何か良い贈り物はないかしら?
トリスタンと婚約を結んで以来、
アネットはトリスタンに感謝してばかりの日々を送っていた。
そんなトリスタンにささやかながらも何かお礼がしたいとアネットは考えた。
だけど経済的にゆとりの無い自分には何を贈ればいいのかもわからない。
ハンカチでもネクタイでも万年筆でも鞄でも、トリスタンは何でも上質な物を持っている。
食べる物ひとつにしても彼の家は裕福で、一流の女性シェフをキッチンメイドとして雇っているとも聞いた。
そんな彼にアネットが買えるようなチープな物やアネットが作るようなお菓子など渡しても迷惑なだけだろう。
「う~ん……でも……」
それでも、何かお礼をしたいのだ。
優しい、アネットを婚約者として大切にしてくれるトリスタンに何か心を込めてお礼を……。
物理的プレゼントがダメなら行動で感謝の気持ちを示す?
肩叩き券やなんでも言う事をきく券……
「ふふふ。子供の贈り物じゃないんだから」
アネットは自分で考えておいて、それが可笑しくて笑ってしまう。
でもいくら考えても答えが出ないので、ここはひとつ第三者に相談を……と、敬愛するライブラ・ジリスに話してみたのであった。
「私にでも贈れる、何か素敵な贈り物はないでしょうか?」
アネットがそう訊ねると、ライブラは悪戯な表情を浮かべて答えた。
「そんな大層に考える必要はないんじゃないかな?むしろあの偏屈に根気よく付き合ってやってる礼として何食わぬ顔で受け取っていればいいんだよ」
「付き合ってやってるだなんて。お付き合いいただいて良くして貰ってるのは私の方ですわ」
「あのトリスタン・ハイドを相手にそう言えるアネットだからこそ、ただ享受していればいいのさ」
「トリスタン様は本当に素晴らしい方です。私には勿体ないくらい」
「すごいな。そんなトリスタン・ハイドを引き出せたのもやはりアネット、キミの力だよ。私の目に狂いはなかった。ハイドにキミを紹介して正解だった」
「そういえば、その後のトリスタン様と貴族職員の方たちとの関係性はどうですか?」
「貴族女性と婚約を結んだことにより、多少は改善しているようだよ。ホント貴族と縁付くという事実ひとつで態度を変えるなんて、しょうもないよね貴族なんて」
「同感ですわ」
アネットが頷く。
でもこんな吹けば飛ぶような名ばかりの最弱小貴族のシラー家でもトリスタンの役に立てているなら光栄だ。
そう考えているアネットにライブラが言った。
「話は変わるがアネット。かの画匠、クリンギス・アーレの絵画展が王立美術館で開催されるそうだよ」
「まぁ、アーレの?」
クリンギス・アーレは百年前に活躍した画家で、亡き母は彼の絵が大好きだった。
借金の返済に売却してしまったが、母方の祖父が若かりし頃のアーレから直接購入したという絵は母の大切な宝物であったのだ。
出来れば手放したくなかった母の形見ともいえるアーレの絵。
アネットも幼い頃から大好きな絵だったのに。
だけど実質、あの絵が高額で売れたために借金が全額返済出来たと言っても過言ではない。
かなり複雑な心境だけど、手放さなければアネットは娼婦になるしか道はなかったのだ。
きっと母が守ってくれたのだと、そう思わねば耐えられなかった。
アーレの絵はもう手元にはないけれど、クリンギス・アーレの絵が大好きな事に変わりない。
「ちなみにその絵画展のチケットが二枚、ここにあるんだが」
ライブラが二枚のチケットとヒラヒラとさせてそう言った。
「まぁ素敵ですね。旦那さまと一緒に行かれるのですか?」
アネットがそう訊ねるとライブラは肩を竦める。
「そうしたいのは山々なんだけどね。生憎、主人も私も予定が合わなくて……」
「あら……それは残念ですね……」
「そこで、だ。この無駄になってしまうチケット、誰かが貰ってくれないかなぁと考えているのだけどなぁ」
「……もしかして、私に……?」
「そう。キミと婚約者殿に行って貰えたら、このチケットも喜ぶだろうなぁと思ってね」
「他に……お譲りになられる方はいらっしゃらないのですか?」
「いないねぇ。アーレの絵の素晴らしさを解っていない者に譲るのは惜しいしねぇ。アネットが受け取ってくれると嬉しいのだが……どうだい?」
「喜んで頂戴いたします!」
「ありがとう」
「こちらこそですわ。ジリス様、ありがとうございます」
こうしてアネットはクリンギス・アーレのチケットをゲットして、トリスタンとの次の休日のデートに絵画展へと行くことになったのであった。
当日はよく晴れて日差しの柔らかな絶好のデート日和となった。
アネットは今日《《も》》一張羅のサーモンピンクのワンピースに袖を通す。
休日にトリスタンと会う時はいつも同じワンピースだけど、それでも髪を編み込んでヘアアレンジで変化をつけたり、自作のレース編みのブローチや付け襟など工夫をこらして単調にならないようにしているのだ。
今日は美術館へ行くので冷え対策とオシャレでスカーフを首元に巻いみた。
「なかなかいいんじゃないかしら」
ワンピースに合わせたのは、明るめのベージュの生地にサーモンオレンジのストライプと小花柄が散りばめられた小振りなスカーフ。
去年のアネットの誕生日プレゼントとしてライブラが贈ってくれたものだ。
「そういえば、トリスタン様のお誕生日って確か来月だったはず」
婚約者となって初めて迎えるトリスタンの誕生日。
大した事は出来なくても、彼が少しでも喜んでくれるようなプレゼントを贈りたい。
「それまでに何か良い物がみつかればいいのだけれど……」
アネットは姿見の中の自分にそう語りかけた。
◇◇◇
待ち合わせ場所は美術館の前。
約束の時間より十五分ほど早く着くと、美術館の入り口には既にトリスタンの姿があった。
アネットは小走りでトリスタンの元へと駆け寄る。
「お待たせしてごめんなさい」
アネットがそう言うと、トリスタンはいつも通りぶっきらぼうに答えた。
「べつに待ってない。むしろ予定より早いくらいだ」
「でもトリスタン様はそれよりも早くいらしたのでしょう?」
「……たまたまだ」
そうは言うがトリスタンはいつも、待ちわせ時間よりも早く来てアネットを待ってくれている。
だからアネットも待たせては申し訳ないと思い早めに行くと、トリスタンはその次からは更に早めに到着してアネットを待っているのだ。
これではだんだんと待ち合わせ時間が早くなる一方だ。
そして終いには早朝デートとかになるかもしれないとアネットが笑った事があった。
その時トリスタンはツンとして「それも悪くない」と言ったので、アネットは何だか嬉しくなって「そうですわね」と答えたのであった。
それはさておき。二人で美術館に入り、アーレの絵画を見て廻る。
会話が出来そうな場所では亡き母のエピソードや手放した絵画の話などを語って聞かせると、トリスタンは黙ってただアネットの話を聞いていた。
展示公開された全ての絵画を見終えて、トリスタンが言った。
「クリンギス・アーレの絵画、なかなか良かったな。俺は特に初期の頃の絵が好みだ」
「まぁ同感ですわトリスタン様。母が所有していた絵画はアーレの初期の作品だったので、私の場合はその影響かもしれませんが」
「そうか」
「はい」
美術館を出て、二人でランチを食べた後の事だった。
トリスタンが徐にアネットに告げる。
「じつは再来週に魔法大臣主催のガーデンパーティーがある」
「ええ。存じ上げております。毎年、高官や任務で功績を上げた職員や関係者各位を招いての、内々だけど華やかなパーティーが開催されていますね」
アネットがそう答えるとトリスタンは鷹揚に頷いた。
「そうだ。そのガーデンパーティーに、今年はキミと出る」
「え、」
「俺は当然、毎年招かれている。去年までは一人で参加していたのだが、妻帯者や婚約者がいる者は妻や婚約者を同伴するのが決まりとなっている。だからアネット、今年はキミを連れての参加だ」
「え、」
トリスタンの言葉に、アネットはたっぷりの間を開けて答えた。
「………ごめんなさい。無理です。私はそのような華やかな場所には出られません。どうか今年もトリスタン様お一人で……」
「なぜだ。婚約者が居る身で一人で参加など有り得んらしいぞ」
「では私は当日は流感、もしくは鼻が大きく膨れ上がる病に罹患して欠席という形で……」
「鼻が大きく膨れ上がる病とはなんだっ。なぜだ?なぜ出席したくない?俺の婚約者として公の場に出るのが嫌なのか?」
「とんでもないですわ、トリスタン様が問題なのではありません。私の問題なのです」
「一体何が問題だと言うんだ」
尚も食い下がるトリスタンに、アネットは正直に事情を話さねば彼は引き下がってはくれないだろうと判断した。
「……あの……もうわかってらっしゃるとは思いますが……私のお出かけ着はこのワンピースしかないのです」
「ああ。いつもそれを着ているな。気に入っているからではないのか?」
「もちろんお気に入りの一着ではあるのですがそれと同時に、なけ無しの一着でもあるのです。お恥ずかしい話ではありますが……」
「?なぜだ。その服はキミにとてもよく似合っている。可愛らしいといつも思っていた」
「え?」
「あ、」
トリスタンの口からスラっと出た褒め言葉にアネットが驚くと、トリスタンは慌てた様子で耳を真っ赤にして言い放つ。
「そ、そんな事はべつにどうでもいいのだ!要するにキミはパーティーに着ていく服がないから出席出来ないとそう言っているわけだな!」
「はい。みすぼらしい私を連れて、トリスタン様に恥をかけさせるわけにはいきませんもの」
「無用な気遣いだな。同伴者の衣装を贈るのは男側としては当たり前の事なのだぞ。だから当然、当日着るドレスは俺が用意する!」
「え、ええっ?」
「だから今日はこの後ドレスメーカーへ予約を取っているのだ。もうすぐ時間だ、今から向かうぞ」
「え、ええっ?」
「俺は仕事以外でも出来る男だからな!任せておけ!」
「え、ええっ?」
トリスタンはそう言ってアネットの手を引いて歩き出した。
アネットは只々目を丸くしてそれについて行く他なかったのであった。