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夏のホラー2022

営業のコツ

作者: 尾手メシ

 営業部に所属する佐藤の営業成績はあまりよろしくない。その成績は下から数えたほうが早いほどで、部内での佐藤の扱いも相応に軽いものだった。佐藤も営業成績を上げようと努力はしているつもりだが、それがなかなか結果に結びつかない。自分の力はこんなものではないはずだ、という不満ばかりが胸に澱積もっていく。部長からは「姑息なやり方では次に繋がらない」と注意を受けたが、それも気に入らなかった。

 そんな佐藤が、それでも腐らずに仕事を続けられているのは高橋がいるからだ。高橋の営業成績は万年最下位。自分より劣る者がいると思えば、佐藤の溜飲も下がった。

 高橋は寡黙な男だ。無駄口を叩かずに黙々と仕事をこなし、飲み会の席でも静かに酒を呑んでいる。そんな男だ。何故そんな男が営業部に在籍しているのか佐藤には甚だ疑問だったが、案の定、高橋の営業成績はまったく振るわない。ただ、この高橋、部内での扱いは意外と悪くはない。それは高橋が抱えている営業先が関係しているのだろう。利益は小さく扱いは面倒、そんな他の社員が嫌がるような取引先を多く抱えていた。それでいて、顧客との関係は悪くないらしい。同僚の中には、顧客とのトラブルで困ったら高橋に相談するという者も少なくない。そんな高橋の様子は、佐藤からは面倒事を押し付けられているようにしか見えなかった。ああはなりたくはないと思っていた。


 そんな状況がある時から変わった。高橋の営業成績が上がり始めたのだ。佐藤がジリジリと背後に迫る高橋の影に怯えていたのは二月ほどで、高橋はあっさりと佐藤の営業成績を抜いていってしまった。その後も次々と契約を取ってくる高橋を同僚たちは褒め称えた。内心、面白くはないが、そんなことを面に出すわけにもいかず、佐藤もそれに追従する。何か不正をしているに違いないと確信していたが、証拠がなければ告発することは出来ない。秘密を暴く機会を虎視眈々と窺っていた佐藤にチャンスが巡ってきたのは、それから間もなくのことだった。


 部内の飲み会の席、高橋はあいも変わらず静かに酒を呑んでいる。そんな様子が気取っているようで、それがまた気に食わない。苦労してイライラを抑え込みながら、佐藤は高橋の隣へ移動した。

「高橋さん、さあ一杯」

「や、これはどうも」

 佐藤の酌を、高橋は恐縮したように受ける。高橋からの返杯を受けて雑談を始めた。ぽつりぽつりと会話が続くが、いまいち盛り上がらない。それでも会話を続けるうちに酒は進む。しばらく話し続けて頃合いだと見た佐藤は、おもむろに本題を切り出した。

「高橋さん、最近絶好調ですね」

「いやぁ、たまたまですよ」

 高橋が照れくさそうに謙遜する。その態度に怒りが湧くが、ここは我慢のしどころだと佐藤はぐっと堪えた。

「何かコツでもあるんですか?」

佐藤の言葉に、高橋は困ったように笑う。

「コツですか?そんなものはないですよ。本当にたまたま上手くいっているだけで」

そう言うが、佐藤はそんな返事では納得ができない。

「またまた。何かあるんでしょう、コツ。教えて下さいよ。ここだけの話にしますから」

佐藤の追求に高橋は黙ったままだったが、やがてぽつりと語りだした。

「いえ、本当にたまたまで。自分でもよく分かっていないんです。実は……」


 それは営業先に向かう道中のことだった。横断歩道を渡ろうと信号待ちをしている高橋の横に一台の車が止まった。よく見かける白いセダンで、よほど大きな音でラジオを聴いているのか、窓がぴっちりと閉まっているにも係わらず、音が車外にまで漏れ聴こえている。なんとはなしに傾けた高橋の耳に入ってきたのは、ラジオであっているらしい占いだった。

『……のラッキーアイテムは本です……』

これだと思った。

 高橋は、自分が口下手なことを自覚していた。毎度、営業で赴いた先での会話に難儀する。営業先との会話はなかなか続かず、苦労してどうにかこうにか雑談をしてみるものの、今度はそこから上手く営業に会話を繋げていけない。少ない取引先からは「口は駄目だが仕事は信頼できる」と評価されているが、「これで口が上手ければ一流なんだがなぁ」と呆れられてもいた。この時も営業先での会話のネタに悩みながらの道中だった。

 交差点の向こうにはコンビニが見えている。信号が変わり、交差点を渡った高橋はまっすぐコンビニに入った。入り口すぐの書籍コーナーから文庫本を一冊、適当に選んでレジへ持っていく。営業先についたら、この本を出してみようという算段である。「これは何だ?」と訊かれたら、道中での経緯を説明するつもりだった。変な顔をされるかもしれないが、会話のきっかけくらいにはなるだろう、という軽い気持ちだった。


「これが、思いの外会話が盛り上がって」

 高橋は静かに語り続ける。佐藤に対して語るというより、どこか虚空に向けて語っているようだった。


 会話が弾めば、自然と内容は深いものになる。そこから高橋は顧客が抱える潜在的な悩みを感じ取った。もともと口下手なことを除けば仕事はできるのである。高橋による目の行き届いたきめ細やかな提案は大いに相手の関心を引き、後日の正式契約となった。

 それからである。営業に向かっていると、時たまラジオが聴こえてくるようになった。それは通り過ぎる車からだったり、行き交う通行人からだったり、ドアの開け放たれた店からだったり、その時々で様々だった。ただ、決まって占いがあっていて、高橋にラッキーアイテムを告げてくる。その通りのアイテムを持って営業先に赴くと、何故かとんとん拍子に仕事は上手くいくのだった。

 ただ、このラジオ、毎回聴こえてくるわけではない。続けて聴こえる時もあるが、しばらく聴こえないこともある。


「だから、自分でも何が良かったのか、本当に分からないんです」

 佐藤はからかわれているのかと考えた。適当なことを言って自分を煙に巻こうとしているのかと高橋の顔を見るが、当の高橋は至って真面目な顔を崩さずに、ちびりちびりと酒を呑んでいる。真に営業のコツなのか、狂人の戯言なのか、佐藤には判断がつかない。

「自分でラジオを聴こうとは思わないんですか?」

佐藤の問に、高橋は小さく首を振った。

「駄目なんです。自分でラジオをつけて占いを聴いてみたこともあるんですが、結果は散々でした。きっと、ふとした拍子に耳に入るからこそ意味があるんです」

高橋が口をつぐむ。二人の間に沈黙が落ちた。

 そこで高橋は、はっと我に返ったようだった。

「すいません、変な話をしてしまって。どうか忘れて下さい」

苦笑して頭を掻きながらそう言ったきり、高橋は再び静かに酒を呑み始めた。


 高橋の側を離れて自分の席に戻ってきても収まりがつかないのが佐藤である。話を聞いている時は雰囲気に呑まれてしまったが、落ち着いて考えてみれば、あれはやはりからかわれたのだ。自分より劣っていたはずの高橋にすら馬鹿にされたと思うと、腹の虫が収まらない。

 ちらりと高橋の方を見ると、部長と話しているところだった。部長の機嫌は良いらしく、笑いながら何事かを話し込んでいる。どうやら、高橋の仕事ぶりを褒めているようだった。自分には姑息な手段を使うなと諭しておいて、高橋の姑息なやり口は褒め称える。不当な扱いには罰が必要だ。

 だから、それは、佐藤にとっては正当な正義の執行だった。


 営業に向かう高橋が会社の廊下を歩いている。それを廊下の角に隠れるようにして佐藤は見ていた。身を隠す佐藤に気づくこと無く、高橋は傍を通り過ぎていく。その瞬間、佐藤は自分のスマホから音を流した。

『あなたの運命を変えるアイテムは包丁です』

佐藤が自分の声を少し加工して作っただけの簡単なものだ。まさかこれを真に受けることはないだろうが、嫌がらせくらいにはなるだろう。

 高橋は一瞬足を止めたが、そのまま歩いて会社を出ていった。


 佐藤が事の顛末を知ったのはその日の午後である。車外で「すぐに帰社するように」と連絡を受けて帰社すると、社内は騒然としていた。高橋が営業先で人を刺したのだという。高橋はその場で取り押さえられて、間もなく警察が会社にもやってくるということだった。「警察の捜査には素直に協力するように」という指示が出て、社員は押しなべて戸惑った顔をしていた。警察と部長との電話に耳をそばだてていたのか、「どうやら高橋は誰かに唆されたらしいぞ」と囁き合っている者たちもいる。

 そんな中で一人、佐藤だけが青い顔をしていた。こんな大事になるはずではなかった、と思うがすでに後の祭り。佐藤にできることなど何もない。佐藤のスマホには、高橋に聴かせた音声のデータがしっかりと残ってしまっている。

 賽はすでに投げられている。願いの成就はすぐ後ろまで迫っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アラビアンナイトならぬラジオの魔神のネタは数多くあるけれど、ここまで意表をつく形で、しかも自然なオカルトはお目にかからないですねえ。それだけで非常に面白く感じました。 嫉妬から、ラッキーア…
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