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7/12

師走

 この頃、紗枝に対する想いが、なんだか重くなっている気がする。


 早風祥子はため息をついた。


 もともとは同じ中学で、ただの同級生だった。高校に上がって、クラスに同じ中学の女子は紗枝しかいなかった。だから自然と一緒に行動するようになった。


『天文部でーす』


 天文部のビラを配っていたタケちゃん先輩と目が合ったとき、紗枝はもう天文部に入ると決めていたようだった。紗枝はそういえば、理科の地学分野がめちゃくちゃ得意で、星が大好きな根っからの天文ガールだった。筆箱は星柄のデニム地ペンポーチ。ハンカチは星柄のきらきらしたタオル。キーホルダーはレジンで作ったオリオン座が閉じ込められた球体。紗枝という人間の半分は星座でできていた。だからわたしが選ぶ紗枝へのプレゼントは星柄のものが多い。


 一方わたしは星座などには興味がなく、北極星がポラリスという名前だということも、北極星は変遷していくものであってずいぶん昔はベガが北極星だったという、天文好きなら誰でも知っていそうなことをなにひとつ知らなかった。そんなわたしがなぜ天文部にいるか、そんなの紗枝がいるからに決まっている。紗枝がバスケ部に入ると言えば入ったし、吹奏楽部に入ると言えば入っただろう。わたしはひとりではなにもできない意思のない人間だから、自分を持っている紗枝に強く惹かれてしまう。


 去年の十月、オリオン座流星群の極大の夜、ふたりで夜空を見上げていた。


『アタシね、祥子を引きずりまわしてるな……って反省してる』


 流れ星を待ちながら、紗枝は言った。


『そんなことないよ、引きずってってくれないとどこにもいけないもん、わたし。夜空がこんなにわくわくするものだったこと、紗枝が教えてくれたんだよ』


 そう、わたしは紗枝に感謝している。天文部の活動内容は、太陽の観察や夜空の星々の観測、裸眼でも望遠鏡でも、とにかく観察する。日食や月食があるときは時間を計算して写真を撮る。天文手帳を見ながら、天体ショーのある日に印をつけていったり、星座盤を見ながら、目当ての星座の南中時刻を計算したりする。それだけではなくて、星占いや、神話や伝承なども調べる。天文部がこんなにすることが多い部だとは思わなかった。紗枝がいなければ知らなかった世界。ここに連れてきてくれてありがとう、という気持ちでいる。




 今日は、ふたご座流星群の極大の日だ。下弦の月明りがあるのでちょっと明るい夜空だが、問題はないだろう。だけど……


「鹿内さん、鹿内さん、起きて、授業中だよ」


 紗枝は珍しく居眠りしている。朝からちょっと体調が優れないようなことは言っていたが、どうしたんだろう。


 わたしの斜め前に座る紗枝は隣に座る男子に揺り起こされている。が、うー、とか、んー、とか言って、起きる気配がない。頬杖をついてうたた寝、というわけでなく、思い切り突っ伏しているので、先生も苦い顔で見ている。


「……吉田くんちょっといい? 紗枝、紗枝、どうしたの具合悪いの?」


 思わず紗枝の背中に囁きかける。


「……あたま……いたい……」


 紗枝は苦しそうに呻いた。


「先生、ちょっと鹿内さんを保健室に連れて行ってもいいですか?」


「早風さん保健委員だっけ?」


「違うけど、あんまり具合悪そうだから……」


「まあいいよ、吉田、あとで早風さんと鹿内さんにノート見せてやって」


「うい」


「吉田、返事は、はい、だ」


「へい」


「もういいや、早風さん、行って」


 数学の林先生は吉田くんのことを気に入っている。なにかと、『な、吉田』と彼に同意を求める。


 ぐったりしている紗枝の腕を自分の首にまわして、教室を出た。彼女の身体はほんのり温かい。熱でもあるのだろうか。


「保健室行こう」


「……保健室やだ」


「なんで? 頭痛いんでしょ?」


「そうだけど……祥子、一緒にいてよ?」


「なに駄々っ子みたいなこと言って」


 紗枝はそれきり黙ってしまった。保健室で注射されるわけでもあるまいし、なにを怖がることがあるだろうか。


 それにしても、


「さむっ」


 渡り廊下に出た瞬間の寒さに、180デニールのタイツも耐えられない。一瞬にして鳥肌が立った。日頃思うのだが、上半身は、下着、ヒートテック、ブラウス、セーター、ブレザーで何層にも守られているというのに、下半身はどうしてタイツとあったかパンツにスカートのよわよわ装備で過ごさなければいけないのだろう。スカートというのは厄介で、夏は暑いし、冬は寒い。入学するときに、スラックスにするかどうか聞かれたが、自分の脚を見られたくないとかいう自意識の過剰でスカートを履かない人と一緒にされたくないと思ったので、スラックスにはしなかった。だけどその考えは偏っていると気付いたのは最近のことだ。ジェンダーレスがどうとか、あんまり関係ない。暑いから、寒いから、って理由でスラックスを履いてもいい。スラックスに制服のリボンもかわいいじゃないか。ああ、過去の自分が憎らしい。どうしてスラックスを買わなかったんだ。




 じゃなくて、いまは紗枝の心配をするのに忙しいんだよ。


「……保健室、なんで嫌なの?」


「……祥子絶対笑わないって約束して」


「約束するから、言って」


「……おばけが……出るって……」


 きょとんとしてしまった。おばけ? 17歳にもなっておばけが怖いの?


「今年の夏のさ、百物語、やったでしょ? あれからおばけが怖くてさ」


「ああ……」


 思い出した。7月の合宿で百物語をやろうと言い出したのは、わたしだ。だけど、想定していたのより、ガチでえぐいのを先生が話してくれちゃったおかげで、ものすごく怖い目に遭った。紗枝がトラウマになるのもわかる気がする。わたしは、いまのいままで忘れていたわけだけど……。


「おばけって、どんなのが出るとか、聞いてるの?」


「いや……とにかくおばけが出るとしか……」


 紗枝のことだから、おばけがでるんだという噂話を聞いても、そのぼんやりとした要点しか聞かないように逃げ回っているのだろう。容易に想像がつく。


「そんなことだろうと思った……」


「ねえ、ちゃんと一緒に居てよ? ほんとに離れないでね?」


 紗枝は不安そうな眼差しをこちらに向ける。


「大丈夫、数学の授業に戻りたくないし、絶対紗枝のこと守るから」


「よかったぁ」


 数学の授業に戻りたくないのは本当だった。誰が好き好んで数列の発展問題なんて解きたいと思うか。まっぴらごめんである。漸化式が分数のときの特性方程式の利用……考えただけで気持ち悪くなってくる。


「莉緒ちゃんから聞いたんだ……男の子の霊がでるんだって」


「へえ、莉緒ちゃんから……」


 莉緒ちゃんからというのが微妙に信憑性あった。彼女は視えはしないようだが、感覚が鋭くて、7月の合宿でもいろいろあった。話をしながら目線をどこかに彷徨わせたり、後ろを振り返ったりしていた。どうしたの? と聞くと、いや……とはぐらかしてはいたが、なにか感じていたようだ。紗枝と祥子は鈍感だからぜんぜんそういうのはわからないが、最後に先生が指摘した窓の手形だけは、いまでも脳裏に焼き付いている。


 保健室に近づくごとに二人の歩みは重くなっていたが、ついに到着してしまった。


「早川先生いますか?」


 がらがらと引き戸を開けると、なにやら事務仕事をしていた模様の保健の先生が出迎えてくれた。


「2年2組の早風祥子です。こっちは鹿内紗枝。紗枝が体調悪そうだったので、連れてきました」


「2年2組の……まってね名簿……13番の鹿内さんね、熱はある?」


 早川先生は全校の各10クラスほどの学年名簿を、慣れた手つきでぱらぱらとめくって紗枝の名前を確認すると、帳簿に書きつけた。体温計をアルコール綿で拭いて、紗枝に渡す。


「いろいろ聞くけど答えてね、……まず朝ごはん食べた?」


「……食欲なくて……お味噌汁だけ」


「いつから食欲ないの?」


「それは……今朝?」


「じゃあ、最後に生理きたのいつ?」


「ええ? 覚えてない……」


「紗枝、手帳とかつけないの? 生理日管理アプリとか」


 思わず祥子が割って入ってしまった。


「祥子知ってるでしょ、アタシがそういうとこズボラだって」


「でもねえ……もう大人になるからそろそろ自分の生理周期は把握しててもいいと思うのよ、保健の先生としては」


 早川先生は困り顔で紗枝を見つめた。


「若いっていっても、もう高校生なら周期も安定しつつあると思うのよ、個人差はあるけど。だいたいが30日周期のところ、あら私は50日だわ、とか、私は月に2回も生理が来るわ、ってなったら素人でもちょっとおかしいのがわかるじゃない? 先生はね、気軽に婦人科にかかってほしいの。婦人科系の病気は怖いし、将来の人生設計にも影響があるから……って、長く話しちゃったわね。とにかく次の生理から、手帳でもアプリでもいいから記録しとくのよ」


「はーい」


紗枝は気の抜けた返事をして、体温計が鳴ったのをわきからとりだした。


「37.8℃……がっつり熱が出てるわね。どうする? 保健室では薬を渡せるわけでもないし、ただ寝かせることしかできないのだけれど……」


「……ひとりで帰るのは絶対無理だから、親に連絡したいんですけど、15時過ぎないと親が忙しいので……。それまで寝かせてください」


 いまは三時間目の中間くらい。11時半すぎだが、さすがに昼くらいは休憩するだろし、熱が出たことは先にメールかなにかで報告しておいたほうがいいんじゃないか??

 と思っていると、先生がそう助言してくれた。


「じゃあ、三限が終わったら一旦教室戻って荷物とってきて、携帯で連絡してもいいですか?」


「わかったわ。それまで寝ていてね。……それで、これから先生は養護教諭のリモート会議があるから、保健室を離れなくちゃいけないんだけど、ひとりで大丈夫かしら?」


 紗枝は小刻みに首を横に振った。必死さが伝わる。


「じゃあ、悪いけど早風さん一緒にいてあげてくれない? なにかあったら壁時計の下の方に内線電話があるから、職員室にかけて空いている先生に伝えてね。よろしく」


 先生はノートパソコンを抱えて颯爽と保健室をあとにした。

 さっきの「ひとりで大丈夫?」は、なにか体調が変化したときに先生がついてあげられないけれど、“大丈夫かしら?”だった気がするが、紗枝には違う意味に聞こえたようだった。



「祥子、ひとりで大丈夫? だって。絶対先生もなにか感じてるんだよ……」


「なわけないから……、ほら寝な」


紗枝は頑なにベッドに横にならない。いやいやをするように紗枝の肩をつかむ祥子の腕をふりほどく。


「絶対一緒にいてよ? 絶対だからね」


「わかった、わかったって」


祥子はややうんざりしながら、ベッドの横にパイプ椅子を運んできて、ここに座っているから寝なさいと口でも身振りでも示した。

 紗枝はしぶしぶ靴を脱いでベッドに横になった。


「うっわ、布団つめた~。祥子、手いれてみてよ」


「冬の布団なんて相場そんなもんでしょ。だんだんあったかくなって出られなくなるから安心しな」


 祥子は、熱がある紗枝が眠ってしまうだろうことを考えて、これから三時間目の終了チャイムまでどのように過ごすか悩んだ。紗枝を保健室に連れて行って、すぐに教室に帰るものと思っていた出がけの祥子は、もちろん暇つぶし用の文庫本などを持っていく頭はない。……このまま紗枝の寝顔を見ながらなにか考え事をするのだろうか。いや、そんなのもっと紗枝に対する気持ちが歪んでしまう。この顔色の悪い白い頬にくちづけを落とそうか、とか考えてしまいそう……。少女漫画の世界すぎる、どうしよう。


「……祥子、手を握っててくれない?」


「どしたの」


「アタシが寝ちゃったあとに、祥子がスッといなくなっちゃって、代わりにおばけが近くに来たりしたらどうするの……」


紗枝は真剣に、無邪気に心配している。

祥子は、自制心……と心で唱えながら、彼女の熱い手を握った。


「今日の、ふたご座流星群、一緒に見られないかも……」


「流星群は毎年見られるけど、紗枝の身体はいまが大事なんだから、心配しないでいいよ」


「……祥子は、ひとりで大丈夫なの?」


「わたしだってどの星が何座で、どのあたりから流星がでてくるかわかるようになりました。紗枝のおかげでね」


「夜空の星を見上げてると、突然怖くならない?」


「ん~、まあたしかに、夜空がわたしを押しつぶしにくるような、星が落っこちてくるような……あの感じは怖いかも。だけどそれは、隣にだれがいても、かわらず怖いでしょ? だってその人も空につぶされちゃうかもしれないし」


「なにそれ」


 紗枝は自分から話題をふったくせに声を上げて笑い出した。いつも明るくてパリピ感ある紗枝が少しだけ戻ってきた気がした。


「普通、星が降ってくるようなって表現になると思うんだけど、さすが祥子」


「いいじゃん空がズシャって落ちてきたって」


「それやだね」


「でしょ? そういう怖さ」



 何気ない会話を交わす二人だが、周囲に警戒しはじめている。時折、二人の周りの空気が冷たくなる。本当は先生が保健室を出て行ってからすぐに“それ”は始まっていたのだが、この女子二人は鈍感すぎる故に、十分以上経ってようやく異変に気付き始めたのである。


 だれかが靴の裏が濡れた状態で歩き回っているような音がする。隣のベッドが、窓際の椅子が、軋む音がする。明らかになにかがいる。だが、ここで喋るのをやめてしまったら紗枝が不安でパニックになるかもしれない。祥子は無駄話を止めるわけにはいかなかった。



「今日、お弁当の時間、わたし誰と食べればいいんだろう」


「あ~、お弁当……昨日の夜は普通だったから、いつも通りのデコ弁作ったのに、食べられそうにないなぁ」


「まぁた一瞬で終わる卵焼きに十五分もかけてなんかカラフルにしたわけ??? 紗枝のお弁当作りの過程聞いてると、実験の手順かな? って思うときが多々あるよ」


「可愛いんだからいいじゃん。祥子だって出来が良かった日は一緒に写真撮ってくれるくせに~」



 この会話の間中もずっと、キュッキュッという濡れた上履きが床に擦れる音と、椅子が軋む音が鳴り続けている。お互いにどうでもいい会話を続けながら、目配せしあっている。気付いてる? 気付いてても黙っちゃダメだよ。 ……どうしよう?


 これはたぶん「誰かいるの?」などと声をかけたらいけないやつだろうと祥子は思う。紗枝、絶対そんなこと言うなよ、と。



「ねえ、さっきからだれ……」


 祥子は慌てて紗枝の口を塞いだ。紗枝はびっくりした様子でこちらを見上げている。


「そうだね、さっきから塩だれの焼き鳥がたべたいね」


 強引に話を捻じ曲げた。我ながらパワープレイだと思う。


『だめだよ、あいつに気付いてると思われたらさ……』


 紗枝の耳元に口を近づけて、ものすっごく小さい声で囁いた。紗枝は祥子に口を塞がれたままうんうんと頷いたので、安心して手を離した。


 足音はこちらを探るようにゆっくりとした足取りに変わっている。

『うそだろ? さすがに気付いただろこいつら……』とでも言いたげだ。



「……さっきから塩だれの焼き鳥食べたいねってなに?」


紗枝はめちゃくちゃ笑いながらようやく言葉をひねり出した。


「あるじゃん、突然なにかが無性に食べたくなるとき」


「あるけどさ……渋すぎない? 居酒屋?」


「最近はコンビニにも焼き鳥くらいあるよ」


「それだっておじさんが酒のつまみにするやつじゃんか」



 笑い合う二人の横で、突然ペン立てが派手に倒れる音がした。


 さすがに血の気が引いた。二人は黙って手を握り合ったまま背筋の冷たさを感じている。


『気付いている』とあいつに気付かせてしまった。祥子は唇を噛む。こんなとき、莉緒ちゃんならどうするだろう。彼女のことだからどこからかお札でも取り出して、冷静にどこかに貼りつけ始めるのだろう。そういう得体の知れない女の子である。



「……大丈夫かな」


「え?」


「先生帰ってきてペン散らばってたら、うちらが怒られるんじゃん? 綺麗にしとかなくて大丈夫かな」


「紗枝マジで言ってんの……」



 突然、祥子の脳裏に莉緒の声が響いた。

『先輩、おばけには強気でいかないと。なめられたらおわりですよ』


「……莉緒ちゃんが、」


「祥子?」


「莉緒ちゃんが、おばけには強気で、って言ってたな」


 紗枝は、およそ熱が出ている病人とは思えないほどいきいきとした表情でにやっと笑った。


「いっちょかましてやろうよ、祥子」


「ノープランでそういうこと言うんだよなあ紗枝は……」


 あんなに怖がっていたのが嘘のように、どうしてくれようかといろいろ思案している紗枝を眺めていると、ますます愛おしくなってくる。感情豊かで好奇心旺盛、怖がりだけど妙に肝が据わってて、いたずらが大好き。こう並べるとまるで小学生男児のようだが、こういう女子高生は案外多い。



わたしたちはタイミングをあわせて、シャッとベッド周りのカーテンを開けた。二人の顔は、これから戦闘を始める魔法少女のように凛々しい。


まず祥子が提案したのは、内線で職員室に連絡してだれかに来てもらう、ということだったが、女生徒二人だけの訴えで怪奇現象を先生に信じてもらえるわけがない。天文部顧問の六本木先生ならともかく。と紗枝が却下した。それでも、「六本木先生をお願いします!」と言えばいいじゃないと祥子は食い下がったが、女生徒が三十代独身の男性教諭を保健室に呼び出すなんて、なんかえっちすぎるよ、とまたも却下された。普段全然そんな目で六本木先生のことを見ていないくせによく言うよ……、と苦笑いをしてしまったのは言うまでもない。


続いて紗枝が提案したのは、「おばけのお話をきく」ということだった。


「どうやって声を聞くのさ」


「わかんないけど、でも、あんなにはっきり足音きこえるんだもん、なんかやり方があるはずだよ」



 二人はまず散らばったペンを片付ける。


「おれの話をきけ!!! って言わんばかりの散らかし具合じゃん、祥子?」


「そうかもしんないけど、どうやって話聞くのよ……莉緒ちゃんなら聞けるのかもしれないけど」


「莉緒ちゃんかぁ……あの子ほんとにミステリアスだもんね」



 そのとき、二人のすぐ脇にあるパイプ椅子が軋んだ。


「ヒッ……」


「ほら、そこにいるんだよ」


「なんで紗枝のほうが冷静なんだよ」


 紗枝は机の端の方にあった白いコピー用紙にシャーペンであいうえお表を書き始めた。まさかとは思うが


「こっくりさんみたいにお話聞けないかなって」


「ああ……やっぱり……」


「あ、でも……コインないし、しかもアタシやり方よく知らないや」


 知らないのかよ。

 

 紗枝はさ行までかいた表をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に入れた。計画は白紙に戻った。祥子はここであることを思い出した。


「紗枝。アキネーターって知ってる?」


「なんそれ」


「ランプの魔人的なおっさんが質問してきて、それに対して、そう、とか、ちがう、って言って思い浮かべてるものを当てさせるっていうネットのなにかなんだけど、これ使えないかな」


「ん~、うちらが知りたいこと質問して、はいかいいえで答えてもらうってこと?」


「そうそう、さすが紗枝。さす紗枝」


「はい、は足音、いいえ、は椅子の軋む音でどうかな」


 ここでキュッと足音がした。


「おお~」


 二人は謎の拍手をする。記念すべき初意思疎通。


「じゃあ……どうしよ、祥子さきに質問して」


「ええ? うーん……あなたは男の子の霊であっていますか?」


 キュッと足音。


「噂ほんとうだったんだ……」


 紗枝が思わず小声で洩らす。信じきってた人が言うのね。


「あなたはここの生徒さんですか?」


 またも足音。


「ここで亡くなったってこと? どう思う祥子?」


「本人に聞いた方が早くない?」


「そっか……ここで亡くなったんですか?」


 ギシィっと椅子が軋む。違うみたいだ。


「そうだよね、学校で人が死んだなんて、もう二年いるのに聞いたことないもん」


「どうしてここにいるの?」


 ……しばしの沈黙。はいかいいえでしか答えられないから、祥子のこの質問には困ってしまったらしい。


「意外と難しいな……うーん、生きてる子を脅かしたいの?」


 ギシギシと椅子が鳴る。なんとなく全力で首を横に振っているのが思い浮かべられる。


「ええ……なら、なにか伝えたいことがあるの?」


 遠慮がちにキュッと足音がした。恥ずかしがっているようなためらいがあった。


「誰に伝えたいの? 先生?」


 ギシっと椅子が軋んだ。


「じゃあ生徒か。誰か特定の子を待っているとか?」


 またもやギシギシと鳴る。たしかに特定の生徒が来たとして、こういう意思疎通しかできないならなにも伝えられない。保健室にしかいられないというのもなにか鍵になりそうだ。


「あなたはどうして亡くなったんだろう、事故?」


 キュッキュッと喜んでいるように足音がした。不慮の事故……男子生徒……少なくとも二人は知らない話なのでだいぶ前の話なのかもしれない。


「足音がなんだか濡れている靴を思わせるってことは、水難事故?」


 ギシと椅子の音。紗枝が鋭い。


「じゃあ雨の日の交通事故かな」


 キュッと床が鳴る。


「なんかわかってきたぞ……祥子、もしかしてこの人、まだ痛くて、手当を求めに来てんじゃない?」


 キュッキュッと喜んでいるような足音。決まりだ。痛くて手当が欲しいときに焼き鳥の話ではぐらかされたら、そりゃペン立てを倒すよ。


 でも幽霊に手当てって、どうやって? 二人は考え込んだ。



 そのとき、養護の早川先生が帰ってきた。


「ごめんごめん、置き去りにしちゃって……あらどうして寝てないの?」


 二人は顔を見合わせた。どうする? 言う? と目配せし合う。


「実は……なんていったらいいんだろう、祥子?」


「先生は、保健室に出る幽霊の噂、ご存じですか?」


 早川先生は幽霊と聞いて顔色を変えた。なにかためらうように目線をさまよわせて、ため息をついた。


「まあとりあえず鹿内さんはベッドに横になって。顔色がよくないから。ベッドの側で話しましょう」


 先生に言われるまま、紗枝はベッドに横になり、祥子と先生はベッドの側に椅子を持ってきて座った。



「これは、先生が赴任して間もない頃、もう七年くらいになるのかしら……」


 七年前、スポーツ特待で入った元気な生徒がいた。仮にここではKくんとする。Kくんは誰にでも好かれるような性根の優しい子で、先輩たちからは可愛がられ、後輩たちからはとても慕われていた。周りもスポーツ特待生のため、そこまで目立つ成績はあげられていなかったが、いつも努力している子だった。


 梅雨時期。遅くまで続いた部活の帰り。降りしきる雨の中をKくんは傘をさしてバス停まで歩いていた。雨で烟る視界に、傘のせいで前がよく見えない。


 そのとき、後ろから猛スピードで自転車が走ってきた。けたたましくベルを鳴らしてKくんに退くように促して走り去ろうとする。Kくんは思わず車道側に避けてしまい、それを前方から来た高齢者ドライバーのブレーキが間に合わず、彼は何メートルもかなりの速度で引きずられた。


 足は骨が折れて肉を突き破っており、内臓も破裂していた。このとき運が悪かったのは、頭をあまり打たなかったことだ。頭がやられて即死となれば苦しまなくて済んだのに、なまじ意識のある状態だったために、Kくんは苦しみのなかで息絶えた。


 ご両親や朋輩たちの悲しみはとてつもない。盛大な葬儀が出され、学校からもたくさんの生徒教諭が参列した。


「ということがあったの……そのときのKくんの苦しみは半端なものではなかったと思う。事故にあった瞬間から最期まで痛みの中にあったんだものね、先生も切なくて悲しくて、しばらくやりきれない気持ちのまま仕事をしたものだわ。とってもいい子だっただけに、学校中が悲しんでいたものよ」



 二人はあまりのことに黙りこくってしまった。けれど、こんなに彼のことを思ってくれる先生ならありのままを伝えても信じてもらえるんじゃなかろうか? 祥子は言ってみることにした。


「……先生、そのKくんが、そこにいるって言ったら驚きますか」


「いいえ、なんとなくそんな気はしていたから、いまさら驚かない。でもなんでここにいるんだろう、普段は保健室にはばんそうこうもらいに来るくらいだったのに」


「さっき、アタシたちがパイプ椅子に向かって立ってたのは、Kくんと意思の疎通を試みていたからなんです。……Kくん、いまでも痛くて、誰でもいいから手当してほしいんだって」


 先生は紗枝の言葉に驚きで目を丸くした。と同時にすごく切なそうな顔になって、いまにも泣き出しそうだった。


「アタシたちも、どうしたらいいんだろうっていろいろ考えたんですけど、全然わかんなくて」


「……そっか、まだ痛みに苦しんでいるのか。……わかったわ、校長先生にお話してKくんを改めて供養してみる、ありがとう二人とも」



 ここで三時間目の終わりのチャイムが鳴った。




 夕方、学校が終わって自転車置き場でスマホを確認すると、紗枝からメールが入っていた。


「インフル陽性でした! 祥子も道連れ!!」


 その字面をみただけで祥子は寒気がしてきた。もうかかっている気がする。


 今日のふたご座流星群の観測は、一年二人にまかせちゃお……。


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