第9話 麻生さんちと一家だんらん。
その日の夜。
「――おらおらおらおら―――――っ‼」
誰もいない道場の中に響き渡る私の声。
ここは、麻生さんちの母屋に隣接している『麻生武道倶楽部』の道場。
門下生もみんな帰ってしまった後のこの道場で、私は何かにとりつかれたように、ここの師範代である麻生家の長女、志摩さんを相手に汗を流していた。
「どうしたセイ。いつものお前らしくもない。気が完全に乱れている……と言うか、どす黒い気がたまっているぞ」
そう言って志摩さんは、私の全力の攻撃を軽いフットワークでかわし続ける。
さすがは志摩さんだ。未熟な私の心などみんなお見通し、ってことか。
「そんなに発散したいのだったら、今日はとことんまで付き合ってやる。たまには、お前と本気でやりあうのも悪くはないからな」
「押忍ッ! ありがとうございますっ!」
そして私と志摩さんは、まるで格闘ゲームのキャラクターにでもなったかのようにして、大技の応酬を繰り出し続けた。
こんなバカみたいな技の応酬、普通の道場でやったら完全に怒られて、下手すりゃ追い出されるやつだ。こんな本気の技を受け止めてくれる酔狂な人は、私の知る限り志摩さんしかいない。
「あらら、セイのやつ、完全に一線超えちまったか……」
そんな私たちのバカげた死闘を制服姿のまま、入り口のところで生暖かい目で見つめているヒナちゃん。
そんなわけで、私は志摩さんと、怒りと本能の赴くままにこの後一時間以上にわたって闘い続けたのであった。
「――はーっ、はーっ、はーっ……。ああ、スッとした……」
志摩さんとの命をかけた死闘の後、いい感じに疲れ切った私は、まるで憑き物が取れたかのように、その場にバッタリと倒れこんだ。
そんな私に、志摩さんが涼しい顔で私の顔をのぞきこんで聞いてきた。
「どうだ、セイ? スッキリしたか?」
私は完全にヘロヘロ状態なのに、志摩さんは汗一つ書いていないように見える。さすが……と言うか、この人やっぱ、バケモノだ。
「ありがとうございます、志摩さん。おかげで大分、気持ちが楽になりました」
「そうか、それは良かったな」
と、ちょうど、その時だった。
「みんなーっ、そろそろご飯にするわよーっ?」
見計らったかのように、エプロン姿で道場の方に入って来て私たちのことを呼びに来たのは、麻生家の次女、麗奈さん。隣には、同じくエプロン姿のともくんもいる。
麗奈さんは武闘派ぞろいの麻生姉弟の中で、唯一格闘技とは縁がない知性派。大学で情報工学を学んでいる、コンピューターのエキスパートである。
「ありがとうございます、麗奈さん……」
「レナ姉っ! 今晩のごはんはなーにっ? ってゆーかあーし、すっかりおなかペコペコだっつーのっ!」
「今日はセイちゃんが持ってきてくれたたけのこで作った、たけのこご飯にたけのこと山菜のてんぷら、それにたけのこのから揚げよ?」
「すっげぇ! タケノコ尽くしじゃん! ありがとなっ、セイっ!」
「……あ、うん……。どういたしまして……」
よかった。今日、麻生家に泊まることになって。あんな大量のタケノコ、料理が苦手な私とおじいちゃんに扱いきれるわけないじゃんか……。麗奈さんがいなかったらみすみすダメにするところだった。
「ごめんねヒナちゃん。私のせいでごはんが遅くなっちゃって。って言うかヒナちゃんたち、先に食べてればよかったのに」
すると、ヒナちゃんはにんまりと笑って私に言った。
「だってさあ、せっかく今夜はセイが久しぶりにうちにお泊りなんだから、晩御飯は一緒に食べなきゃ意味がないっしょ?」
そんな言葉を当然のことのように口にするヒナちゃんに、私の心は温かくなった。
……この気遣い、ほんと、騎士くんに見習ってほしい。
そして、その後、私は麻生姉弟に囲まれて久々ににぎやかで温かい食卓を囲むのでありました。
「――おいしーっ! さっすがレナさんっ! 日本一っ!」
「ほめ過ぎよ、セイちゃん……。でも、お世辞でも、うれしいわ♡」
「いや、ホントメチャメチャおいしいです……。って言うか、ここのところ、うちでまともな食事を食べていませんでしたから、メチャメチャ幸せです……」
わたしはそう言って、しみじみとごはんと幸せをかみしめた。
「あーっ。セイも海ジィも、料理全然だめだったっけ……」
「はい……。私たち、料理の才能に全く恵まれてないんです……。作れるものはフライパンで何かを焼いて作るキャンプ飯レベルの物がせいぜいで、あとはスーパーで総菜を買ってくるくらいしか……。でもスーパーとかの総菜って、おいしいんですけれど、味が平均的って言うか、毎日そればっかだと、飽きてくるんですよね……」
「あーっ、それはあるかもね」
「こんなサクサクの揚げ物食べたの久しぶりですよ……。最近いつもレンジでチンだから、うちで食べる揚げ物は衣はビチャビチャ中はパサパサですからね。そんなのばっかり食べてるから、最近うちでの食事がまったく楽しくなくって……。私一人だったらまだいいんですけど、おじいちゃんが最近露骨に不満そうな顔をして毎日ごはんをマズそうに食べているんですよ……。それを毎日毎日目の前にして食事をしなけりゃいけないから、最近、晩御飯の時間が苦痛なんですよね」
「なんって言う……。それはキツイよね……」
ともくんが、私の話を聞いて何とも言えない微妙な表情になっている。
すると、そんな私にヒナちゃんがこんなことを言ってきた。
「でもさ、セイんちのばーちゃん、思い切ったことをした……っていうか、よくそんな二人を置いて家を出てったよね? あの優しいばーちゃんだったら、二人のことが心配で、そんな二人を置いて遠くの町でカフェなんてやらなそうなのに」
「ああ、それは、なんていうか、おじいちゃんが意地を張ったんですよ」
「「「「?」」」」
私の言葉に、みんなの頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「もともとカフェの話、おばあちゃんは断ってたんです。食事が全然作れない私たちを置いていくことはできないって。だけど、おばあちゃんはホントはカフェ自体はとってもやりたいってことが分かってたから、それでおじいちゃん、料理のことは心配ない、俺と聖華で何とかするから、お前は好きなことをやって来い、って言って、渋るおばあちゃんのことを、半ば追い出すようにして送り出したんですよ」
「あーっ、海ジィの愛、かぁ……」
「……まあ、確かにおばあちゃんへの愛情はもちろんあるんですけれど、おじいちゃんって、基本、意地っ張りでええかっこしいなんですよ。自分のことをカッコ悪く思われるのが大嫌いだから、本当はおばあちゃんに行ってほしくないのに、やせ我慢して送り出しちゃったんです」
「でもさー、それはそれでカッコよくない? ばーちゃんの夢のために自分が我慢するなんてさ」
「そうよね、海彦さん、素敵じゃないの♡」
ヒナちゃんやレナさんが、口々におじいちゃんのことを褒めてくれる。でも……。
「それでずっとガマンできるんだったらカッコいいんですけど……」
「……どゆこと?」
「それで不満とか文句を表に出さないでしまっておけるんだったら、本当にカッコいいんですけれど、そうじゃないんです。私の前では露骨にさみしそうな顔をして、もう、本当に不満たらたらな感じなんですよね。……ホント、我が家の男たちは、いろいろと嫌になっちゃいますよ……」
「……なるほどな。それは、良くない傾向だな」
今までずっと私たちの話を黙って聞いていた、志摩さんが口を開いた。
「海彦さん、退職してからずっと家にこもりっきりなんだろ?」
「はい……。この春に退職したばかりですけど、もうずっとです」
「そうか、仕事一筋の人が、退職した後、糸が切れてしまって途方に暮れてしまう、というのはよく聞く話だが……」
「何か趣味とか生きがいとかがあればいいんですけど……。ホントはおばあちゃんはおじいちゃんにもカフェを手伝ってほしかったんですよ。だけどおじいちゃん、俺みたいなコワモテが店にいたら客が逃げるからって言って、それを断っちゃったんですよね。それにおじいちゃん、人付き合いが苦手だから接客とか自分には無理だと思っているし。正直、無理でも何でもおばあちゃんについていってほしかったですよ。こんなんだったら、私一人で一人暮らしをしていた方がましですもん……」
すると、それを聞いたともくんが、私にこう言った。
「……でもさぁ、そういうわけにもいかないんじゃないの?」
「そういうわけって、どういうこと?」
「だって、海彦さんが出て行っちゃったら、セイちゃん、あの家に一人になっちゃうわけじゃない? 中学生の女の子を一人置いて家を出ていくだなんて、海彦さんにはできないんじゃないかなぁ」
「えーっ? おじいちゃん、そんなこと思っているかなぁ? それに私、腕っぷしには自信があるし、ちょっとやそっとのことがあっても大丈夫だし……」
「いくらセイちゃんが強いって言っても、かわいい孫が誰もいない家で毎日一人暮らしをするのは、やっぱり心配だと思うよ? だから海彦さん、家を出ようとしなかったんじゃないのかな」
「そうなの……かなぁ……」
……おじいちゃんがそんなこと考えているかもしれないだなんて、そんなこと一度も思ったこともなかった。
だって最近のおじいちゃんはいっつも不愛想で、私とはほとんどまともに話してくれないしさぁ……。
「だったらさぁ、ナイトのやつを呼び戻して兄妹で暮らせばいいじゃん。それだったら海ジィも安心なんじゃないの?」
ヒナちゃんが言った。
「ああ、それはダメですよ。だって、騎士くんのこと寮に送り出したのって、ほかならぬおじいちゃん自身ですから」
「……それって、どゆこと?」
「騎士くんが寮生活をするって言い出した時、家族のみんなは反対だったんですよ。家が近所にあるのにわざわざ寮生活する必要があるのかとか、一人暮らしをはじめたら、騎士くんのことだから今以上に自堕落な生活になるんじゃないかとかって……」
「……まあ、確かに、そうだよね」
「だけど、おじいちゃんだけは騎士くんに賛成してくれたんですよ。一人家族から離れて、自活を試みようとするその意気やよしっ!みたいな感じで。おじいちゃんも学生の頃、寮生活をしていたことがあるみたいで、その時の経験から、騎士くんにも絶対プラスになるって言い張ったんですよ。何だったら、ひとかどの男になるまで帰ってくるなって言うくらいの勢いで」
「あははっ、海ジィらしーっ☆」
そう言ってヒナちゃんが笑う。
「だから、そう言ってしまった手前、事情が変わったから戻って来い、みたいなことはおじいちゃんからは絶対に言わないと思いますよ? おじいちゃん、一度言ったことを曲げたり撤回するのが何より大嫌いですから」
「あーっ、海ジィだったら絶対そうだろうね……」
すると、志摩さんが聞いてきた。
「……そうか。それで、騎士のヤツは寮生活を経て、少しは成長したのか?」
「ああ……。はい……。基本的には変わってないですけど……。でも……、だいぶ、たくましくなったことだけは、確かです」
さすがに、正直にみんなに言うのはちょっと躊躇してしまう。騎士くんのあのハイエナ生活については。
「……あ、でも、きちんと洗濯はしてるみたいです。あと、料理もできるようになったみたいなことは言ってましたね」
「すごい進歩じゃないか。海彦さんの読みは、当たったみたいだな」
「はぁ……。まあ……」
確かに、炊事洗濯はできるようになったっぽいけれど、正直言って、それ以外の生活については、自堕落そのものっぽいんだけどね……。
「そうだ、今更だが、今日は海彦さんはどうしてるんだ?」
「ああ、麻生家に泊まるって言ったら、今日は久しぶりに外に飲みに行くっていてました。何でも刑事時代よく行っていた、行きつけの飲み屋があるとかで……。そこで久しぶりに大将やおかみさんとおしゃべりしてくるって、なんだか楽しそうな感じで言ってましたね」
「そうか。それは良かった。……ところでセイ」
「はい?」
「海彦さんって、今、柔道の段位って何段だったっけ?」
「おじいちゃんですか? えーっと、確か六段だったはずです」
「すごいじゃないか。五段の私よりも上だな」
「いや……。それは段位の年齢制限のせいでそうなっているってだけで、本気でやりあったら今の腑抜けたおじいちゃんじゃ志摩さんには勝てないでしょ……」
「いやいや、長年現場で積み重ねてきた知識と経験は、私のような若輩者がかなうものではない。おそらく、本気の実戦では、海彦さんの方に一日の長があるはずだ」
「そんなもんなんですかねぇ……?」
なんとなく、納得がいかないけど、志摩さんが言うんだから、まあ、そう言うことにしとこう。買いかぶり過ぎって気もするけど。
「それでだ、セイ。その海彦さんの腕を見込んで、今度相談したいことがあるんだが、そう、伝えてくれないか?」
「おじいちゃんにですか? はい、いいですけど……。一体何の相談なんですか?」
「それはまだ、秘密だ。海彦さんが引き受けてくれるかどうか、それ次第だからな」
「…………?」
「あーっ、こないだマミーと話してたこと、海ジィに話すんだ」
「ああ、海彦さんだったら適任だしな」
……適任? 一体何の話をしてるんだろうか。
今のおじいちゃんに、志摩さんの役に立つことなんか、何かあるのかな……?
と、そんなことを考えていると、
「――セイちゃん。お茶碗が空っぽになってるけど、おかわりは? ごはん、まだまだたっぷりあるから、遠慮しなくてもいいわよ?」
そう言って麗奈さんが笑顔で声をかけてくれる。
気が付いたら、いつの間にか自分のごはん茶碗が空っぽになっていた。これも麗奈さんのごはんがおいしすぎるせいだ。
「あっ、はいっ! よろしくお願いしますっ!」
わたしはお言葉に甘え、お茶碗を麗奈さんに差し出した。麗奈さんはそれを受け取ると、黙ってごはんをなみなみとお茶碗に注いでくれた。さすがは麗奈さんだ。長い付き合いだけあって私のお腹の具合を良くわかっていらっしゃる。
この先しばらくまともなごはんは当分食べられないかもしれないし、今日はできる限り食いだめをしておかないと。そう思った私は麗奈さんからお茶碗を受け取ると、再びそれをわしわしと食べ始めた。
こうしてこの日は、麗奈さんのおいしいごはんを満喫しながら、麻生家で久しぶりに家族団らんの温かい時間を過ごしたのだった。
……それにしても、志摩さんがおじいちゃんに相談したいことって、一体なんなんだろう?




