第八話 沙羅の決意と双樹の覚悟
「もうっ! おろしたての草履なのに、これでは台無しですわっ!」
振り返ると結ちゃんが頬を膨らませ、しきりに足元を気にしている。
「これは爺やが初任務をするわたくしのために作ってくれたものなのに……嫌ですわ、本当に!」
信さんの村に行くためには山の中を通らなければならず、悪いことに昨日降った雨のせいで道がぬかるんでいるのだ。
結ちゃんの履き物は、すっかり泥まみれになってしまっている。
「お嬢、だったらオレがおぶってやるよ」
夏くんはさかざす結ちゃんの前に行くと、ぬかるんだ地面にも関わらずその場にしゃがみ込むのだった。
「ほら、おいで」
「夏! いつまでもわたくしを泣き虫な子供扱いしないで! もう十七ですのよ! 昔とは違うんですの!」
「ご、ごめん……別に子供扱いしてるわけじゃ……」
「二人って、昔から知ってるの?」
「夏とわたくしのことですの? ええ。幼馴染ですわ」
「え? でも、佛師って魂師が召喚するんじゃ──」
「ああ、そうだぞ」
夏くんが話を引き継ぐ。
「召喚されるのは、知り合いが多いな。もしくは何かしらの繋がりがある佛師だ。現にオレの一族は、お嬢の花厳家お抱えの佛師だしな」
「そ、そうなんだ……」
「だから沙羅ちゃんみたいに、異国から召喚されて、しかも初対面というのはかなり珍しいケースなんですのよ。ウフフ」
意味ありげに笑うと、うっとりした目で空を見上げる。
「もしかしたら沙羅ちゃんと双樹って、前世では恋人だったのかも。悲恋の末、離れ離れになってしまった二人は、ようやく今世で再会し、そして結ばれる──ああ、なんてロマンチックなのでしょう!」
「オレはお嬢に召喚してもらって、運命を感じたぞ」
「わたくしはガッカリですわ。よりもよって、毎日顔を合わせている夏だったんですもの」
「またまたぁ、うれしかったくせに」
「誰がうれしいものですか!」
「いいなぁ、仲良くて。私なんて双樹から『男が良かった』とか言われたんだよ」
すると双樹が「フン」と鼻を鳴らした。
「本当のことを言ったまでだ」
「ほら、こうやってすぐ憎まれ口を叩くんだもん。嫌になるわ」
「若いっていいねぇ」
そう言ったのは信さんだ。目を細めこちらを見ているのだった。
「ごめんなさい。今は任務中ですよね。それなのに騒いでしまって……」
「なんのなんの。孫を見ているようで、こっちまで楽しくなるよ。だがね──」
なんだか寂しげな表情だ。
「ウチの村は、ある時期からまったく作物が取れなくなってね。以前のような活気はなくなってしまったんだよ」
「どうして作物が取らなくなったんですか?」
「土壌が汚染されてるようなんだよ。原因は分からないから、手の内ようがなくて。そのせいですっかり村は寂れてしまったもんだから、こんなに賑やかなのは久し振りなんで、ワシまでうれしくなるよ」
「そう言っていただけると、わたくしたちもうれしいですわ」
和やかだった雰囲気だったのだが、それはすぐに一変する。
「ストップ!」
前を歩いていた千世界先生が手を挙げた。私たちは歩みを止める。
「先生、どうしたんですか?」
「シッ! 静かに!」
緊迫した雰囲気に、私たちにも緊張が走る。
風が草を揺らす。
と、その時、草むらの中から何者かの気配が──
目出し帽を被った人間が飛び出して来る。
瞬きする間もない出来事だった。
私が認識した時にはすでに、千世界先生の手には大きな剣が握られていて、目出し帽を被った漆黒の着物の男を斬りつけていたのだ。
飛び散る血液。
思わずその場に尻餅をついてしまう。
「依頼人を護れ!」
三千大先生の声にようやく我に返った双樹、結ちゃん、夏くんは素早く信さんを囲む。
(わ、私も行かなきゃ……)
頭ではわかっていても、力が入らない。
膝が笑う。
腰が抜け、尻を浮かすことさえできない。
さらに四人の敵が襲ってくる。
「サン! もう一振りよこせ!」
「あいよ」
三千大先生は木で作られた手のひらサイズの剣を投げる。
「精!」
最初に持っていた剣とまったく同じものが千世界先生の反対の手に握られる。
「流星刀二星!」
目にも止まらぬ速さで剣を振う。
あっという間に敵たちは倒れて動かなくなってしまうのだった。
「ふう!」
千世界先生が一息つくと、手の中の剣は木に戻る。
そしてキッと鋭い視線を向けた。
「あ、あの……私……」
何もできなかった私は、てっきり怒鳴られるかと思っていた。だが、千世界先生は私を通り過ぎると、真っ直ぐに信さんのところへ行く。
「テメェ!」
胸ぐらをつかむと、小柄な信さんの踵が浮き上がる。
「待て。セン」
三千大先生はそっと私を起こしてくれる。が、視線はやはり信さんに向けられていた。
「信さん。アンタ、俺たちに何か隠してるでしょ?」
「え? い、いや……隠し事なんて……」
「今襲って来た連中は、偶然居合わせた盗賊ってわけじゃない。動きを見る限り、訓練を受けたプロだ」
信さんは生唾を飲み込んでいる。額には汗。先生の指摘は図星のようだ。
「コイツらは貧しい村人を襲って小銭を稼ぐような輩じゃない。てことは『ダイタラブッタ』の一味ってところかな?」
「ワ、ワシにはなんのことだか──ちょ、ちょっと何するんです!?」
千世界先生が信さんのリュックに手を突っ込んでいるのだ。
抵抗するが、あえなく中身があらわになる。
「これは何だ!」
仏さまのような木彫りの像だ。
「そ、それは……」
「見たところ、A級武具のようだ。ですよね、信さん」
おもむろに信さんは土下座をする。
「村の土地を浄化するために、都で有名な仏師に彫ってもらったものなんです」
「なるほど。奴らの狙いはこれってことか。で、なぜ黙ってたんです?」
「すんません! 仏像を買うだけで精一杯で……『如来』や『菩薩』に依頼する金がなくなったまって……」
「だから無料で依頼できる新米仏総たちのチームに、護衛してもらおうと思ったってわけですか」
「本当に申し訳ない」
「ざけんな!」
千世界先生は額には青筋を浮かんでいた。
「こっちはな! 生徒の命を預かったんだ! A級武具の護衛なんてできるか!」
「そ、そこをなんとか……」
「無理ですね、契約違反をされた以上、我々はこれで帰らせてもらいますよ」
「ま、待ってください! 今度ヤツらが襲って来たら、ワシはどうすりゃええんです!?」
「知るか! 泣いて命乞いでもしろ。運が良けりゃ生きて帰れるかもな」
「こ、この像がないと村は終わりなんです。汚染された土地のせいで子供は病気になるし、作物が取れないから医者に診せてやる金もない」
三千大先生は信さんに背を向ける。
「ふあぁ。今回の任務はナシね。また、改めて君たち用の依頼を用意するから。てなわけで、さっ、帰ろうか」
歩き出す先生たち。
私も含め、双樹たちもまた、どうしたらいいのか戸惑っている様子だ。
ふと視線を戻すと、地面におでこを擦り付けて「どうか、どうか、ご慈悲を……」と、信さんがつぶやいている。
「お前たち! 何をしてる! さっさと隊列を整えろ!」
「先生! 待ってください!」
全員の視線が私に向けられる。
「この依頼、続行させてもらえませんか」
「はあ? 何を言ってる! まったく動けなかったお前にできることはない!」
「今度は大丈夫です! あんな情けない姿はもう見せません!」
「言うのは簡単だ。だがな、これは実戦なんだぞ。一歩間間違えれば──」
「わたくしも沙羅ちゃんに賛成ですわ!」
結ちゃんが私の肩を抱く。
彼女の体温が伝わって来る。それだけで落ち着きを取り戻せた。
「困ってる人を放っておいて、立派な仏総になれるわけありませんもの」
「オレもお嬢に賛成だ」
「お前ら、自分が何を言ってるのかわかってんのか!?」
三千大先生はギョロリと私たちを見る。
その視線に、私たちは思わず後ずさるのだった。
これは遊びでもなければ、訓練でもないのだと改めて感じるのだった。
「で、双樹。お前はどう思ってるわけ?」
双樹は私を見ると、「フッ」と唇の端を持ち上げた。
「この程度のことで尻尾巻いてるようじゃ、『如来』になんてなれるわけねえ。やってやりますよ」