第五話 三千大千世界
「ええっと、俺は三千大ね。で、こっちの女性が相棒の──」
「アタシの名前は千世界だ! いいかお前ら! これからビシビシ鍛えていくからそのつもりでな!」
私は一気に不安になる。
おそらくそれは、ここにいる全員が同じ気持ちだっただろう。
全員が顔をひきつらせているのだ。
三千大という名の教員は、ボサボサ頭に無精髭。近くに行ったら臭ってきそうなヨレヨレの着物姿で、とても教師には見えない。
おまけにずっと欠伸を噛み殺しているのを見ると、やる気も覇気も感じられないのだ。
千世界と名乗った女性の方は、教室に入って来るなりずっと鋭い眼光を私たちに向けている。余計なことを言おうものなら、途端に噛みつかれそうだ。
派手な着物に負けないくらい、長い髪の毛はピンク色と緑でとてもカラフルだ。その上、耳と鼻と唇にはピアスがキラリと光っている。
もしも街中でこの二人とバッタリ出会ってしまったら、きっと目を背けてそそくさと逃げるだろうな、と私は思った。
「さあ! テメェら!」
千世界先生は、バンッ! と教卓を叩く。
「早速、授業を始めるぞ! 魂師はアタシについて来い!」
そう言って教室の外へと走り出してしまう。当然、私たちは唖然としているのだが──
「何してんだ! 一番遅かったヤツは腕立て五百回だからな!」
「嘘だ!?」
「マジ!?」
「授業って、これから体育かよ!」
双樹をはじめ、魂師は慌てて千世界先生の後を追うのだった。
「佛師諸君、よそ見してるヒマなんてないぞ」
三千大先生は頭をワシワシとかいている。フケが飛んできそうだ。
「机の中に木が入ってるだろ」
引き出しを開けると、確かに直径十センチ、高さ三十センチほどの小さな丸太があった。それから私の手よりも少し大きい、ノミとトンカチも入っている。
「それを使って『彫り出し』をしてもらおうか。モチーフはなんでも構わない。自分の得意なものを作るように──じゃ、始め」
言うが早いか、机に足をのせて腕を組むと、イビキをかいて眠ってしまうのだった。
「何だよ! ハズレ教師じゃねえかよ」
憎々しげにつぶやいのは、私に足を引っかけた起だ。
ただ、他の子たちも口にこそ出さなかったが、きっと同じようなことを考えているのは間違いない。
みんな面倒くさそうに丸太にナイフを入れていて、真剣に取り組んでいる者はいなかった。
そんな同級生たちを、私は鼻白む。
(フン。この子たちは愚かだね)
私は着物の袖をたくし上げ、腕まくりをした。
(先生はきっと、私たちを試してるのよ。居眠りしてたフリをして、こっちの様子をうかがってるに違いないわ)
鼻息荒く、丸太にノミの刃を入れる。
(模型店店主の孫の実力を見せてやろうじゃないの!)
すでに飽きてしまったのか、遊びはじめる者や居眠りを始める同級生を尻目に、私は真面目に与えられた課題に取り組むのだった。
一時間後──
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
私は机の上に突っ伏した。
(ぜ、全然できなかった……)
丸太の表面の薄皮を剥いて大まかに削るのが精一杯で、何かを象る段階に入るには程遠い状態だったのだ。
「ふあぁ」
三千大先生と伸びをする。
目には立派な目ヤニがついているところを見ると、どうやら私たちの様子をこっそりうかがっていたわけではなく、本当に睡眠を取っていたらしい。
「はい。今日はこれで終わり。彫り出ししたものを机に置いたら、帰っていいよ」
全員が立ち上がったそのタイミングで、「あっ、そうそう」と、三千大先生が欠伸を噛み殺しながら言った。
「来週、護衛任務に就いてもらうから」
教室の中がザワつく。
「任務って、オレたちはまだ何も習ってないんですけど」
誰かが言った。
同調するように口々に「そうだ」「急に言われても」と声が上がる。
「任務って言っても簡単なものだから──じゃ、サヨウナラ」
これ以上聞いても無駄だと思ったのか、みんな教室を出て行くのだった。
(任務って、何をするんだろう──って、それどころじゃないんだった)
「双樹の相棒、だっけか?」
私はギョッとする。
いつの間にか、三千大先生が目の前に立っていたからだ。
(ち、近づいて来るのに全然気が付かなかった……)
三千大先生はまた頭をワシワシとかく。
「みんな帰ったぞ。君も帰りな」
「で、でも。形になってないのは私だけなんで……」
遊んでいると思っていた同級生たちの机を見ると、不恰好ではあるが、みんなそれなりに仏像らしき形になっているのだった。
「ただの暇つぶしにやらせただけだから」
「え?」
「俺が居眠りする時間が必要だろ? その間、君たちはすることなくなるじゃん。だからやらせてたの」
(おいおい。本当にハズレ教師かよ!)
「今、ハズレ教師って思った?」
「と、とんでもない!」
「ふあぁ。まあ、どうでもいいけど──とにかく、完成させなくても、これは評価に入らないから」
「でも!」
「ん?」
「最後までやらせてください! 中途半端のままで終わりたくないんです!」
しばらく私を見つめていた三千大先生は、やがて大きな欠伸をする。
「お好きにどうぞ」
ポツンと一人になった私は、一心不乱に丸太にノミを入れるのだった。