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11/12

卯月

 先輩のいない四月を迎えた。新学期という妙に清々しい気持ちになる季節。遼はどこか物悲しさを隠しきれないでいた。桜が咲いている。今年は入学式に合わせるように開花したような気がする。例年ならば、桜をみればうきうきとしたものだが、今年はそうはあれなかった。“先輩”になるプレッシャーも感じているのかもしれない。


「遼、今年は誰か入ってくるかな」


 隣には莉緒が立っている。遼も莉緒も文系クラスになり、今年からは同じクラスだ。


「うーん、俺たちみたいなもの好きがいればいいけど。どうせ運動部に根こそぎ持ってかれるよ」


 遼たちは北棟の生徒玄関の前に立ち、天文部のビラ配りをしている真っ最中だ。三年女子の言いつけに従い、誰かひとりでも引っ張ってくると目標を決め、必死に勧誘しているが、やはり「退屈そう」というイメージを払拭しきれない天文部は見向きもされない。この際別に二年でも三年でもいい、転部してくる人間すらも捕まえたい気持ちでいた。このまま新入生が入らず、三年女子が卒業してしまうと、天文部は廃部の危機に直面する。同好会におちると部費が生徒会からおりず、合宿にも行けなくなる。それだけはなんとしても避けたかった。


「……息が詰まるな」


「まったくもって同意」


 彼らは廃部という二文字のプレッシャーに息苦しさを感じ始めていた。


「天文部でーす」


「たのしいよー」


 必死の声かけも虚しく、新入生たちは遼と莉緒を怪訝そうな顔で一瞥して通り過ぎていく。


「俺ら怪しい団体だと思われてる?」


「日本において天文学は陰陽道の管轄だったからね、占い同好会みたいに思われてるかも」


「うわ、それキッツ」


「ねえ遼、もうこんなことやめて部室に帰ろうよ」


「おおむね同意なんだけど、廃部がちらついてな……」


「まっじめ~」


 莉緒は口笛を吹いた。


「んじゃわたしだけ戻ろうかな」


「ええ、俺ひとりでビラ配るの?」


「タケちゃん先輩はひとりぼっちでビラ配ってたよ。死んだ目で」


「……それ言われるとなにも返せないわ」


「あとはよろしく~」


 莉緒はさっさと部室へと帰っていった。


「薄情者め……」


 遼は唇を噛んで、恨めしげに彼女の背中を見送った。莉緒は薄情だ、……薄情、というか、何事に対しても本気ではない感じがある。飄々と、つかみどころのない根無し草のような。そんな彼女にとっては、ビラ配りなんて本気になるようなイベントではない。そもそも、莉緒が本気になる瞬間を想像することが難しい。そんな少女だ、熱意を期待する方がおかしい。莉緒なら言うだろう。「廃部? しょうがないか、帰宅部だね」と。


 気を取り直してビラを手にとった。そこには、早風先輩の丸い字で『お星さま好きな子あつまれ~!!!』とでっかく書かれている。女の子をターゲットにしています、と言わんばかりの丸文字。これが新入部員を呼び込めない理由なのではないだろうかと思う。それに、


「お星さま、て……」


 天文部に入るほどのガチ勢が、お星さま~、きらきら~なんていうわけないだろうが。馬鹿にしてんのか、と遼は毒づく。ビラをつかんで睨みつけるように見つめていると、すぐ側を不審者でも見るかのように一年生が通り過ぎる。


「あ、天文部です」


「はい……」


「ビラどうぞ」


「はあ……」


 その一年生を呼び止めて、ここぞとばかりにビラを渡す。彼女は丸メガネの勤勉そうな少女で、いかにも文学部に入りそうに見えた。実際まったく興味なさそうにビラを一瞥すると、ため息をついて二つ折りにして肩掛けカバンに押し込んだ。遼が難しい顔をしてビラを眺めていたのを見ていたであろう少女は、彼を不審者のように思っているのに違いはなかった。


 遼はそんな一年生の表情を見て、落胆した。だめだ、こんなんじゃだめだ。こんなんじゃ新入部員なんて誰一人入らないよ……。頭を掻きむしりたくなった。


「今日はもう部室戻るか……」


 もしかしたら部室を覗きに来る奇特な新入生もいるだろう。いる可能性は限りなく低いが、もしかしたらもしかする。早風先輩と鹿内先輩には怒られるかもしれないけれどもう戻ろう。これは不毛な戦いだ。



「戻りました」


「あ、遼くんおかえり! 今日の成果は?」


「ビラが五枚もらわれていきました」


「で?」


「見学希望者はゼロです」


「はあ……」


 鹿内先輩が肩をすくめてため息をつく。そのリアクションは俺がしたいところだ。


「成果なしなので、もう戻ってきました。……俺、この仕事向いてないと思います」


「ええ? 遼くんはこの天文部のマスコットだよ? これ以上の適任はないでしょう」


 早風先輩は真面目な顔で言い放つ。


「俺そんなつもりなかったっす」


「遼くんはそうでもうちらはマスコットだと思ってるよ、ねえ莉緒ちゃん」


「はい」


 莉緒も無表情で真面目くさって頷く。遼は心の中で舌打ちでもしたい気分だった。


「先輩もこんな気持ちだったのかな……」


「タケちゃん先輩もマスコットだよ」


「ああ……」


 クラスメイトには、ハーレムじゃん、と茶化されるが、とんでもない。こんなハーレムがあってたまるか。女子の天下、男子部員は客寄せパンダのマスコット扱い。部の身分制度の最底辺にいるのをひしひしと感じる。先輩は部長だったのにマスコット扱いなわけなので、ここで遼がなにを言っても無駄なのは火を見るより明らかだ。


「俺……先輩たちが行った方が新入生釣れると思うんすけど」


「ええ? うちらはもうビラ書いたからいいじゃん」


「先輩たちも勧誘めんどくせえと思ってんじゃん……」


「だって、うちらの代では廃部にならないの確定してるもん」


「そんな無責任な……」


 早風先輩と鹿内先輩は顔を見合わせて、事もなげに言い放った。莉緒は我関せずで天文手帳を広げ、PCで天気予報を見ている。遼は崖っぷちに追い詰められたような気持ちになった。


「と、とりあえず、新入生が興味を持ってくれるのはビラ以外にも、号外の天文新聞がありますよね?」


「そうだねー。テーマをなににするか全然決めないまま春休み終わっちゃったけどねー」


 鹿内先輩が眠そうな声で反応する。


「春って忙しくて空見上げるどころじゃなくない? ぶっちゃけ」


 早風先輩も同調する。


「そうかもしんないけど、俺ら天文部なんすから、……ね、莉緒、なんかないか?」


「なんかないかって言われてもね〜。ネタだけは豊富なあの人に聞いてみたら?」


「あの人? 六本木先生?」


「そう、我らが副担、暇人六本木」


 そう、顧問の六本木先生は遼と莉緒のクラスの副担任になった。先生は日本史の先生なのになぜだか天文部の顧問をしている。逸話、神話、民話の類に異常に詳しく、生徒たちにとっては歩く民話集だった。そんな六本木先生はいつでも本を読んでいて、遼には忙しそうに見える。しかし、勉強でもないのに本を読む余裕があるのは暇だからだと決めつけられ、多数の生徒からは暇人のレッテルを貼られている。可哀想だなと遼は思う。


「六本木先生もさすがに新年度は忙しいんじゃ……」


「でもわかんないじゃん、なんかヒントくれるかも」


 莉緒が立ち上がって部室のドアに手をかけたところで、ドアが外側から開いた。


「よぉお前ら。新入生釣ってる〜?」


「せんせえ〜、ダメダメです〜!!!」


 そこに立っていたのは紛れもなく顧問の六本木先生だった。薄汚れたメガネの奥の目がニヤリと笑う。


「そうかそうか。まあ俺としても、そんなに入らねえだろうな、という気持ちで様子見にきたので全然驚きゃしないんだが……」


「俺たちのなにがだめなんすかね」


 遼はポツリと呟く。


「いや、お前らがダメってわけじゃないだろ。たまたま需要と供給が一致しないだけだと思うぞ」


「需要と供給……」


「お前らは天文部の新入部員がほしい、これ需要。新入生の中に天文部に入りたい子がいる、これ供給。これが合致するとみんなハッピー。おわかり?」


 遼と莉緒はうんうんと頷く。


「それにお前ら、生徒会の部活案内のことなにも考えてないだろ」


「生徒会の部活案内!! 忘れてた!!」


「講堂使ってこんな部活があるよーっていうプレゼンの場だろ? ビラより効率的に新入生を釣るなら面白いプレゼンをすることだ」


 先生はぐるっと部室を見回した。


「見たところ莉緒ちゃんはパソコンで何かしてたみたいだが、プレゼン資料でも作ってたのか?」


「いえ、めちゃくちゃ次の天体ショーの天気調べてました」


「……天文部らしくてヨシ」


 ため息交じりで先生が笑う。莉緒はそういう女子だ。


「三年女子たちは何をしてたんだね」


「うちらは何もしてませんでした!」


「潔くてヨシ」


 先生の視線が遼の顔に留まる。


「遼は、ビラ配って来たんだな?」


「ウス、五枚もらわれていきました」


「上出来だ」


 六本木先生の無骨な手が遼の頭をワシャワシャと撫でた。


「んじゃこっから作戦会議だ。みんな天文部がなくなったら嫌な気持ちは一緒だな? 部員が五人を切ると正確には“部”ではなく“同好会”なんだ。いまこの部は“天文同好会”で、部費が削減されることになってる。それを挽回するには今回新入生を一人でも釣ることが重要になってくる。三百人中ひとりでいいんだ、みんな気張れよ」


 生徒四人は神妙な面持ちで頷いた。


「まずはスライドを作ろうか。俺たちの天文部には実演とかはないから、とにかくきれいな天体写真で釣ろう。写真のデータはあるか?」


「でもわたしたち写真部じゃないから、そんなにきれいな天体写真持ってないよ」


「あのな、プロの写真家みたいに超きれいじゃなくていいんだよ。素人レベルだったとしても、流れ星を撮れている写真があれば一二〇点だ、あるんじゃないのか? そういうの」


「ああ、あるかも」


「てかお前ら、自分たちが入ったときのこと覚えてないのか?」


「先輩たちがどんなこと言ってたかなんて覚えてないな……」


「三年女子に至っては去年もやったんじゃないのか?」


「マジで記憶ない、データも残ってないし。たぶんタケちゃん先輩のUSBのなかにあるのかな」


「タケちゃん先輩のUSBの中となると、たぶんもうこの世にいないよね」


 先生が含み笑いをこぼしているのに気付いて、莉緒は尋ねた。


「どうしてそう思うんですか?」


「ああ、タケちゃん先輩はお金ケチって買った16GBのメモリに天体写真をガシガシ突っ込んでいくから、もう二度と使わないファイルは容赦なくゴミ箱だよねって話」


「高画質の画像ファイルをたくさん保存したいならオンラインストレージがいいんじゃない? って俺言ったんだけどねタケちゃんに」


「16GBとかいまのスマホより容量少なくないですか……」


「オンラインストレージサービスはサ終したら画像が霧散すると思って嫌なんだってさ」


 遼は苦笑いをこぼした。いかにも先輩らしい一面と言える。天体以外にはなにも頓着しない“天体馬鹿”……。


「天体写真のデータ誰のPCに送ればいいです?」


 莉緒が自分のスマホのデータから天体写真を見つけ出してきたらしく、スマホ片手にPCをチェックしている。


「自分のPCに送って、そっから天文部のストレージボックスに入れておいてほしいかな」


「承知でーす」


 莉緒は早速PCに向き合ってスマホ内の天体写真データのインストールを始めた。


「せっかく莉緒ちゃんがやってくれてるから、莉緒ちゃんのスマホに個々が持ってる写真のデータ集めるか」


 鹿内先輩の一声で、遼たちはスマホのカメラロールを漁り始めた。本当は校内でのスマホ操作は禁止されているのだが、部室の外ではいじらないというルールで六本木先生が黙認している。部活の性質上仕方がない。


「これ、冬に撮ったふたご座流星群の極大日の写真っす」


 莉緒が遼の手元を覗き込む。

 

「先輩たちがインフルになったからうちらに任されたやつだっけ」


「あのときはごめんねー!」


 三年女子は顔の前で手のひらを合わせ、軽く振った。


「インフルはしょうがないっすよ。冬の天体観測で拗らせたら元も子もないし」


「うう……ありがと……」


 六本木先生が遼のスマホ画面に映る流星群の写真を確認して頷いた。


「じゃあ目玉写真はこれでいいだろう。その他の天体ショーの話はCG素材を漁ろう。俺たちの技量ではそこまで用意できん」


「そうだねー、うちらが好きなのは空であってカメラではないんだなあっていうのが如実に現れているというか……」


 早風先輩が目を細めて渋い声色で呟いた。


「あとは部活内容のプレゼンを二年生がPowerPointで作ってくれればいいかな。声を当てるのは紗枝でいいだろ、部長なんだし。音楽は祥子、よさげなやつ選んで」


 六本木先生は有無を言わさず決めていく。正直こっちのほうがありがたい。またマスコットだからと遼が引っ張り出されるのは目に見えていた。


「こんな感じか? プレゼン資料できたらファイルを俺に送っといて。先生のアドレス知ってたよな? んじゃよろしく、健闘を祈るぞ」


 アディオス! と六本木先生は華麗に退場した。遼たちは顔を見合わせてため息をついて笑った。


「やっと部活らしいことできるっすね」


「まずはプレゼン内容のすり合わせ会議かね?」


「会議にはコーヒーだよね! 購買でお菓子も買ってくるよ! 莉緒ちゃん来て来て!」


 鹿内先輩が莉緒を連れて購買へ走っていった。うちは私立の大きい高校なので、購買がでかい。仮に閉まっていたとしても購買部横の自販機コーナーにお菓子の自販機が設置されている。新入生の中にはそれだけを目的に受験してきた者もいるとかいないとか……。


 遼は自分のPCのスライドツールを開いて、テンプレートを漁り始めた。……どんな新人が入ってくるのかな、なんて、若干期待に胸をふくらませながら。




 ──次の日。

 今日は部活はない。だが新入生を釣る努力はしたい。遼と莉緒は今日もビラを配ることを決意した。


「天文部でーす」


「たのしいよー」


 北棟の生徒玄関は混み合っていた。ここからあと一時間もすれば進学コースの連中が七限を終えて出てくる。進学コースの学生は部活に入れるほど余裕がないので、こちらにはあまり積極的に声掛けはしない。この一時間が勝負と言える。


「天文部で……あ……」


「遼? どうした?」


 遼が何かに気付いて固まった。莉緒は咄嗟に声を低めて遼に声をかける。


「……明らかに憑いてるやつがいる」


「新入生?」


 遼は無言で頷いた。


「まずいな、入れる部活探してキョロキョロしてる。できればこっち来てほしくねえんだけど……」


「ビラ配るのやめる?」


「……うん、いや、もう遅いわ」


 遼がちらちらと確認していたその男子生徒は、こちらがビラを持った新入生勧誘の上級生であることに気付いて近寄ってきた。


「何部ッスか?」


 ヘラヘラとした下品な笑みを顔に貼りつかせた男子生徒は、遼の手元を覗きこんだ。


「お星さま? 先輩そんなナリでそんなんやってんの? マジウケるw」


 彼はビラにでかでかと書き込まれた早風先輩の丸文字をバカにした。遼は頭に血が上るのを感じた。

 

「バカにするなら君向きの部活じゃないんだよ」


 遼は極めて優しい声色で諭すように返事をした。


「へー、でもラクそー。オレ入りたいッス!」


 ピキッとこめかみの血管が音を立てる。チラリと隣の莉緒の顔を確認しようと横を見たら、莉緒はいつの間にかどこかに消えていた。


『アイツ……薄情者め……!』


「ねー先輩、他にどんな部員がいるんスかー?」


 ニヤけ面の男子生徒は落ち着きなく微妙に揺れながら遼に詰め寄る。


『あー俺、間延びした喋り方の奴大ッキライなんだよな! 特にコイツ!!! すげえ癪に障る!!』


 遼は苛立ちを押し殺してどうにか逃げ出す手口を考え始めた。ちゃんと視たくないのに、彼の背後のドロドロしたものが、遼の肩に触れるようで気色が悪かった。


『高一でこんなもんを背負ってるなんて、コイツ何してきたんだ……?』


「俺たちの部活は、全然楽じゃないよ。暑い中、寒い中、一時間以上夜空を見上げたり、望遠鏡覗いたりするんだ。忍耐力がなければできないと思うよ」


 遼は自嘲交じりという具合に軽く微笑みながら優しく説明した。


「へー。マジ興味ないけど、ニンタイリョク? ってなんスか?w」


『そっから!!??!!!?!』


 目の前が明滅するのを感じた。思わず頭を抱える。


「それがわかんないなら俺たちのとこはやめといたほうがいいよ」


「えーでもお星サマ好きなら入れんでしょー? オレも好きッスよたぶん、きらきらーっつってw」


「いや興味ないんでしょう?」


 コイツどうしてうちの学校に入れたんだろう、と疑問を感じながら、相手もそこそこに走って逃げたい気持ちになりはじめていた。


 なにより、彼の背中から白い腕が何本も出てきたのを見て、これはヤバいぞ……と、遼の頭のどこかで警鐘を鳴らす存在がいるのを感じた。思わず後退る。


「とにかくービラ見せてほしいッス。新入生がほしいんデショ?w」


『お前が一年生なのはわかるがこっちから願い下げだ!!!!』


 遼は心の中で吐き捨てた。


 そのときチャイムが鳴った。七限が終わったのだ。進学コースの生徒たちがもう少ししたら下りてくる。


「ああ、もうこんな時間か。俺、塾あるから帰んないと」

 

 本当は塾になんぞ通ったこともない遼だが、ここは嘘も方便。なんとか逃げ出そうと必死に頭を回転させる。


「塾ゥー? 先輩まじめッスね!w」


『うるせー!!!!』


 ネバネバと絡んでくるのが鬱陶しかった。早く逃げるためには行動あるのみだ。遼は荷物をまとめると自転車の鍵を取り出して、じゃ! と言い残して颯爽と自転車置き場に歩いていった。


 流石にそこまではついてこないようだった。遼は自転車置き場に辿り着くと周りをキョロキョロと伺ってため息をついた。あんなのに絡まれるとは思いもしなかった。それに――あの背後のドロドロは……。


「おつー」


「莉緒?!」


 莉緒がコーヒー缶をふたつ持って遼の肩を叩いた。


「お疲れじゃん。災難だったね」


「おま、お前〜!!! 薄情者!!」


 言いたいことはいろいろあったが、缶コーヒーを手渡されると素直に受け取ってしまう。


「ああいうタイプ無理なんだよね。パリピっていうかDQNっていうか」


「バカでいいよ、クソバカで」


「言うねえ」


 二人はその場で缶コーヒーを開けて飲んだ。少し汗ばむ陽気に、冷たくて微妙に甘いコーヒーが身体にしみ渡る。遼の気持ちは落ち着きつつあった。


「ああいうのは、女と見れば絡んでくると思ったから、逃げちゃった。ごめん」


 莉緒が素直に謝るのを少し意外に感じつつ、遼もその言葉に納得した。


「ああ、道理で……」


「……なんか取り憑いてた?」


「すげぇドロドロした中に女の腕がいくつも見えた。なんかやっちゃった奴であるのに違いはない」


 敢えて視ないようにしていたので鮮明には視えなかったが、見ようとすれば様々な生霊が視えそうな気がした。視なくて正解だった。遼は素直に顔に出てしまう。頑張ってポーカーフェイスを取り繕っても、態度で考えていることが何故かバレてしまう。仮にものすごい怨念を持った生霊などにフォーカスを当ててしまえば、彼が何をしたのかを一瞬で理解し、そして軽蔑の眼差しを向けてしまうだろう。もう既にそのIQの低さを軽蔑しているが、あのドロドロ加減から見るに、人間としてやってはいけないことをやっている気がした。


「変なのに目つけられちゃったね。また来ちゃうかな?」


「なんか俺、あいつに気に入られちゃった自信ある」


「嫌な自信だね」


 遼は目を閉じて深く頷いた。コーヒーを飲み干す。


「どうする?」


「どーするって?」


「ほら、去年の九月にさ、わたしがお世話になった先輩がいるじゃん」


「ああ、本田先輩ならいま県外だ。県外の大学を受けて行ってしまった……」


「頼れないか……」


「また来たら今度はよく視てやろうと思う。図星させば誰だって動揺して憤慨する。それを突いてやろうと思う」


 遼はすっかり自分は人より視えるのだという確信を持つようになっていた。視えないときもあるけれど、初詣で先輩と怪異に遭遇してから力が強くなった気がしている。


「ふうん、遼が危ない目に遭わないならいいけどさ」


「莉緒はまたあいつが来たら隠れてろよ?」


 莉緒は黙って頷いた。


「ごちそうさん、じゃあ、気をつけて帰れよ」


「それはお互いさま。また明日ね」


 自転車の鍵を解錠して自転車に乗ると、遼はひらひらと手を振った。


「無理しないでくれればいいけどさ……」


 莉緒は心配そうな顔を隠しきれないまま自分の自転車に歩いていった。





 ――その次の日。

 今日も部活自体は休みだ。各自家に帰って資料の作成やプレゼン原稿の準備をすることになっている。それでも少しでも新入生の気を引きたい遼と莉緒はまたビラを配っていた。


「来るかな、あいつ」


「わからん。来たら莉緒わかってるよな?」


「わかってるよ、ちゃんと逃げるよ」


 莉緒は事前の打ち合わせで、また彼がやってきた場合、さっさと玄関内に移動し、玄関の真上である二階の職員室前の廊下から二人のやりとりを観察することになっている。何かトラブルがあったときすぐに教員を呼べるようにだ。


「天文部でーす」


「たのしいよー」


 二人は何も懸念事項はないような顔でビラを新入生に配ろうと差し出す。やんわりと断られるのが通常だが、哀れに思った学生が十分に一枚くらいの間隔でもらっていってくれる。


「あ、」


 遼が固い声を出した。彼がいる。莉緒はすたこらさっさと玄関へ逃げた。


 遼は莉緒が逃げたのを確認してから、彼の方へ向き直った。


「またやってンすかw」


「仕事だからね」


 相変わらず人を馬鹿にしたような笑いは語尾から消えない。


「天文部? ってオンナの子いますかw」


「どうして?」


「やだなー、聞いたッスよせんぱーい。ハーレムなんだってねー?w」


 遼のこめかみの血管がピキッとなったのを感じた。いけない。こんな挑発に乗ってはいけない。


「だからどうしたって?」


「ヤリほーだいなんでしょ?w オレも混ぜてよーw」


「そんなわけないだろ」


 自分でも驚くほどドスの効いた声が出た。若干相手が怯むのを感じる。


 下品な話になった瞬間、彼の背後から伸びる腕が、腰・肩・首にそれぞれ絡まるのを見た。間違いない、ソッチ関連の生霊だ。


「なに怒ってンすかw ひとりでオンナの子相手にすんの疲れるデショ? だからオレにもわけてよっつってんのw」


 むくむくと苛立ちが増大していくのを感じる。こんな下品な奴を、先輩たちや莉緒に近付けるわけにはいかない。


「お前さ」


 若干デカい声がため息まじりに出てしまう。思い切り彼を睨んでしまっている。……誰がそれに怒るんだ? 名誉毀損はあいつがやったことじゃないかよ。


「お前、何人の女をそうやって食い物にしてきたんだ?」


「な、……何いってんスかw」


 狼狽した一瞬の隙を見逃さない。


「首に女の腕が絡まってるぞ。肩にも、腰にも」


「は、はぁ? なにコイツ、スピってんですけどキモw」


「耳元にデカい女の顔もある。お前のことをものすごい形相で睨んでるぞ。……ああ、名前教えてくれた。ミズホだってさ。心当たりあるだろ?」


 彼の顔がサァーっと青褪めたのを遼は見た。二階から見ている莉緒にもそれは感じられた。


「図星か? ……あーあー、五人も妊娠させちゃったんだ、へえ〜」


 彼は下を向いて両腕を抱き締めている。膝が震えている。


「それで? 高校入っても同じことすんのか? 一発で退学だぞ」


 自分でも恐ろしくなるくらいすらすらと言葉がでてくる。顔も怖い顔をしたままだと思う。


「う……るせぇ!!! お前になにがわかんだよ!!!」


 彼はポケットからバタフライナイフを取り出して震える手でこちらに向けた。


「たのしーことしてりゃいんだよ……そうだろ? オレはそうやって生きてくんだよ……なあ先輩、あんたこんなことして楽しいか? ……名前も知らない新入生脅して楽しいか?」


「楽しくねーよ。お前が始めたんだろ? うちの部員のこと見下した発言したのお前だろ? 俺はお前につきまとってる生霊がいるぞって親切心で教えてやったのに、お前にはわからんかね、俺の優しさが」


 ナイフを向けられているというのに全く怖くない自分がいた。それよりもなによりも憤りが大きすぎて、遼にはナイフなんて全然見えてもいなかった。


「……う……うあああああ!!!」


 彼はナイフを向けて遼の懐へ飛び込んでいった。その瞬間。


「そこの1年、何を持っているか見せなさい!!!」


 男性教諭が数人玄関から飛び出してきて彼を羽交い締めにして押し倒した。


 彼はもう人間の言葉を話していなかった。大声で喚き散らして声を枯らしていた。


「栗原、瀬川が待ってるぞ」


 教員の中のひとりが呆然としている遼に2階の窓を指し示した。莉緒が心配そうに身を乗り出している。遼は親指を立てて莉緒に見えるように腕を伸ばした。




「――で、その子は?」


「知らねえッス。退学だと思いますよ」


 翌日の部活で昨日の事件の話が自然と取り沙汰されていた。遼は渦中の人でありながら、当然お咎めはなく、彼の行方は誰も教えてくれない。


 先輩たちと莉緒には昨日のやり取りのすべてを話してはいない。話さないほうが良い。


「そんなことより、天文部存続の危機なんすから、もっとペース上げていきましょう」


「はいはい、遼くんは真面目だなあ」


 どんな新人が入ってくるのか、まだわからない。

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