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待ち合わせはエントランスで

終業後に夕食を食べに行くという初デートが決まったアネットとトリスタン。


見合いをして八日目、婚約者同士となって六日目。

初めて二人だけでのお出かけだ。

今まで父親以外の男性と二人きりで食事なんてした事がないアネットはやや緊張した面持ちで待ち合わせ場所の魔法省のエントランスに立っていた。


トリスタンは“美味しいレストランを知っているのだ”と若干ドヤ顔で言っていたがどんな店だろう。

アネットのお小遣いでも払えるようなお店だといいのだけれど。


『ドレスコードがあるお店だったらどうしましょう』


こんなことになるのならあの一張羅のワンピースを着てくれば良かった。


そんな意味で珍しく緊張しているアネット。

トリスタンの家は裕福な商家だと聞く。

きっとこんな緊張とは無縁なのだろうとアネットは思った。


しかしそんなアネットの緊張は小さな杞憂に過ぎない。

なぜなら……


「おいアレ、法務部のトリスタン・ハイドじゃないか?」


「本当だ。定時で上がるなんて珍しいな。それにしても……なんだあの変な歩き方は?」


『え?』


アネットの近くにいた他の職員の言葉が耳に入り、その職員が見ている先にアネットも視線を巡らせる。


するとそこには、両手両足が不自然に揃って歩くトリスタンが居た。

右手と右足、左手と左足を同時に出して歩いてこちらへと向かって来る。

まるで人形が歩いているような姿に、アネットも周りに居た職員たちも目を見張る。


それを見て、アネットの肩の力がすとんと抜けた。

そして自然と笑みが浮かぶ。


どうやら緊張しているのはアネットだけではないようだ。


これ以上トリスタンに変な歩き方の人間という肩書きを与えないためにもアネットの方からトリスタンに駆け寄り、彼に声を掛けた。


「ハイド様」


小走りで自分の元へと来たアネットにトリスタンが言う。


「……す、すまん、待たせたか?」


「いいえ、私も今下りてきたところなんです。それよりもハイド様の方こそ、お仕事は大丈夫でしたか?いつもお忙しいとお聞きしておりますが」


「問題ない。俺は自分の仕事の差配くらいどうとでも出来る男だからな」


「さすが優秀なハイド様ですわね」


「うん。そうだろう」


満足そうに頷くトリスタンに、アネットは気になっている事を訊ねてみた。


「あの……ハイド様、これから伺うお店は高級なお店なのでしょうか?」


「なぜそんなことを聞く?高級料理店じゃないと嫌か?」


「ちがいますわ、逆です。その、私の服装が今日は…いえ今日()なのですが余りにも普段着すぎて……きっとお店に似つかわしくないと思うんです」


「なんだそんな事か。問題ない、その格好で充分だ」


「そうですか……良かった……カジュアルなお店なのですね、安心しましたわ」


「変な事を気にするんだな」


「そうでしょうか?普通、気にすると思いますよ?」


「まぁいい。では行くか」


「はい。参りましょう」


トリスタンのその一連の様子を見て、一部の周囲の雰囲気がざわりとしていた。

トリスタン・ハイドという人間を知っている者だろう。

目を丸くする者、逆に目を眇めて見ている者。

皆、トリスタンが()()()女性と話せていることに驚いているようだった。


そんな周囲の様子などお構いなしといったようにアネットとトリスタンは歩き出した。


アネットを連れ立って歩くトリスタンの両手両足の動きは些かまだおかしいが、アネットの歩幅に合わせて歩くという経験を一度しているトリスタンは今日はゆっくりと歩いてくれた。


そんな二人を、魔法省のエントランスに居た者たちは生暖かいものを見る目で見送ったのであった。


省舎を出てすぐに、(くだん)の美味しい香りのパティスリーから出て来た客の姿が目についた。


『あ、あの包み紙は……』


パティスリーの店名が模様の様にデザインされた焼き菓子専用の包み紙を見て、アネットは思わず反応してしまう。


もしかしたら今朝焼いていたガレットを買い求めた客なのかもしれない。

心なしか包みを持った客の顔が浮き足立っているように見える。


『ふふ。その弾むお気持ち、わかりますわ』


知らずアネットも顔が綻ぶ。

そんなアネットにトリスタンが徐に声を掛けてきた。


「おい、フラフラと一体どこへ行く気だ?」


「え?あら?」


ガレットに夢中になり、アネットは無意識にパティスリーの方へと近付いて行ったらしい。


「まぁいやだわ私ったら……ふふふ」


引き寄せられるとはこの事を言うんだなと、アネットは自分の行動が可笑しくなった。

今朝の香りもちゃんと記憶していていつでも引き出せるし、これで明日の朝のパンも美味しく戴ける。

アネットは満足そうに数歩歩いてトリスタンの元へと戻った。


そんなアネットにトリスタンが言う。


「なんだ、あの店の菓子を買いたいのか?レストランに行く前に買えばいいだろう」


「いえいえよいのです。もともと購入する気はないのです」


「なぜだ、買ってやるぞ」


「えっ!?!?」


トリスタンの思いがけない言葉を聞き、アネットは思わず大きな声を出してしまう。

対するトリスタンはアネットがそんな大声を出せるなんて思ってなかったのだろう、少し肩をビクリとさせて驚いていた。


「急に大声を出して、ビックリするじゃないかっ」


「ご、ごめんなさい……私も驚いてしまって」


「菓子を買うくらいで何をそんな大袈裟な」


「大袈裟ではありません、有名パティスリーの焼き菓子ですよ?」


「ならきっと美味いのだろう。買えばいい」


「そんな簡単におっしゃいますけど、とってもお高いんですよ?」


「だから買ってやると言ってるんだ」


「とんでもない!あんな高級なものを……申し訳なさすぎます!」


「キ、キミは俺の給料があんな菓子の一つや二つ買えないような薄給だと思っているのかっ?」


「そんな事は思ってはいません。だけどお給料に関係なく、買っていただく謂れがありませんもの」


「キミは俺の婚約者だろう!謂れがないわけあるかっ」


「そ、それはそうですけど……」


なおもたじろぐアネットを見て、トリスタンは大きく嘆息した。

そして、

「もういい。ほら店に入るぞ」

とそう言ってアネットの手を引きパティスリーに向かって歩き出した。


「えっ、えっ、えっ……」


アネットはしどろもどろになりながらもトリスタンに付き従う。

繋がれた手と、アネットの手を引いてずんずん歩いて行くトリスタンの後ろ姿を交互に見ながら。


トリスタンの歩き方は、いつの間にか普通に戻っていた。












二人はまだファーストネームで呼び合うまでもいってない。

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