑っていない。
(お母様が一番怖い)
「まあ。幼馴染だからと許される距離感ではありませんわね。その上、結婚しても今の関係を続けるなど【不倫】を宣告したようなもの。ペリシェ子爵家は我がオリオール伯爵家を重罪にしたいのかしら」
「そ、そんなことはありません!」
「本当です。私たちもまったく気付きませんでした!」
「贈物も定期的に送っていて、手紙も──」
パチン、とお母様は扇子を閉じた。空気が凍ったままだ。私は残念な事実をブレット様のご両親にお伝えする。
「学院に入学してから、誕生日以外に贈物や手紙などを貰ったことはありませんわ」
「は?」
「え?」
どうやらブレット様はご両親に対しては上手く隠していたようだ。
「その幼馴染を婚約者にすれば、丸く収まるでしょう」
「それは!」
「今さらそんなこと!」
ペリシェ子爵と夫人は声を荒げた。
(それはそうよね。婚約することで事業に融資しているのだから、途絶えたら困るでしょう)
元々この婚約は祖父同士の希望で結ばれたようなものだ。それに家同士にとっても婿がほしいオリオール伯爵家と、融資を受けたいペリシェ子爵家の思惑が一致したから結んだ背景がある。
「この場にブレット様がいて、謝罪と今後しないと誓約をして頂けるのなら、やり直そうと考えていました。でも……」
ガゼボから戻ってから両親に相談し、ペリシェ子爵と夫人、そしてブレット様とダニエラの二人にも話があると連絡した。それなのにブレット様とダニエラは中庭で雨が降ってきたからと言って、さっさと馬車で帰ってしまった。
主催者の私に挨拶もなしに、だ。
婚約者であるという自覚が欠片もないのだろう。そしてそれは今も同じようだ。だからこそ最後のチャンスだった。
馬車で帰ったが、すぐに早馬で子爵家の屋敷に向かわせたが戻ってくる気配はない。パーティーが終わってから二時間。時計の針は夜二十二時過ぎ。パーティーは二十時には終わっている。
(たぶん屋敷に戻ってないのでしょうね。あるいは無視している)
客室の大時計が無情にも二十二時半になったことを告げた。使用人の淹れた紅茶が冷めてしまった。
「婚約破棄ではなく婚約解消。それがこちらの出せるせめてもの慈悲だ」
「しかしオリオール伯爵!」
「当事者の話し合いも無しに一方的すぎますわ」
「そ、そうです。せめて明日。朝一に息子を連れてきます!」
その話し合いに現段階で来てないことが問題なのだ。
「一方的なのはいつもブレット様でしたわ。これ以上、我慢させられて婚約を続けたくはありません」
「よく言ったわ、デメトリア」
「学院長に頼んで急ぎ取り寄せたが……、婿に入るにしてもそちらのご子息は私の出した成績を収めていない。これでは伯爵家の事業を任せるわけにはいかないですな」
(え? お父様がそのような条件を?)
「そもそも騎士になれるかも不明。成績も落ちるばかりではないですか」
「それは…」
「事業は妻とデメトリアに一任しているが、それに胡座をかくような男には娘を任せられない。むろん、娘を不安にさせるような男などもっての外だ」
ブレット様のテスト順位は悪くないほうだったはずだ。もしかしたらレポートなどの提出物の評価が低いのかもしれない。毎日のようにダニエラと一緒に居て、テスト期間中も街で遊んでいたと耳にしたことがあった。
ダニエラはそもそも後ろから数えるほど低い上に、貴族としてのマナーやルールも不合格ライン。卒業も怪しいレベルだ。
いくら容姿がよくても貴族として結婚を考えているなら、貴族同士の繋がりや暗黙の了解、ネットワークなどを構築しなければすぐに社交界で、つまはじきにされる。特に事業をしている家の夫人となるのなら、人との繋がりは必須。
それなのに他の婚約者と親しげにしていれば、私以外のご令嬢から睨まれるのは当然だ。現在、ダニエラの嫁ぎ先はほとんどいない。後妻であっても確実に面倒があると分かっていて迎え入れる家はないようだ。
「ノレ令嬢の嫁ぎ先もなかったですし、ちょうど良いではないですか」
そう微笑んだ私に、ペリシェ子爵と夫人は肩を落としたのだった。最終的にペリシェ子爵家への融資は続けるが、返済期限もしっかり見直した形での再契約となった。投資と異なり、融資は返済義務がある。親の代で返せなければ令息がそれを引き継ぐ。もっとも彼が子爵家を継ぐかは不明だが。
そんなこんなで私の誕生日当日に、ブレット様が不在のまま婚約解消で決着となった。
***
翌日。
いつもと変わらない日常。
ただ昨日と異なるのは婚約解消したことだった。いつもならブレット様の家に立ち寄って馬車で学院に向かうが、すでに婚約は解消した後だ。朝からあの二人と関わらないで良いと思うと、晴れやかな気分になる。
「お嬢様、機嫌がよいですね」
「ええ。もうブレット様のことで思い悩むことがなくなったもの。しばらく恋愛は遠慮したいわ」
側付きの侍女ハンナもどこか嬉しそうだ。
いつもはブレット様と一緒にダニエラまで乗せてほしいと駄々をこねるし、ブレット様にべったりで二人にしか分からない幼い頃の話をしていた。
(今考えるとなんであんなに我慢していたのかしら。本当に馬鹿みたいだわ)
好きだったけれど、学院でダニエラと一緒にいる彼を見て気持ちが目減りしていったのは事実だ。真面目だし、一生懸命でよく相手のことを見ていて、お節介でもある。
燃え上がるような恋ではなかったけれど、穏やかで温かい恋はあったと思う。学院に入学するまでは手紙のやりとりや些細な贈物をしあって、デートも最初の頃は二人きりで楽しかった。
甘い物が好きだったのが意外で、よくカフェでお茶をしつつ勉強もした。お互い本の趣味があって、よく貸し借りもしていたのだ。
(楽しい記憶もあったのね)
思い返すとそんなこともあった。楽しい記憶が思い出せないほど私とブレット様との関係は終わっていたのだ。
学院に入学してから──私とどこかに出かけるときも偶然を装い、あるいは知っていてダニエラは、わざと同行したいと言い出してきた。
三人で私の家の馬車に乗り込むのが当たり前のようになって、二人だけしか分からない話ばかりする。正直ウンザリしていたのだ。
(あの時から歯車が狂ったのでしょうね。最初にもっとしっかり言い聞かせていたら……)
私も幼馴染がいたら、なんだかんだと頼ったり、話し相手を求めてしまっていたかもしれない。だから今までは目を瞑っていた。
婚約前に国を出た私の幼馴染。
元侯爵家嫡男クリフォード・バラデュール。
(クリフォードがいたら……)
懐かしい彼の名を思い出し、浮上する感情を押し殺す。それもまた終わったことだ。私と彼の道は交わらず、決別したのだから。
それでも私の幸せを願ってくれた幼馴染の考えは、正しかったのだ。いつまでも子どものころのように一緒に居られるわけじゃない。例え大切であっても距離感や接し方によっては大切な幼馴染の相手に不快な思いをさせてしまう。
傷つけてしまう。それは結果的に幼馴染の不幸に繋がる。だからクリフォードは私の前から姿を消した。
「本当に私の幼馴染はかっこよかったのね」
誰にも聞こえない声で呟いた。
***
学院に到着すると、親友のマティーナ・トリブイセール王女が馬車を降りたところだった。銀髪に、蜂蜜色の瞳の凜とした美女が佇んでいる。今日はハーフアップをしていてガーベラの髪飾りをしていた。
「おはよう、デメトリア」
「おはようございます、マティーナ殿下。昨日は元婚約者が失礼しました」
「デメトリアが謝ることではない。それに元がついたのだから私としては満足だよ」
王女殿下とは学院に入ってから仲良くなった。今では親友だと王女殿下からお墨付きを貰うほど仲良くさせて貰っている。
「昨日やっと婚約解消したのだろう。ようやく決心が付いたようでなによりだ」
「はい。いい加減、私も限界でしたので。……よりにもよって私の誕生日プレゼントがダニエラ宛の物だと知った時は、その場で婚約破棄を言い渡しそうになりましたわ」
「それは酷いな。クズ過ぎる」
王女殿下は率直な感想を言うので「ですよね」と苦笑する。決定打は中庭での浮気現場を目撃したことだが、さすがにそれを口にはできなかった。
「しかし、あのクズにしては、すんなり受け入れたな。一応、デメトリアへの執着というか思いはあったと思ったのだが」
「あー。実はですね、パーティーの途中でペリシェ令息とノレ令嬢が勝手に帰ってしまったので、当の本人は不在で決定しました」
「は?」
ブレット様の執着というのはよく分からないが、いつもダニエラ優先だった彼が今さら婚約解消を後悔することも、未練もないだろう。むしろ私と婚約解消あるいは破棄を望んでダニエラと一緒にいた気がする。
婚約解消もしたのだ。今後は会う機会もないだろう。そうこの時の私は思っていた。
「もう話しかけてくることもないでしょう」
「だと良いのだが」
「?」
「デメトリア!!」
「ほら来たぞ」
王女殿下が苦笑する中、ペリシェ子爵家の馬車が到着したようだ。馬車から飛び降りたブレット──ペリシェ令息は私を呼び止めた。
「ペリシェ令息。婚約解消しているのですから、今後は気安く名前で呼ぶのを辞めていただけますか?」
「僕は婚約解消など認めていない!」
(何を言っているのかしら)
あれだけのことをしておきながら今さら何を言うのか。思わず苦笑してしまう。女王殿下も呆れていた。自分のことで煩わせてしまうのは申し訳ない。早々に話を付けてしまおう。
「婚約は家同士が決めたもの。なにより連絡したのに、その場に現れなかったのですから婚約に関してどうでもよいとお考えだったのでしょう」
踵を返すが、ペリシェ令息は納得いかなかったのか私の腕を掴んだ。
「どうして、どうして君はいつも! 勝手に決めて僕を置いて行くんだ! 君の支えになりたくて強くなろうとした。経営学だって学んできた! それなのに、どうして──っ、僕の知らないところでクリフォードと逢瀬を重ねることをしたんだ!」
「は?」
どうしてここで幼馴染の名前が出てくるのだろうか。しかしペリシェ令息は言葉を続けた。
「商談と言いながら彼と密会して、先に裏切ったのは君じゃないか。だから僕も同じようにダニエラに頼んで仕返しを──」
「ちょっと待って。クリフォード? 私が彼と最後にあったのは婚約前よ?」
「嘘だ、彼に会っていたじゃないか?」
何を言っているのだろう。頭がおかしくなったのだろうか。
「会ってないわ。そもそもそんな暇、私にあると思ったのですか?」
「え? いや、だって……」
「私は学業に事業、それと誕生日パーティーに向けて目が眩むような忙しさだったのですよ?」
「それは……」
ペリシェ令息の言葉に困惑するしかない。週に三日。そんなに頻繁に誰かと会った記憶はない。傍付きの侍女ハンナに目配せをする。彼女はポケットから分厚い手帳を取り出した。元々スケジュール管理を任せていたのだ。
「ハンナ、私の予定ってどうなっていたかしら?」
「お嬢様のプライベートの時間はここ半年、ブレット様と王女殿下とのお茶会、誕生日に向けてのドレス選びなどを除くとありません。それ以外は事業関係の打ち合わせや商談です」
「なっ……嘘だ」
真っ青な顔でペリシェ令息は叫んだ。困惑と動揺で身体が震えていた。
「嘘じゃありませんわ。仕事先の方々から証言を取っても構いません」
「そんな……じゃあ、全部嘘?」
「逆に聞きますが、貴方の発言に確たる証拠はありますか? まさか噂や誰かが見たという証言だけなのですか?」
「ダニエラとその友人が何度か見た……と」
その言葉には脱力しかない。
「まったくもって信憑性がありませんね。貴方は幼馴染の言葉であれば盲目的に信じるのですか?」
「……幼馴染の言葉だ。君だって幼馴染の言葉なら──」
「いいえ、それはありえませんわ」
「!?」
キッと睨んできたが、貴族の令息という自覚はないのだろうか。そんなんじゃ大人になって社交界に出たらあっさりと食い物にされてしまうだろう。
「幼馴染の言葉であっても私たちは貴族の令息令嬢です。善意であれなんであれ、情報を精査してから動かなければ、足をすくわれかねないですもの」
「──っ」
信用しているからこそ裏はしっかり取るべきだ。貴族として生きていくのならそのぐらいの事はしなければ、やっていけない。
「私一人の判断で伯爵家を貶める可能性があったとしたら?」
「それは……」
「何でもかんでも鵜呑みにすることが正しい訳ではないのです。例え幼馴染の言葉が本当でも、見た相手、噂を言い出した相手が悪意を持っている可能性だってありますもの」
「……っ」
「そもそもただの幼馴染として距離が近すぎるのも問題ですわ。この国で不倫がどのようなことになるのか忘れていませんわよね?」
「それは当然だ」
「それならよかったですわ」
にっこりと微笑む。もう私には関係ないことだ。
「デメトリアが正しいな。君には客観的な証拠が欠けている。十分な調査を怠ってそのような発言は名誉毀損、侮辱罪に当たるぞ」
「王女殿下……。申し訳ありません、自分が軽率でした」
ペリシェ令息は頭を下げた。それに対して王女殿下は舌打ちしそうな苛立った顔を見せた。
「謝罪は私ではないだろう」
「……っ、はい」
噂や聞いた話というのは憶測や願望が入っている場合もあるし、勘違いだって有り得る。だからこそ情報に踊らされずに見極めなければならない。それが貴族の家に生まれた者の責務だ。苛立ちを抑えながら言葉を選ぶ。冷静に令嬢らしく微笑みを忘れずに。
「ペリシェ令息。すでに婚約は解消しておりますので、これ以上私などよりもダニエラと仲良くどうぞお幸せになってください」
「デメトリア」
ペリシェ令息が泣きそうな顔をしていたけれど、それは全て彼自身が招いたことだ。貴族社会で生きていくのは難しいだろう。そう考えると私との婚約解消は良かったのではないだろうか。他人の言葉を簡単に信じるような者は破滅に片足を突っ込んでいるようなものだ。特に貴族社会なら。
貴族という窒息しそうな社会よりももっと自由に、彼の良さが光る場所で生きていくほうが良いだろう。騎士の仕事に就くかどうかは不明だが、貴族と関わらない職場であれば良いのだが。
「さようなら、ペリシェ子息」
**ブレットside***
ずっと好きだった。
最初に出会ったのは中央図書館で本を借りに来た時に、目をキラキラさせて本を読んでいた姿だ。最初は妖精かと思ったけれど、とっても可愛い女の子なだけだった。
「このほんもおもしろいよ」
「ほんとう?」
目をまん丸にさせたあと星屑よりもキラキラと輝いていた瞳に、ふわりと笑う姿にドキリとした。仲良くなりたい。ダニエラとは違う。ふわふわで綺麗で、笑顔が可愛い女の子。
もっと話がしたいな。
そう思って図書館に通っていたけれど、彼女は年上の男の子と一緒に来ていた。黒髪で烏のような髪の色の癖に、目鼻立ちが整っていて余計にムカムカした。
「じゃあ、俺は鉱石図鑑を探してくる」
「あ。クリフ、そっちは逆方向。こっちよ」
「ん」
小さな女の子が年上の男の子の手を引いて離れていく。たったそれだけの出来事なのに、なんだか酷く遠くにいるように感じた。
「ブレット? 暗い顔してどうしたの?」
「……別に」
ダニエラは誰彼構わず愛想良く、甘えた顔で近づいて強請る。媚を売るのがとても上手だ。あんな風に誰にでもいい顔をするダニエラが苦手だった。それでもお父様がノレ男爵家とは仲良くするようにというので、できるだけ関わってきたが正直面倒くさい。それでなくてもダニエラは面倒ごとを起こすのだ。
お茶会ではぬいぐるみや宝石を盗んだり、ケーキや飲み物に細工したりとやりたい放題。そうやって酷いことをすることで、魔導具を動かすために必要なだとか。よく分からないことを言っていた。
『原作通りなら、悪意や敵意をこの懐中時計に集めたら願いが叶うの!』
酷く不気味でドロドロとした物が、懐中時計の中を這いずり回っているような気がした。何を願うのか、そう聞いたらダニエラはにっこりと笑った。
『侯爵夫人になること!』
男爵令嬢である彼女が掲げた夢は、それこそ奇跡が起きない限り絶対に叶いっこないものだった。けれどその発言をした数年後、侯爵家は事故や魔物や災害と様々な不運に見舞われ、あっという間に没落していった。それを傍目で見ながら、彼女は「早く返事来ないかな」と喜んでいた。
ぞっとするほど純粋に他人の不幸を喜ぶダニエラが正直怖かった。でも心のどこかであの女の子と一緒に居た男の子が侯爵家嫡男だって知った時は、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけざまあ、って思った。
僕がデメトリアのことを好きだと気付いたダニエラは下卑た笑みを浮かべていた。あまりにも醜くて、怖いほどの笑顔。
「ねえ、ブレット。あの子と婚約したいのなら、手伝ってあげようか?」
「え?」
それはあまりにも都合が良すぎる悪魔の囁き。
「あの子がブレットと婚約したら、きっとあの人も折れ──じゃなくて、幼馴染の幸せのためならなんてことないよ」
「ほんとう?」
僕はその言葉を善意だと思って提案を受け入れた。それがダニエラの手口で、「恩人」という言葉で僕を振り回すようになる。
特に侯爵家嫡男のクリフォードが爵位と領地を王家に返し、国を出て行くと公表された日のダニエラは凄まじかった。
荒れに荒れて部屋の中をめちゃくちゃにして暴れ回っていた。
「なんで、なんで、なんで、なんで!!! 私が侯爵夫人になるのに、どうして私の手を取らないの? おかしくない? 助かる方法があるのに、どうして? ありえない。ありえない。ありえない! 呪いだって進行しているのに、なんで自我を保っていられるの? こんなのおかしいわ!! 原作になかった!」
ハサミでクッションを滅多刺しにして喚く姿は、人間というよりも獣のようだった。侯爵家嫡男はきっと自作自演を見抜いていたのだろう。それでも他国に消えたのなら、デメトリアの隣にはもういない。僕だけのデメトリアにできる。
彼女に相応しい人間になりたい。隣を歩けるような人間になりたい。強くなって彼女を守りたい。領地経営を一緒に支えたい。
そう頑張ってきた。でも剣術も勉強も中の中。彼女とかつて並んでいたクリフォードの足元にも及ばなかった。気付けばいなくなったあの男の影を追いかけている。どんなに努力しても比べられ、足りないと、不釣り合いだという声ばかりが僕に降り注いだ。
デメトリアの成績は常に上位。何一つ彼女より秀でているところがない。それが余計に僕を惨めにさせた。
***
放課後に図書館で勉強していたときのことだった。ダニエラが声を掛けてきたのだ。
「ねえ、デメトリア様との仲はどう?」
「どうって……。普通さ」
「ふぅん。でも傍で見ている感じ、デメトリア様に振り回されてばかりなんじゃない?」
「それは」
思わず手が止まってしまう。
「いつも余裕があって、優雅で──でも作り物めいてるみたい」
思い出すのはデメトリアが無邪気に笑っていた笑顔だ。そしてそんな顔を僕は一度も見たことがない。クリフォードの前だけは普通の女の子だった。
「ねえ、デメトリア様の不安そうな顔や泣き顔ってみたくない?」
「は?」
「誰も見たことのないデメトリア様の表情って、婚約者の特権じゃない」
「とっけん」
「そう。あのクリフォード様ですら出来なかったことでしょう」
ダニエラのその言葉にドキリとした。婚約者候補だった彼が出来なかったこと。そうだ。今は僕がデメトリアの婚約者なんだ。彼女の笑顔も、泣き顔も全部僕の物にしたい。淑女の完璧な笑顔じゃない、素の、出会った時のようなとびきりの笑顔が見たい。
「デメトリア様が嫉妬したら? 怒ったら? それは全部ブレットのことを深く想っているからあらわれるの!」
デメトリアが僕のために嫉妬して、一喜一憂する。
ああ、それは見たい。僕だけの、僕だけにしか見せない表情。想像するだけでゾクゾクしてしまう。
「どうすればいい?」
それが悪魔の誘惑だったのだとしても、その時の僕にとって甘美で抗えない欲が芽生えた瞬間だった。
デメトリアが泣きそうな顔をすると、心臓がバクバクと嬉しい。僕のことで頭がいっぱいになってくれているのだと思うと、愛されているって感じた。
デメトリアが困った顔をすると、愛おしくて抱きしめたくなる。今すぐにでも抱き寄せて、キスをして……それ以上だって……ああ、でも婚約者だからってそれ以上は許されない。結婚してしまえば、デメトリアはずっと傍にいてくれる。だから強くなって、支えようと思っていたのが馬鹿みたいだった。そんなことしなくても、デメトリアを振り回すことができたんだ。
こうやって君のことを振り回して、そのたびに愛が目減りしていくことや、愛想尽かされるなんて頭からすっぽ抜けていた。ただ彼女の心に触れたくて、自分がいたことを、自分も彼女の心を揺らせる人間なのだと証明したかった。
目的が変わって、過程ばかりにこだわったせいで──彼女の心を砕いてしまった。
誕生日の日、彼女への贈り物を選んだ。メッセージはほんの冗談だった。でもあれを見た瞬間、彼女の表情が凍りついたんだ。
ゾッとするほど美しくて、そして決定的に愚かな行為をしたのだと気づいた。
彼女は淑女の笑みを浮かべて、当たり障りのない話をする。
(違う。見たいのは君の素の感情で、熱で、思いだ。もっと怒って悲しんで苦しんで──────あれ?)
僕は彼女に笑って欲しかったのに、どうしてこんな風に、彼女が傷つくことをしてしまったのだろう?
デメトリアの笑顔が好きだ。でもデメトリアが苦しんで、悲しんで、僕を憎む思いのほうがゾクゾクしていい。
それはクリフォードには抱かない思いだったから。僕だけに向けた特別な感情。でもその歪んだ考えだけでいっぱいだった。婚約解消されるまで──。
「え、は?」
「この馬鹿者が!」
思い切り殴られて壁まで吹っ飛んだが、痛みよりも言葉の衝撃が大きくて意味が分からなかった。
「なんで……」
「なんでだ? お前が幼馴染を優遇し、婚約者であるデメトリア嬢を傷つけたからだろうが!」
「そんなことも分からないなんて……」
「デメトリアは僕のことを愛していると言った。だからこの程度」
「この程度!?」
両親は僕を奇異な目で見る。「どうしてこんな子に育ってしまったの」と嘆き、話を聞いて兄二人が駆け付けたときは僕を庇うどころか「男としてクズすぎる」とか「廃嫡する方向ですすめなければ」と話し合っていた。その間、婚約解消と言う言葉だけが頭の中でぐるぐると繰り返される。
気付いたらその場から逃げ出した。ダニエラなら何かいい知恵があるかもしれない。これまでも僕を導いてくれたのだから、きっと何かあるはずだ。
気付けばダニエラの、男爵家の屋敷に向かって走っていた。
***
「そう、おめでとう!」
「は?」
ダニエラはとびきりの笑顔で祝福する。僕は意味が分からずに頭が痛くなってきた。
「嫌われて、めちゃくちゃになっても、これさえあれば元通りよ」
そういって取り出したのは小瓶だった。赤い液体が入っている。
「媚薬。惚れ薬。これさえあればブレットのだけを見てくれるの」
「そ、そんなものがあるなら、どうして最初に渡してくれなかったんだ? そうすれば婚約解消せずにすんだのに」
僕の言葉にダニエラは魔女のように高笑いする。
「しょうがないじゃない。この惚れ薬は相手が強い関心、好意、あるいは憎悪がなければ効果がないっていうのだもの」
「デメトリアの心の奥底にはクリフォード様が居座っていた。私にはわかるわ。だってあの方の心にはデメトリアがいるって言っていた。だから絶対にその心をかき乱すって決めたの」
ダニエラは途中からブツブツと自分の世界に入り込んでしまったようだ。こうなると長い。笑って泣いて怒り狂ってを繰り返す。
言っている意味がよく分からないが、今の状況でなければこの惚れ薬は使えないと言うことだけは理解した。
(それにしてもダニエラはどうしてそのことを知っているのだろう?)
ぼんやりと思ったが、今はデメトリアとの仲を修復することが最優先だ。それだけ考えればいい。
(これで何もかも元通りだ)
***
婚約解消してからペリシェ子息がお茶に誘われることが増えた。今までは定期的なお茶会に嫌々同席していたので、急激な変化に驚いてしまう。
「申し訳ありませんが、婚約者でもない方と同席する気はありません」
「デメトリア、一度だけでいい。どうか……!」
毎回毎回しつこいぐらいに話しかけてくる。婚約解消してようやく自分の立ち位置を理解したのか必死だ。あまりにもしつこいので「一度だけなら」と折れてしまった。
「ありがとう、デメトリア」
ペリシェ子息は和やかに笑った。
学院の帰り道、子爵の馬車で有名店に向かう。二人きりになりたくないので、侍女のハンナを伴ったが気にした様子もない。
(今さら婚約解消を求めようとしている?)
「きっとデメトリアが好きな紅茶だと思う」
いつになく饒舌だった。婚約していたときですらそこまで話したことがなかったのに、不思議なもので他人となった今の方が良く喋る。
カフェは店内と中庭に席があり、予約していたのか中庭のガゼボに案内された。とても可愛らしく、大きな池がありそのいくつかにガゼボが立っており中々にお洒落だ。
私の好きな苺ばかりのスイーツが並ぶ。ハンナは後ろに控えている。
(せめて婚約していた時にしてくれていたら……)
苦笑してしまう。今さら心を入れ替えても結末は同じ。
店員がカップに紅茶を注いでくれた。香りが甘ったるい。
(花、ううん、果実の香り?)
かぐわしい香りだった。カップを手に取り口を近づける。ペリシェ子息はにこにこと微笑む。ふとそよ風が頬を撫でた。
「それは飲まないことを勧める」
突如現れた黒衣の男は私のカップの天渕を押さえて、そう告げた。艶やかな長い髪に黄金色の瞳が私を真っ直ぐに見つめていた。
目鼻立ちが整っており彫刻のような顔立ち。
騎士というよりは暗殺者のような黒衣の服に身を包んでいた。
彼の名を私は知っている。
私の幼馴染クリフォード・バラデュール。元侯爵家の子息だ。
『国を出るよ。二人で会うのはこれで最後だ。変な噂が出るのはデメトリアの評判を落としかねないだろう。それに僕は君に幸せになってほしいんだ。離ればなれになるけれど、君の幸せを願っているよ』
最後まで私の幸せを願ってくれた人。ペリシェ子爵家と我が家の祖父同士で取り決めた結婚話がなければ、私はクリフォードと結婚したいと思っていた。
けれど侯爵家の領地内で起こった魔物大量発生に、疫病と領地の殆どを封鎖するしかなかった。その結果、クリフォードは爵位を返上せざる得なかったのだ。クリフォードの両親が病でなくなったのも大きい。
彼は騎士団に入り、爵位を得るのかと思っていたけれど「旅に出る」と勝手に決めてあっという間に去ってしまった。
「クリフ……?」
「久しぶりだね、リア」
本当に久しぶりの再会だ。けれど突然すぎる再会に困惑するしかない。がたん、とペリシェ子息が顔を真っ赤にしてクリフォードを睨んでいた。
「お前っ、やっぱり。ずっとデメトリアをつけ回していたんだな!!」
(え?)
「失礼だな。国王陛下から極秘の調査と護衛を受けている。個人的にもリアを心配していたのはあるが」
(えええ!?)
ペリシェ子息の言葉にも驚いたが、クリフォードの発言にも衝撃を受けた。
「え、なっ!? 他国に旅立ったんじゃ?」
「侯爵領の問題が解決していないのに、旅に出るわけないだろう」
「うっ」
もっともなことを言われて私は言葉に詰まった。クリフォードからそういう説明をされて「そうなのね」と信じてしまった自分がいた。
「そもそも侯爵家の情報は完全に封鎖されているから、調べても判断が付かなかったのよ。信憑性があったのはクリフの言葉だけったし……」
膨れる私にクリフォードは微笑んだ。数年ぶりだが大人の男の人になったのだと実感する。なにより色香が増したような。
「ふざけるな! あとちょっとだったのに!!」
(あとちょっと?)
ペリシェ子息の激高に私は眉を顰めた。クリフォードは何もかもお見通しだったのか、カップを手に取り、傍に控えていた同じ黒ずくめの青年に渡した。
(お茶?)
「魔法都市で禁止された【呪縛の霊薬】だ。口にしたものは口にした後最初に見た相手に惚れ込み、洗脳状態になるという」
「え!?」
そんな危険なものがこの世にあるなんて思いもよらなかった。なによりペリシェ子息がそのような行動に取ることにも驚くばかりだ。
「何もかもお前のせいだ。お前がずっとデメトリアの中にいたから、だから僕は……!」
「だからダニエラ・ノレの甘言に従って、デメトリアに嫉妬させようとしたと? あまりにも幼稚だな」
「何を!?」
「本当に愛しているのなら、相手の幸せを願うものなのではないのか?」
ペリシェ子息は言葉を詰まらせた。それがクリフォードとペリシェ子息の格の違いなのだろう。相変わらず私の幼馴染はどこまでも格好良い。
「さて。国王の鴉として今回の黒幕にも登場して貰おうか、ダニエラ・ノレ」
「え?」
腰に下げていた剣を抜き、ガゼボの外に向けた。何もない場所なのに空間が歪む。次の瞬間、ドレスに身を包んだダニエラが姿を表す。いきなり現れたことに私もペリシェ子息も驚いた。
「ダニエラ!?」
「あーあ、失敗だわ。やっぱり原作にない展開になると拒絶される。re-startするしかないのね。ここまでやりこんだのに、残念だ」
何を言っているのか半分も分からなかった。ダニエラはキッと私とクリフォードを交互に見て睨んだ。
「原作を弄って婚約者を替えたのに、どうして貴方が手に入らないのかしら。私の手を取らなければ呪いで死ぬというのに」
「呪い!?」
ダニエラの発言に私はクリフォードに視線を向ける。彼は飄々としており呪いに掛かっているようには見えなかった。彼は挑発するように口元を緩めて笑う。
「人の心を弄ぶような徒花に心が揺れ動くはずもないだろう」
「あああー、本当に苛つくほど格好いいわね。でも次はこうはならないわ。絶対に私は貴方の心を手に入れてみせる!!」
ダニエラは狂ったように笑い、そのまま捕縛されてしまった。勝ち誇った顔をしていたが、クリフォードが何か呟いた後は顔が真っ青になって悲鳴を上げていた。ペリシェ子息も連行されていたが、終始大人しかったと思う。
私には何が何やらわからないまま終わってしまった。
***クリフォードの視点***
【幻影魔導書】と呼ばれる書物は読んだ者を選び、その者に異世界の知識と権能を与えるという。それは時に人々を厄災から救い、時に人々を破滅に導く。
ダニエラ・ノレ男爵令嬢は後者だったようだ。聖女にも悪女になり得る力で望んだのは、侯爵夫人になるということだとか。
俺という飾りと愛情、そして地位を望んだという。
それにより俺の両親は死に、領地は魔物で溢れ、呪われた。なんとも自分の運のなさを嘆くばかりだったが、幼馴染のデメトリアだけには知られたくなかった。きっとその事実に気付いたら、あの幼馴染はどんな手を使っても俺を助けようとするから。
(惚れた女に格好悪いところは見せたくない)
たったそれだけのために意地を張って、なんでもないと全ての面倒ごとを背負った。張りぼて、鍍金、偽りだらけの虚勢を張り続ける道を選んだ。
王家の影として表の世界に戻らない覚悟を決めた。デメトリアに魔の手が伸びないように。彼女を巻き込まないように。
デメトリア──リアには苦労をかけたくない。だから幸せになってほしかった。涙よりも笑顔のほうがいい。そう思って呪いを受けた時に身を引くことを選んだ。
選んだ結果、ダニエラ・ノレがデメトリアを壊すことを考えるとは思ってもみなかった。
(あの女が取引に訪れた時に殺しておけば良かった)
【幻影魔導書】が与えた知識と権能を知るまでは迂闊に行動すべきではないと、王命で動くことが出来なかった。愚かだ。
いやそれなら危機的状況とはいえリアの前に現れたことだろうか。影として生きると決めた時から姿を見せないと決めていたのに、リアの危機に気付けば体が勝手に動いていた。
(陰で見守り、守ると決めておきながら……本当にこらえ性のない)
ダニエラが自ら暴露したことで、あっさりと捕縛できた。彼女はやり直しができると思い込んでいたが、時を戻す権能はない。そもそも【幻影魔導書】は時を戻すため大賢者が作り出したもので、未完のままになっている。
(我が始祖ながら何を思いこんなものを作ったのだろうな)
大切な人を蘇らせる。
過ちを犯した過去をやり直すため。
理由は定かではないが、それは世界の秩序をねじ曲げる行為に他ならない。だからこそダニエラ・ノレに「時戻しはこの世界には存在しない」と告げた。
俺なりの意趣返しだ。言葉は呪いとなり事実となる。
(俺の人生をめちゃくちゃにしてくれたんだ。このぐらいはさせて貰わないとな)
***
ダニエラ捕縛から一ヵ月後。
ダニエラ・ノレは精神を病み、白髪になったとか。その後、侯爵家当主と夫人の殺害教唆、魔物を呼び寄せたことなど諸々の罪で処刑となった。ブレット・ペリシェ子息はリアに危害を加えようとしたことで平民となり、国外追放となったらしい。
(ダニエラ・ノレの甘言、いや洗脳の被害者でもあるから死刑まではいかなかったのだろう)
馬鹿な奴だ。
自らの幸運を手放したのだから。
侯爵領に溢れかえった魔物は魔法塔を総動員して掃討し、後に調査を行った後で扉を封じた。浄化まで数十年掛かるが回復しているらしい。領民は周辺の領地に移住済み。今後、領地の回復や調査は、現在の保有者である国王陛下が上手くやってくれるだろう。
そんなことを考えながら両親の墓に立ち寄った。
曇天の空の下、真新しい墓と向かい合う。
弔いの花を持ってくれば良かっただろうか。我が家の家紋にある白い彼岸花は珍しいし、なによりもう指先に力が入らない。
指先は黒炭のように黒い。俺の呪いを解く方法はないそうだ。
分かっていたこと。
あの日、ダニエラ・ノレの提案を断った瞬間からこうなることは承知していた。生きながらえるため、あの女の手をとることなどありえない。
例え過去に戻っても、それだけは変わることはないだろう。
ぽつぽつと雨が降り注ぐ。
昔は雨が好きではなかったけれど、今は少しだけ心地よい。自分の代わりに泣いてくれるような気がして、救われた気がする。
「クリフ」
俺を呼ぶ声がした。
最後にしては嬉しい奇跡だ。
振り返ったら俺の──愛した女が立っていた。
「よう、リア」
***
クリフォードが呪いに掛かった。その呪いの解除方法は「心から愛した人と結ばれる」ことだという。それが叶わない場合、体全身に毒が回り死に至る。
国王陛下からその話を聞いてすぐに王城を飛び出した。きっと後でお父様とお母様に叱られるだろう。それでも今動かなければ手遅れになる。そんな気がした。
クリフォード──クリフが最後に行く場所。
ご両親のお墓だろう。
正直、「心から愛した人と結ばれる」というあやふやな条件を私がクリアしているかは不明だ。だけどクリフには生きていてほしい。大事な幼馴染には生きて幸せになってほしいから。
雨が降り注ぐ中、一人ぽつんと立っていたクリフに声を掛けた。
「クリフ」
振り返った彼は穏やかで、そしてはにかんだ笑顔を向ける。
「私の人生を全部あげるから、クリフの人生に関わらせてちょうだい。絶対に損はさせないから!」
告白するのなら好きだとか、愛しているという単語を出すべきなのだろうけれど、口を衝いて出た言葉はなんとも色気も雰囲気も台無しな台詞だった。
「──っ、あははは」
クリフはお腹を抱えて爆笑していた。そこまで酷い台詞だっただろうか。損させないというのは商人相手ならまだしも、好きな相手に言うべきことではない気がしてきた。急に恥ずかしくなって、言葉を訂正する。
「や、やっぱりちょっと待って。もう少し適切な言い回しを──」
「リア」
気付けばクリフは目の前に立っていた。額をくっつけてくる。昔から私が我が儘を言うと彼はこうしてきた。懐かしい。
いつもは額をくっつけだけ。
でも今日は私の唇に触れる。
「いいぜ。俺の全部をお前にやる。だからリアの人生に俺を関わらせろ」
愛しているとか、好きだとか口にはしなかったけれど、それでクリフの呪いが解けるのなら、一緒に歩んでくれるのならいい。
どちらともなく再び唇を重ねた。
私とクリフは一ヵ月後に婚約した。
結局のところクリフは死ななかったが、呪いは完全には解除できなかった。呪いが全身に回っていて、それをなかったことにはできないそうだ。だからクリフの両腕は黒いまま。生涯をかけても解呪できるかどうか。黄金の瞳も片目だけと海賊のような眼帯をしつつ彼は「生きているだけで十分だ」と笑った。
「そうはいかないわ。約束したのだからしっかり履行しないと」
「ならもっと深く俺を愛してくれないとな。本気で惚れるぐらいに」
「?」
よく分からないことを言うので小首を傾げた。
「本気も何も最初からクリフのことを愛しているから、あの提案をしたんじゃない」
「!?」
本心を言った瞬間、呪いの一部が消え、小指が肌色に戻った。
「え」
クリフは耳まで真っ赤になっているので気付いていないようだ。
「おまっ……はあ?」
(もしかして私の愛情表現が足りてなかった?)
それ以降、クリフを愛していると言動で示した。思っていてもしっかりと言葉に出さないと伝わらないようだ。
「クリフ、愛しているわ」
「どのくらい?」
「んー、素数で割りきれないぐらい?」
季節が巡り、愛する言葉を口にする。
時を重ねて、何度でも。
伝え続ける。
「幼馴染だから大事にしていると思っていた」
「クリフ。幼馴染で大事だからこそ、幸せになってほしいとずっと願っていましたわ」
「ひと言も言わなかったが?」
クリフはそう呟くが私は彼の頬にキスをする。
「貴方にやりたいことがあるのなら、私の地位が足かせになるかもしれないでしょう」
貴族であることが幸せとは限らない。この身分にいる限り貴族としてすべきことがあるのだから。それに大切な人を巻き込みたくない気持ちのほうが大きかった。
なにより侯爵家の問題事は機密が多く、介入も手助けも殆ど出来なかったのだ。だからこそ下手に関わってしまってクリフの負担になりたくなかった。
「貴族の立場はある意味、厄介だもの。だから迂闊なことは言えなかったのよ。それにお祖父様のこともあったもの」
「そうだな。お前はそういう女だ」
クリフは笑った。私は彼の笑顔が好きだ。
「でも私は私の心のまま。幼馴染からの関係でも、今の貴方をしっかり愛していますわ」
片目に残っていた黒い痣が消えていく。黄金色の瞳が私を真っ直ぐに見つめた。
「ああ。お前の言葉は、想いは、陽だまりのように温かい」
「ふふっ、今頃知ったのですか?」
「そうだな。お前がいれば俺の人生は常春だな」
***
しとしとと雨が降る中、黒い傘を差して墓参りをする。最近は足腰にがたがきているのか杖が必要だった。
その手には白い彼岸花の花束を持って、愛しい人の墓前の前に立った。異国で作らせた季節はずれの魔法の花。時が止まったかのように、花の鮮度は保たれている。
「一緒に見るのを楽しみにしていただろう、リア」
墓石には「デメトリア・オリオール、安らかに眠る」と書かれている。亡くなってまだ一ヵ月なのに何年も経ったかのようだ。
「リア、もうじき俺もそちらに逝く」
「ああもう、お父さん! 勝手に屋敷を抜け出して!」
「おじい様、めっです」
愛しい人にそっくりの娘と孫が走ってやって来る。足腰にがたがきているが片目も、両腕も他の人間と変わらない。約束通り、リアは俺の呪いを解いて──笑って逝った。
どこまでも誇らしい最高の女だった。
「たしかに損はしなかった。幸せだったよ、リア」
白い彼岸花をそっと捧げた。
\コミカライズ連載中/
『やり直し悪役女王は溺愛に惑う
〜婚約破棄したいのに、王子の愛が止まりません〜』
#此林ミサ ・ #あさぎかな
21話まで配信中
#ggirls #めちゃコミ
『サレ令嬢とサレ王子の華麗なる復讐劇』
#スドウショウ #あさぎかな
「Colorful! vol.124」コミカライズ連載を開始しました⸜(●˙꒳˙●)⸝
各配信サイトでも配信予定です!
日間(異世界)恋愛・短編 79→56位→42位にランクインしました!
ありがとうございます・:*+.\(( °ω° ))/.:+
ラストのシーンで季節感など矛盾はあったのでの調整しました。本筋は変わりませんm(__)m
白い彼岸花の花言葉は、「また会う日を楽しみに」「想うはあなた一人」
新作短編
【短編】愛しい人、貴方と結婚できません。
投稿しました!
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