第一話 仏女、異世界へ!
「はあ……いつ見ても惚れ惚れする」
私──鈴木沙羅は木彫りの仁王像を眺めながら、恍惚の表情を浮かべた。
「この大胸筋とか、力こぶに浮き出た血管──もう仏女の私としては垂涎モノだつっうの!」
手のひらサイズの仁王像を、いろんな角度から眺めてみる。
完璧な造形美に感嘆するばかりだ。
「これ、内緒で私のモノにしちゃおっかな──なんちゃって」
「沙羅」
振り返ると、祖父の行道が苦笑いを浮かべていた。
慌てて仁王像を箱に片付ける。
「お、おじいちゃん!? 今のは冗談だから! 私がお客さんに渡す商品をネコババするわけないじゃん!」
「何を言ってるんだい? ネコババ?」
「え? べ、別に聞こえてなかったんならいいの。こっちの話だから。ハハハ」
「そんなことより沙羅。仁王像はお客さんにお渡しするものなんだから、大事に扱いなさい」
「わかってるって。でもさ、おじいちゃんが作ったこの木彫りのフィギュア、相変わらず格好いいね」
「沙羅も、そのうち作れるようになるよ」
「うん。頑張る。何せ私は、この『鈴木模型店」の跡取り娘だもん。じゃ、仁王像を届けて来るね」
「沙羅、ちょっと待ちなさい」
「なに?」
「これを持っておゆき」
祖父が差し出したのは、専用のケースに入れられたナイフだった。
「え? そんなのいらないよ」
「お客さんから手直しを頼まれるかもしれないだろ?」
「そうだけど……」
仮に手直しの要望があったとしても、祖父が彫った完璧な仁王像に、未熟な私が手を加えてもいいものだろうか。
それに──
このナイフは刃渡りが二十センチほどある。しかも祖父が自分専用にあつらえたものだ。
長年使い込んでいるせいか、木で出来た柄の部分は祖父の手の形に馴染むようになっている。
正直、手が小さい私には使いにくい。
「だったらデザインナイフを持っていくよ」
「いいから、これを持っていきなさい」
私は戸惑った。
今まで何度も配達に行ってるのに、ナイフを持って行くよう言われたのは今回が初めてだったからだ。
何より、いつもは柔和な祖父が、どういうわけかこの時ばかりは、怖いほど真剣な表情をしているのだった。まるで何か思い詰めたような、悲壮感が漂ってくる。
「このナイフが、きっと沙羅を守ってくれるはずだ」
「守ってくれる? 何から?」
「いいから。さあ」
腑に落ちなかったものの、しぶしぶナイフを受け取ることにした。
手に取ると、相変わらずズッシリとした重みが伝わってくる。
「じゃ、行って来ます」
「沙羅」
「ん?」
「気をつけて行っておいで」
今度は私が苦笑する番だ。
「自転車で五分ほど走ったお得意さんのところだよ? 事故に遭う方が難しいって」
そう言って玄関から一歩足を踏み出した。
突然、足元に怪しげな光の輪が現れ、全身が光に包まれるのだった。
フワリと体が浮き上がる。
「ちょ、ちょっと待って! これ、何!?」
無意識に祖父を見る。
驚いているわけでもなく、慌てている風でもなかった。
淡々と私を見つめているのだ。
気のせいたろうか。
祖父は、事前にこうなることを知っていたかのように見えた。
「おじいちゃん!」
手を伸ばすものの、虚しく空を切る。
そして私は、異世界へと飛ばされるのだった……。