火の恩恵(アトリ視点)
お師匠様に連れられて、私は再び孤児院を訪れました。案内された場所は応接室。けれど、以前の様な豪華さは無い、質素な部屋へと変わっていました。
私とお師匠様は並んでソファーに腰掛けます。その向かいには、オレンジ色の髪を後ろで束ねた、40歳くらいの女性が座っています。
その女性はニコリと微笑むと、私達に向かって頭を下げました。
「初めまして、導師様。それと、そのお弟子様。私は院長を任される事になりました、マーガレットと申します」
「初めまして、マーガレットさん。導師のアキラと申します。本日はお時間を頂き、ありがとう御座います」
「で、弟子のアトリです。初めまして……」
お師匠様が頭を下げたので、私も慌てて頭を下げます。そして、私が頭を上げると、お二人の会話が開始されました。
「カタリナ様よりお話は伺っております。野盗に襲われて亡くなった夫を弔って頂いたと。夫の死は悲しむべきものです。しかし、火神ヴァルマ様の元へ届けて頂きました事には、心より感謝を申し上げさせて頂きます」
「いえ、それも生前の行いによる物でしょう。亡くなられた旦那様の善行により、私と巡り合う事ができ、また天へと還る事が出来たのだと思われます」
あの日の不思議な出来事を思い出します。お師匠様の祈りにより、全ての魂が天へと昇って行ったのです。
私はその時に、お師匠様から裁判の話を聞きました。そして、死んだ人達が地獄に落ちると思い、その事を内心で喜んだのです。
あの時の、悲しそうなお師匠様の顔が蘇ります。あの時の私にはわかりませんでした。しかし、今ならその悲しみの理由が理解出来ます。
私は何て愚かだったのでしょう。亡くなった人にも家族はいます。残された人の気持ちも考えず、他人の不幸を喜んでいただなんて……。
私が後悔に胸を痛めていると、お師匠様はテーブルに衣服を置きました。
「野盗との戦いで服が駄目になり、ずっとお借りしていました。亡くなられた旦那様の遺品ですので、お返しさせて頂きます」
「出来ればそのまま、お受け取り頂けないでしょうか? 倉庫の肥しとなるよりも、導師様に利用頂く方が、夫も喜びますので」
マーガレットさんの言葉に、お師匠様は目を丸くします。しかし、その穏やかな微笑みを見て、お師匠様は柔らかな笑みで頷きました。
「ありがとう御座います。とても気に入っていましたので、ありがたく使わせて頂きます」
「それは良かったですわ。海外からの輸入品とのことで、夫もお気に入りのシャツでした」
嬉しそうに笑うマーガレットさん。何故だかその笑みには、夫を亡くした悲しみがありませんでした。
悲しくはないのだろうか? どうして、その様に笑えるのだろうか?
私が不思議に思っていると、急にマーガレットさんの視線がこちらに向きました。
「カタリナ様より聞いたのですが、アトリさんも馬車に同乗されていたそうですね。導師様の救出が間に合って良かったですね?」
その言葉で、カタリナさんが詳しく話していないと理解します。いえ、敢えて詳細を伏せて、私に憎しみが向かない様にしてくれたのでしょう。
その気遣い自体は嬉しく思います。しかし、マーガレットさんと話すのに、それではフェアではありません。私の想いを伝えるには、正しく状況を知って貰う必要があるのです。
私は手を伸ばし、隣のお師匠様の手を握ります。お師匠様は驚いた表情を浮かべますが、すぐにその手を握り返してくれました。
私はその想いに勇気を貰います。そして、決心を固めてマーガレットさんへと告げました。
「ガーランド王国を出立した際は、確かに私と父は馬車に乗っていました。しかし、途中で魔物に襲われ、囮として馬車から放り出されました。野盗に襲われた時には、私と父は馬車に乗っていなかったのです」
「え……?」
やはりこの辺りは聞いていない様です。私の言葉を聞いて、マーガレットさんが動揺しています。
けれど、私はその事を責めるつもりはありません。本当に重要なのは、その先の話なのです。
「私達はお師匠様に助けられました。ですので、囮とされた事は、もうどうでも良いのです。けれど、野盗に襲われた事は別問題です。彼等の狙いは私――皆さんの死は、私が原因なのです」
「どういう、ことなの……?」
マーガレットさんが、戸惑った表情で聞いて来ます。それは責めるでも、怒るでもなく、理解が出来ないという様子でした。
全てを語ることは出来ません。ミズガル合衆国の手は、この国にも及んでいるからです。マーガレットさんの身を案じ、私は言葉を選んで話し続けます。
「私は祖国で重要な立場にあり、それを利用しようとする人達がいます。私は彼等に利用されない為に、身を隠して逃げていたのです。しかし、彼等は私の居場所を発見してしまいました。そして、人気の無い国境付近で、実力行使に出たのです。馬車の皆さんが殺されたのは、私を探すのと同時に、口封じを行う為だったのです」
「…………」
呆然と口を開いて、ただ私を見つめるマーガレットさん。私に対して、何と言えば良いのかわからないのでしょう。
ただ、その心中が穏やかでない事はわかります。大切な人を亡くしたのです。その元凶を前にして、許せるはずもありません。
「許されるとは思っていません。けれど、私はその責任を取らねばならないと考えています。旦那様が亡くなったのは、私が原因なのです。どの様な叱責も受け入れます。気が済むまで殴って貰っても構いません。どうか、私に罰をお与え下さい……」
これはマーガレットさんに対する償い。そして、私に対する贖罪である。許されざる罪だとしても、贖いから逃れることは許されないのです。
私は瞳を閉じて、静かにその時を待ちます。すると、マーガレットさんが立ち上がり、私の側へと移動する気配を感じました。
「アトリさん、私に詳しい事はわかりません。けれど、ハッキリと言える事はあります」
「――っ……?!」
私の体を温かな物が包み込んだ。驚いて目を開くと、マーガレットさんが私を抱きしめていました。
私は想定外の事態に混乱します。そんな私の背中を、マーガレットさんが優しく撫でました。
「殺した罪は、殺した人の物。決して、アトリさんの物ではありません。貴女がそのように、気に病む必要は無いのですよ」
「け、けれど……。私が逃げ出さねば、多くの人が不幸にならずに済みました! この国に訪れなければ、マーガレットさんの旦那様だって……!」
私は必死に訴えかけます。その罪を責められない事で、かえって胸の苦しみが増したのです。
しかし、マーガレットさんは優しく私の背中を叩きます。そして、落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で語り出しました。
「実を言うと、夫の死を告げられて落ち込みました。3年前に10歳の息子を亡くしており、どうしてまた、こんな不幸が訪れたのかと嘆いたのです」
ああ、やはりマーガレットさんも悲しんだのだ。大切な人を亡くして、悲しいのは当然のことでしょう。
ならば、やはり彼女は私を責めるべきです。そうでなければ、その悲しみは決して癒える事が無いのですから。
しかし、マーガレットさんは私を抱きしめ続けます。そして、我が子に語るように、その想いを届けてくれました。
「しかし、その死を告げに来たカタリナ様から言われました。『この孤児院を――私の火を貴女に託しましょう。貴女はその火を、どうされますか?』と……」
「火を託す……?」
カタリナさんの言葉が、私には理解出来ませんでした。しかし、この国の人達が火神ヴァルマ教の信者である事を思い出します。その教義に関わる話なのだろうと思い直しました。
「そして、私は気付いたのです。夫から託された火。息子から託された火。沢山の火を、私は託されて来たのだと。ならば私の火も、次に託さねばならない。その為にも、この孤児院を引き受けようと考えたのです」
「沢山の火を、託された……」
……そうか。火神ヴァルマ教にとって、火とは『心』や『想い』でもあるのでしょう。
それを人に分け与える事で『縁』が生まれる。『縁』が繋がり続け、大きな火の恩恵が生まれるのです。
私はその教義の一端を理解出来た気がします。その事に微かな喜びを感じていると、マーガレットさんはすっと身を離しました。
そして、私に微笑みながら、自らの胸に手を添えて、こう告げたのです。
「なので、私の火をアトリさんに託します。その贖罪を求めるなら、代わりにこの火を次へと繋いで下さい。私のこの願いを、受け入れて貰えないでしょうか?」
「……はい、わかりました。託されたこの火――この想いを、私は次へと繋いで行きます」
私は真っ直ぐに、マーガレットさんへと告げます。その答えに、マーガレットさんは満足気に頷いてくれました。
そして、私の手がギュッと握られました。それはほんの僅かに力を込めただけ。けれど、その握られた手からは、お師匠様の喜びが伝わって来た気がします。
――ああ、私はこんなに沢山の想いを与えられて来たんだな……。
そう感じた私の心は、かつてない程に温かくなりました。この火は決して消してはならない。その為にも強くなろうと、私は心の中で誓うのでした。