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最終章  運命

「よし。通れ」

 要請書と偽造した入行証が何とかバレずに済んでオンボロの車にまたエンジンをかける。

 アーレンを出る時同様に、この第二関門だったルクスラへの侵入も無理なく突破。と安堵した矢先だった。

「あ、すまないが君。一応その覆面を取って顔を見せてくれ」

 イレイン側に居たロードサージェントが人一倍用心深い者だったせいで急転直下、二人にピンチが訪れる。

「あ、あぁ! すいません。実は弟は昔、火事にやられちまって跡が残っちまってるんで」

 ガードンが取り繕おうと必死に笑顔を作って進言するが、ロードサージェントは聞き入れない。

「失敬。しかし、申し訳ないが念のためだ。一応、密入国者や上からの要注意人物なんかの手配書も回っているんでね」

「何を言ってるんですかー。密入国者ならこんな堂々と出ませんよ?」

「だから念のためと言っている。さぁ早くその覆面を脱げ」

 ガードンの取り繕いが癇に障ったのか、ロードサージェントは窓から手を伸ばしてイレインの覆面を掴もうとする。

「もういい! 行け! ガードン!」

 伸ばされた手をイレインが払うと車は急発進する。後方で「貴様ら! さては!」と声がした途中で警報が鳴り響く。後方を確認すると、馬を走らせて数人のロードサージェントが後を追ってきた。

「ちっくしょー! やっぱダメか!」

 イレインは覆面を脱いでガードンの肩を掴んだ。

「おいガードン! もっとスピード上げろ! 追いつかれちまう!」

「最初からフルスピードだ! これ以上は上がらん!」

「あーもう! だからこんなオンボロ嫌だったんだ!」

「だったら先に言え!」

「言った!」

「言ってない!」

 下らない押し問答が続いているうちにもう直ぐ後ろまでロードサージェントが追いついてきていた。イレインはドアを開け放つ。

「お、おい! 何やってんだイレイン!」

「運転は任せたぜ。方向はなるべく指示するけどもし見てる暇なかったら勘で進んでくれ!」

 イレインは腰から短剣を抜き出してドアから後部の荷台へヒラリと飛び移る。その姿を見たロードサージェントが剣を鞘から抜きながら叫んだ。

「その短剣……お前! イレイン・コートレッドだな!」

 イレインは覆面の下でニヤッと笑うとそれを脱いで栗色の髪を風に揺らす。

「せいかーい!」

「貴様の身柄を拘束しろとレイゼル様から命令が出ている。大人しく捕まれ! そうすればお前もその運転手も傷つける事はない」

「だってよガードン。どーする?」

 イレインが運転席に振り向く。ガードンは真っ直ぐ進行方向から視線を外さずに叫んだ。

「寝言は寝て言いやがれ! そんなんで大人しく投降しちまったら故郷に帰れねーや!」

 イレインは向き直りニコッと笑う。

「そーいうこと! わるいね!」

 イレインの笑顔が一瞬レイゼルに見えて気が逸れた瞬間をイレインは見逃さなかった。走る車から直ぐ後ろを走る馬に飛び乗り、ロードサージェントを蹴り飛ばすとそのまま馬に跨がって見事な繰馬術で車と並走しながら襲いかかろうとするロードサージェント達を斬り倒す。

「ガードン! 十字路を右へ!」

 後ろからどんどん襲いかかるロードサージェントを切り崩しながら指示を出す。ガードンはブレーキも踏まずに車を傾けながら曲がるが、イレインはそのまま真っ直ぐ走って行った。

「サンキューなガードン。後は任せろ」

 ロードサージェントは全員真っ直ぐイレインだけを追った。恐らく自分の捕獲がレイゼルによって最優先事項にされているのだろう。好都合だった。

 イレインは巧みに馬を操りイストワールへの最短距離を走っていく。最早、この作戦の成功確率なんて見てはいなかった。ただ前後左右から襲いかかる敵を倒す事だけに集中する。

「よし! 見えた! あそこだな! イストワール!」

 神経を研ぎすまし、剣をそして馬を走らせる。目標方向にはロードサージェントが二十は居るだろうか。

「結局、強行突破か。まぁ悪くねー……うわっ!」

 全速力一直線で出口へと走るイレインの横から急に見覚えのあるオンボロの車が姿を現す。

「ガガガ、ガードン! 何やってんだ!」

「あ? え? ここで合流するんだろ?」

「ちげーよバカ! 何で来ちまうんだよ! あーもう!」

 イレインは馬から助手席側の扉に飛び移る。そして腰に巻いたバッグから玉を取り出した。

「ガードン! そのまま突っ切れ!」

 イレインはその玉についた紐を抜くとそれは火花を散らし始めて、そのまま思いっきり振りかぶって出口の門に向かってその玉を投げた。

 ロードサージェントはイレインの手から放たれた何か小さな物を視認する為に視線を頭上高くそびえる門構えに移す。火花をちらしたそれは一目で彼らの顔面を蒼白させた。

「爆弾だー!」

 一斉に退避するロードサージェント。とほぼ同時に鳴り響くけたたましい爆発音と崩れだす門構え。ガードンはこれ以上踏めないアクセルを更に踏みつける。

「行っけー!」

 イレインの雄叫びが空へ吸い込まれる。オンボロ車は悲鳴にも似た音を鳴らしながら門を真っ直ぐ通り抜けた。そして正にギリギリのタイミングで門が崩れ落ちる。

「よし。これで足止めは成功。ガードン。このままロードサージェント本部へ行ってくれ」

「わかった! けど大丈夫か? ここは確か一番隊が包囲しているんじゃ?」

「関係ねーよ。何とかする」

「いいねぇ。好きだぜそういうの!」

 オンボロ車はとうとう煙を吐き出す。しかし、スピードを緩めはしない。緩められる訳がない。一番隊が予想通り四方から車めがけて馬を走らせていたのだ。

「いいか。ガードン。何があっても真っ直ぐ最短距離を進め。絶対に止まるなよ!」

「よっしゃ! 任せろ! イレイン! 奴らは頼んだぜ!」

 ガードンが言い終わると同時にイレインは一番隊の一人を斬り倒す。手加減している余裕はない。そんな甘えを持ったらこちらがやられてしまうくらいに隙がない連中だった。恐らく本気の一撃でも致命傷には至らないだろう。だが、それが逆にイレイン本来の力を発揮させた。

「よっしゃー! 調子出てきたぞ! どんどん来い! 今なら一番隊隊長も倒せそうだぜ!」

 イレインは車の上を器用に飛び移りながら四方の敵を斬りつけて一切寄せ付けない。圧倒的な実力差が見えていた。それでも、武器を銃に持ち替えたりなどしない。ロードサージェントはその誇りの為に例え敵わないと知っていても果敢に挑んできた。イレインはそれを遠慮なく斬り倒しながらそれでも、少しだけ自分と彼らが似た者同士な気がした。

 世界を守る為の自分達が何故、敵対せねばならないのか。しかし、問答をしている時間もない。イレインが戦いに没頭しているうちにロードサージェント本部はもう直ぐそこまで来ていた。

「イレイン! どうすればいい!」

「言っただろ! 真っ直ぐ進めって!」

 イレインはまたバッグから玉を取り出し、紐を抜く。それを何の躊躇も無く荘厳な出で立ちの建物へ思いっきり投げつけた。

 爆発音と共に建物に大きな穴が空く。

「よっしゃガードン! 突っ込んだら車を捨てるぞ!」

「おし! わかった!」

 ガードンはハンドルを握ったまま片手でシートの裏から鉄パイプを取り出す。そして庭にあった小山で車を大きくバウンドさせながら建物内部でスリップ回転して車を止めた。

「お! 懐かしー! まだ持ってたんだな!」

「当たり前だ! だって今からあのロードサージェントの本部を破壊するんだろ?」

 ガードンは目出し帽の奥で不適な笑みを浮かべた。イレインはバッグから大量の玉を取り出し頷く。

「まあね。もう調べはついてんだ。ユナは地下四階にいる。行くぞ!」

 イレインとガードンは走り出す。爆弾はけたたましい音で壁や床を破壊しながら噴煙を舞い散らした。

 地下一階、二階、三階。それはもう大雑把に破壊しながら進んで行く。若干憂さ晴らしもあったかも知れない。散々苦しめられたロードサージェントへの当てつけのように建物を余計に破壊した。

「おい! なんだか人が来ねーじゃねーか! どういうことだ?」

「来ね—んじゃ無くていねーんだよ。ほとんどな。それにこれだけ爆発させてりゃ近づきたくても近づけないだろ! そりゃそりゃ! 俺はユナ以上にケチケチしねーぜ!」

 イレインは爆弾をばらまきながら高笑いで進んで行く。そして地下三階の崩れかけた床の上に立って立ち止まった。

「……ここだ」

 イレインはガードンを手招いてとなりに立たせる。

「もうここまで崩れりゃ後は楽勝だ。せーのでジャンプするぞ!」

「おいバカ! ユナが下にいるんだろ! 潰れちまったらどうすんだ!」

「バーカ。俺を誰だと思ってやがる。大丈夫あいつは潰れない! 行くぞ! せーのっ!」

 二人は同時にジャンプする。そして力強く痔面を踏みしめると、亀裂が音を立てながら走っていき、床が崩れだした。

「お、おい! そう言えば! お、俺達は大丈夫なんだよな?」

 イレインに不安そうな眼差しを向けるがイレインはあっけらかんと笑って舌を出した。

「あ、わり。見てねーわ」

「う、嘘だろ! い、今! 今直ぐ見てくれ! うお! うおわーー!」

 グザザザ! と音を立てて崩れる床とともに二人の体は一気に下降した。

 噴煙が立ちこめる。ガードンは瓦礫の上に倒れながら、少し体を打ったが何とか無事な自分の体を確認して安堵する。そして隣のイレインに視線を向けた。

 イレインは上手く着地して前方に手を伸ばしていた。

「イ、イレイン?」

 聞き覚えのある声がする。理知的で澄んだ声。イレインはその声に向かって笑いながら口を開いた。

「ユナ。助けにきたぜ」

「い、い、イレイン……イレイン!」

 噴煙が徐々に薄まり倒れ込んでいるユナの姿がハッキリと見えた。そしてユナも真っ直ぐイレインを見つめる。

 体を起こして歩み寄る。ユナは少し俯いていた。そしてイレインの前で立ち止まると右手を……握って思いっきりイレインの左頬にブチ込んだ。

 ————死ぬとこだったでしょーが—ー!

「あがーーーー!」

 イレインの悲鳴は地下を突き抜けてイストワールの空へと響きわたった。

 吹っ飛んでピクピクと動いているイレインを放っておいてガードンが声をかける。

「無事で良かった。ユナ」

「ガードンさん!? どうしてここへ?」

「詳しい説明は後だ。ただ、俺もあいつもお前を助ける為に来た。そしてお前は今から世界を救わなきゃならん」

「……わかりました」

「相変わらずの理解力だな。さてはもう当たりはつけてたな?」

「えぇ。確信は持てていませんが」

「いってて。ユナ。多分それ正解だ。信じたくねーがな」

 イレインが頬をさすりながら立ち上がり、覆面とバッグをユナに投げ渡す。それを受け取ると手早く腰につけて覆面を被った。

「行きましょう。ベールハイト博士のいる研究所へ」

 ユナの眼差しにはもう力が戻っていた。それを見てイレインは安心し、自分の頬を叩く。

「うっし! 行きますか!」

 三人は頷き合い、地上へと進みだした。崩れた瓦礫を器用に上っていくイレインが道を示して難なく一回へ戻るとガードンが立ち止まる。

「お前らはこれに乗って行け。俺は残る」

「ガードンさん。何を言ってるのよ?」

 ガードンは車のエンジンをかけると、荷台から木箱を取り出して中身をぶちまけた。中からは大量の果物と小型の爆薬が出てきた。

「俺はこいつで奴らの気を引く。まだ中に居ると思わせておくから、その間に二人は研究所へ行ってくれ。なーに。やばくなったら直ぐに降参するから安心しろ。奴らも騎士道があるから戦意を無くした奴を斬りつけたりしねーよ」

 ガードンは笑っていたがユナは踏ん切りがつかない。

「わかった。ガードン。これも使え」

「ちょ! ちょっとイレイン! 何すんのよ!」

 イレインはユナのバッグから数個の小玉を取り出して投げ渡す。さきほどから使用している小型爆弾だった。

「いいのか?」

「あぁ。まだいっぱい残ってるしな。それだけありゃ大分持たせる事が出来るだろ」

「おうよ! そしたら反対側でいっちょ暴れてくらぁ! 爆発音がなったらそれが合図だ。車を走らせてくれ。じゃあな。また会おうぜ! ユナ! イレイン!」

 ガードンは大量の爆弾を抱えて走り出した。ユナは深々と頭を下げてそれを見送った。イレインはユナの肩に手を置いて、戦友の背中をじっと見据えた。見えなくなるまでずっと。

 ほどなくしてけたたましい爆発音が鳴り響く。言われた通り、それを合図に車へ飛び乗って外へ出るとロードサージェントの姿は見えなかった。そしてまた爆発音が鳴り響く。ユナは音がする度に後ろを振り返ったが、イレインはハンドルをグッと握りしめてフルスロットルで車を走らせるとずっと前だけ向いていた。

「————やっぱり。そう言う事だったのね」

 車内でイレインが全貌を明かすとユナは目を瞑り溜め息をつく。考えついていたとは言え、確証を得てしまうとやはりつらかった。

「だから何とか出来るのはもうユナ。お前しかいねーんだ」

「一気に責任重大ね……やるしかないんだけど」

 作戦は決まっていた。エンバール夫妻とベールハイト博士を十五年間眠らせて、他の研究員にメモの予備を渡す。今だ自分の疑いが晴れていない以上、そうする他なかった。

「見えた。あれよ」

 ユナが指差したのはドーム状の建物。いかにも最新技術の粋が集結していると言った近代的なデザインをしていた。

 煙を吐き続け、悲鳴のような音を鳴らしていた車を止める。目の前にある目的地は何とも言えない雰囲気を放っていた。

「行くわよ」

 ユナが先導する。古巣の姿は郷愁感を覚えさせながらも忌まわしい記憶を同時に呼び覚ましていた。

「よし。離れて」

 ユナが爆弾をセットして距離を取る。中の構造も何処から何処へ人が動いて居るかもユナとイレインが組めば手に取るように分かっていた。

 爆発音共に警報が鳴り響く。二人は噴煙の中へ飛び込んだ。

「いい? イレイン。まずはエンバール夫妻。それからベールハイト博士よ。博士は大体いる場所が検討つくんだけどエンバールさんはわからないわ」

 走りながらユナが指示を出す。久しぶりに組んだタッグもブランクを感じさせないくらいに噛み合っていた。

「それなら見当はついてるよ。奴らは最下層にいる」

「そう。それなら好都合ね」

 ユナは隣で並走するイレインに視線を移す。

「ベールハイト博士も恐らく最下層にいるわ」

 二人は階段を駆け下りる。そして曲がり角でイレインがユナの手を引いて身を隠した。

「来る。研究員と……ロードサージェントだ」

 イレインは短剣を抜き、ユナはスリーピングフォレストを抜いた。

「ここから多分、何回も遭遇する。無駄打ちはするなよ」

「わかってるわよ。それにここの空調じゃ、小瓶に入れた簡易睡眠薬も使えそうにないわ。自滅の可能性が出て来る」

「わかった。極力俺が何とかするから。お前はもしものときの為に備えておいてくれ」

 ユナが頷くとイレインがカウントを始めた。

「三、二、一。行くぞ!」

 飛び出すと同時にイレインが短剣を走らせる。ロードサージェントは足を斬りつけられ倒れ込み、研究員は柄で首筋を打たれて気絶した。

「よし! 行くぞ!」

 ロードサージェントと違い、研究員は体が脆い上に甲冑を来ていない。斬りつけると何かの間違いが起こってしまいかねないので絶対に刃は向けられなかった。

 その後も幾度となく、ロードサージェント、そして研究員と遭遇した。ユナの出番はそこまで多くもなかったが、それでも限られた弾数はどんどん消費されていった。

 時折、研究員を説得しようと試みるが、取りつく島なんてあるはずも無くことごとく失敗に終わる。

 そうやって少しずつ時間を消費していくと非常警戒中の赤ランプがとうとう灯り始め、移動が更に困難になっていった。が、もとよりそれも想定内。そうなってしまったら心置きなく爆弾も内部で使い始める。もちろん目的はあくまで煽動。破壊はなるべくしたくはない。ここにしかない機材を傷つけないように、そして人を傷つけないように細心の注意を払って強度などを計算し、爆破していった。

 おかげで上手く混乱を招きながらどんどん階下へと進む事が出来た。最下層は地下十階。

 二人の作戦は順調に見えた。が、それも地下八階で阻止されてしまう。

 地下八階で彼らを待ち構えていたように立ちはだかった人物。それは。

「……レイゼル」

 イレインはユナを背後に隠れさせて短剣を構える。非常警戒のサイレンが鳴り響く中、レイゼルはいつもの笑みで短剣も抜かずに口を開いた。

「やぁイレイン。やはりここへ来たか。どうやらこの研究所にかけられた嫌疑は本当のようだね」

「どういう事だ。何を言ってやがる」

 レイゼルはキっと睨みつけるイレインを鼻で笑うと全く同じ長さの短剣を鞘から抜いた。

「しらばっくれるなよ。滅亡論信者が」

「ふざけんな! まだそんな事言ってがんのか!」

「ふん。ここへ来たのが何よりの証拠じゃないか。残念だよ。ユナ。やはり君もネルドゼストの一員だったんだね」

 レイゼルは腰を落とし構えを取る。

「ちょっとレイゼル! どうしてそうなるのよ!」

 レイゼルは対面で構えを取るイレインから眼を離さずにユナへと口を開いた。

「まったく君はどこまでも母親に似ているな。こんな宗教に入信する所まで似るなんてガッカリだよ。気に入ってたのに。だからせめて俺の手で殺してあげないとね」

「ふざけんな! そんなことさせるわけねーだろ!」

「不思議なことを言うね。君たちに取っては人は滅びるべき者なんだろう?」

「レイゼル! だからなんでそうなるのよ!」

 レイゼルは視線を動かさずゆっくり深く息を吸った。そして呼吸を止める。

「ここがネルドゼスト教のアジトだからさ」

 ————刹那。レイゼルが短剣を走らせる。勝負はその一瞬で決まるはずだった。圧倒的な力量差。加えて今回は最初から遊ぶ気など毛頭ない。イレインの体は後ろにいるユナもろとも真っ二つになっている。はずだった。

「あれ? イレイン。どうして生きているんだい?」

 レイゼルの短剣はイレインの短剣がしっかりと受け止めていて、走り抜けたと思った体は目の前で止まって気付けば鍔迫り合いになっていた。

「もしかして腕上げた? こんな短期間で腕上げるなんてやっぱりグレイヤードの血を引く者だね。それとも想像を絶する修行でもつんだのかな?」

「は! そんな必要ねーよ! もう手加減は辞めただけだ!」

「ヘー言うじゃん!」

 レイゼルはイレインの力の反動を利用して後ろへ跳んで距離を取ると、もう一度構え直す。

「でも、次はまぐれじゃ止められないよ」

「試してみろよ」

「ふふふ。おっと!」

 レイゼルは首を傾けて飛んできた弾丸をスレスレで躱す。後ろからスリーピングフォレストを構えているユナはもう片方で今度は体の中心を狙った。

 カキン! と目に求まらぬ早さで短剣が走り、弾丸は弾かれてしまう。

「もうその手は食わないよ。不意打ちは一回だけしか有効じゃない。黙ってみててくれ。直ぐに勝負は決まる。そしたら直ぐに君の相手をしてあげるから」

「何言ってんだ。次で終わるのは正解だが、それはお前の負けでおしまいだよ」

「また自慢の確率かい? だからそれは経験則だって何度も……」

「ちげーよ!」

「何?」

 レイゼルの眉がピクッと動く。イレインは不適な笑みを浮かべて更に腰を落とした。

「俺はもうお前と戦う時に確率なんて見てねー。お前には直感でやった方が良いみたいだからな。兄弟の波長っつーのかな。まったく嫌な感覚だけどよ」

「こっちのセリフだよ。本当に」

「ま、理由は後もう一つあるんだけどよ」

「へー? 何だい?」

「……次の一撃で分かるよ」

 イレインの表情から笑みが消える。真っ直ぐ見据えるレイゼルの金色の眼に照準を合わせて大きく息を吐いた。

 ————っ!!

「う……嘘だろ?」

 レイゼルは瞬きもしていない。しかし、気付いたら目の前にイレインの姿は無く、姿を曝け出したユナが自分の後方に視線を向けていた。

 途端に全身へ激痛が走る。無数に切り裂かれた傷から血が噴き出してレイゼルは体から力が一気に抜けていき、血だまりに倒れ込んだ。

「な……何で?」

 イレインは短剣を振って血を払う。その後ろ姿に懐かしい父の姿がフィードバックした。

 短剣をしまって振り返ると、ようやくそれがイレインだと再認識する。ツカツカと歩み寄る弟。しかし、体には力が入らない。どうやら一気に血が流れ出てしまったらしい。

「レイゼル。この前、お前と戦って負けて思い出したんだよ。父さんの言ってた言葉」

イレインはレイゼルの顔を覗く。その顔は勝ったと言うのにどこか悲しげだった。

「全てを捨てろ。守るべき者も感情も何もかも。殺気も騎士道も全て必要ない。そしてそれら全て捨てて空っぽになった時。この短剣は何よりも早く走っていく」

 大嫌いな言葉だった。とイレインは呟く。レイゼルは力なく笑った。

「はは……は……何だよそれ。そんなの俺には教えてくれなかったぞ……」

「お前には無理だ。その狂気を捨てるなんてできっこねーだろ」

「そりゃそーだ……くっそ。まさか弟に負けちゃうなんてな。まぁこんな死に方も俺らしいか……」

「らしくありません!」

「な、何を……?」

 血だまりに跪いてユナが自分の覆面を脱いで止血帯を作る。そしてバッグの中からあの日、病院で拝借した血を流し過ぎたイレインの処置に使った薬の余りをレイゼルに使い始めた。

「ユ……ユナ? 何……やってるんだい?」

「見りゃわかんでしょ! 治療よ治療! あんたもホントバカね! 弟もバカなら兄もバカ! バカバカバカバカ! バカ兄弟! 兄弟で殺し合いなんかしてんじゃないわよ! 残された立った一人の肉親なんでしょ? それを殺すだなんてホント頭悪すぎ!」

 ユナはまるでイレインに対するような態度でレイゼルをなじった。

「ちょ……ちょっと……それは言い過ぎなんじゃ?」

「何が言い過ぎよ! バカよバカ! 超ど級のバカ!」

「ほんと。レイゼル。お前はバ……」

「あんたもよ!」

 ユナは呑気に頭の後ろで手を組んで笑っているイレインを怒鳴りつける。

「こんなのどう見たってやり過ぎよ! 確かにやらなきゃやられていたかもしれないけど。どうしてイレインもレイゼルも他の道を探さないのよ。勝手に可能性を潰してどうすんのよ。自分が自分を信じないでどうすんのよ。出来るわよ。あなた達なら。きっと仲直り……」

 あーもう! 終わり! と処置を終えてレイゼルの胸を叩く。その目にはうっすらと涙が溜まっていた。

「行くわよイレイン。途中でロードサージェントに会ったら救助するように言うつもりだけど、きっと勝手に来るわよね。こんな事態だし。あ、あとこれ。あなたに託すわ」

 ユナはバッグからメモを取り出し、レイゼルの側に置いた。レイゼルは顔を傾けてそのメモを訝しげに見る。

「これは……何?」

「エルフウイルスの詳細と特効薬の精製法よ」

 レイゼルはバッと視線をユナへと移す。ユナは力強い瞳でレイゼルの金色の眼と視線を交わらせた。

「私は滅亡論信者じゃない。だから絶対に命を軽々しく扱わない。だからあなただって誰だって助けてみせる。この世界だってきっと助けてみせる。まぁ。私もあなたに命を救われてる訳だし。そのお礼もあるけど。だから……」

 ————信じてるわよ。レイゼル。

 ユナはそう言って走り去った。イレインはその後を追いながら一度振り返り舌を出してまた向き直り、二人とも姿を消した。レイゼルはつい吹き出してしまう。おかしくてたまらない。これは何て言う気持ちなのだろう。懐かしいような初めて感じるような気持ち。何だか嬉しさが心を満たしていく感じ。でも、決して悪くはなかった。

「そうか。ユナ。僕はもしかして君の事……」

 そう呟いた所で部下である四番帯のロードサージェントが駆けつける。肩を貸されその場を後にする姿が客観的に見れない程情けなく感じて、この場にユナがいなくて良かったと思った。右手に託されたメモを握りしめ、心底そう思った。


 イレインとユナはとうとう最下層、地下十階に辿り着く。イレインは歩を緩めてじっくりと廊下を進みながら、ユナに問いかけた。

「なぁホントにあいつなんかに渡して良かったのか?」

 ユナは微笑んで頷いた。

「うん。大丈夫。きっと彼ならちゃんとやってくれるわ」

 イレインは心の奥で何かがチクッと刺さった。良く分からない感覚だったが、あまり気持ちのいいものではなかった。

「しかし、レイゼルの言う事が本当なら大分ヤバいぜこの研究所。つまり研究員全員ネルドゼストの奴らなんだろ? お前良く平気だったな」

「私だって驚いてるわよ。誰一人そんな素振り見せなかったもの。って言っても私ほとんど自分の研究に没頭してたからベールハイト博士くらいしかまともに話さなかったけどね」

「どんな待遇だよそれ」

「さぁ? 天才だから?」

 イレインは呆れたといった仕草で手の平を上に上げると、急にユナの背中を思いっきり押して前に飛ばす。

「わ! ちょっ————」

 ユナの「何すんのよ!」は響かなかった。

 言葉自体も放てたか定かではない。

 前に押し飛ばされたユナが振り返ると同時に目の前がとてつもない爆発音とともに崩れさった。

 爆風に吹き飛ばされたユナが体を起こして炎が舞い上がり崩れた瓦礫の山で見えなくなった向こう側に呼びかける。

「嘘でしょ……イレイン! イレイン! イレイーーーン! ねぇ嘘でしょ! 返事して! ねぇ! イレイン! ねぇったら! イレイン!」

 ……返事は返って来ない。

「そうだ! バッグ! 爆弾で瓦礫を上手く吹き飛ばせば!」

 ユナは腰に手を当てる。

 ……ない。

「え? 今の爆風で飛んじゃったの? ちょっと!」

 必死に探すと壁際に留め具がちぎれたバッグが見つかった。が、ユナはそれを取りに行かずに一瞬で体を起こし、前方へ飛び込むように走り出した。

 途端に巻き起こる爆発。見つけた時、既にバッグは炎に包まれていた。

 いよいよ完全に道が塞がれてしまった。戻る術はもうない。ここまで距離が離れてしまえば、声も届かないだろう。ユナにはもう無事を知らせる術も無事を確認する術もなかった。

「いや、ある……コントロールルーム!」

 ユナは走り出した。爆風で強く打ち付けたのだろう。一歩踏み出す度に全身へ痛みが走ったが、足を止めて入られない。目指すは研究所の中枢。ベールハイト博士がいるであろうコントロールルーム。そこにいって緊急災害装置を手動で作動させれば何とか出来るかも知れない。恐らく今は博士が手動に切り替えて止めているはずだ。でなければこれだけの事があって作動しない訳がない。ユナは長い廊下を体に鞭打って必死に走る。

 もうすぐ……もうすぐ……待っててイレイン。絶対に助けるから!

 ユナは一際大きな扉の横にある装置のパスコードを打ち込む。周期的に変わる二十桁の暗証番号もその規則性は全て頭に入っていた。

 大きな音を立てて扉が開く。サイレンがけたたましくなって赤いランプがずっと点灯している広い部屋の中央に昔の恩師の姿があった。

「おやおや。久しぶりだねユナ君」

 白衣を着た老人はボロボロのユナを見てとても嬉しそうに両手を広げた。

「ベールハイト博士……もう全部お見通しですよ。全てはあなたが仕組んだ事だったんですね」

 ユナはスリーピングフォレストを構える。ベールハイトは満足そうに頷くと手を戻して後ろにあった椅子に腰掛けた。

「本当に。随分逞しくなったもんだね。私は嬉しいよ」

「ふざけないでください! 全て話してもらいますからね!」

 ユナの両手が震える。腕を上げているだけでも間接に痛みが走っていた。ベールハイトはその姿を笑って見つめながら細かく頷く。

「そして全てを聞いたらそれで私を打つのかい?」

「そうです」

「それでどうする?」

「世界を救います」

 ベールハイトは睨み続けるユナを侮蔑するように笑って、机にあるスイッチを押した。すると前方に設置された巨大モニターに映像が流れ始める。

「こ……これは」

「君の知らない国での出来事だよ。君が救おうとしている世界で行われている事だ。人の争い。町の争い。国の争い。利益を貪り。資源を貪り。ただ消費していく。自分勝手な生き物だ人間てのは。それでいて当たり前のように数を増やして繁殖し続ける。自ら争いを起こし、他の物を傷つけても見向きもせず自分達しか見ていない。ユナ君。君は言ったね? このままいけば負のエネルギーが膨らんで未曾有の大災害になると」

 ユナは巨大モニターから目が離せない。ベールハイトはその姿を嬉しそうに眺めながら話を続けた。

「それで良いと思わないか? それこそ自然の摂理だ。私たちは病原菌。ウイルスなんだよ。この地球と言う一つの生命体にとってのね。だから淘汰されるべきなんだ。母なる地球を健康に戻さなきゃいけない。例え、それが他の動植物を巻き添えにしようともね。なぁに心配はいらないよ。地球は生きているんだ。だから自分で回復出来る。願わくばもう二度と人間なんていうウイルスに蝕まれないで欲しいがね。そればっかりは私にはわからない」

 ユナは歯を食いしばる。そしてスリーピングフォレストを下ろし、俯いた。

「だから……エルフウイルスを作ったんですか?」

「ご名答。流石ユナ君だ」

「だから……アリサを殺したんですか?」

「まぁ遅かれ早かれ死ぬんだからいいだろう。エンバール君達も喜んで協力してくれたよ」

「エンバール夫妻は……どこに?」

「死んだよ」

 ユナは顔を上げる。ベールハイトはさして興味もなさそうに足を組み直して話した。

「つい、今しがたね。さっきの爆発。あれが最後の仕事だ。彼らも死にたがっていたしね。特に戻ってきてからはそれが顕著に現れていたもんだから引き止めるのに苦労したよ。死ぬならせめて有効に使わないとね。聞けばユナ君。どうだったかい? 優秀なパートナーの最後は? 突然だったから別れも言えなかっただろうが。ちゃんと死に際を見てあげたかい?」

「あなたは……あなたって人は!」

 ユナはスリーピングフォレストを再度ベールハイトに向ける。その瞳から惜しげも無く涙を流しながら。

「おや? どうして涙なんか流すんだい? 大丈夫。君ももう助からん。この爆発じゃ逃げ道もないからね」

「信じてたのに! 信じてたのに! 信じてたのに!」

 ユナはグシャグシャに泣きながら吐き捨てる。だが、ベールハイトには全く伝わっていなかった。

「信じてた? 一体何をだい?」

「あなたは……あなたは私を! 私の研究を信じてくれた! それに世界中から追われた私を助けてくれた! なのに! なのにどうして!」

 とうとうユナの背後、コントロールルームまで火が近づいてきていた。ここは研究所の要であるため火の回りは遅いが、それでもそのまま放っておけばここも危ない。でもベールハイトは全く動じずに淡々と懐かしむように話を始めた。

「君はねぇ。天才だったからねぇ。私が羨む程の。そして嫉妬に狂う程の。だから君の研究が導きだした答えを見た時に閃いたんだよ。私の欲を全て満たす方法をね。おかしいと思わなかったかい? かつては世界中で有名な天才と名を馳せた研究が何故、頭ごなしに否定されて果ては詐欺師のレッテルまで張られたのか」

「まさか……それも!」

「その通りだ。と言っても我々はちょっとキッカケを作って種火を放っただけだがね。傑作だったよ! 君の顔がみるみる苦痛に歪んで絶望に堕ちていく姿は! 愛おしくて仕方がなかった! 君の脆さは美しさだ! 私はそれを愛でていたんだよ。それともう一つ。何故生かしておいたか。だったよね? それはね。私は君が欲しかったんだ。君のその頭脳がね。是非とも私が作り上げたこのネルドゼスト教の跡を継いでもらいたくてね。私ももう長くないだろうから。君には人間の心の裏にある残虐性を肌で感じて欲しかった。正当な事を言っているのに虐げられ、追われて君には人間に対して絶望して欲しかったんだよ。そして計算ではそうなるはずだった。君の脆さを考慮して。だがね。しかし。現実は違った。君は立ち上がってしまた。強く、逞しくなってしまった。こんなはずじゃなかったんだよ。何があったかは知らないが君は変わった。だから開発途中だったエルフウイルス計画を実行に移したのさ。しかし、驚いたよ。そこでも計算違いが起こるなんて思いもしなかった。まさか君が一週間もしないうちに特効薬を作ってしまうなんてね。その精製方法もほぼ完璧だ。君の才能は本当に天井知らずだね。それよりもその優秀な助手とやらが案外キーマンだったのかな?」

 ベールハイトは何かを含んだように笑う。その悪意に満ち満ちた笑顔はレイゼルのような狂気を孕んではいなく、ただ純巣に「悪」だった。

「あなたは……何で? ……どうして?」

 ベールハイトは再び立ち上がる。そして首を傾げてユナの顔を伺った。

「君はどうしてそんなになってもまだ信じようとするんだい? 今まで見てきただろ? 勝手な情報を信じて君の事を全く信用しない人間どもを。味方なんて一人もいなかったはずだ。君の正体を知ったものはみんな悪意に満ちた表情で君を罵っただろう? 傷つけただろう?」

 ユナは首を大きく横に振る。

「いたわ! 最初からずっと私を信じてくれていた人が!」

「噂の優秀な助手かい?」

「彼だけじゃない!」

「おや? そんな情報は入っていないはずだがね?」

「そりゃそうよ。ずっと黙っていたんだもの。誰にも言わずに心の奥底で信じてくれていたんだもの。親にも言わずにね!」

「親にも……さてはエンバールの娘か」

 ベールハイトは「意外」といった表情で手を叩いた。

 ユナはあの日、最後に話をした夜を思い出す。

 呼び止められた時。たった一つの願いをユナは受け入れた。

 ————素顔を見せて?

 ユナは再三迷ったが、遂には諦めて素顔を晒した。緊張で顔がこわばったが、その顔を見てアリサは満面の笑みを浮かべてこう言った。

「やっぱり! だと思ったんだ!」

 アリサは最初から気付いていた。そして、その病室でユナの唱えた世界滅亡が迫っているという説を信じている事。誰にも言えなかったが、自分には分かっていたと。ユナの目は嘘なんかついていない。純粋に人々を救おうとしている人の目だと。初めて理屈じゃなくそう思えた人。だから憧れた。頭脳だけじゃなく、いつか自分もこの人のように純粋にただ人を救う為に生きられるような人間になりたい。ずっとそう思っていた事。そしてそれは今でも変わらず、これからも変わらない事。そしてユナはアリサと約束を交わした。

 ————これからも変わらない。目標であり続ける事を。

「あなたは! あなたは私の大切な仲間を二人も奪った!」

 ユナはスリーピングフォレストを握りしめ直す。そして照準を定めた。

「さようならベールハイト博士。世界を救ったらまた会いましょう」

 ユナは引き金を引く。

 カチッ!

 だが、スリーピングフォレストから弾が発射される事はなかった。

 弾切れ? 嘘? そうだ! あの時、レイゼルに打ってから弾を補充していない!

 バッグは……もうない。

「なんだ君にも運がないね。いや、私に運が向いていると言う事かな?」

 ベールハイトはにんまりと笑って徐々に炎に包まれるコントロールルームを見渡した。

「まぁこれで目的は達成した。不安要素となった君はここで死ぬ。それで十分だ。処刑なんかではなくこうして一緒に死ねるなんてご褒美付きでね」

 君も座りたまえ。とベールハイトは再び椅子に腰掛ける。

「もう逃げ場はない。ここまで来てしまったら……ね。災害装置も役には立たんだろう」

「……誰が」

「ん? 何か言ったかい?」

「誰が……あんたなんかと!」

 ユナは白銀の銃を捨てて、腰から一つの銃を取り出した。

 その銃はスリーピングフォレストとは違う。金色の銃。まるでイレインの眼のように輝く黄金の銃だった。

「おや? ローードサージェントの情報を盗聴した時は白銀の麻酔銃が二丁と言っていたが?」

 ユナは金色の銃を両手で支える。しかし、その手はさっきよりも震えていた。銃の重さは変わらない。ならば両手で支えている今の方が負担は軽いはずだ。しかし、問題はそこではなかった。

 その銃は装填一発のみ。ただ、弾は実弾だった。

「これを使う日が来るなんてね。思わなかったわ」

「ユナ君。随分震えているね。もしやそれは君の知らない世界への扉を開ける鍵なんじゃないかね? そう……例えば。人殺しの世界へ……とか」

 ベールハイトは飛び跳ねるように立ち上がってユナの方へと歩み寄った。

「いいよ! すごくいい! 君に殺されるなんて最高の結末だ! さぁ殺しておくれ。私が君の扉を開けるキッカケになるのであればそれは本望だ。見た所君はやはり弱い。逞しくなったと言うのは思い違いだったようだ。さぁさぁ早く。引き金を引いてこの心臓を撃ち抜いてくれ。そしてその血塗られた手で世界を救うなどと言う矛盾に死ぬまで苦しむと良い。あぁ……惜しいのはその顔が見れない事だ。こうやって想像する事しか出来ない。それだけでも胸が高鳴ると言うのに。誠に残念だよ。さぁ。いいんだよ。私は君の大切な人を二人も奪ったんだ。さぁ早く殺しておくれ……」

「おーい。勝手に殺すなー」

「な! 何だ貴様は!」

 ユナ越しにベールハイトはヒドく動揺した視線を向けているユナはその声の主を知っていた。近寄って来る足音。バチバチと音を立てて燃え盛る炎の音に紛れても聞き分けられた。

 振り向かずともわかる。大事な大切なパートナーの声。シリアスな場面に似つかわしくない気の抜けた声。そして時々踵を擦ってしまう変わった足音。

「初対面でわりーけど。あんた天才じゃねーわ。俺わかるんだよ本物の天才とタッグ組んでるからよ。それとな計算違い多すぎ。そんだけ間違えてたらもうバカでしょ。俺のパートナーに言わせりゃ超ど級のバカって奴だな」

「そうか……お前がユナ君の優秀な助手……!」

 イレインはユナの手から金色の銃を奪い取る。ユナは横に立ったパートナーの、イレインの顔を見つめた。

「わり。遅くなった」

 悪びれもせずニッコリ笑うとユナの目からまた止まっていた涙が溢れ出す。

「い、い、イレ……イン。あんたそれ……」

「あぁ。これ? ちょっと流石にヤバかったぜ。俺の類い稀なる反応速度がなければ死んでたな」

 イレインの体はボロボロだった。特に脇腹からはおびだたしい血が滴っていた。

「心配すんなよ。そんな顔すんな。大丈夫だから。後な。お前はこんなもん使うな。お前の手は人を傷つける為にあるんじゃない。傷ついた人に差し伸べる為にあるんだ。わかった?」

 イレインがユナの手の平に銃を返すと、小さく頷いた。

「よろしい」

 イレインは笑ってユナの頭をポンと叩くとベールハイトの元へ歩み寄る。

「さーて。よくも散々やってくれたな。罪はしっかり償ってもらうぜ?」

「ふん! 何を今更! もう運命は変わらん! 私たちはみんなここでみんな死ぬ! 人類は滅亡する! 神は私に味方している!」

 後ずさりしながらベールハイトは引きつった顔で笑う。明らかな重傷を負っているイレインが近づいて来るのが理解出来なかった。目視しただけでもおよそ歩けるような怪我ではない。しかし、その男はゆっくり、でも確実に近づいてきた。

「運命は変わらない? 神は味方している? 人類は滅亡する? 俺達はここで死ぬ?」

 イレインは鼻で笑った。そしてベールハイトの目の前に立つ。

「それぜーんぶ間違ってるよ」

「ななな! 何だと!」

「第一、もう特効薬の精製法はロードサージェントから世界に行き渡る寸前だし。もうこれで人類は滅亡しないし、神は味方してないし、運命は変わったろ? それに……」

 イレインはポケットから小瓶を取り出す。

「俺達は……スッゲー腹立つけどお前も含めてまだ死なない。死なせない。だから世界は終わらない。はい。ここで問題です」

 イレインは小瓶の蓋を開けてベールハイトの顔の前に差し出す。

「これなーんだ?」

 ユナはそれを見て驚愕する。まさか、あの一瞬でバッグから抜き取ったと言うのか?

 イレインの手にある小瓶。それはユナのバッグの中にあった十五年眠らせる睡眠薬だった。

 ドサッ!

 ベールハイトは答えも言わないまま、その場に倒れ込む。

「おいユナ。これ効き目あり過ぎだぜ? 鼻に近づけただけで倒れやがったぜ?」

 イレインは小瓶に蓋をしてユナに投げる。ユナは両手でそれをキャッチして微笑んだ。

「バーカ。あんたの手が震えて舞い上がったんでしょ」

 涙を拭ってユナはイレインの背中に飛びついた。

「良かった……良かった……生きてた……イレイン……」

 イレインは背中から抱きつかれたまま体を硬直させる。背中に呟きかけるユナはイレインの鼓動なんて全く気付かず、その腕に力を込めた。

「あいだだだだだ!」

「あ! あー! ごめん!」

 パッと離れるユナ。本当はそこまで痛みを感じられる程、感覚は残っていなかった。

「とにかく。脱出だ。ユナ。すまねーがこのじいさん運んでくれるか?」

 イレインが視線を下に移すと、つい今まで倒れていたはずのベールハイトの姿がなかった。

「あ、あれ? じいさんが消えた?」

「ちょちょちょっと! イレイン! あれ!」

 ユナが部屋の隅を指差す。そこには不適に笑うベールハイトの姿があった。

「野郎! 寝たフリしやがったか!」

「ぎゃははははは! こんな古典的な手もこういった特殊状況下だとこうかがあるようだねぇ! 君たちのが使う睡眠薬の情報は掴んでいたんだよ! 残念ながら成分までは分析できなかったがね! ユナ君。君はやはり天才だ。惜しいねぇ。こんな形で死を迎えさせるのが」

 ベールハイトは机の隅に設けられたスイッチのクリアケースを外してニンマリと笑った。

「……さよならだ」

 ベールハイトはそのスイッチを押す。その僅かコンマ数秒前にイレインはユナを抱きかかえて机の下に潜った。

 炸裂音とともに閃光が走る。


 ————本当に一瞬だった。


 一瞬でほとんどのものは焼けこげて火は辺り一面に広がっていた。

 ベールハイトは二人を道連れに自殺を図ったのだ。

「くそ! あの野郎やりやがったな! っつ!」

 イレインの顔が苦痛に歪む。幸い、イレインが切り替えて先読みしたおかげで二人にはさほど被害はない。ただ、イレインは傷口からさっきよりも血が流れ出し、少しだけ視界がぼやけ始めていた。

「イレイン! ちょっと! ダメよ! 動いたら!」

 イレインはフラフラになりながら立ち上がる。弱々しくもユナには笑ってみせた。

「へーきだって……こんくらい。それより早いとこ脱出するぞ。でもごめん肩貸して」

 ユナはイレインの腕を自分の肩に回して支えた。そして部屋を見回す。

 回りはもう火の海だった。徐々に建物も崩れ始めていて、あちらこちらで上から照明や天井のコーティングなどが剥がれて落ちて来る。

「イレイン。こんなの無理じゃない?」

 ユナはイレインを支えながら冷静に自分達が置かれている状況を分析した。ここが火の海なら部屋の外はもっとひどいはずだ。地下十階であるここから抜け出せる術など到底ないように思えた。しかし、イレインはあっけらかんと笑う。

「大丈夫。俺達は助かるよ。生きて帰れる」

「これを見て良くそんな事言えるわね」

「ばーか。俺はな……」

 イレインは真っ直ぐ前に向き直る。

「確率が見えるんだ」

「へー。そうなの? じゃあ私たちが生還出来る確率は何パーセントなのかしら?」

 ユナも前へ向き直る。火の壁に囲まれたこの部屋はキシキシと音を立て始めている。

 もう、間もなく崩れ去るだろう。

 イレインは微笑んだ。

「百。百パーセントだ!」

「あらすごい! じゃあ確実ね!」

 二人は笑う。回りがどんどん崩れ始めてきた。ユナはイレインを支えながら共に歩き出す。少し俯き加減で、でも微笑みながら。

 (ばーか。百パーセントなんて見えないくせに)

 心の中で呟きながらくすくす笑う。何故だか不安はなかった。イレインの言う百パーセントがこんなにも心強く安心させてくれるなんて思いもしなかった。

 ————確率が見えるんだ。

 イレインと初めて出会った時の言葉。ひょうひょうと現れていきなりそんな事言いだすものだからユナは最初、こいつこそペテン師だろと疑って止まなかった。

 そして、後にユナがイレインにかけた言葉。

 ————確率が全てじゃないわよ。それを肝に銘じる事!

 イレインの能力を解明しようと躍起になっていた頃、あまりにも確率に基づいた行動をとるので苛立って叱りつけるようにかけた言葉。

 それを思い出した。

 その通りだ。彼は確率が見えて、でもそれが全てじゃなくて。世界には色んな偶然があって色んな気持ちがあふれていて相容れなかったり時には反発し合ったりするけれど。

 それが全て奇跡のようなものなんだ。

 だからきっと奇跡は起こる。まずは信じて一歩を踏み出さないと、その可能性を潰してしまう事になる。起こりうる奇跡を自分の手で消さないように。まずは一歩。

 そう可能性はいつだってそこにあって、それは無限大に広がっているんだ。

 ユナは死の淵に立ち、穏やかな心でそれを悟った。決して最後まで諦めない。

 最後の最後まで自分の信念を貫いた。

「ねぇイレイン?」

「んー?」

「帰ったら私、死ぬ程食べて死ぬ程寝るわ」

「ははは! そりゃいい! 俺もそうするかな」

「あんたは病院」

「はいはい……」

 二人の姿は崩れゆく建物の中、火の海の中へ消えていった————。


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