動物園に行こうよ
土曜日の夜、夕飯の時。妹の一言から全てが始まった。
「あしたは兄ちゃんといっしょに動物園行きたい!」
夕飯を食べている最中、両親が明日はともに出掛けると言った。
よし、明日は家でダラダラとゲームをしよう、と武留は一人思いながら、ご飯を口に運んでいた。忙しくて今まで休めなかったが、久しぶりに羽根を伸ばすことができる。だが、そんな淡い期待を、小学校に入学したばかりの妹が発した無邪気な一言で打ち砕かれてしまった。
「別に明日行かなくたって、みんな一緒に居る日に行けば良いだろ」
武留は動物園行きを何とか回避すべく、こう切り返した。折角ゴロゴロとしたいのに全てが水の泡になってしまう。
「ヤダ。どうしてもあした行きたいの!」
「じゃあ、友達誘って行けば?そっちの方が楽しいんじゃないの?話も合うし」
「みんな塾とかでいそがしいのよ。だから兄ちゃん連れてってよ〜ひとりじゃヤダ!」
「何を言うか。俺だってやりたいことがあるんだよ。大体何で動物園なんか急に行きたがるんだ?」
「どうしてもココに行きたいの!あ〜もう……こうなったらムリヤリでもつれてくかんね!」
不毛ないざこざは続く。武留は何とか逃れようとするが、妹は一度噛み付いたが最後「分かったよ。しょうがないなぁ……」と言って武留が折れるまで決して離してはくれなかった。
夕飯を終え自室に戻り、武留はいつもと同じように、学校から出された宿題を早く片付けようと躍起になっている。
部屋の中には、読み終えてそのまま放置された漫画や、いつやったのかも分からないゲームが床やベッドの上に散乱している。それらは倦怠と煩悩からなる混沌を見事に作り上げていた。意図せず作り出されたそれは、周りからよどんだ雰囲気を呼び込んでいる。
このような部屋に住んでいる人は、大抵物臭な性格をしており、武留もそれに当てはまる。だがそのような性格をしている割に、シャープペンシルを持った武留の左手は気だるい雰囲気に巻かれてしまうのではなく、一心に動き続けていた。
武留は面倒臭がり屋であるが、早く厄介なコイツを終わらせたいという感情が勝っていた。そのため寝るまでに終了させようと、今はひたすらB5サイズの広大な荒野に、一つの意味を持った文字の羅列を紡ぎ続ける。
かれこれ一時間位は同じ様子で机に向かっている。その甲斐あってか、課題になっている範囲はあらかた手を付け、後は答え合わせを待つのみだ。武留は更に書く速度を速めた。
さらに30分程は経っただろうか。何とか無事に課題を終え、武留は椅子に座った状態から両腕を頭上に持ってゆき、全身の筋や関節をゆっくりと、そして一つずつ伸ばしていく。
伸びをした後にやっと終わった、などと言いたげな様子で一つ溜め息をついた。ほんの少し前まで身体に溜め込まれていた空気の塊は、最初勢いをもって口から飛び出していく。がすぐに速度が落ち、自分の周りに霧散していった。
その様子を少し疲れた風に見つめていた武留の耳には、先ほどの言葉が残る。
「動物園に行きたい」
いきなり何であんなことを言い出したんだろう、武留にはそれが不思議でならなかった。妹は元々明るい性格ではあるが、今回みたいに駄々をこねるような奴ではない。
いつもと違うな。何か隠しているんじゃないのか、と呟き椅子から立ち上がる。そのままベッドに行って目覚まし時計の時間を設定した後、小さな疑問を胸に抱きつつ武留は眠りについた。
「PiPiPiPiPiPiPiPi……」
目覚ましの電子音が鳴り渡る。武留はスイッチを押し込み眠りから覚醒する。立ち上がって洗面所で顔を洗い、朝食の席に着く。テーブルの上に並べられた食器を手に取り食事を開始する。
朝食をかき込んでいる最中に武留はふと妹の方を見た。その顔は喜色に満ち溢れており、早く出掛けたくてしょうがない、という様子であった。
朝食も終わり、武留は部屋でパジャマから普段着のジャケットへと装いを変える。さっさと着替え終え、妹の部屋の前で出てくるのを待っていた。
30分後。一向に妹が出て来る様子がない。時間には十分すぎるほど猶予があったが、武留は我慢の限界を超えつつあった。
「おい、いい加減早く出てこい。このままグズグズやってると間に合うものも間に合わなくなるぞ」
「う〜ん、あと5分まって。まだ準備終わってないの」
「だったらさっさとしな。5分以上掛かったら連れてってあげない」
「それはかんべんして。あれとこれと、う〜あとこれも持って……よし!終わったわ。さあー兄ちゃん行くよ!」
妹は淡い水色のワンピースを着ていた。武留はたかが服くらいで迷うこともないだろう、と感じたが、それは武留が女心というものを毛ほども理解していないという何よりの証拠であった。
「まてまて、ちゃんと忘れ物はないか確認しとけよ。テッシュは持ったか?ハンカチは?それとお土産買うための財布の準備はOK?」
「……うん。ぜんぶあるよ」
「じゃあ行くか」
「うん!」
武留は妹の手前楽しそうに見せながらも内心落ち込んだ様子で、妹は動物園に行くのが心底楽しそうな様子で、家を出て動物園に向かった。
列車に揺られながら二人は目的地へと向かう。武留は音楽を聴きながら目を閉じ席にどっかりと座っていた。妹は席の後ろ側にある窓から外の景色を眺め、奇妙な屋根を持った家を発見したり、対向路線からやって来る列車が大きな音を発しながら近付いて来る様子に驚いたりと武留とは対象的な過ごし方をしていた。
そんなことをしている間にも列車は進み、目的地である動物園がある駅へと到着した。二人は列車から降りて、動物園のゲートへと向かう。武留はここで腕に巻くタイプの一日間フリーパスを二人分買い求めた。
「ほら、左手出して。巻き付けるからじっとしていな」
「つけ終わった?それじゃはやく行こう。わたしはライオン見たいなあ」
また初っ端から女の子らしからぬチョイスを……と感じるが武留は口には出さず「はいはいそうですか」と適当に言って流す。そう言っている内に、妹が駆け出してしまった。開園直後であったので人はまばらであったが、あまりにも駆けずり回れると見失ってしまうので慌てて追いかけた。
「おい走り回るな!迷子にでもなったらどうするんだよ。一人っきりになったら危ないだろうが」
「はやくライオン見たかっただけだよ」
と悪びれることなく言う妹に対してふつふつとした感情が込み上げてくるも、小学生相手に何をやっているんだ、と思い武留はぐっと堪えた。妹がどこかへ行かないように注意を払いつつ、やっとのことでライオンの居る檻の前にやってきた。
鋼鉄製の檻の中に居るのは、ヒトが失った気迫を持つモノ。形状しがたい曲線を描いた二つの牙は大体の獲物を一呑みするかの様に巨大な口の中におさまり、冒涜であるほどの強靭な四肢を備えたケモノ。その身はまさに百獣の王として今、ここに存在していた。
――だが、その百獣の王も今は寝ていた。檻の真ん中でうずくまり、いびきのような音を立てながら鋭い眼光を持つ瞳はまぶたに埋もれていた。
「何だかな。普通に熟睡してるし」
「でもそれがいいの」
「訳が分からん。寝ているライオン見ても面白くないだろ。別に何か芸をするわけじゃないんだしさ」
「兄ちゃんが分かってないだけだよ。ライオンがねてるすがた始めて見たよ。なんかネコみたいでかわいいね」
「(分かってないって何か馬鹿にされた気がするなあ)そりゃあお前、ライオンだってネコの親戚みたいなもんだし、寝てる時くらい似ていてもおかしくはないだろ。後、そろそろ別の奴を見た方が良いんじゃないか。このままじっとしてると、見れるものも見れなくなるぞ」
「分かった」
武留はライオンを見て拍子抜けをした。だが、まあこんなもんだろう、と一人無理矢理に納得し、またしても急に走り始めた妹を追いかけるように先へと進む。そしてライオンの檻を後にしてシマウマやサイなど動物園で定番のものを二人は見て回ったのだった。
「こんどは、おさるさんたちがいる所に行くよ」
「分かった。分かったから急に走り出すのは止めてくれ。お前がどっか行ったら責任とるの俺なんだから」
「わけの分からないこと言ってないで兄ちゃんも楽しんでればいいのに」
「そんな悠長なことを言ってらんないの俺は。あと二年で二十歳なんだよ。一人騒がしくしてたら周りに変に思われるだろうが」
そう言いつつ、猿山に行く。何頭ものニホンザル達が岩山でたむろしていた。動物園ではよく見る光景である。しかし、武留はある異変に気が付いていた。妙に猿が騒がしい。何だかそわそわとしており、岩山を駆けずり回っている。武留は訝しんでいたが、その理由は武留にとって非常に厄介なものだった。
「なんか変だな。普段はこんな積極的に動くことは無いのに……」
ふいに、猿の一匹が他の猿に向かって歩き始めた。毛づくろいでもするかと思ったが、その答えは的を大きく外れていた。あろう事か猿は背中に跨がり始めたのだ。
そわそわとしていた原因は発情期からきていた。武留はとっさに妹の目を手で塞ぐ。
「ちょ、ちょっとはなしてよー何でいきなり目をかくすの?」
「お前にはあと10年早い!」
「何で?いいじゃないの。毛づくろいやってるだけでしょ?」
「違うから隠してるんだろうが。さっさと行くぞ」
もう懲り懲りだ、あの猿は何をおっ始めるんだろう。あれが最悪だった、武留はげんなりとした様子でお土産を買うためにお店へ向かう。武留は何処にでも売っているスポーツカーに付いている馬のようなストラップと両親用の湯呑みを、妹は動物園限定品らしきノートとクレパスを買った。
買い物が終わり、帰宅する。あの猿のことを未だに引きずっていた武留は、今日は早く寝ようと列車に揺られながらそう誓った。
家に帰り夕飯を食べ、武留は風呂に入ろうとした。ふと、リビングを見ると妹が座って何かしている。何やってるんだかと一人思い、風呂に入る。
10分間ほど湯舟に浸かり、武留は風呂を上がる。髪と体を拭き、ドライヤーで乾かすのもそこそこに脱衣所から脱出した。何か飲むかなと言ってリビングに向かうと、妹がぐっすりと寝ていた。このままじゃ風邪を引くぞと起こすが一向に起きる気配が無い。
仕方ない、抱えてでも連れていくか。そう思い妹に目を向けると、日記があった。無事に書き終えて寝ちゃったのかな、と考え妹に内緒で内容を見る。
今日は、兄ちゃんといっしょに動物園へ行きました。ライオンはこわそうだったけど、やさしそうでした。
おさるさんを見ている時に兄ちゃんがわたしの目をかくしたけど何だったんだろう?
兄ちゃんもいやだと言っていたけど楽しそうでした。やっぱりいっしょに行くと楽しいね。また兄ちゃんといっしょに遊びに行きたいです。
武留はそっとノートを閉じる。
「気を使わずにもっと素直に接しても良いかな」
こういう休日の過ごし方も悪く無いなと思った。
何とか5月中に投稿出来ました……うむ、リアルが忙しかったのが悪いんだ(汗)
書いていて思ったのですが、なかなか文章が長くなりません。あと如何せん表現力が乏しいのが悩みです。更に忙しくなるけど書き続けていかねば……