第六話 新たなる事実
「うーん」
体の前で腕を組んだ宗さんは、唸り声を上げながら首を傾けている。あまりに傾けすぎて、頭が取れてしまうのではと心配になるほどだ。
「これはつまり……盾……いや、四つ又の槍ってことなのかな?」
「違うわよ! アナタ!」
横から成美さんは「それ」を手に取ってしげしげと眺める。
「どう見たって『カバ』じゃない! ねっ、沙羅ちゃん」
「いえ……実はそれ、一応、仁王像なんですけど……」
二人は目を丸くする。
「仁王……像? てことは、これは人を模った、てことかな?」
「はい……見えませんよね……」
私はうなだれる。
祖父が作った例の「仁王像」をイメージしたのだが、程遠いどころか見る影もないほどの無惨な出来になってしまったのだ。
生木から彫り出すのがこんなに難しいとは……。
「ま、まあ、初めてなんだからこんなものよ」
「うん。成美の言う通りだよ。何せ、これは硬い樫の木だから、女の子には難しいんだよ」
慰められると余計辛い……。
一晩かけて作業したのにこの程度となると、前途多難と言わざるを得なかった。
「ところで宗さん、成美さん。双樹はどこ行ったんですか? 朝からずっと見てないんですけど」
「双樹なら、朝早くに起きて自主練習に出かけたわよ」
「ええっ!?」
「あの子ったら、昨日のシゴキについて行けなかったのが相当堪えたみたいね」
「昨日、あんなにフラフラだったのに……」
夜遅くに帰って来た双樹は、玄関で倒れてしまうほど疲弊していた。数人の使用人に抱えられて、ようやく自宅に上がれるほどだったのだ。
「今日は休みなのに。それだけ如来になりたいってことか──って、宗さんと成美さん、どうかしたんですか?」
二人とも、どういうわけか視線を落としている。
あえて表現するのなら、寂しげ、といったところだろうか。
「息子さんが勉強熱心なのは、喜ばしいことじゃないんですか?」
「そうだね。沙羅ちゃんの言う通りだ。ねえ、成美」
「え、ええ……そうね」
(なんか悪いこと言っちゃったのかな……)
行くところがないため、この峯曹家に居候させてもらえることになった。
そんな私の立場で根掘り葉掘り聞くのは憚られるのはもちろんのこと、何より二人からは「踏み込まれたくない」といった雰囲気が感じられる。
だからこの件に関して、これ以上何も言えなかった。
「あっ、そうだ!」
私は暗い空気を吹き飛ばす意味も込めて、できるだけ明るい調子で手を打つ。
「宗さん。武具を作るための素材って、樫の木しかないんですか? どうも私にはこの樫の木の削り出しっての合ってない気がして……」
「他の素材かぁ。ちょっと待ってね」
宗さんは紙に描いた地図を渡してくれる。
「西の街に『素材屋』があるから、見て来るといいよ。何か見つかるかもしれないから」
「ありがとうございます!」
「行けばすぐにわかると思うよ。お金は『峯曹の者』だって言えば、ツケにしてくれるはずだから」
なんていい人たちなんだろう!
お言葉に甘えて、早速、新たな素材を探すために西の街へ行くことにした。
「ええっと、確かこの辺りにあるはずなんだけど」
宗さんが描いてくれた地図を頼りに歩いていると、「あっ!」と足を止める。
時代劇のセットのような街並みの中で、一際派手に装飾された「素材屋」の看板が掲げられている店を見つけた。
すぐに見つかるよ、と言っていたのもうなずける。
一軒だけ、異質な感じがするのだ。
「ごめんください」
すりガラスがはめ込まれた玄関の引き戸を開けると、角刈り頭の体格のいいおじさんがいた。
「らっしゃい!」
現代ならさながら居酒屋か商店街の魚屋や八百屋さんといったところでしか、お目にかかれないほどの威勢の良さだ。
(もしかしてこれが異世界のスタンダードなのかしら?)
そんなことを考えながら店内に入る。
すると微かに鼻をツンと刺す臭いがした。
「ごめんよ。今は『土粉』を練ってたところだから、ちーとばかり臭いが気になるのは勘弁な」
「ツチコ?」
「なんだ、お嬢ちゃん。土粉を知らねえのか」
おじさんはゴム手袋をはめた手をバケツに突っ込む。灰色の粘り気のある「何か」をすくって見せてくれた。
どうやらこれが「土粉」というものらしい。
「コイツは土から特定の成分を抜き出して作ったものなんだ。見た目よりずっと軽くて加工しやすいんだぞ」
「加工しやすい!?」
私が求めてるものピッタリだ。
「それ、見せてもらえますか?」
「もちろん! ゆっくり見ていきな──つうか、お嬢ちゃん、見ない顔だね」
「あっ、すみません。私、今は峯曹家でお世話になってて──」
「おおっ! もしかして沙羅ちゃんかい?」
「なんで知ってるんですか!?」
「峯曹家の旦那から『伝書猫』が来たからな」
「で、伝書猫?」
「これだよ」
そう言っておじさんは、棚の上を指差した。
一心不乱に猫式の洗顔をしている黒猫がいる。おじさんが頭を撫でると、黒猫は口をパクパクさせるのだった。
《岡ちゃん、峯曹だ。沙羅って女の子が行くから、色々見せてやってよ。お代はウチにツケておいてくれていいから》
宗さんの声だ。
黒猫の伝書猫は言い終えると、また前足で顔を擦りはじめるのだった。
「さすがは峯曹家の旦那だよな。見事な出来だ」
「これって、彫り出したものに成美さんが魂を入れた、いわゆる『武具』ってことですか?」
「そうだよ」
私は目を丸くする。
どこからどう見ても本物の猫だ。
毛並みまで再現されていて、触れると毛の柔らかさが伝わってくるのだ。
本物との違いは、体温が感じられないことくらいか。
「精巧に彫ればそれだけ本物に近づけることができるんだよ」
「なるほど……」
「で、お嬢ちゃんは土粉をご所望ってことかい?」
「はい。加工しやすい素材を探してて──」
私がバケツに手を突っ込むと、おじさんは「ちょっと! 何やってんの!?」と慌てふためく。
「へ?」
「素手で触ったら手が荒れて大変なことに──あれ?」
宗さんが「岡ちゃん」と呼んでいた威勢のいいおじさんはそこで言葉を切った。
「素手で触ってんのに……なんともないのかい?」
「え? ええ。大丈夫みたいです」
「へぇ。女の子で佛師になろうってんだ、凡人の俺たちとは体の作りが違うってことか」
「そ、それはどうなんでしょう……」
「にしてもさ。峯曹の旦那、元気そうで良かったよ」
「宗さん、どこか体の具合でも悪かったんですか?」
「あれ? 聞いてないのかい?」
岡さんは重苦しいため息をついた。
気が重い、といったレベルではなく、もっと深刻な雰囲気だった。
「峯曹の旦那の母親──つまり倅の双樹の婆さんなんだけどよぉ。殺されちまったんだよな」
「こ、殺された!?」
「ああ。しかも犯人は、一番信頼していた相棒の佛師だっつうんだから、浮かばれないよな」