明けぬ夜と、愛おしき影。
これは記憶の一つ。
貴方と私がこの世を去る前の、愛おしき記憶。
あれはいつのことだったか・・・
ボーっと中庭を歩く貴方を見つけて、緑がもゆる傘の下でお声掛けしたのです。
派手な着物や、時には簡素な着物を着こなして、いつもどこかピリピリと緊迫した空気を放ちながら、人を寄せ付けまいとしていても
フラフラと彷徨っていらっしゃるときは、いつだってお疲れの時でした。
「生まれ変わっても、私を見つけてくださいますか?」
他愛ない雑談の中で、未来のないお互いを悟りながら、そう問うたのです。
「・・・・はぁ?生まれ変わり?」
「ええ。私も貴方も体が朽ちて、魂が天へと召されてしまえば、またリサイクルされるのですよ?」
「・・・ふん・・・お前から横文字を聞くとはな・・・。」
「そしたら今度こそ・・・平和な日常を生きることが出来る人間に産まれて・・・・・・・・その時こそは、私の手を取って共に生きてくれますか?」
「・・・俺は生まれ変わるつもりなどない。」
不愛想にそう言い放つ貴方は、漆黒の瞳を私に向けて、じっと覗き込みました。
「何故ですか?」
「・・・そもそも何故、また人間に生まれ変わるつもりでいるんだ?そんなことお前に解り得ないだろう。神とやらが存在すると思っているのか?自分の善行で来世の生まれが決まるとでも?」
「・・・・私は人間に生まれ変わるに相応しくないでしょうか・・・」
「だから・・・そもそも何故、人間に産まれることが高尚だと思うんだ。」
「・・・この地球を支配しているのは人間のはずです。」
「ふ・・・・はは!由影、お前も可笑しなことを言うようになったな。何だ、俺と会話するために妙な本でも読みこんで、新しい話題を手に入れたのか?」
「・・・・では貴方の思想を伺いましょう。」
「ムキになるな・・・。」
「お疲れですか?歴代最恐と異名を持つ高津家当主様も、日頃の職務で消耗されてしまっているのですね。」
「煽っても無駄だ・・・。そんな言葉に乗る程、俺もお前も若くないだろう。」
「・・・・30代は若くないのですか・・・」
ご神木の下で、気持ちのいい植物の絨毯の上、心地よく夜風に頬を撫でられながら、二人きりでいるというのに、彼は何とも私の興に乗ってくれそうにありませんでした。
「お前が喋りたいだけなら、聞いてやるから・・・好きなように話していろ。」
「・・・何もかもを隠して、偽って・・・本当はお優しいのに、自分を捨てて当主を貫いている貴方を、ずっと側で見てきました。・・・ふと考えてしまうことがあったんです・・・私も貴方も、ここに産まれなければ、年相応に仕事に奮闘しながら、妻と子供を癒しに日々を過ごし、お互い家族ぐるみの付き合いを持って、子供の話を酒の肴にしながら、更けていく夜を楽しんでいたのだろうかと。」
「・・・お前は昔から妄想や夢想が好きだな。」
「・・・どうとでもおっしゃってください。貴方に、人を愛おしく想うような心が欠けていることくらい、当の昔に気付いています。貴方に足りない感受性を私は持ち合わせていますので、来世でこそ、と空想を広げてもいいじゃないですか。」
「・・・」
小さく側で虫の音を聞きながら、遠くの月を眺める貴方が、いったい何を考えているかなどわかるはずもなく・・・
それなのに私の心中ばかりは貴方にばれてしまうなんて、何とも理不尽なものでした。
「・・・来世はないんだ。」
「・・・はい?」
「お前にしか感じず、解ることがあるように、俺にしかわからない感覚がある。俺は高津家最後の当主であり、自分を生かしている・・・体の中にある魂と呼べるそれが、自分で最後なのだとわかっている。俺は何にも生まれ変わることはない。死んでから現を彷徨うこともなければ、あの世と呼ばれる場所に赴くこともないだろう。」
夜空を見つめる貴方の遠い瞳が、真っ黒な瞳が、不思議な力を使いこなし、多くのものを騙し、惑わし・・・生かしも殺しもしてきた貴方が
まるでそれが罰だとでも言うように、淡々と述べたのです。
「・・・白夜・・・」
「・・・・」
黙ったまま見つめ返した貴方はきっと、誰にも説明つかないような感覚の中で、現実離れした世界の中で、一人きりで生きて来たのでしょう。
だからこそずっと問いたかった。
「貴方は・・・一度でも、寂しいと思ったことはないのですか?」
「・・・寂しい・・・?」
「自由に選択して生きることが出来ず、浮世離れした屋敷の中での生活を強いられ、大切な妻と子供・・・家族から隔離され、魑魅魍魎が蔓延る悪習にまみれた人間の相手をして、己が幸せと思える拠り所もなく、全うせねばならぬのだと思う人生を、虚しいと・・・悲しいと・・・寂しいのだと・・・叫びたい気持ちは、本当に持ち合わせていないのですか?」
「・・・・ふむ・・・。お前は随分と不幸な考え方をしているんだな。」
「いいえ、私自身が感じて来たから言っているのでありません。もしかしたらそのように思うこともあるのではないかと、客観視したのです。私は悲観的な人間ではありませんし、むしろ有り余る幸せを享受していたことに、感謝こそすれ、虚しいなどと思ったことはありませんから。」
「ふぅん・・・。なればお前は、例えば何が幸せだと感じていたんだ?」
虚空を見つめて、投げやりに言う貴方は、そうやって機嫌が良ければ私のおしゃべりに付き合ってくれていました。
「そうですね・・・まずは白夜に出会えたことです。人が自分の好ましいと思える相手と出会える確率なんて、奇跡的なものでしょう?」
「はぁ・・・そうか。」
「それからお母様も、私を産んで育ててくださいました。・・・白皮症を持って生まれた私を、何も厭うことなく愛情を注いでくださいました。大変でしたでしょうに・・・きっと似ても似つかないなどと陰口を叩かれることもあったはずです・・・それでも私に、持って生まれたものなのだから、何も気に病む必要はないと、言い聞かせてくださいました。」
所謂アルビノである私は、人が持つメラニン色素をほとんど持つことなく生まれ、屋敷に住まう人たちからも、白銀の髪や、血管がそのまま透けたウサギのような赤い目を、気味悪そうにして、奇異な目で見られていました。
「お母様は寛大でお優しく・・・聡明で、子煩悩で・・・人格者でいらっしゃいました。」
「・・・」
「松崎家の使用人たちも、大変よくしてくださる方ばかりです。そして何より、心から一緒になりたいと思えるような、最愛の妻に出会えたことも、愛娘を授かることが出来たこともまた、当たり前のこととは思っていません。・・・とてもとても、身に余る幸運でしょう?」
黙って聞いていた貴方が、一つ息をついて、その長いまつげを伏せながら、ゆっくり瞬きしたと思うと、また落とすような低い声で尋ねました。
「父親がいないことを、不審に思うことはなかったのか?」
「・・・・お母さまは、自分が財閥の者だとわかると、婿養子に来てはくれなかったとおっしゃっていました。きっと外でお知り合いになった方なのでしょう。」
「ふ・・・・本当に?」
含みあるその言い方と共に、貴方は私を哀れむような目をしたのです。
「・・・・では、白夜はご存じなのですね。」
「・・・存じ上げているとも。・・・簡単なことだ。よくあることだ。俺とお前は異母兄弟だったということだ。」
薄暗い中で、灯篭の灯りだけが頼りの中庭で、貴方は尚も何でもない天気の話をするかのように言いました。
「或る日女は、純血主義の両親からこう言われた。『兄との子供を産みなさい。男児でも女児でも構わない。』と。だが女もその兄も酷く困惑して、何日も言い争う程両親を説得しようと試みたが、どちらも折れることはなく話は平行線だった。そんな時、親身になって相談を受けていた高津家当主は、婚姻する2年程前、だったら自分が父親として代わりに成ろうと、兄妹に手を差し伸べたのだ。」
「・・・」
「その話を二人の両親に持ちかけると、待っていましたと言わんばかりに手のひらを返して了承したそうだ。あわよくばと思惑の範囲内だったのだろう。当主として、能力を二つ持つ程才に恵まれていた月夜は、狂った思想を持つ親にとっては尊い存在で、その力を分け与えてもらえるだろうと嬉々としたそうだ。・・・そうして産まれたのが由影、お前だ。」
彼は全て知っていたのだ。きっと自分たちが幼い頃から。
「影であるには理由がある・・・お前は松崎家の後継者であり、同時に高津家の影の後継者だった。俺より先に産まれているしな。だからこそお前の母親は、いずれ生まれてくる夜の名を持つ俺の、影であり続けるようその名をつけた。・・・由影、どうだ、現実的でよくある話だろう?つまらないおとぎ話や空想を語るより、生まれ変わりを夢想するより、よっぽど暇つぶしとしていいと思わないか?」
「・・・そうかもしれませんね。」
貴方が種明かしをするのは、もう二人ともこの世に未練を残さず死ぬのだと、そう言っているようにも聞こえました。
「そうですか・・・月夜様だったのですね・・・。」
雲が陰る向こう側で、淡い光を依然としてはなっている月を見上げ、かつて何度かお会いした、高津家の先代を想った。
「記憶の片隅に残っています。いつもお優しく微笑んでいらして、母の体の具合も気にかけてくださり、時には私の話を聞いて、頭を撫でてくださいました。・・・白夜が月夜様のお子とは思えないです。」
「・・・どうでもいいわそんなこと。」
貴方と過ごす月夜がこれで最後なら、こんなに楽しい夜はない。
「白夜・・・子供たちの幸せを、お互い願っていましょう。貴方が忌み嫌う一族の世襲制は、私たちの代で終わるのです。歴史を葬り去って、何も背負わず生きていけるように。」
「・・・・・」
静かな夜は、ただただ永遠に続いていくかのように、浅黒く私たちを包んでいました。
「五百年だ・・・。」
「・・・ええ。」
「貧乏くじだったと思うか?」
「・・・いいえ。」
「正直に愚痴くらい吐けよ・・・。」
「言ったでしょう。私は悲観的になんてなりません。前を向かねば示しがつきません。見せたい背中はそういうものなんです。」
「ふん・・・虚勢も張り続ければ真実になるってか・・・・」
相変わらず煙を吐くようにボーっと言うものだから、私はまた繰り返して言うのです。
「こうも言いました・・・貴方と出会えたのだから、不幸だなんて思えなかったのですよ。どれだけ煩わしく思い、憎らしいと思うときがあっても・・・」
貴方の着物の袖をそっと引いて、美しく静かな夜、貴方に最後のキスをしたのです。
やっぱり何事も無いように、真っすぐ見つめ返すだけの貴方は、心情など推し量れるはずもなく、私にはないその漆黒の瞳を、いつまでも綺麗だと思っていました。
黒く艶めく髪も、若かりし頃より少しくたびれた目尻も、貴方という存在の全ては、決して夜闇に紛れることはありませんでした。
「愛しています・・・白夜。」
全て、私の心根の全てを、貴方は解っているのだから
ただ一人の人間として、貴方と居たかった私の想いを
死を迎えるその時までくらいは、持ち続けていたかったのです。
どうか子供たちが、平和な日常を生きられますように。




