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婚約破棄されましたが、私の砂時計、あと三粒で止まるんですけど? ~死に戻り令嬢は最後の一巡で全部ぶちまけて逝きます~

作者: uta
掲載日:2026/08/28

「ソフィア、貴様との婚約は破棄する!」


王太子ロドリックの声が、大広間に朗々と響き渡った。


――ああ、はいはい。またこのくだりですか。


公爵令嬢ソフィア・ヴァルトハイムは、完璧な微笑みを崩さぬまま、内心で盛大にため息をついた。


このセリフを聞くのは、これで七回目である。


毎回、同じ会場。同じ豪奢なシャンデリア。同じドヤ顔。ロドリックの金髪は今日も無駄に艶やかで、青い瞳は「自分は正義」という根拠なき確信でギラついている。


(この世界の脚本家、使い回しが過ぎるのでは? せめてセリフくらい、七周目は変えてくださっても?)


前世――日本のブラック企業で議事録と根回しに人生を燃やし尽くし、過労死した記憶を持つソフィアにとって、この光景はもはや様式美だった。


「貴様は、我が愛するミレーヌを陰で虐げ、あまつさえ毒殺を企てた! その罪、もはや看過できぬ!」


ロドリックの隣で、栗色の巻き毛の男爵令嬢がわざとらしく涙を拭う。


「ソフィア様が……私を、いじめるんです……っ」


ミレーヌ・フォンテーヌ。純白のドレスを纏った、稀代の詐欺師。


(そのセリフ、涙を落とすタイミングまで完璧ですわね。六周分拝見しましたので、間違えようがございませんもの)


ソフィアはちらりと、自分の鎖骨のあたりに視線を落とした。


薄く透けて見える、生命の砂時計。


この世界の貴族の魂に宿る、命の残量を示す器。落ちきれば、死ぬ。


だが――ソフィアは、死ぬたびに反転してきた。前世の記憶を持ったまま、六度も。


しかし。


砂は、あと三粒。


(次に落ちれば、もう反転しない。……これが、最後の一巡)


七度目の人生。ループの、最終巻。


「何をぶつぶつと。往生際が悪いぞ、ソフィア」


ソフィアは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳の奥に、これまでの六周にはなかった、静かな炎が灯る。


「――かしこまりました、殿下」


淑やかに、完璧に。そして、口の端をわずかに吊り上げた。


「では、最後に少しだけ、お時間をいただいても?」


「ほう、殊勝な。何か言い残すことでもあるのか」


「私、あと三粒で死ぬので――忖度している時間が、ないんですよね」



婚約破棄宣言の夜。


ヴァルトハイム公爵邸の一室で、ソフィアは静かに紅茶を口に運んでいた。


「――お嬢様。準備は、すべて整っております」


老家令セバスチャンが、うやうやしく一冊の分厚いファイルを差し出す。革張りの表紙には、几帳面な字で『証拠一式(第七版)』と記されていた。


「六度分の追記、恐れ入りますが、索引もつけておきました」


「さすがセバスチャン。有能な部下がいると、仕事が捗るわ」


「部下ではございません。執事でございます、お嬢様」


ソフィアは、くすりと笑った。


この世界で唯一、彼女の『几帳面さ』を敬愛してくれる男。彼女がループしていることは知らない。だが、六周のあいだ集め続けた証拠を、彼はいつも黙って保管してくれた。


(一周目は、泣いた。二周目は、必死に弁明した。三周目は、証拠を出した――でも、間に合わなかった)


毎回、丁寧にやり直そうとした。誤解を解こうと、正攻法で足掻いた。


そのたびに、砂は落ちた。


毒殺の冤罪。処刑台。あるいは修道院での衰弱死。方法は違えど、結末はいつも同じ。


(もう、いい)


ソフィアは、ファイルを開いた。


ミレーヌの聖女詐称。『治癒魔法』の正体は、父フォンテーヌ男爵が細工した魔道具。


ロドリックの隣国内通。私利私欲で国を売る算段。


宰相の横領。帳簿の二重管理。


すべて、鑑定ギフトで見抜き、六周かけて裏を取った。


「一周目は泣いた。二周目は必死に弁明した。三周目は証拠を出した――でも、間に合わなかった。もう、丁寧なやり直しは、やめます」


「……では、いかがなさいますか」


ソフィアは静かに立ち上がった。


「感情で喚いても届かない相手たちでした。ならば――事実で殴ります。逃げ道を、一つ残らず潰して」


前世の社畜スキルが、骨の髄で疼く。証拠のファイリング。根回し。議事録魔。そして、相手を追い詰めるプレゼン能力。


「三日後、王家主催の夜会。全員が揃う、絶好の舞台があります」


「かしこまりました、お嬢様。お嬢様が正しくあられることを、私は六度――いえ、この命に代えても、存じ上げております」


ソフィアの手が、一瞬止まった。


(……六度、って。まさか、この人)


「……六度、って。セバスチャン、あなた、まさか」


問い返そうとした、その時。


「令嬢ーっ! また社交界のど真ん中で爆弾投げる気ですね!? 護衛的に、俺の胃がもう限界なんですが!」


扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、赤みを帯びた黒髪の護衛騎士。


カイル・ドラグヴァルト。


「聞こえてましたよ、廊下まで。『事実で殴る』とか、令嬢の口から物騒すぎる単語が漏れてました」


「あら、カイル。ちょうどいいわ。あなたにも働いてもらうから。とびきりの、ざまぁをね」


「うわ、いい笑顔。そういう時の令嬢、絶対ろくなこと考えてない」


ソフィアは、ファイルをぱたんと閉じた。


(セバスチャンの言葉、聞き流すには引っかかりすぎる。でも――今は、それどころじゃない)



夜会前夜。月光の差す回廊で、ソフィアはひとり砂時計を見つめていた。


三粒。


何度数えても、増えることはない。


「――そんな顔、してたんですね」


背後から、いつもの軽薄さが抜け落ちた声。


振り返ると、カイルが立っていた。竜眼が、月明かりに金と紅を揺らしている。


「令嬢。あなた、時々……こう、遠くを見る顔をする」


「気のせいよ」


「気のせいじゃない」


彼は、めずらしく食い下がった。こめかみに、うっすらと鱗の紋様が浮いている。感情が昂っている証拠だ。


「うまく言えないんですけど。……俺、あなたを見てると、たまに胸が痛くなるんです。何度も、あなたを見送ったことがあるみたいな。あるはずのない記憶が」


ソフィアの心臓が、跳ねた。


(――竜人の、血)


魂の記憶の残滓。まさか、この男だけが。六周のあいだ、かすかな既視感を持ち越していたというのか。


「バカなことを言わないで。私たち、今世で出会ったばかりでしょう」


「そうなんですけど。……そうなんですけどね。あなたが『あと三粒で死ぬ』とか軽口叩くたびに、俺、夜眠れなくなるんですよ。なんでかわからないまま、間に合わなかった予感だけが、ずっと胸に刺さってて」


強面の竜人騎士の瞳が、じわりと潤む。


「だから――今回は。今回だけは、間に合わせてください。俺に、あなたを守らせてください」


ソフィアは、言葉を失った。


六周。誰も知らないと思っていた。誰にも届かないと諦めていた。


なのに、この男は。理由もわからぬまま、六度、彼女を救おうと足掻き、六度、間に合わずに見送っていた。


(……そっか。ひとりじゃ、なかったんだ)


胸の奥が、じんと熱くなる。だが、ソフィアはそれを完璧な微笑みで覆い隠した。


「なら、明日はしっかり働いてもらうわよ、護衛騎士どの。私が全部ぶちまけるあいだ、誰にも邪魔させないで」


「……はい。喜んで。言っときますけど、令嬢。俺、あなたが思ってるより、ずっとしつこいですよ」


「知ってるわ。六周分、見てきたもの」


「……え?」


「なんでもない。明日、遅刻しないでね」


ソフィアは背を向けて、歩き出した。


砂時計の、三粒。


(最後くらい、派手に散ってやろうじゃないの)



王家主催の夜会。


煌々と輝くシャンデリアの下、着飾った貴族たちがさざめく大広間の中央に、ソフィアは一歩、進み出た。


「殿下。先日の婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。ただ、ひとつだけ、退場前のご挨拶を。――皆様に、いくつか“お知らせ”がございます」


ロドリックが、勝ち誇った笑みを浮かべる。


「ほう、殊勝な。ようやく己の罪を認めたか」


「いいえ」


ソフィアは、静かに首を振った。


セバスチャンが、うやうやしくファイルを掲げる。


ソフィアは最初の一枚を、ひらりと抜き出した。


「まず、ミレーヌ様の“聖女の奇跡”について。私の鑑定ギフトによれば――あなたの治癒魔法、魔力の痕跡がゼロなんですよね」


ミレーヌの肩が、びくりと震えた。


「なっ……そ、そんなの、言いがかり……!」


「代わりに検出されるのは、魔道具特有の術式残滓。製作者はフォンテーヌ男爵。つまり――聖女の奇跡は、お父様が細工した魔道具の効果。あなた自身には、治癒の力なんて一切ない。全部、仕込みです」


「ち、違います、私は本当に……!」


「では、今ここで魔道具なしで、治癒魔法を披露していただけますか? できませんよね。だって、持ってないんですから」


ミレーヌの顔から、血の気が引いていく。庇護してくれていた貴族たちが、ざわりと後ずさった。


「次に、殿下」


ソフィアは、二枚目を抜いた。


「隣国アルゲンとの、密書の写しです。十七通。内容は……国境防衛図の売却、王位簒奪の協力要請。筆跡鑑定済み、封蝋の紋章も一致」


「なっ、貴様、どこでそれを……!」


「六年かけて集めました、とは言えないので――地道に、とだけ」


会場が、凍りついた。


「ついでに宰相閣下。国庫からの横領、三万金貨。二重帳簿の原本、こちらに。数字が一の位まで合わないの、経理としては致命的ですよ」


証拠が、次々と広間に開示されていく。


喚かない。怒鳴らない。ただ、事実だけを、静かに積み上げていく。


その冷徹さこそが、何よりも恐ろしかった。


「以上です」


ソフィアは、ファイルを閉じた。


「私、あと少しで死ぬので、忖度している時間がないんですよね。だから――全部、置いていきます」


背後で、カイルが剣の柄に手をかけ、逃げ出そうとする者たちを静かに睥睨していた。


「あ、逃げるのはナシで。出口、全部固めてあるんで」


王が立ち上がり、震える声で命じた。


「……衛兵。ロドリックを、拘束せよ。ミレーヌ・フォンテーヌ、および宰相も。全員だ」


「父上っ!? 違う、これは陰謀だ、ソフィアの――」


「黙れ!」


王の一喝が、息子の言い訳を叩き切った。


ミレーヌが崩れ落ち、宰相が青ざめ、ロドリックが衛兵に引きずられていく。


「……そんな、馬鹿な。あの女が、これほどの……」


失ってから、ようやく気づく。自分が何を踏みにじっていたのかを。だが、もう遅い。


ソフィアは、その光景を静かに見届けた。


(六周、届かなかった真実。ようやく、正しい場所に、収まったわ)



断罪の余韻が去り、ソフィアは月の下、庭園にひとり佇んでいた。


鎖骨の砂時計。


最後の一粒が、ゆっくりと、落ちようとしていた。


(ああ……終わるんだ)


不思議と、恐怖はなかった。むしろ、清々しかった。六周分の後悔を、全部ぶちまけて逝ける。それで、十分だ。


「令嬢っ!」


駆け寄ってきたのは、カイル。息を切らし、竜眼を大きく見開いている。


「まさか、本当に……本当に、砂が」


「ええ。だから、言ったでしょう。あと三粒だって」


ソフィアは、微笑んだ。憑き物が落ちたような、穏やかな笑みで。


「ありがとう、カイル。六周も、私を追いかけてくれて。……最後に、それを知れて、よかった」


「そんな……嫌だ。また、間に合わないなんて。俺は、今度こそ――」


その時。


ソフィアの脳裏に、ふいに声が響いた。


――よくぞ、たどり着いた。我が子孫よ。


初代ヴァルトハイム公爵の、声。


(……この声は。初代公爵……?)


――『生命の砂時計』は、呪いにあらず。汝に遺せし守護のギフト。名を『最後の砂時計』という。


(守護……ギフト……?)


――六度の巡りは、準備なり。すべての不正を正し、真実を明かした者にのみ、砂は反転ではなく――『満ちる』。


ソフィアは、息を呑んだ。


(『生命の砂時計』は、呪いにあらず……守護のギフト。すべての不正を正した者にのみ、砂は反転ではなく――『満ちる』……?)


六周は、無意味な繰り返しではなかった。


すべては、七周目を『正しく使い切る』ための、布石だったのだ。


落ちるはずだった、最後の一粒。


それが――ふわりと、逆さに舞い上がった。


「え……? 落ちるはずだった、最後の一粒が……逆さに、舞い上がって。これ……どういう、こと……?」


カイルが、目を見開く。


砂時計に、光が満ちていく。三粒だった砂が、金色の輝きとなって、器いっぱいに溢れ返っていく。


枯れかけた命が、今、確かに満ちていく。


呆然とするソフィアに、カイルが、そっと手を差し出した。


竜眼が、まっすぐに彼女を見つめている。もう、泣いていなかった。


「やり直しじゃない」


低く、確かな声で。


「ここからが、本番だ」


ソフィアは、その手を見つめた。


八周目のない人生。ループの、その先。


初めて、自分の意思で選び取る、明日。


「……ええ。そうね。ここからが――本番だわ」


差し出された手を、握り返す。


温かかった。生きている、と、実感するほどに。


満ちた砂時計が、ふたりを金色に照らし出す。


前世で燃え尽きた社畜も。六度散った令嬢も。もう、いない。


ここにいるのは、ただ、これから生きていく、ひとりの女。


「――さて。片づけなきゃいけない仕事が、まだ山ほど残ってるわ。廃嫡の後処理、隣国との外交、宰相不在の財政再建……」


「令嬢。生き返った初日から、仕事の話しかしないの、あなたくらいですよ」


「あら。社畜の魂は、不滅なのよ」


ふたりの笑い声が、月夜に溶けていった。


少し離れた回廊の陰で、セバスチャンが穏やかに目を細めていた。手には、いつのまにか新しいファイル。表紙には『再建計画一式(第一版)』と、几帳面な字が躍っている。


「……七度目にして、ようやく。おめでとうございます、お嬢様」


老家令は、誰にも聞こえぬ声で、そっと呟いた。


◇◇◇


――そして、遠い書庫の片隅。


ひとりの竜人騎士が、六度分の記憶の残滓を胸に、ずっと書き綴っていた日記がある。


その表紙には、こう記されていた。


『六周、君を見送り続けた騎士の話』――と。


(了)

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