アイシオン卿
フローレンス=アイシオン。ガーランド王国内の公爵家であり、その現当主が彼である。
公爵家だけあり、王国内での権力は強い。更には、アイシオン家には別の使命も存在し、彼らは王国の裏側を支配する立場にもある。
――ガーランド王国の処刑人。
アイシオン家の持つ裏の顔である。国に害を成す存在を、国の内外を問わず排除する役目を担っているのだ。
白銀の髪を持つ30半ばの紳士。普段の彼は柔らかな物腰と表情の人物である。しかし、裏の顔を知るごく少数の者達からは、悪鬼羅刹の如く恐れられている。
この設定はゲーム内でも軽く語られていた。しかし、今は『鑑定Lv3』の効果で、よりハッキリと確認する事が出来ている。
それに留まらず、フローレンスさんがLv28の暗殺者という事も理解した。もしかしたら、これまで出会った中では、彼が最強すらあり得るかもしれない……。
そんなフローレンスさんに連れられ、オレはアイシオン家の地下へと足を踏み込む。当主のみが入る事を許された場所。そんな場所に、何故かオレは案内されていた。
「さあ、到着しましたよ。こちらがご覧頂きたかった場所となります」
「な……。あれは、まさか……?!」
ちょっとした広さの、礼拝堂の様な部屋であった。その中央には、女神を思わせる一体の石像。
恐らく、その石像は海洋神アウロラだ。穏やかな笑みを浮かべる女神は、全てを受け入れる慈愛を感じさせる。
しかし、問題なのは石像では無い。その石像が抱きかかえる杖である。その存在を目にして、オレは思わず喉を鳴らす。
「神杖ウルル……。こんな場所に、保管されていたのか……」
「やはりご存じですか。流石は導師様と言った所ですかね?」
オレの呟きに、フローレンスさんがほほ笑む。オレの反応すら予想の範囲内だったらしい。
しかし、オレの目は神杖に釘付けとなっていた。透き通ったクリスタルの様な素材。先端に埋め込まれた深青の宝珠。
これこそ海洋神アウロラが、ガーランド王家に与えたという神杖。そして、やがてリコリスが手に入れる最強の杖なのである。
その美しさに見惚れ、長い時間見つめ続けた。そして、満足したオレは、黙って見守ってくれていたフローレンスさんへと向き直る。
「どうして、私をこの場所に?」
オレの問いかけに、フローレンスさんはゆっくり頷く。そして、こちらを真っすぐ見つめ、穏やかな口調で語り始めた。
「ご存じと思いますが、アイシオン家は王国を守る役目を持ちます。その役目を与えられた際に、この神杖も預かる事となったのです。いわば、アイシオン家が強権を振るえるのは、この神杖を預けられたという過去があるからなのです」
暗黙の了解とは言え、王家公認の暗殺貴族。場合によっては、王族であっても暗殺の対象にする事があるらしい。
表向きは別として、実質的には王家以上の権力を持つ。その権力の根拠が、この神杖ウルルという事なのだろう。
「この神杖は、アイシオン家にとっても、王国にとっても特別な物。必ず守らねばならない物と考えていました。……しかし、最近はそれだけではないと思い始めたのです」
「それだけではない?」
神から与えられた杖である。特別な存在なのは当然である。王家の正当性を証明する、国の根源に関わる存在ですらあると思われる。
しかし、それだけではないとは、どういう意味だろうか? 疑問に感じるオレに対し、フローレンスさんは目を細めて告げた。
「我が家に生まれたリコリスは、『水の加護』を所持していました。それは神の寵愛であり、あの子には魔法を扱う才能があったのです」
確かに『水の加護』は水属性を強化する。自身の全能力アップも持つので、かなり強力なパッシブスキルだと言えるだろう。
神の寵愛と言えば大げさだが、そう感じてもおかしくない効果だ。水属性強化を生かすのに、魔法が適しているのも間違ってはいない。
「そして、あの子が生まれた時代に、魔王が復活しようとしている。それはつまり、海洋神アウロラ様はそれを予見して、あの子の為にこの神杖を用意したのではないでしょうか?」
「そうですね。確かにその神杖は、やがてリコリスが手にする事になります」
実際に手にするのはゲーム終盤だった。こんな序盤では存在すら知らされず、こんな身近に存在するとも思っていなかったのだ。
いくつかの試練を乗り越え、リコリスが当主となる。その際に、フローレンスさんから託されるイベントが発生するのである。
フローレンスさんはオレの言葉に深い笑みを浮かべる。そして、確信を得たかの表情で語り続けた。
「この神杖も、この国も、やがて来る危機を乗り切る為に……。――いえ、あの子の為に存在していた。私はそのように考える様になりました。ならば私も、あの子の為に戦うべきなのだろうと考えているのです」
「なるほど……」
フローレンスさんも一人の親である。子供の為に戦いたいというのは、当然の考え方なのだと思う。そう納得するオレに対し、フローレンスさんが問いかけてきた。
「例え相手が王家であろうと、私はあの子の為に戦うつもりです。そして、だからこそ私は問わなければならない。――導師様が、何の為に戦うのかを」
「……私が、何の為に戦うか?」
意味も分からずにこの世界へと転生していた。そんなオレが、どうしてこんな状況に置かれているのか。
切っ掛けはアトリとの出会いだろう。転生してすぐに彼女と出会い、彼女と父親を救った。
二人を放ってはおけず、流れで助ける事になった。共に過ごしている内に、アトリの助けになりたいと思ったのだ。
そして、そんなオレが戦う理由。それはきっと、大した理由ではないんだろうな……。
「子供達の笑顔が見たい……。そんな幸せな未来を、私は望んでいるだけですよ」
「子供達の笑顔が見たい……?」
オレの言葉を聞き、フローレンスさんがポカンと口を開く。驚きのあまり、少々間の抜けた表情を浮かべている。
ただ、それもほんの僅かな時間で、彼は自らの顔を右手で覆う。そして、腹を抱えて笑い出した。
「は、はははっ! 子供達の笑顔が見たい?! 幸せな未来を望んでいる?! 余りにも普通! 誰もが望む、普遍的な願いではないですか!」
「ええ、何も特別なことは望んでいませんが……」
フローレンスさん何故、ここまで爆笑しているのだろう? オレが戸惑っていると、彼は腹を抱えたまま、楽しそうに叫び続ける。
「それだけの力を持ちながら?! これだけの事をしておいて?! その願いの何たる凡庸な事だろうか! ああ、これが導師様という存在なのか!」
「いえ、私は至って平凡な人間ですので……」
気付いたらそういう職業だっただけである。自ら望んで成った訳でもない。自分自身では特別扱いへの違和感が、未だに抜けきらない位である。
勿論、周りからどう見られているかは知っている。自分がそういう配役なのだと理解もしている。けれど、その役者がただの凡人と言うだけなのだ。
笑い続けるフローレンスさんを、しばらく見守り続けた。すると、彼は満足した様子で落ち着きを取り戻した。
スッキリした表情を見せると、オレに対してこう告げた。
「肩の荷が下りた気分です。私も一人の親として、当たり前の事をしてみたいと思います」
「そうですか。責任ある立場でしょうが、時には心に従って生きるのも良いと思いますよ」
フローレンスさんも国を裏側で支える立場なのだ。一人の父親として、プライベートを犠牲にすることもあるだろう。
けれど、心を蔑ろにすれば、いずれは重圧に潰れてしまう。そうならない為にも、何事も程々が良いと思うんだよね。
そして、気持ちが通じたのか、フローレンスさんは右手を差し出して来た。オレはそれを見て、すぐに応じて握手をする。
子供を大切に思う親心という奴だろう。フローレンスさんと分かり合えた事を、オレは内心で喜んでいた。