第五章 発覚
ザイバルは日ごとに姿を変えていった。アリサと言う町でも一番有名な少女の死はそれだけでも十分な衝撃だったであろう。しかし、人々の関心はそれよりも少女を死に招き入れた未知のウイルスにあった。
国からロードサージェント伝いに敷いた箝口令も完璧な抑止力を持たない。人の口には戸を立てられず、噂は尾ひれをつけてひとりでに泳いでいってしまう。根も葉もない話を信じてしまう人々を見た国は結局、箝口令を解き正式にウイルスの存在を認めて詳細を発表した。
発表したと言っても、ほとんど謎のままといった内容なのだから人々の不安を逆に煽ってしまいロードサージェント総出で処理に当たる事となった。
敢えて言うなら選択に間違いはない。むしろ正解がないのだ。ただ、後手後手に回る対策はこのような結果を招いてしまった。
町から町へ行くのにも数々のチェックを通らなければならず、情報は錯綜する。ただ一つの希望はいつか出来るであろう特効薬の存在だけだった。まだ世界にはあの世界的な天才ベールハイトがいる。彼の存在がギリギリで人々の精神を保っていた。
それでもその希望も疑う者や、最悪のタイミング、運命のイタズラで離ればなれになってしまった親子や友人、恋人に会いに行く者は少なくない。様々な理由で正式な手順では到底、町を出られない者の中にもこういった人はいる。事実、密入者は後を絶たなかった。
勿論、ほとんどロードサージェントに捕まったが極わずかながら成功を収めた者もいた。
イレインもその一人だった。ただ、彼には命からがら成功した者のような苦労はそこまでなかったが。
「……くそっ。アリサの両親はどうしちまったんだ」
小高い丘から町を見下ろし、覆面をした少年は舌打ちをした。その覆面は自分の為に犠牲になったパートナーであるユナのもの。イレインはレイゼルの部下が自分を捜している事を察知して覆面で顔を隠し、距離を取りながら町から町へと移動していた。
その道中で仕入れた望遠鏡を腰につけたバッグから取り出し、町の動きを確かめる。
「ここは……四番隊じゃねーか。よし九番なら大丈夫そうだな」
望遠鏡をしまい、町へ下りる。ユナと別れてから早一ヶ月が経った。その間、イレインは約束通り小さな出来事でもしっかりと阻止してきた。町のパニックを止める事は出来ずとも、始まりかけの悪事は何とか止められた。あの日、ユナが覆面と共に置いていったバッグの中にあった睡眠薬が役に立った。しかし、時折やむを得ず荒々しい解決の仕方をとる事もあった。
そんな時はつい「ユナが居たら……」なんて思ってしまった。天才的な頭脳なんか持ち合わせていないイレインには確率が見えても、効率良く使い、それに沿った無駄のない作戦なんて考えもつかなかった。
「これ一つちょーだい」
イレインは町中で見つけた露店から赤い果実を一つ買う。二、三度空中に放っておもむろに齧ると刺すような酸味の後にとろけるような甘みが広がった。
「この町も、もう何も起きなさそうだな……」
一ヶ月も立つとロードサージェントの連携がしっかりと働き、悪事を働こうとする者はほとんど粛正されてしまった。おかげでイレインはこの町でもう三つ目の空振りを食らっていた。
「まぁ良い事なんだろうけどよ……俺もサボれるし」
言葉とは裏腹にイレインの心は全く弾んでいない。あれから一人言が多くなった。いつもならあるはずのユナによる手荒な返事がないからだ。それでも、イレインは変わらず話し続けた。
あれから処刑の報道はされていない。捕まってから一ヶ月も立つ。日程は決まっていない。
と言う事は。ユナの言う通りどこかに幽閉されているはずだ。だとしたら助けに行ける。
慎重に町を移動しながらイレインは変わらずに、変えずにいようと決めていた。
また会えた時にすぐいつも通りのやり取りを出来るように。
————この町での拠点となる小さな宿でイレインはようやく覆面を脱ぐ。
近頃はユナの気持ちが良く分かった。コソコソと生きていかなければならないツラさはきっと今の自分以上のものだったであろうけれど。
「……次はどっちに行くかだな」
テーブルに地図を広げて確率を計る。少しずつ国の中心であるイストワールに近づいていた。
そこにはロードサージェント本部がある。そしてベールハイト博士のいる研究所がある。
イレインはもう分かっていた。確信を持っていた。
ユナはロードサージェント本部にいる。
そして、何故か特効薬の存在を発表しないエンバール夫妻はベールハイト博士の研究所にいる。ウイルスの研究を任されているあの研究所に。
イレインはユナを救出するため、そしてエンバールの身に何があったのかを確かめる為にイストワールへと向かっていた。
「もうしばらく事件も起きそうもないし、ここは近い方を選ぶか。こっちから行けば半月もあれば着ける。でも……二番と四番なんだよなぁ」
遭遇せざるを得ないロードサージェントの存在が頭を悩ませる。一番はもちろんイストワールの周辺を包囲している。四番隊はその道中で会うが、レイゼルはいそうにない。奴は恐らく本部にいる。何を企んでいるのか知らないが、いる事はもう調べがついていた。
本部に戻る確率がずっと読めないからだ。そういった読み方はユナに教わったもの。時間はかかったが、それでもちゃんと活用出来ているのが少しだけ嬉しかった。
行き先を決めて明日の朝には旅立つ事にする。
一人の夜はもう一ヶ月以上過ごしている。ユナと出会う前にも過ごしていたのだが、もうどうやって過ごしていたかも良く思い出せない。確かに在ったはずなのにまるで幻だったかのように曖昧だった。
————翌朝。
まだ町が目を覚ます前にイレインは覆面を被り、外へ出る。夜明けの太陽は夜を連れてきたのか夜とともに去ろうとしているのか。暗く明るく、どっちつかずの世界を駆けて行く。
タイミングもルートも変更はない。これならいつも以上に苦労せずに町を渡れる。
イレインは一人、姿を隠しながらまるでこの町にいなかったかのように姿を消した————。
数日後、イレインはガタガタと揺れる列車の中で貨物と共に町を目指していた。
交通手段は断たれていたが、こういった貨物運搬の車や列車は動いていた為、入り込んでしまえば町まで一本道だった。入り込めれば、の話だが。
寝心地の悪い板張りで、樽や木箱と檻に入れられたニワトリと共に一日を過ごしていた。
「あー……うるせぇ」
明け方になるとニワトリ達はけたたましく鳴き始める。浅い眠りから覚めて不機嫌なイレインは元気よく檻を突つくニワトリを食べてしまいたかったが、調理器具もないので断念した。
町まではあと一日かかる。それまではノンストップのため、見つかる可能性は低い。それに侵入経路もしっかり定めてあったので心配はなほとんどなかった。問題は町に入ってからだ。
その町は二番隊が包囲している場所で、一番隊のいるイストワールに侵入するのと同等なくらいにそこから出るのも一苦労しそうだった。
そして四番隊の居る町を抜けてイストワールへと侵入する。そこから更にロードサージェントの本部に侵入しなくてはいけないのだから骨が折れる。
とは言え、文句を居ていられないのも事実。もう向かってしまっているのだから後戻りは出来ない。町に侵入する他ないのだ。
イレインはもう一度地図を広げてルートを確認した。
「ったく。エンバール達が薬を公表してくれてさえいれば、町に入るだけでこんなに苦労しねーのに。ホント一体何やってんだよあいつら。結局俺達を信用してなかったって事なのか?」
確率を見ながら地図を指でなぞって溜め息をつく。やはり町に入れはするものの、出るのには困難が伴いそうだった。
二番隊と相対するのは初めてだ。今の二番隊隊長がどんな人物かは知らないが、あのレイゼルが四番隊なのだからきっと相当な腕の持ち主であるのは明白。唯一、幸運なのは彼らが騎士軍だと言う事。騎士道に則った彼らの隊長はみな武器が似ていた。それは『剣』だ。
レイゼルが短剣。他にもダガーや大剣、二刀流の者もいるらしい。他にも変則的な剣を持つ者がいるそうだが、剣には変わりない。つまりは近づかなければ良いのだ。
目的はあくまでユナの救出とエンバール夫妻の捜索。ロードサージェントとは関わらないで済むのならその方が良い。
イレインは直前まで綿密に確率を見ながら翌日になってようやく行動に出た。
壁をよじ登り、天井にある非常点検口から上半身を外へ出す。
「おー! 絶景絶景!」
頭上から何処までも広がる青の下に広大な緑の野。その先に小さく町が見えた。
その町こそが最初の目的地、二番隊が包囲しているアーレンだ。
イレインは覆面を脱ぎ、しばし外の新鮮な風に洗われる。体を全て外に出すと何となく屋根の上で仰向けに転がり空を見上げてみた。
列車のスピードが全く感じられないジワリジワリと動いていく雲。気持ちのいい風が体を起こしてくれる。
「よっしゃ。行くか」
イレインは体を起こし、最後尾へ屋根伝いに渡る。長い連結の先まで行くと、遥か先にゆるりと弧を描いて線路を進む先頭が見えた。
イレインは数を呟きながら、最後方を壁伝いに下りる。そしてそこから斜めに飛び下りると、丁度良く藁葺きのたまり場がクッションとなってかすり傷一つ負わずに列車を後にした。
後はこのまま町まで三十分ほどかけて進んで行けば、高確率で包囲の穴をついてアーレン内に侵入出来る。ここまで来ればほとんど作戦は成功だった。
予想通り、町に侵入を計る際にはそこまでの危険も無く滞り無く町中へ紛れ込む事が出来た。
「後は拠点とする宿……っと」
アーレンの町は広い。緑も豊かで文明と自然が見事にバランスの取れた一種の理想型とも言える街並だった。
「……あそこらへんがいいかな」
町の辺境にある高台の方角に眼差しを向けてイレインは微笑む。その場所は少しだけ母と再会した場所に似ていた。
宿は小さく簡素なタイプのものを選んだ。木造の部屋にベッドと机が置いてあるだけの小さな拠点。しかし、長居をするつもりはない。ここからまた町を渡り、そしてイストワールへと向かわなければならない。
だが、ここからの当てが外れてしまった。元々、簡単にいくとは思っていなかったがそれでも何とか出来るだろうと思わせるくらいの確率が算段があったはずだ。しかし、この町に入った途端、その確率は一気に下がっていた。
これが確率の恐い所である。時にはほとんどゼロに近い確率でもそれが起きてしまう事があるのだ。そう、ほとんど起こらないのであって極わずかではあるが起こりうるものなのだ。
中でもこの町では運悪く一番確率の低かった最悪の事態が起こってしまったと言えよう。
暴動である。
突発的に溢れた感情が民衆を束にして今までの抑圧に反発するように訳の分からない理由を付けながらただ鬱屈とした全てを吐き出すように暴れ回る。
幸い、ロードサージェントが二番隊であった為、その暴動は間もなく鎮圧されたが、おかげで各地増員が決まってしまい、包囲の隙間は更に狭くなった。
と言う事はまた本部が手薄になったと言う事でもあるのだが、もとよりこの町を抜け出せないのでは意味がない。
イレインは高台の一番上にある今はもう信仰の薄れてしまった教会の屋根から望遠鏡で町中の配備を確認しては地図をなぞって溜め息をつく無駄な日々を送っていた。
「なんだってあんなタイミングで……あと一日暴動が遅ければ……いや、それだとこんなに最小限の被害で済ませられたかもわかんねーしな。幸いだったって事だよな……良かった良かった……」
言葉とは裏腹に溜め息をつく。暴動の鎮圧には裏でイレインも尽力していた。被害を最小限に、死者を出さない為に。その功績を知るものは居ないが、かなり大きかった。その混乱に乗じていれば簡単に町を抜け出せたかも知れない。いや、抜け出せた。確率は高かった。
でも、イレインはそれをしなかった。ユナとの約束を守るために。
「くそ……どうすりゃいいんだ……わかんねーよもう」
ガシガシと頭を掻いて仰向けに倒れ込む。高台の一番上、その屋根の上からは空しか見えない。ゆっくりと流れる雲はまるで焦る自分をバカにしているように悠久な時間の流れ方を上から目線で教えてくれた。
「焦るだけ無駄か……大体ベールハイトとか言う奴が早く薬作ってくれりゃ良いんだよ。ユナより天才で機材も最先端ならもう出来ても良いはずだろ。俺達はもっとクソみたいな状況でも作ったぞ。まったく。怠けてんじゃねーか? エンバールもエンバールだ。これじゃアリサが浮かばれねーよ。何よりもまず公表するべきだったんだ。ったく。研究所行ったら全員説教だな」
イレインはそのまま日が暮れるまで昼寝をして過ごした。今はどうやったって動けない。時が来るのを待つしか選択肢がなかった。
しかし、待てども待てども状況は変わらなかった。
研究所からの発表は何も無く、薬が出来る確率も全く上がる事無く日々は過ぎて行った。
「————まずいな」
イレインは町中の雰囲気を観察しながら歩く。感染はどんどん拡大している。故にロードサージェントの人員もどんどん増え続けていた。
このままではいずれ町を出る事が出来なくなる。その日はそう遠くない。決断が迫っていた。
「強行……突破か」
このまま失敗するくらいなら、挑戦して僅かな希望にかけるほうが後悔が少ない。ただ、この選択はもう確率が見えるという能力が力を発揮する事はない道だ。どれを選んでも上手くいく確率は地を這うくらいに低過ぎる。そんな賭けに出るのは能力に目覚めてからほとんど身に覚えがない行為だ。少なくともここまで袋小路の方法を試した事はない。
自らピンチに陥りに行くなんて自殺行為、果たして自分に出来るのか。答えは出ない。
「こんな時……ユナがいればなぁ」
イレインはユナの存在がどれだけ大きかったか思い知る。あれから何度も思い知った。
その思いは繰り返せば繰り返す程膨らんでいき、そして自分の力がどれだけチッポケなものなのかを心に刻ませた。
「どうすりゃいいかわかんねーよ……ユナ」
教会の側に生えた大樹の根元に腰下ろし、町を見下ろす。穏やかに見える街並、とてもパニックが起こっているようには思えない。
イレインは覆面を脱いで背中を幹に預けて、広く枝を伸ばし、新緑の葉を無数に生やした木の中を覗いた。
「ダメだ……どれも、どれを選んでも失敗しちまう。ははは……一人じゃ何も出来ねーでやんの……ホント笑っちゃうよな。こんなんで世界を救おうとしてんだから。なぁユナ。出来んのかな。こんな俺に。世界を……お前を救えんのかな……なぁユナ……教えてくれよ。なぁ。わかんねーんだ。何も。俺、バカだからさ。お前がいねーと何も出来ねーんだよ」
————なぁユナ。答えてくれよ……
「お前なら出来る!」
「え?」
イレインはあるはずのない返答に見上げていた顔を下ろす。
「……ガー……ドン?」
視線の先には逞しい腕を組んで満面の笑みを浮かべる男、ガードンが立っていた。
「よう! 久々だな! 腐った顔しやがって。あの時とはえらい違いじゃねーか!」
「な、何やってんだガードン! こんなとこで!」
「恩、返しにきたぜ。お前らにな」
ガードンはゆっくりと歩み寄り、座っていたイレインの胸ぐらを掴んで上に引っ張り上げた。
「う、うわ!」
勢い良く飛び跳ねるように立たされたイレインにガードンは顔を近づける。
「いつまでいじけてやがる。助けるんだろ? ユナを。だったらとっとと行こうぜ。俺が手を貸してやる。一人じゃ無理でも二人なら出来るかも知れない。だろ?」
ガードンが手を離すと、イレインの踵がようやく大地を踏みしめる。
「ガードン。でもよ。どうやって……」
「まーだそんな事言ってやがんのか! 俺に任せろ! 作戦は練ってある!」
ガードンは踵を返して「ついて来な」と手を前に振った。
「お、おいおい。何だよ。今、見てみたけど結局、お前がいても確率全然変わらねーぞ? 一体どんな方法を使うんだ?」
イレインはズンズンと進んで行く背中を追いかけながら声をかける。するとガードンは歩みを止めて何かを含んだ笑顔で口を開いた。
「決まってんだろ……強行突破だ」
イレインは目の前が真っ暗になった。つい今しがた、自分が却下し損ねていた方法。バカが一人から二人になっただけだった。
「そりゃ確率も変わんねーよ……」
「お? 何か言ったか?」
「なんでもねー……」
半ば諦め気味にイレインはガードンの後をついて行った。
ガードンが歩いて行った先は町中にある工具屋。そこの店主に手を挙げて挨拶をすると奥にあった階段を上って行く。イレインも覆面越しに一応、会釈を交わすと店主は笑顔で返してくれた。
「よし、入れ」
細い廊下を渡り切り、ガードンはイレインを一番奥の部屋に招き入れる。中は積み重ねられた木箱や材木、そして様々な工具、武器。物置のような雰囲気の中央にポツンと机とスタンドライトが置かれていた。ガードンは窓のカーテンを閉めてスタンドライトを点ける。
「イレイン。地図は持ってるよな」
イレインは覆面をとって頷くと地図を机に広げた。
「ところでガードン。一つ聞いていいか?」
「おう。何でも聞いてくれ」
「お前何で……どうやってここへ?」
ガードンは何だそんな事かと笑った。
「商売人のネットワークを舐めちゃいけねぇ。たかがこんな包囲網くらいすり抜けられなきゃ商売上がったりだからな。俺達には独自の流通ルートとネットワークが秘密裏に繋がっているのよ。それを利用してここへ来たって訳だ」
ちなみにここの店主は昔の酒飲み仲間だ。と胸を張る。しかし、謎はまだまだ解けていない。イレインは更に質問を重ねた。
「いや、だからどうしてここを選んだんだ? それにどうしてそんな事を」
ガードンは呆れたように溜め息をつく。イレインはその仕草に少しムッとした。
「お前はホントに理解力がねーな。そういやあの時もユナが先頭に立って何やかんや決めてたっけな。だ・か・ら! 商売人のネットワークを舐めるなって言っただろ? お前の目撃情報なんていくらでも回って来る訳よ。だからここを目指しているのも直ぐにわかった。もっとも俺はお前の特徴と言うより、覆面を常にしている妙な旅人は見なかったかと流しただけだけどな」
「何だよそれ。もし人違いだったらどうすんだ」
「そしたら仕切り直せば良い。それにユナが捕まったって公表されてから何となくピンと来たんだ。お前らに何かアクシデントがあった。そしてお前はきっとどこかでパートナーを救う為に作戦を練っているだろうってな。もちろん面が割れているんじゃないのかってのは勘だけどな。でも、ドンピシャリだっただろ?」
「……店は?」
「うちには優秀な従業員が二人も居る。エマも任せてきた。安心しろ」
イレインは頭を掻いて項垂れる。この覚悟は本物だ。どういったってついて来る。どんなに危険な状況でも進んで行く。自分には今のガードンを説き伏せられるような言葉は見つからなかった。
「わかった。わかったよ。協力してくれ」
「やっと腹くくりやがったか。ったく。まだまだガキだなお前は」
「おー。良くも言ってくれるじゃねーか。じゃあ大人様の意見をとくと聞かせてもらおうじゃねーか」
イレインは地図を開いた机にバンと手を置いてガードンを睨みつける。ガードンは数秒、その視線を真っ直ぐ交わらせると、フッと笑い頷いた。
「ようやく元の眼に戻ったじゃねーか。お前の金眼はそういう目つきがお似合いだ。悲しみを含んだ目つきってのはユナや俺みたいな青い眼が似合うんだよ」
「お前のもユナのも見たくねー。さぁ聞かせてくれその練ってきた作戦を」
ガードンは口角を上げたままアーレンの町に人差し指多く。それを真っ直ぐ進ませてイストワールで指を止めた。
「男は黙って正面突破だろう?」
イレインはまた目の前が真っ暗になった。
バカな男達の醜い罵詈雑言を含んだ不毛な作戦会議はそれから夜更けまで続いた。
イレインは危険すぎるの一辺倒だったが、ガードンは頑として譲らず結局作戦は当初の予定通り正面突破になってしまった。
ただ、普通の正面突破ではない。商人のネットワークを駆使した通行手段。物資を届ける為にイストワールを目指すといったもの。車はここの店主が用意してくれる。オンボロの貨物車だが、まだまだ現役の車のようだった。通行証はもちろん偽造。一応、イストワールにある店からの物資要請願いはあるが、本拠地ではそれですら入行出来るかわからないくらいセキュリティが厳重らしい。もし、そこでバレてしまったら、そこからは文字通り強行突破。
無理矢理にでも侵入してやると言った何とも詰めの甘い作戦が出来上がった。馬鹿な男二人ではこれが限界。それでも、どこか別のルートで侵入するよりかは幾分、確率が高かった。
その確率も低いものであったがそれ以外に道はなさそうだったので、実行のタイミングはイレインが計るとの事で二人は合意した。
もしかしたら明日に薬が出来上がる可能性も無くはないのだ。それに別の何かが起こるとも限らない。しばし、様子見と言う事になった。
夜もすっかり更けていたので二人はそのまま毛布を借りて寝る事にした。早々に毛布にくるまって横になるガードン。その横でイレインは毛布を羽織って窓から月を眺めていた。
「なぁガードン」
「なんだ?」
「その……エマが捕まった時のお前の気持ち。今になってようやく少し分かった気がするよ」
「ふむ。まぁ大切には変わりねーが自分の娘となりゃまた違う感情だと思うぞ? お前のはどちらかと言うと嫁さんが捕まったみてーな感情じゃねーか?」
「よよよ嫁って! ちっちげーよ! 仲間だ仲間!」
「ふふん。まぁどっちでもいーけどよ」
「その……さ。ガードン。答えづらかったらいいんだけどよ」
「何だよ。さっさと言え。遠慮なんて似合わねーぞ」
「お前の……奥さんって……」
イレインは窓から振り返って横になっているガードンに視線を向ける。ガードンは背を向けて横になったまま動かなかった。
「……死んだよ。結構前にな。病気だった。気付いた頃にはもう手遅れでな」
「そう……か。今も……今も後悔は……してるのか?」
「……あぁ。きっと一生してるんだろうな。だからって悲観的になってる訳にもいかねー。俺にはエマもいるからな。悲しみに暮れている訳にはいかねーんだよ」
「そうか……そう……そうだな」
ガードンは振り返って上体を起こした。
「何だよ。えらい落ち込んでるじゃねーか。別に気にすんなよ。もう過ぎた話だ」
イレインは少し伏し目がちにガードンから視線を外す。
「違う……あのさ。ガードン」
「おう」
「俺……ついこの前、知り合った少女を救えなかったんだ。救えるはずだったのに。救えなかった」
「そうか……でもなイレイン。過ぎちまったもんはもう取り返せねー。だから俺もお前もこれから先、また同じ思いをしねーように。そして周りの奴らにもそんな思いはさせねーように生きてく事くらいしか出来ねーんじゃねーか? それと後は忘れねー事くらいか。まぁ忘れたくても忘れらんねーだろうけどよ。んで、犯人は? また眠らせたのか?」
「いや……その子はあのエルフウイルスってやつの最初の犠牲者なんだ」
「そう……か。そいつは気の毒に。でもな。そりゃ事故みてーなもんだ。確かに取りこぼしちまったかもしれねーが、お前がそこまで気に止んだ所でどうしようもねー時だってあるんだよ。気にすんなとは言わねー。でも、自分をそんなに責めるな。ちゃんと前を向け。そしてこれからも精一杯自分の決めた道を歩け。それが一番の供養だ」
「……うん。ありがとな。少しだけスッキリした」
「そうか。まぁガキには酷な話だろうけどよ。また何かあったらいつでも大人の俺に相談しやがれよ」
「ったく。調子に乗んな」
イレインは少しだけ微笑むと真っ直ぐガードンを見つめた。それを確認してガードンはまた横になり、背を向ける。
「それとな……この世の中色んな死に方がある。少なくともその子は自分を助けようとしてくれる人が居て、そして……」
————誰かに殺されたんじゃないだけマシだと思うぞ。
ガードンが放った最後の言葉にイレインは息を呑んだ。
きっとこれはイレインを気遣って言ってくれた言葉だったのだろうが、イレインにとっては全く意図しない形で耳に入った。
途端にイレインの心の中で何かが引っかかる。
「……殺されたんじゃない……?」
「んん?」
急に声色がおかしくなったのを気にしてガードンが再度、体を起こしてイレインに振り向く。瞬間、イレインは俯いた顔を上げた。
「違う……殺されたんだ」
「おい。どうしたんだイレイン」
明らかに様子がおかしいイレインを心配してガードンが立ち上がり肩に手を置く。
「アリサは殺されたんだ!」
イレインはガードンの腕を掴み、声を上げる。その握力が強すぎて思わずガードンは手を外して後ずさった。イレインはそのまま窓の方を向いて窓枠に両手をつくとぶつぶつと言葉と数字を呟き始める。ガードンは掴まれた手首をさすりながらその鬼気迫った雰囲気に声をかける事も出来ず、ただ背中を見て立ち尽くしていた。
数時間が経ってイレインがガードンに振り返る頃にはもう空が白んでいた。
「マズいぞ……ガードン。直ぐに出発だ!」
「お、おいイレイン!」
部屋を飛び出したイレインの腕を掴んで制止する。しかし、イレインの力は想像以上に強く、逆にガードンは引っ張られる形になって階段を下り、店の横に停めてある車に飛び乗った。
「出してくれ」
「おいおいイレインどうしちまったんだ?」
「説明は後だ! 早く!」
「わ、わかった!」
車は急発進して明け方のアーレンを駆け抜ける。ガードンの荒々しい運転とオンボロの車体が相まってガタガタとうるさい音を鳴らしながら車は計画通りのルートをフルスロットルで走った。
「おい。とにかくアーレンの出口までまだ少し時間がかかる。その間に説明してくれ。一体何が起こるんだ?」
イレインの剣幕にもうすぐ何かとてつもない事が起こると予想して気が気じゃないガードンは答えを急かした。
イレインは真っ直ぐ行き先を向いたまま振り向きもせず口を開く。
「逆だ」
「え?」
「何も起こらない」
「ど、どういう事だ?」
「だから何も起こらないんだよ。俺達人類が一年後に絶滅するまで」
「っな! 何だって? 一年後? 人類絶滅が? ちょっと待て! 話が違うじゃねーか!」
ガードンはイレインと前方に視線を何度も配らせた。動揺するのも無理はない。実際、これに気付いたイレイン自身もまだ信じきれない。
イレインはしっかり前を向いて運転に集中してくれ。とガードンを諌めてあの数時間で辿り着いたほとんど確信めいた答えを全て話した。
まず、アリサの死因。これは病死で間違いない。実際に苦しんでいる所もこの目にした。しかし、だとしたらおかしいのだ。
イレインはザイバルに行く前に確率を見た。
誰かが『殺される』確率を。そしてそれが少女で、そしてどんな者に殺されるかも見た。
そう。イレインが見たのは図らずも『死ぬ』確率ではなく『殺される』確率だったのだ。
そして確かに見ていた。その殺人鬼に相対する確率も高い事を。あの日、急に死の確率が高くなったアリサの元へ走っている時まではそれを疑わなかったのに、病気が発症した為にすっぽりと抜けてしまっていた。
アリサを殺す事になる人は男か女かわからなかった。確率はほぼ五分五分と言った所だ。
これは経験上、男女二人組である可能性が高い。場合によってはどちらも殺しに加わるといった者達だ。そして年齢は三十代。それもほぼ確実と言える程確率が高かった。
あの日……アリサの死の確率が急激に高くなり、そして五日後がいきなり見えなくなったあの時、既に犯行は終わっていたのだ。そしてあの時アリサの側に居たのはエンバール夫妻のみ。アリサにも特に変わった事はなかったと確認をとっている。恐らく、母の煎れた紅茶に仕込まれていたのだろう。あのエルフウイルスが。
信じたくはないが、犯人はエンバール夫妻。恐らく二人による犯行だ。
それを裏付けるものとしてイレインは更に確率を読んだ。何かがあったと思って信じ切っていたイレインはエンバール夫妻が渡した薬を何らかの理由により発表出来ないでいると思っていた。故にこれから『発表出来る』確率を見ていた。そしてそれは依然として低かった。よって何かがあるとまた更に信じてしまう事態となった。
しかし、その仮説が立った時に別の角度から確率を見てみた。
それは『発表しようとする』確率。前提条件を変えた。これによってエンバール夫妻自身にその気があるのかを探るため。そしてその確率は同じようにほとんどゼロだった。
つまり、エンバール夫妻は渡した薬を発表出来ないのではなく発表する気がないのだ。
そこからも苦手な推理は続く。普段は全てユナに任せっきりだったが今はそうする事も出来ない。
しかし、疑問の種は既に存在していた。ユナより天才のはずなベールハイト博士が何故かウイルスの詳細を解き明かせない。薬も作れない。
そして何故、エンバール夫妻は行方をくらました先がベールハイト博士の研究所だったのか。
これを結びつけたのは単なる偶然だった。イレインだからこそ直ぐに結びつけたのかも知れない。仮説を立てた時、動機が見つからなかった。しかし、これなら全てが結びつく。
そしてそれは見事に的中してしまった。つまり事態はおよそ最悪な方向へと進んでいる事が明らかになってしまったのだ。
薬は発表出来ないのではなくて『しない』
薬は作れないのではなくて『作らない』
そんな退廃的な事をやってのける理由が一番当てはまる存在。それは……
「……ネルドゼスト教」
「な、なんだって!」
ガードンの声が車内に響き渡る。イレインは忌まわしい過去の記憶と共に信じたくない事実をかみ殺すように歯を食いしばった。
イレインの出した結論は彼らがネルドゼスト教、つまり人類滅亡論信者である事。
それが全ての答えだった。
エンバール夫妻だけでなく、ベールハイトでさえも。
そして懸念した確率を最後に見てイレインは飛び出したのだ。
仕掛けられた人為的なウイルスパニック。そしてその進退全てを掌握している研究所の統括がネルドゼスト教信者。人類の行く末が自らを滅亡するべきだと信じている者達に委ねられている現状。
当たり前のように確率は変動していた。勿論、予想を遥かに超えて。
この先にある未曾有の大災害による世界滅亡を前にたった一年で人類が滅亡する。
その確率が既に八十を越えていた。
「だからいくら待ってても仕方ねーんだ。むしろ被害が拡大しちまう。そして更にロードサージェントの厳戒態勢が整ってしまいにゃ俺達まで野たれ死にだ」
「そんな……まさか……」
「信じたくねーのもわかるが事実だ。現に俺らはネルドゼスト教に入る物凄く低い確率が見えるのにエンバール達もベールハイトも見えねー。つまりもう入信しちまってるって事だ」
「なんてこった。人類を滅亡させようとしている奴らを信じて待っていたなんて……」
「こうなったら何が何でもユナを助けねーといけねー。今はもうあいつだけがこの世界を救えるたった一つの希望だ」
車のメーターは振り切れていた。遥か視線の先に見える町の出口。
二人はジッとそこから眼を離さず距離を詰めて行く。
『2』のナンバーが書いてある旗が風に吹かれて大きくなびいた。