第24話 隠れ布と少女
中庭の空気が、変わった。
朝の光に満ちていたはずの場所から、温度だけが抜け落ちたようだった。
ざわめいていた生徒たちの声が、ひとつ、またひとつと途切れていく。
――そこに、いた。
さっきまで、確かに何もなかった場所。
ユイの目の前。
伸ばした腕が、ほんの少し触れれば届いてしまう距離に。
幼い少女が、立っていた。
十歳ほどだろうか。
背は年齢相応より、わずかに小さい。
黒く、長い髪が静かに背中へ流れている。
顔立ちは整っているが、まだ成長途中の輪郭で、
どこか不自然なほど無表情だった。
目が、異様だった。
大きく、黒く、澱んだ瞳。
生き物を見ているはずなのに、そこには温度がない。
少女の手には、巨大な裁ち鋏。
刃渡りは一メートル近く。
黒と鋼色が混じった刃を閉じたまま、だらりと下げている。
それだけで、十分だった。
空気が、冷たい。
肌に触れるというより、包まれる感覚。
まるで、薄い布一枚で牢に閉じ込められたような――
逃げ場のない孤独。
誰も、声を出せない。
「……」
ユイの喉が、わずかに鳴った。
そのすぐ横から、声がした。
「久しぶりに見たでしょ?」
軽い調子。
場違いなほど、感情の乗った声。
中庭の中央に立ち、生徒と教師の視線を一身に集めている。
「私の“隠れ布”。便利でしょう?」
教師の一人が、我に返ったように一歩踏み出す。
「き、君……! ここは――」
言葉は、続かなかった。
少女――茜が、ほんのわずかに顔を向けただけで。
空気が、さらに沈む。
生徒たちの間に、低いざわめきが走る。
だが、誰も近づけない。
近づこうとしない。
神原は、視線をユイに戻した。
「ね? もう、戻れないでしょ」
ユイは、唇を噛みしめたまま、茜から目を離さなかった。
「……私は、まだやることがあるの」
静かな声だった。
だが、逃げはなかった。
神原は一瞬、驚いたように目を見開き――
すぐに、楽しそうに笑った。
「ふぅん」
一拍。
「でも、覚えておきなさい」
声の調子が、少しだけ低くなる。
「あなたがいるべき所は、ここじゃないわ」
ユイは答えない。
神原は肩をすくめた。
「今日はもう帰るわ」
そして、はっきりと告げる。
「行くよ。茜」
その言葉に反応し、少女は一歩、下がった。
それでも最後まで、黒い瞳はユイから逸れない。
――見定めるように。
次の瞬間。
二人の輪郭が、揺らいだ。
布が翻るように、空間が歪み――
少女らの姿は、音もなく消えた。
残された中庭には、冷え切った空気だけが残る。
誰も、すぐには動けなかった。
ユイは、拳を強く握りしめていた。




