第2話:聖女が現れた日
冷たい風が、石造りの城を吹き抜けた。
ヒューダリア王国の宮廷では、その日、国の未来を左右する存在が現れた。
聖女ヒカリ・ノダ。
神の加護を受けた存在として突如現れた彼女は、黄金色の髪を持ち、淡いピンクの瞳を宿していた。
その姿はまるで神話に語られる聖女の再来のようだった。
そして、王子ヴァルヒーヌ・ジューメリは、その瞬間、彼女に心を奪われた。
エレシア・ノマレードは、遠くからその様子を見つめていた。
「……あの人が、聖女?」
エレシアは、王城の広間で執り行われた歓迎の儀式を静かに見守っていた。
ヴァルの隣には、王妃や大臣たちが並び、皆が息を呑むようにヒカリの姿を見つめている。
「なんて美しいの……」
「あれが本当に、神の御使い……?」
民衆は歓喜し、貴族たちは期待に満ちた目で彼女を迎えていた。
だが、エレシアの胸には言いようのない不安が広がる。
まるで、最初から”彼女を迎えること”が決まっていたかのような空気。
この瞬間から、エレシアの存在は王国の中で色褪せ始めていた。
——ヴァルの視線が、彼女に向けられている。
それは、エレシアが今まで一度も向けられたことのない眼差しだった。
憧れ、敬愛、そして恋慕。
王国の王女でありながら、王子に愛されなかった少女には、痛いほど分かる。
ヴァルは、聖女ヒカリに恋をしたのだ。
王子がエレシアに向ける視線とは違う。
それまで、彼はどこか義務のようにエレシアに接していた。
「婚約者だから」
「王族として共に歩むべき存在だから」
そんな理屈の上で交わされる言葉ばかりだった。
だが、今のヴァルの目は違う。
心の底から、純粋な感情で彼女を見つめている。
エレシアの指先が、ぎゅっとドレスの裾を握りしめた。
王子が恋をしたのは、自分ではなく、突然現れた”奇跡の聖女”だった。
「……エレシア様」
傍にいた侍女が、心配そうに声をかける。
だが、エレシアはすぐに顔を上げ、微笑んだ。
「大丈夫よ。ただ、少し驚いただけ」
気丈に振る舞う。
でも、胸の奥では確かに何かが砕けた音がした。
“エレシア・ノマレード”という存在が、王子の世界から消えていく予感がした。
——そして、その予感は的中することになる。
この日から、王国は聖女ヒカリを中心に回り始めたのだった。