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霜月

 11月下旬の校庭掃除は身に堪える。よりによってこんな風の強い日に当たってしまった。

 桑原健琉(くわばらたける)は学ランをジャージに着替えると、寒そうに外に出た。


「ずみさん、早いね」


 クラスメイトの泉は早くも竹箒を二本持って、やはり寒そうに身を震わしていた。


「よりによって、って顔してるな、タケちゃん」


「いや、でもこんな夜の星は綺麗だし、別に僕はこういう天気も好きかな。寒いけど」


「さすが天文部の部長様だな、俺なんか早く切り上げてエアコンの風に当たりてえもん」


「もう部長じゃないよ、天文観察なんていつでも誰でもできるし」


「だとしても、さ」


 泉は竹箒を桑原に渡した。桑原が陰ながら“天体馬鹿”と呼ばれているのは学校中では有名な話である。改めてそれに感心しつつもさっさと掃除を終わらせてしまおうということになった。


「タケちゃん模試で地学とったら100点だったって話マジなん?」


「そんなの嘘に決まるでしょ、90点そこそこだよ」


 桑原は笑った。似たようなものだ。桑原がどういう進路を選んでいるかは知らないが、地学で勝負できる大学はかなり少ないと聞く。そしてなにより、“地学は講義そのものがなかった”のだから驚きだ。文系クラスとはいえ、日々数学の計算に追われているというのに。


「そんなことよりさ、ずみさんの下の名前って間違えられやすいよね」


 桑原は唐突に話を変えた。


「え? あぁ……智英でトモエなんて読ませるの滅多にないからね……」


「トモヒデくんって未だに読んでる先生いるからね、笑っちゃうよ、ずみさんも訂正しないで返事しちゃうんだもん」


「小学生の頃からずっとこれだもん、慣れたよ……」


 掃き集める落ち葉は風に巻かれて散らばってゆく。泉は半分あきらめたように闇雲に箒を動かして掃除時間をどうにかしのいでやろうと思った。


「そういえば小学生の頃はさ、なんか昆虫のゲームが流行ったよな、タケちゃんやってた?」


「僕が虫のゲームなんかやってると思う?」


「その頃から天体少年だったわけか」


「それもあるし単純に虫が好きじゃない」


「俺も虫は嫌いだな……家にゴキブリとか出たら父親にどうにかしてもらってるもんな……」


 まともな監督の先生がいる掃除場所ではないので二人は箒を形ばかりに動かしながら駄弁りモードへと突入していった。落ち葉が掃いても掃いても集まらないので自棄になってしまったのもある。


「ずみさん小学生の頃ってなにしてた?」


「……タケちゃん、幽霊とか怪談の類って信じる?」


 泉は真っ直ぐな目で桑原を見据えた。質問と返答が合っていないがその瞳に気圧されて桑原は頷いた。脳裏に七月の合宿での出来事が蘇る。あんな思いをしておいて信じられないというには無理があった。


「……俺の親友にさ、すごく視えるヤツがいるんだ。そいつとずっとふたりぼっちで遊んでた」


「視えるって、……幽霊が?」


「そう。梅雨時期に話しただろ? 傘の話。アイツだよ」


「あぁ……」


 泉になにか怖い話はないかと聞いたとき教えてくれた話があった。長いのでここでは割愛するが、赤い傘の女の子の話だった。


「視えるのを必死に隠してたってどこかでほつれるんだよな。なにか知らないけどバレてさ。いじめられてるのを庇ってた。同情とかそういうんじゃなくて、単純にアイツの心根の良さを知ってたからほっとけなくて」


「どういう遊びをしてたの?」


「神社の境内で石蹴りとか、駄菓子屋で買ったお菓子を隠れ家で食べたりとか、帰り道にグリコとかそういう遊びをしてたよ。古き良き遊びでいいだろ?」


 泉はちょっと笑いながら言った。


「懐かしいなあ……グリコとか僕もやったよ。周りはみんな携帯ゲーム機で遊んでたけどさ、僕もそういう遊び相手ほしかったな」


「みんなグーで勝ちたくないからパーかチョキ出すんだよな、懐かしい……今やっても楽しいぜアレは」


「あの頃は何してても楽しかったよね……テストも100点が当たり前だったしさ」


「そうだな、やり直してぇ」


 そのとき、つむじ風が起きて校庭の砂と落ち葉を巻き上げた。掃き集めたイチョウの黄色い葉が点々と散らばってゆく。


「なんだこれ……一生終わんないぜここの掃除」


「適当でいいよもう、知らないよ……」


 ふたりは竹箒を止めてその場に座り込んだ。掃除を始める前とそこまで変わらない景色が広がっている。自分たちが今までやってきたのは本当に掃除だったのか不安になる。泉が大きくあくびをして背中を伸ばしたとき、後ろから猫の声がした。


「猫?」


「黒猫だ、ほらあそこ」


 桑原は猫の姿をとらえていた。指差す方向を見ると確かに黒猫がこっちを見ている。校庭の中に迷い込んでしまったようだった。


「校内だな、どうするタケちゃん」


「どうもしないよ、用務員さんが見つけてご飯あげるでしょ」


「ああ、あのおじさん猫好きだもんな」


 用務員の菅原さんは、ガタイがよくて足が早い。顔が濃くて、朴訥とした雰囲気を纏っている。そして、猫が好きだ。奥さんとふたり暮らしの家には猫が6匹もいるらしい。保護猫がいればそれを引き取り、野良猫がいれば保護して里親を探している。そういうおじさんだった。いつでも仏頂面の菅原さんが猫の前ではとろけてしまう。そういうギャップが萌えポイントなのか、密かに女生徒から人気がある。


「……猫といえばさ、不思議な話があるんだけど、小学生の頃の話、聞く?」


 猫を見つめたまま桑原が無感情な声で話し始めた。


「不思議な話? 聞くよ」


「僕ね、小さい頃は団地暮らしでさ、メゾネットタイプの町営住宅に住んでたんだ。そこはほんとは動物飼っちゃいけないんだけど、猫めっちゃ飼ってるおじさんがいてね。真木さんっていうんだけど、そのおじさんは僕ん家の隣の棟だった。その中でも『まめ』って呼んでた猫がいてね、まめはよくうちにも遊びに来てさ、ぶち猫だったんだけど、まるまるしてて可愛かったんだ」


「まめ、ってかわいいな」


「でしょ? それで、しばらくしてまめもすっかりうちに遊びに来るのがルーティンになった頃、火事が起きたんだ。うちの隣の棟だったんだけど、ガス爆発だったのかな。銃声みたいな音がしてさ、僕は銃撃だと思って必死に伏せたんだ。ドラマの見過ぎだよね。でも火事だった。真木さんの家がボーボー燃えてた。猫は大丈夫かなって心配してたんだけど誰も猫については教えてくれなかった。まめも遊びに来なくなっちゃって、すごく心配だったんだ」


 そこまで話して、桑原はため息をついた。彼の脳裏にはいまでもその火事の炎が燃え盛っているようだった。


「……真木さんは病院に運ばれて、亡くなっちゃったんだけど、猫たちのことは教えてもらえなくて。僕はまめのことを待った。毎朝毎晩餌を庭に置いてね、昼間来てるかもしれないと思うと正直学校どころじゃなかったんだけど、僕そのとき学級委員やってたから休むわけにもいかなくて……。だけど餌は減ってなかった。まめは死んじゃったんだと思ったら悲しくて悲しくて、僕はしばらく塞ぎ込んだ」


 桑原の顔は心底悲しそうだった。泉はかける言葉が見つからずに黙って聞いていた。


「ところが、1ヶ月くらいして団地の裏の公園でまめを見かけたんだ」


「マジか!」


「うん、まめは変わらずまるまるしてて、可愛いままだった。毛艶もよかったし、誰かのお家で保護されてたんだろうなって思った。……だけど、」


「……だけど?」


「まめが喋ったんだ、いつも鳴く声で、『タケちゃん、いつもありがとね』って。そこで僕は不思議に思わなかった。必死に言ったんだ。『真木さん家が燃えちゃって大変だったでしょ? 僕ん家おいで、まめ』って。そしたら『ううん、おじさんがここは猫飼っちゃいけないってよく言ってたからやめとく』って言うんだよ。僕は心底落ち込んで、がっくり肩を落として帰ってった。猫が喋るはずないって気付いたのは家に帰ってからだよ」


 桑原は猫の声真似を裏声でしてみせた。その真面目な顔から出てくる高い声のアンバランスさに泉は吹き出しそうになったが、なんとか堪えた。


「この話には続きがあってさ。僕が町営住宅から引っ越してしばらくした頃、中学の頃だ。子猫を拾ったんだ。僕は直感でわかった、こいつはまめだって。まめが生まれ変わって僕んとこに来たんだ。だからいま僕んちにはまめがいる。まめと違って茶トラ猫だけど、まめなんだ。伝わるかなこれ」


「ああ、わかるよ。……猫には9つの命があるっていうんだけど知ってるかな」


 猫に九生あり、それは古代エジプトから伝わる都市伝説だ。博識な桑原は「聞いたことあるよ」と頷いた。


「思うに、まめはあのとき死んじゃったんだ。だけどあんまり僕が悲しむから、現れてくれたんだよ。それで次の命を使って僕のところに来てくれたんだ、僕はそう思う」


「うん、俺もそう思う。まめのこと大事なんだな」


「まめは僕にとって唯一無二の猫だよ」


 そのとき、掃除時間を終えるチャイムが鳴った。


「行こうぜタケちゃん、寒すぎ」


「ずみさん、箒片付けてくるよ」


「ああ、ありがと」


 あまりに寒いので手が冷え切っている。


 教室に戻る道すがら、生徒玄関で靴を脱ぎながら泉は桑原を待った。桑原はすぐ戻ってきた。


「う〜、寒い……」


「おまたせ、ずみさん」


「ああ、早く行こ」


「そうだ、ずみさん、今日うちくる?」


「え、なんでどしたのいきなり」


「顔に『猫見たい』って書いてあるよ」


「えっ」


 泉は思わず顔を触った。桑原はケタケタ笑って、眼鏡をかけ直した。


「写真とか見せてくれたらそれでいいのに」


「あ〜、僕ね、写真とか撮る文化が根付いてなくて、スマホに入ってる写真はネットで集めた天体写真だけなんだよね。食べ物の写真とか撮るけどさ、アレ何の意味があるんだろうね、僕にはさっぱり」


「まあ食べ物の写真撮るのが意味わかんねえのは俺もだけど、飼い猫も撮らないとかある?」


「スマホカメラより、目に焼き付けたい派なんだよね」


「なにちょっとカッコつけてんの」


 二人は笑った。教室についたので、慌てて自分の席にロッカーから鞄を持っていって座る。他のクラスメイトはみんな帰りの用意が終わっていて、担任もホームルームを始めるのを二人のために待っていた。


「はい、ホームルーム始めます」


 担任の倉橋先生は女教師の中でも怖がられていて、国語科の教科主任をやっていた。決して若いとは言えないが、短い髪をきっちりセットして、化粧もカチッとしていて、政治家みたいだなとみんな思っている。女子には人気が高く、怖いながらも冗談や女子トークのわかる人で、3学年の中でも、女子にはこの1組は担任がアタリのクラスとして羨ましがられている。男子には、決して差別をしているわけではないのだが、身だしなみや言葉遣いなど、つい厳しくしてしまうので、ただ怖いだけの女教師だった。


 桑原は天文部だった頃、日本史の六本木先生に部の顧問として世話になっていたが、六本木先生も男の30代独身ということで、倉橋先生には厳しい態度を向けられていたようである。六本木先生は倉橋先生によく懐いていた(書籍などの貸し借りがあったようである)が、生活習慣や、服装、寝癖のついたままの頭髪、汚れのついた眼鏡などが注意されていたらしい。よく部室で二人きりになると、『タケちゃん、倉橋先生、こわいよね』と言っていた。


 気付いたらホームルームが終わっていた。特に気に留めておく連絡事項もなく、受験勉強に邁進するように、といつも言われることの繰り返しであった。この3-1は私立のこの高校の特進コースであった。偏差値は60から70。俗に言うMARCH以上の大学進学が当たり前だ。桑原はなぜ文系にいるのかとよく聞かれるが、理系に入っても結局自分の行きたいところがどこなのかわからない。強いて言うなら天文考古学が近いと思う。自分が好きなのは宇宙開発ではなくただの天体観測なのだということに気づいてしまえば、宇宙系に進む気はさらさらなかった。自分は教育学部に入って、六本木先生と同じような日本史の先生になるのだと思っている。天体の勉強は雑誌でできる。なにより学費が桁違いになるのは避けたかった。親には楽をさせたい。手堅く教員などをやっていれば親を安心させられる。そう思ったのだ。


「タケちゃん、ほんとに家行っていいの?」


 泉が鞄とコートを手に寄ってきた。


「いいよ、アレルギーとかない?」


「あ〜、親が猫アレルギーでさ、でも大丈夫、コロコロかければ問題ない」


「そういうものなのね」


「俺よく猫カフェとか行ってんだけど、猫の毛とかフケを持って帰らなきゃいいだけって気付いて、100均で小さいコロコロ買って鞄に入れてるんだ」


「それはすごい情熱」


 泉は鞄の中から、小さいカーペットクリーナーを出してみせた。


「野良猫に絡まれてもいいようにって、ちゅーるも持ってんだ」


 泉の鞄からは、猫のおやつ、猫じゃらし、猫のおやつ、猫のおやつ、と猫グッズが延々と出てくる。なんと携帯用猫のエサ皿まででてきた。


「すごいでしょ、これ百均」


「もう自分の部屋で野良猫保護したらいいのに」


「いや、親が断固反対してくるんだよね。卒業して一人暮らししたら絶対保護団体の譲渡会行くぜ。この用意してる諸々も、あんまり使ったことないしね⋯⋯」


「ペットショップ行くって言いださないところがガチだよね」


 桑原は笑う。泉はコートを羽織って、出したものをまた鞄に詰めた。桑原は普段はコートが邪魔になるので着てこないのだが、今日は風が強いから、着てくればよかったなと軽く後悔した。



「僕、チャリなんだけど、ずみさんは駅まで歩きだよね? 歩きだと結構かかるかもだけどいいかな?」


「いいよ、全然平気」


「まあ、いうて二キロくらいだけど」


「なんだ全然じゃん、歩こうぜ」


 ふたりは歩き出した。途中、いろいろ話したが、やれ彼女はいらないだの、やれ結婚はしたくないだの、意外と価値観が合うことに嬉しくなっていた。細かいところや、彼女がいらない理由はそれぞれ違ったのだが、『女の子に合わせることに楽しさを見出せない』というところは合っていた。無理もない、ふたりとも勉強漬けで生きてきたのだから、人間と群がることに快楽を見出せないのだろう。という結論に達した。


「ついたよ、これ」


 桑原の家は中古住宅を買い取ってそのまま住んでいるという家だった。玄関の雰囲気が、昭和レトロという感じだ。絶妙な色味のドアノブ、床のタイルは色褪せて、おしゃれなランプ風の玄関照明、すりガラスは模様がついている。


 複雑な住宅街で、道こそ覚えられそうにないが、雰囲気は他の家々とは異なるものがある。素敵な家だ、泉はそう思った。


「お邪魔します」


「いらっしゃい、タケちゃんがお友達連れてくるなんて珍しいね」


「ばあちゃん、まだ誰も帰ってない?」


 出迎えてくれたのは桑原の母方の祖母だという。自分の祖母より若々しかったので、ちょっとびっくりしたところはある。


「みんな仕事行ってるよ、お母さんはそろそろ帰ってくるかもね」


「おっけ、ありがと。部屋にいるから」


「はいよ~」


 桑原の家は母子家庭できょうだいが多いと聞いたことがある。四人きょうだいの末っ子で、他のきょうだいはみな女の子だとか。きょうだいのいない泉は羨ましく思うが、桑原は姉たちをモンスターかのように扱っているらしかった。道すがら、女の子に合わせるのは云々⋯⋯と話していたが、それは少なからず姉たちの影響もあるようだ。


「ここだよ、部屋」


 桑原が引き戸を開けると、茶トラの猫がお出迎えしてくれた。こころなしかライオンの赤ちゃんに見える。


「君がまめたんでしゅか~!!!!!」


 泉はもう取り繕うことなく思い切り猫なで声になって、足元に擦り寄る猫にあいさつした。


「ずみさんすごいね、ホンモノだね」


 桑原は苦笑した。


「ちょっとさ、お姉ちゃんと共同の部屋だから恥ずかしいんだけど⋯⋯でもばあちゃんが飼ってる猫が猫見知りだから連れ出すわけにもいかなくて」


 たしかに、部屋をみると二段ベッドの下段が姉ゾーンらしく、ぬいぐるみがたくさんと、彼女の推しであろうキャラクターのグッズで溢れかえっていた。衣類はきれいにしまわれていた。泉は、下着とか出ていたらどうしようと思っていたのでありがたかった。


「いいよ、俺は気にしないし。お姉さんいつ帰ってくんの?」


「夜の九時とか。だから気にしなくて平気だよ」


「よかった。⋯⋯まめちゃん、めっちゃかわいいな」


 猫はぐるぐると喉を鳴らし、泉の膝の上に座り込んでいる。すっかりこの猫好きの訪問者を気に入ったようである。


「そういえば⋯⋯ずみさん、『幽霊の存在を信じるか』って、聞いてきたよね?」


「ああ、うん、友達のことを話題に出さなきゃだったからな」


「⋯⋯うち、いるっぽいんだよね」


「え」


 桑原は真剣なまなざしだった。眼鏡の奥の瞳がまっすぐに泉を見ている。



「タケちゃんも視える人なの?」


「まさか。僕はゼロ感のほうのレイカン。まめがね、よくなんにもないところでぐるぐる言ってんだよね」


「威嚇じゃないんだ⋯⋯」


「うん、たぶん、真木さんじゃないかな」


「話にでてきた猫のおじさんか!」


「まめがもし、本当にあの“まめ”で、生まれ変わってきてくれたんだとしたら、だけどね」


「⋯⋯それで全然知らない女の人とかだったらどうする?」


「わあ怖いこと言わないでよずみさん」


「はは、冗談。でも俺だって零感なんだよなあ⋯⋯」


 泉は少し考えた。親友の本田に視てもらえば一発でまめが空を見てぐるぐる喉を鳴らす理由がわかる。けれど、本田をそういうことに利用したくはない。


「なんで俺にその話したの?」


「ずみさんなら笑わないで聞いてくれるからさ、それ以外に理由はないよ」



 そのとき、猫が泉の膝からおりて、部屋の窓際の隅の方をじっと見つめて唸り始めた。


「え、なんか唸ってるけど大丈夫?」


「いつもこう。すぐ喉鳴らしはじめるよ」


 桑原の言葉通り、まめはぺろぺろと自分の鼻を舐めて、ぐるぐる言いながら床に転がった。まるで腹を撫でられているかのようにふるまうので、確かにこれはなにかいるぞと思ってしまう。


 泉はあることに気付いた。


「⋯⋯なんか臭くない?」


「焦げ臭いでしょ。だから僕はなおのこと真木さんじゃないかなあって思うんだ」


 確かに、真木さんというおじさんは、火事で亡くなったと聞いた。そのことが念頭になかった泉にも、はっきりと焦げ臭さが感じられた。これは、もしかするともしかする。焼け焦げた人間が自分達の眼前に立っていて、猫を撫でているのかと思うとそら恐ろしい気分がした。


「⋯⋯⋯⋯怖くないの?」


「ああ、僕は真木さんの生前を知っているから、懐かしい気分になるよ。いまは熱くも苦しくもない状態で、まめの様子を見にきてるのかなと思うと、ちょっと切ないような気もするよ」


 なるほどそれはそうだ。泉はまだ誰かを永遠に失ったことなどないので桑原の気持ちは本当の意味では分かっていないかもしれない。それでも、想像することはできる。


「真木さんって変な人でね。猫いっぱい飼ってたって言ったでしょ? なんか真木さん本人も猫の匂いがする人でさ。いちばんやばいと思ったのは⋯⋯⋯⋯生肉食べてた時かなぁ、合い挽き肉、パックから直にね」


「は?」


 話が違う。泉の脳内では、真木さんという人間は年金暮らしのおじいさんで、まともにやりとりのできる常識的な人間だった。しかし今の話から察するに、なんだか薄汚く、ちょっといかれてる人だ。


「え、そんな人と遊んでたの?」


 思わず食い気味になって聞いてしまう。


「遊んでたねぇ」


「な、なんで?」


「⋯⋯今の話で誤解を与えたかもしれないけど、真木さんはまともに造園業で働いてたよ。身なりも、見るからにヤバいおじさんたちに比べたら小綺麗だったし。ただね、これは僕の仮説なんだけど、真木さんきっと、百万回生きたねこなんだよ」


「え、なに、どういうこと?」


 泉は混乱を極めている。


「だから、猫に九生あり、ってずみさん言ってたでしょ? あれ、真木さんはたぶん八回くらい猫だったんだよ。なにかの間違いで人間に九回目で生まれ変わっちゃったんだと思う」


「なるほど⋯⋯⋯⋯?」


「まだ真木さんが生きてた時、町営住宅の裏庭で見せてもらったんだ。真木さん、猫語喋ってた。真木さんが一声あげると野良猫が集まってくるんだ」


 テレビかなにかで、人が猫の鳴きまねをして猫をビビらせている動画を見たことがある。しかし、桑原の口ぶりからすると、猫たちには、真木さんは猫として認知されていたんじゃないだろうか。ビビったり、なんだこいつ、と威嚇されることもなく、普通にコミュニケーションをとっていたんだろう。


「まだ不思議な話はあるよ。真木さん、腎臓が弱かったんだけど、何度か入院してね。だけど満月の夜には必ず戻ってきてた。病院から抜け出してでもね。なんでわかるかって言うと、それも真木さんに教えてもらってさ。満月の夜には猫の集会があるんだって」


「猫の集会ってホントにあるんだ⋯⋯」


 泉は圧倒されっぱなしだった。昼に学校で聞いた真木さんと、いま聞いている真木さんの話は違う次元の話のような気がする。まるで⋯⋯


「魔女みたいだな」


「魔女? 真木さんは男だよ」


 桑原は笑う。


「いや、小さい頃、怪談の本読んでたんだ。知ってるでしょ? 話のテーマごとに本になってるやつ。あれのさ、魔女の本読んでた時、そんな話読んだ気がする。

 俺は真木さんを知らないけど、真木さんは猫なんじゃなくて、魔法使いだったんだよ、多分。造園業っていうのも、なんかそれっぽい。どういう作業するかはよく知らないけど、薬草の庭とか作ってそうじゃん」


「ずみさん、造園業はガーデニングとは違うよ」


「わかってるよ⋯⋯そうじゃなくて、なんか伝わるだろ? 俺の言いたいこと」


「まあ、わからなくもないよ。造園業のおじさん、っていうのは世をしのぶ仮の姿で、ほんとうは薬草を育てるのに庭いじりをしていたかっただけ、ってことでしょ」


「そうそう」


 桑原は思い出を蘇らせるように視線を巡らせると、ああ、と一声あげた。


「そういわれると、そうかも。真木さんの家の庭、森だったもん」


「町営住宅で森?」


「うん、火事のときたいへんだったみたいだよ」


「へえ」


 なおのこと真木さん魔法使い説が真実味を帯びていく。まめは桑原の膝に戻ってきた。焦げ臭さもいつのまにか消えていた。


「じゃあ、真木さんは魔法使いだったってことで⋯⋯」


「はは、真木さんなんて思うかな」


「まめ~、ちゅーる食べるか~?」


「聞いてないし」



 泉は夕方の五時ごろまでお邪魔して、まめと散々遊んでから、バスで駅まで帰っていった。大学進学までの間、特に冬は、試験が終わってから春までは暇になる。また来たいと泉が言うので、試験が終わるまではお互いに模試や受験勉強で忙しいから、それ以降にね、と言って別れた。


 とはいえ、もともとは理系志望だった桑原からすれば、文系の入試など、あまり真剣になれなかった。


 ただの星を見る少年でいた頃に戻りたい。


「真木さん、魔法使えるなら、あの頃に戻ろうよ」


 呟いて、可笑しくなって笑った。魔法なんてあるわけないよ。まったく、泉のびっくりファンタジー発言には驚かされた。まめを見ると、カーペットを畳に留める鋲を抜こうとしていた。


「こらこら、いけないったら」


 腹を撫でると、目を細めて気持ちよさそうにしている。


 一生、高校生でいたいな。一年でいいから過去に戻りたい。天文部の部長でいればよかった、あの頃に。


 まめが一声、にゃおぅと鳴いた。


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