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如月

 南棟の三年生の教室を眺めながら、隣にいる紗枝がため息をもらしている。昼休み、いちごミルクを飲みながら、なんとはなしに窓の外を眺めているときだった。


「なあに? なんか悩み事?」


「んーん、……一目惚れ、しちゃったんだよね」


 嬉しそうな紗枝の横顔を見て、祥子はびっくりしすぎて持っていたブリックパックを床に落としてしまった。カラン、と軽い音を立てて床にバウンドしたいちごミルクの紙パックが、スローモーションに見えた。……なににそんなにショックを受けているのかが祥子にはわからなかったが、とにかく視界が一瞬真っ白になったくらい強烈な目眩を感じた。


「ひ、一目惚れって、その、いわゆる恋的なテキーラですか?」


「的なテキーラ」


 祥子は長いため息をついてへなへなと机に座り込んだ。この年になってまで恋愛をしていない女の子なんて珍しすぎるくらいだけれど、まさか紗枝がこのタイミングで恋をするとは思っていなかった。だって、隣には常に祥子がいて、男のつけいる隙なんてものを祥子が許してこなかったからだ。紗枝を理解しているのは祥子だけで充分で、これから先もしも紗枝が結婚したとしても、その旦那に対し、ぽっと出の男がわたしの紗枝を盗っていったとしか思わないだろう。


「え、誰に……とか聞いてもいい?」


「見えないの? ほら、あそこに立ってる人だよ」


 紗枝が指を差すのはいま眺めている例の教室の窓のひとつで、そこには誰もいないように見える。第一、この北棟と南棟は数十メートル離れていて、仮にそこに人が立っていたとしても、顔まではよく見えないだろう。


「……誰もいなくない?」


 そういえば三年生は今の時期は自由登校のはずで、人影はほぼ皆無。それに、南棟の教室は科が違う学生の教室で、そもそも接点もない。南棟の学生は昼休みの時間も普通科の学生と違うタイミングなので、この時間に窓際に立っているはずもない。デカい私立高校ならではの差異……。紗枝には幻でも見えているのだろうか。


「えー、祥子目が悪くなったんじゃない?」


 祥子はなんだかムッとした。


「そんなに好きなら告れば? 来週バレンタインだし」


 ほとんど売り言葉に買い言葉というやつだった。全然本心じゃないのに心にもないことを言ってしまう。紗枝には幸せになってほしいけれども、やっぱり見知らぬ男というのが気に喰わない。まだ遼くんが好きかもとか言われる方が気持ちの整理がつくというものだ。だったら、ずっと祥子の側にいてほしいのに。


「どんな人なのかは知ってるの?」


「いや、全然。科が違うもん、接点ないよ」


 やれやれ、そんな状態でよく好きとか言えるな。祥子は首を振りながらため息をついた。なんというか、……さすが紗枝。




 部活の時間になって、毎月書くことになっている天文新聞のレイアウトを真面目に考えていると、また紗枝があの話を始めた。


「バレンタイン、来週なんだね。……あの人の靴箱がわかればなぁ、突っ込んでくるのに」


「靴箱に突っ込むの臭くなりそうじゃない? わたしは嫌かも」


「いや、あの人の靴箱は絶対臭くない、断言する」


「……恋は盲目ってやつですか」


「だってあの人めちゃくちゃかっこいいよ。あんなかっこいい人の靴箱絶対臭くない。なんならいい匂いするもん」


「はいはい」


 そのとき莉緒ちゃんと遼くんが部室にやってきた。


「おはようございますー」


「ざいまーす」


「おはよおはよ、部室あっためといたからね」


「ありがとうございます、今日も寒いっすね」


 遼くんはお年寄りみたいに手をもみあわせながらエアコンに直にあたれるスポットにうずくまった。図体はデカいのに、なんだか猫みたいにかわいい男子だと祥子は、天文部女子は思っている。エアコン直スポットで「はあ~最高」とか言っているのがまた年寄りくさい。


「先輩、昨日夜中にコンビニ行ったら星めっちゃ綺麗だったんすよ、やっと冬の大三角がはっきり見えるようになったっつーか。シリウスの南中時刻がだんだん早くなって、まじ冬っすね」


「遼ひとりで行ったの?」


 莉緒ちゃんがすかさず尋ねる。さすがに16歳の少年ひとりが夜中出歩いていたら補導の対象だ。


「母さん夜勤でさ、俺はバイト先に忘れ物してさ、しゃーなしで一人で行ったな。すぐ帰ったよ。ちなみに日付はまたいでない」


「ならいいけど」


 莉緒ちゃんは天球儀をいじりながらそっけなく返事した。


「先輩に話しかけたのに……」


 遼くんは唇を軽くとがらせてわかりやすくいじけた。


「まあまあ、ふたりとも。今日は新聞のレイアウト割って、記事を書き始めるからね、よろしくね」


 タケちゃん先輩にかわって部長になった紗枝は、いきいきとふたりに指示を出した。が、当の本人はとくになにをするでもなく、椅子にまたがってくるくる回っている。


「紗枝~、部長がそんなことしないの」


「ええ、タケちゃん先輩もよくやってたよ?」


 それをいわれると黙ってしまう。タケちゃん先輩もたしかに考え事をしながら椅子でくるくる回っていた。


「タケちゃん先輩は考え事してたじゃん。紗枝はなにも考えずに回ってるじゃん」


「祥子先輩、いま紗枝先輩は地球の自転について考えてるんですよ」


「そうだそうだ、莉緒ちゃんナイス」


「莉緒ちゃーん、紗枝がそんな天文学者みたいなこと考えると思う?」


「鹿内先輩はどっちかっていうと天動説信じてそうっすからね」


 絶妙なタイミングで遼くんが笑う。それは確かにそうだった。頭では地球の方が回っていると知っていても、空が回っている錯覚にとらわれていそうな紗枝である。


「むぅ、遼くん酷いぞ」


「でも早風先輩も長いものには巻かれるタイプだからな……」


「なにが言いたいのかな遼くん」


「ひぃ、なんでもないっす……」


 遼くんは苦笑いを浮かべて黙った。祥子も紗枝が天動説を信じていたら、同調してしまうだろうと、遼くんは言いたいのだった。それもあながち否定はできない。なにせこの部に入ったのも紗枝がいるからというシンプルな理由だったわけだし。……長い物には巻かれるタイプ、か。


「ねえねえ、一年ふたりは普通科だっけ?」


 紗枝が努めてなんでもなさそうに切り出した。椅子でくるくる回りながら。


「俺ら普通科で隣のクラスっす」


「そうか……じゃあ南棟には行ったことない、かな?」


「私は、南棟の職員室にいる数Aの教科担任によく突撃するのでちょくちょく行きますが」


「俺いったことないかも、南棟ってなにがあるんすか?」


 嫌な予感がした。一年にもあの話を展開しようとしている。


「いいって、紗枝。その話はさ」


「もしかして怖い話っすか……?」


 遼くんが怯えている。二学期の終わりに祥子と紗枝が遭遇した保健室の幽霊の話で、遼くんが大袈裟に怖がっていたのを思い出した。


「南棟はスポ科と看護科の教室がメインですよね。北棟よりもだいぶ広いって聞きましたけど、なにせ私は二階の職員室にしか用がないので」


「その看護科の教室にさ、かっこいい人見つけちゃったんだよね……」


 ほら、きた。一年ふたりは目を点にして紗枝を見つめている。紗枝はうっとりしてそれを見てはいないが。祥子はすかさずフォローをいれた。


「なんか、一目惚れしちゃったんだって。看護科の三年に」


 この学校は、窓にそこがなんの教室なのかわかるように教室名が貼られている。祥子のクラスなら2-2。音楽室なら音楽室。あの教室には3-Nと貼ってあった。確かに看護科の三年の教室だ。看護科には一割くらいしか男子生徒がいないと聞いたことがある。紗枝が惚れたのが女生徒ではないなら、特定するのは簡単だと言える。


「ん~? おかしくないですか、それ」


「なにが?」


 莉緒ちゃんが変な声を出すので、恐々と祥子は聞き返した。


「だって、いま三年に看護科の男子生徒はいないと聞きましたもん」


「「「ふぇっ?????」」」


 遼、紗枝、祥子は三人同時に間抜けな声を出して驚いた。いちばんびっくりしているのは莉緒だった。


「えっ? 紗枝先輩本当に知らないんですか?」


「知らない知らない。看護科にいままで全然興味なかったし。てかなんで莉緒ちゃんは知ってんの?」


「いや、さっき話した数Aの湯浅先生が、職員室で話しているときに『普通科は男子が元気でいいよねー』とか言ってたんで、看護科にも男子はいるでしょう? と言い返したら『二年看護科以外は女子の花園よ♡』と言われたので……湯浅先生口軽いから、みんな知ってるもんだと……」


「いや……初知りでした」


 遼が思わず敬語で返事をした。紗枝は黙り込んだままだ。


「ああでも、めちゃくちゃボーイッシュな先輩で、制服がスラックスの女子かもしれないじゃないですか」


 慌てて莉緒がフォローする。それはそうなのだが、祥子も引っかかっていることがある。


「えーっと、いまって二月じゃん? 三年って自由登校のはずじゃん? それについてはどう思う?」


「ええ? そんなのすっかり忘れてましたよ……。紗枝先輩はその方を毎日見ているんですか?」


 莉緒はこの辺りで“その”可能性を考え始めた。遼も黙っているが、同じことを考えている。紗枝も勘付いたのか、青ざめた顔でゆっくりと頷いた。


「……ああそれは、」


「もしかしてコレですか」


 祥子はややうんざりしつつ、胸の前で両手をだらりと下に傾けた。そう、幽霊だ。一同憂鬱な顔つきになる。


「もういいって……」


 遼は頭を抱えた。彼は初詣にタケちゃん先輩と行って怖い目に遭ったらしい。救急車に乗ったと聞いたが。


「え、ねえ確かめに行こうとか言わないよね、莉緒ちゃん」


 莉緒はきょとんとした顔で、


「行かないんですか?」


と聞き返した。悪気はなさそうである。好奇心とも違うなにかを感じる。


「だって、生きてる人を幽霊扱いしてしまったら失礼でしょう? それに、ちゃんと生きている人なら名前くらいはお聞きしないと、バレンタインチョコ渡すときどうするんですか?」


 極めて純粋な正しい情報を希求する心からのようだ。……一周まわってたちが悪い。紗枝は真っすぐな莉緒の瞳に見つめられて言葉に詰まった。正直もう学校内で幽霊に絡んでいくのはうんざりだし、ここで確かめにいって本当に幽霊だったら怖いし、でも生きている人ならワンチャンあるかもしれないし、あんなにかっこいいなら女子でもイケるし……。様々なパターンを想像して、しばし逡巡した。


「俺は行かないっすよ……。俺はここで温かい風に当たりながら新聞のレイアウト割ってるんで……」


「えー、いいじゃん遼。行こうよ」


 まだ肝心の紗枝が行くとも行かないとも決めかねているのに、莉緒は遼をニヤニヤしながら挑発している。


「わかった、行こう、みんな」


「「みんな?」」


 祥子と遼は同時に聞き返した。


「うん。だって怖いもん」


 紗枝は真顔で言い切る。


「みんな怖いんだよ!!」


 すかさずツッコむ祥子だが、紗枝は本気らしかった。


「だって莉緒ちゃんは確定じゃん? で、アタシと祥子はニコイチだから行くでしょ? こんな話聞いてもまだひとりで新聞書いてられる自信あんの? 遼くん」


「んな……拒否権ないじゃないっすか……」


「でしょ? はい決定。これは部長命令です、今日の部活はみんなで南棟を探検だ!!」


 おー! と拳を突き上げる紗枝だが、楽しそうに同調したのは莉緒だけで、祥子と遼はなにも言っていないのにメンバーに加えられてしまい、とても不服そうな顔をしていた。





「やっぱり顧問の許可とった方がいいかな?」


 部室の鍵を閉めてから、やっと思い出したようにいまさら呟いた紗枝だが、こんなことは前代未聞なので、誰も正解を知らない。


「六本木先生なら面白がってついてくるかもしれないっすよ」


 遼がやけくそで茶化している。顧問までもを巻き添えにしたいらしい。


「そりゃそうかもしれないね……誘ってく?」


 祥子も同じ気持ちで遼の言葉にのっかった。


「OK! 誘ってこー、おー!」


 紗枝は、今日はこのノリを貫くつもりらしい。まだウェーイ!! とか言い出さないだけマシかもしれない。このまま職員室に突撃しようと意気込む四人。


「失礼しまーす」


「六本木先生いらっしゃいますかー?」


 奥からのそのそとした動きでクマみたいな事務員さんがでてきて取り次いでくれた。先生を呼んでくるので、廊下に待っていなさいと言われた。


「おお、お前らなんだ、揃いも揃って」


 六本木先生は廊下に出てくるなり、無精ひげを撫でながら興味深そうにみんなを見た。


「先生、今日はやむを得ない事情があって、南棟を探検する時間にしたいんですけど、先生暇なんでしょ? 来ますよね?」


「めちゃくちゃ決めつけるなあ……さすが紗枝。まあ、俺だって忙しいんだよって、言えないんだよね」


「じゃあ来るよね?」


「どうせお前らアレだろ? 肝試しだろ? 楽しそうじゃん、俺も行く~」


 先生は心底楽しそうににやりと笑った。


「なんでわかるの?」


「遼の顔に書いてある」


 先生が持っていた扇子でビッと遼の顔を指したので、遼は、えっ! と言いながら顔を撫でまわした。


「なんつって。アレだ、二年女子がつやつやしてるときはそういう関連だと相場が決まってる」


「えー、なにその言い方、失礼な」


 紗枝と祥子は揃ってふくれっ面になった。


「あと莉緒ちゃんが楽しそうってのもあるな」


 莉緒はビクッとして自分の顔を指さした。私が? みたいに首を傾げている。六本木先生はみんなの顔を見回して、さあ、行こう、と促した。




 放課後の南棟は閑散としていた。スポ科の学生はこの時間はみんな部活に出ている。看護科の学生は実習棟にいるか部活をしているか、または帰宅しているかで、全然学生と遭遇しない。


「なんか……ひっそりしてるね」


「そうか? 南棟の放課後はこんなもんだぞ」


 なんでもなさそうに六本木先生が答える。


「こんな超入口で恐々しててどーすんだよ。紗枝と祥子は“保健室の男の子”と話したんだろ? そっちの方が怖いだろ、なあ?」


 先生は隣を歩く遼に同意を求める。遼も首を縦に細かく振って同意する。


「なにが本命か知らねえけど、どうする? 音楽室でも見てくか? 誰かがピアノを弾いていたりして……」


 先生が声をひそめるのにしたがって、遼が今度は首を横に細かく振って全力で嫌がった。


「いやだ……もうそういうのいいっすよ……早く看護科の教室覗いていきましょ」


「看護科?」


 先生は脚を止めて、なにかしら考え始めた。まさか大当たりを引いてしまったのではないかと、一同の背筋に悪寒が走る。この間みたいに無念を残して死んでいった学生がまだいたのかと祥子は思ったが、ここは由緒ある私立高校で、開校してから六十年は経っている。看護科ができてから何年か、とか、この制服になってから何年か、とかは全然知らないが、その期間で死んだ学生も何人かはいることだろう。


「先生? 看護科、なんかいわく付きなの?」


 紗枝はおずおずとした口調で先生の様子をうかがった。


「いやぁ? 先生は知らんなぁ、はは」


 絶対なにか知っている口調を隠しきれていない先生は不自然に笑った。


「ねえ~、絶対なんか知ってるじゃん、ヤダよ、怖いよ紗枝」


 紗枝は黙り込んでしまった。眉間にしわを寄せて腕を組んで、足取りが重くなっている。祥子は紗枝の肩をがくがく揺すって、いまからでも帰ろうと促す。


「まあまあ、それを確かめに行く時間じゃないですか、早く行きましょう!」


 莉緒だけがるんるんとスキップでもし始めそうである。


「そうだ、莉緒ちゃんの言う通りだ、行こう行こう」


 先生も笑いながら同調する。残る三人は恐々と辺りを見回し、落ち着きがない。


 普通科の四人は南棟をよく知らない。したがって六本木先生についていくしかない。先生がどこへ行こうとしているものだかわからないのは紗枝、祥子、遼の感じる恐ろしさを増幅させた。先生はふらふらとあっちの教室、こっちの教室、と覗いて「ここはつまんねーな」とぶつぶつ呟いている。


「じゃあ理科室行こうぜ、ホルマリン漬けとか見たいだろ? お前ら」


「見たくねーよ!!」


 遼が叫ぶが、ここからどう行ったら理科室なのかも、ここからどう戻ったら北棟に帰れるものかもわからないのでついていくしかないのが悲しいところだ。


「看護科が学ぶ理科室だからなぁ、なんか人間由来の標本とかありそうだよな」


「やめてよ、自然由来の化粧品みたいに言うの」


「人間由来のヒューマニック標本ですか」


「おもしろくない~!!!」


 ははは、と先生が軽―く笑う。


「ほらお前ら、理科室だぞ」


「……ん、案外ふつう?」


「先生が変に煽るからみんなビビっちゃってんじゃん」


「だって肝試ししに来たんだろ? 怖けりゃいいじゃんかよ」


 先生は飄々として、じゃあ次は音楽室か~と歩みを進めていく。すっかり肝試しということになっている。夏に百物語をして、冬に肝試し、我々はもしかしてオカルト研究会なのか……?


「ああもう、この際だから肝試しっぽいことやり尽くしましょう。そうしよう」


 紗枝が手を叩いて、大きな声で宣言した。ええ……と嫌そうな声を出す祥子と遼。


「花子さん召喚して、階段の段数数えて、四時ババアが出てくるのを待って、音楽室のベートーベンの肖像画見て……、あと何すんの?」


「ねえそれさ、全部小学校の七不思議じゃない? 高校に花子さんいるの?」


 祥子は思わず笑ってツッコミを入れる。そう言われると確かにそうだな、と遼は納得する。


「え、高校に花子さんいないの?」


 紗枝はきょとん顔で聞き返す。


「だって、なんの因縁があって高校に小学生の女の子が出てくるのよ」


「わかんないじゃん、高校生になった花子さんかもしんないじゃん」


「花子さん成長してここ受けたんだ……」


 先生は可笑しそうに肩を揺らした。みんなの脳裏に高校受験の会場で試験を受けている、おかっぱで赤いスカートの女の子が想像される。周りが中学の制服なのに赤いスカートは目立つだろうなぁ。


「じゃあ高校に七不思議ないの?」


「俺はいろいろ聞いたけど、うちの二年女子は進学コースだしそんな暇ないから聞いたことなかったんだろ。ちなみにそのうちひとつは“保健室の男の子”だよ」


 そう言われるとちょっと納得する。勉強勉強テストテストでまったく七不思議など意識したことのなかった祥子である。まじでそんな暇がないまま三年生になるところだ。


「保健室よりいまの方がどきどきしてるよ……」


「そすか? 俺は逃げ場のない保健室の方が怖いと思うけどなぁ」


 祥子の言葉に、遼は異を唱えて両肩をさすった。


「だって保健室の男の子の話をわたしは知らなかったし。いまは怖いのが待ってるって確定してるんじゃん? 怖くね? ねえ紗枝」


「うう、祥子があの人を生きてない人だって決めつけてる……」


 紗枝はめそめそとウソ泣きをして見せる。


「ダメですよ祥子先輩、まだ確定じゃないんですから」


 莉緒がすかさず訂正、祥子はぐうの音も出ない。


「あの人、って?」


 六本木先生が聞き返した。


「うーん、なんか紗枝が一目惚れしたんだって」


「それって、3-Nの窓際に佇む男子生徒にか?」


「そうだよ……ってなんでわかるの? 怖いんですけど」


 はああぁ……と先生が首を横に振りながらため息をついた。


「お前らさぁ、これを機にオカルト研究部にするか? なんでこんな短いスパンで無意識に七不思議に遭遇するんだよ。なんか対オバケ磁石でもついてんのか?」


「えええええ……そういう冗談いいって……」


 部員一同抱き合ってイヤイヤと首を振る。もうこりごりなんだって……。


「いやこれはマジ。その手の話に詳しい先生がいたような気がすんだけど聞いてみるか?」


「……100%偏見だけど、湯浅先生こういう噂話好きそうだよね、遼」


「数Aのな。わかる」


「ああ、湯浅先生ならよく知ってるだろうな。本来あの人の本拠地は南棟だし?」


 先生は手に持った扇子でトントンと首筋を叩きながらなにか考えていたが、急に手を叩いて「決めた、目的地は南棟職員室」と言って階段を下りはじめた。全員それにならう。南棟の職員室は北棟と同じく二階にあり、二つの棟の二階は連絡通路で繋がっている。先生は慣れた調子ですたすたと早足で歩いていく。みんな無言で一生懸命歩いた。


「先生さぁ、別に湯浅先生に聞かなくても知ってんならいいんだよ?」


「なんだよ紗枝、怖いんか?」


 別に怖いわけじゃないけど……と紗枝は呟き、下を向いた。怖いわけではないが、湯浅先生の顔を見ることで怖い話がスタートするのが決定しているのがイヤだということだ。例えるなら「今日は予防接種に行くよ!」と医者に連れていかれる子供みたいな感じだと思う。なんで痛い思いをしに行くのに軽い足取りで行けるのか?


「ほらほら、見えてきたぞ職員室が」


「うええええ……」


「なんだお前らその声は。先生に失礼だろ」


 廊下の奥に南棟職員室のプレートが見えた。心なしかみんなどんよりしている。


「やっほー、湯浅先生います?」


 六本木先生は軽い口調で職員室の入り口に声をかけた。南棟の先生方は一瞬「なぜここに北棟教員が!?」という顔をしたが、問題の湯浅先生があっさり出てきてしまったので、なにかアポがあったらしい、と納得して仕事に戻っていった。


「あれぇ、どしたのギロッポン、あれれ、瀬川ちゃんもいるわね、なになに? どした?」


 この超個性的な喋り方をするメガネの女教師が湯浅先生である。数学の先生なのになぜか白衣を着ているが、それは「チョークの粉が服につくのがめーっちゃイヤなんだよん」と言っている。アニメ声で、小柄、大きなメガネ、ついたあだ名は“アラレちゃん”。そのアラレちゃんは人の名前からあれこれ連想してニックネームで呼ぶのが常だ。ギロッポン、もとい六本木先生は単刀直入に本題を切り出した。


「こいつら、全員北棟の天文部なんだけど、あ、俺こいつらの顧問ね」


「うっそ、ギロッポン顧問とか持つタイプだったの~? 超意外~!!」


「もう四年くらい経つんだけどな……じゃなくて、こいつら今日肝試ししたいって俺のこと呼びに来てね? で、この子らの本命がなんと、3-Nの男の子だって言うんだな。これはもう湯浅ティーチャーの出番でしょ、と思ったのさ」


「あー、なるへそ。よりによってこの時期に……」


 湯浅先生は笑っているのか泣いているのかわからない声を出しながら、会議室の鍵を取り出した。


「とりあえず会議室行こう。ここでだべってるとあたくしが怒られるのである」


「だってよ、お前ら」


 湯浅先生とはほぼ初対面の二年女子は圧倒されてしまった。この教師の濃い個性に言葉もなく、ただ「何この人……」という感情しかない。一年の二人はこんな個性の塊に数Aを習っているのか、よく頭に入るな……。教員にもいろいろな人がいて当たり前だとは思うが、こんな人ほんとうにいるんだ、とむしろ感動すらしている。


「んじゃ、本題いこか~」


「さくっといこう、俺はもう満足したから」


 会議室について、先生たちはてきぱきと空調を入れて照明つけて椅子を一か所に固めた。生徒たちはそれにしたがってなんとなく座った。


 湯浅先生はみんなの顔をぐるっと見回した。


「まず、誰がどこでこの話を知ったのか先生に教えてくりゃれ」


「えっと、この、鹿内紗枝という女子が一目惚れをしたらしいということが前提でして……」


 先生の頭の上におおきなクエスチョンマークが浮かぶのをみんなが感じた。


「ええ……この紗枝によると、3-Nの窓際に佇む男子生徒だというので、どんな人だか見に行こう、というのが今日の企画でして、決して肝試しなどでは……」


「なーる……」


 湯浅先生は祥子の簡潔な説明を噛み締めるようにして、ゆっくり頷いた。


「その人はね、存在しないんだ。彼はみんなの脳内にのみ住み着いている」


 今度は先生たちを除く全員の頭上にはてなが現れた。


「もともとはね、二十年くらい前の看護科の女子が考え出した存在でね。当時の看護科は女子だけの科だったから、この時期、すなわちバレンタインに相手がいないのはあまりに悲しいとして、空想の“みんなの彼氏”を作り上げたんだ」


 その“みんなの彼氏”は3-Nでは全員に信じられており、使っていないロッカーを彼のものとしていろいろなものが供えられるようになっていった。それはそのときだけの一時的なもののはずだった。


「ところが、その存在を知らなかったはずの下の学年の子の代になっても彼は存在した。なぜか普通科の生徒にも目撃談が囁かれ始めたんだ。さすがにヤバいかなと危惧した学校は、お祓いとかじゃなくて、そもそも看護科を男子にも開放してしまうことにした。これでいつ男子が目撃されても怪しまれない。これで万事解決。そう判断したんだね」


「それって都市伝説みたいなやつってこと、ですか?」


「ご明察。伝染系都市伝説ってやつ。それ以降も、彼の存在をなにかで知った普通科の子たちから続々と目撃談が出たわけ。……だから、シカちゃんもさ、たぶんどっかで聞いたのよ」


 シカちゃんこと紗枝は、うーん、と考え込んだ。


「それに、おかしいのよ。“彼”を見た人は表情まで見えてるんだけど、北棟と南棟の距離があって、あっちに立ってる人の顔なんて見えるかね」


「はっ……それは、たしかに」


「まだ今年も彼はあの教室にいるんだねぇ……」


 湯浅先生は感慨深げに呟いて、パイプ椅子をぎしっと軋ませた。


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