濁々と積もる生き恥
乗りこんだコースターは緩やかに加速しながらトンネルの片隅を滑っていく。
奥に進むほど照明は光量は弱まって数は減り、遂には非常口の方向を伝える緑の光しか存在しなくなってしまう。
ただし手元は淡い橙色に、ぼんやり照らされていた。
前面の座席の裏に発光するボタンが複数備えつけられており、ボタンに印刷された掠れているピクトグラムが風除けや折りたたみ机の展開といった環境整備や、恐らくラジオや簡易的なゲームといった暇つぶし用のコンテンツを表現している。
ここまで多機能だと興味のままに弄りたくなる。
ただ、プライドが隣の少女に問えと囁いた。
「なぁ、色々出来そうだが……触ってみてもいいか?」
「はい、大丈夫だと思います……あ、でしたら私も。」
髪の毛が暴れ回っている少女は風避けのスイッチを押して、透明の板を前方の座席から出現させた。
俺は……ラジオを押してみよう。山のトンネルの中だが、通信は出来るのだろうか?
押しこんだラジオのスイッチは、カチリという音と共に消灯する。
ピギュッ、ガッ。
呼びかける側のトランシーバーに近い音が、俺の座席の両側から発せられた。
「……」
……無音が続く。
「……反応、無いな。」
それもそうか。
明らかに管理がされていない建造物に繋がっているトンネルなのだ。
既に放置されて久しく、通信が届かないことよりコースターが駆動している方が怪奇な現象なのだろう。
「……ゲームやるか。」
それを消灯させると、同時に風避けのスイッチも光を失くす。
何か故障したのか、それとも想定通りの動きなのか……
心配しながら様子を眺めていると、少女が出したものと同じ透明な板が俺の目の前に湧き出てきた。
そしてノイズが走る。
開かれる画面といつの間にか手元に伸びてきていた十字のスティックとボタンが四つのコントローラー。
もはや博物館に飾られるレベルの古いコントローラーだ。スティックの先端に赤く丸い物体がついているのが一世紀前のソレである。
「いつの時代の……っ!?」
待てなんだこの音は……bitゲーム音楽……!?
先程ノイズが流れたスピーカーから、今度はかなり安っぽい音楽が流れてくる。
もはや近代歴史として授業用の映像を取り扱うこともあるbitゲームの情報に、頭が混乱する。
更に、だ。
その授業の記憶通りにスティックで操作すると、簡易なゲームの映像とタイトルが表示された。
ただ殆どがポップな感じであり、最近のゲームの流行りである、緑色と灰色の世界観は一作しか存在しない。
「え、遠投ゲーム……ってなんだ?ブロック崩し、は分かる……ゾンビシューティング?アーケードの簡易版……いや画質悪いな!」
「何かしますか?横から見てますね。」
「お前もやればいいだろ?……まぁ、俺はブロック崩しするよ。」
「はい、分かりました。私は『北海道大学国際共同海洋研究センター神田太郎監修脳の筋力をつけるトレーニングプログラム』をします。」
「え、なんて?」
よく聞き取れなかった彼女の発言はさておいて、俺は立ち並ぶ壁に球体をぶつけ始めた。
タイムリミットはこのコースターが停止するまでだと考えると、ゲームを選択するまで時間をかけた今回はそれほど余裕は無さそうだ。
いくつかのステージを越え、ボス敵が落とす壁を回避しながら球をぶつけ始めて数分、勝利のBGMと共にランキングを確認しているとコースターが緩やかに速度を落とし始めた。
そろそろ到着なのかと思い満足感から顔を上げると、いつの間にかトンネルの照明が数を戻してきており、周囲の空間がよく見えるようになっている。
少女に声をかけようとすると、彼女もパズルのリザルトをそのままにコントローラーを触っていないことに気づく。
伏せた顔で足を見たまま動かない。
「……おい?」
「……」
「おい、起きろ。」
「っ!」
溢れかけた唾液をだらしない音と共に吸い込みながら、少女の虚ろな目がキョロキョロと首に振られる。
「つきま、けふ、つきました?」
「いや、そろそろ着くから先に起きとけって思ったからな。」
「あー……あぁ、なるほど。うぅ、眠くて……」
「……風でも浴びてろ。」
「はい、分かりましたぁ……」
極度の脱水症状に嘔吐。
絶対安静が強制される程の体調の後に、長くコースターに揺られていたのだから、身体の疲労から眠ってしまうのは無理もない。
マキナ化していてもそれぐらいの予想は出来る。
俺はバッグを中にまだまだ余っているペットボトルを、眠さ以外の全てが隠微な笑顔に纏められている彼女の手に押しつけた。
弱々しく握りしめて持ち上げたところである事に気づき、俺が横から蓋を回す。
パキリ、固定された蓋の開く音。
「あぅ、ありがとうございまぁ……す……」
水は口から顎へ、それから患者服に広がり、照明を反射して輝く。
もはや夢遊の状態である彼女は零していることも自覚していなかった。
ケージの中のウサギが使う、上方を向いて口をつけるタイプの水飲みを蛇口にしているみたいだ。
注意したところで体調からして意味が無い、飲みたいだけ飲ませておこう。
「……終点が見えてきた。またお前を背負っていく。」
「……ぁ……非常口から……う……」
「非常口。非常口……分かった。」
うつらうつらではなく、ガクンガクンと頭を前後に振っている少女の姿は首の筋なりを怪我してしまいそうで見ていられない。
ペットボトルを受け取り、そっと背もたれにに彼女を押しつける。
10秒も経たずに目がすっかり閉じて、そのまま深い眠り落ちていくのが呼吸で分かる。
「よし……寝てていいぞ。」
「……すぅ……」
背中の少女は、俺の声が届く前には脱力しきって体を預けきっていた。
前方のリュックの重みで釣り合わせながら膝をのばし、出発点と殆ど変わらない構造を観察する。
「……あれか。」
ただ、なんとなく覚えている形とは大きな違いもあった。
扉が二つあり、片方はスーパーマーケットで見るような、銀色に縁取られた乳白色の両扉。もう一方は大型トラックが横になっても出てこられそうな超巨大扉。
緑色の光は点在し、何事もなく見つかる。
「非常口は巨大な方だな……おかしいだろ。」
黒ずみ、それでも光り続けている緑色の光。
非常口の条件とかは法律で決まっているのだろうか。
扉横にある操作盤らしき箱に近づく。
鍵がかかっていて開くことは出来ないようだが、プラスチックのカバーが赤いボタンを覆っていた。
「『非常時こちらを押してください。アラートが鳴り響き、即座に運送用エレベーターが向かいます。』……バールでこじ開けるか。」
アラートによって何かしらがやってくる可能性を考えると、ここは穏便にすませた方が無難に思えた。
もちろん警報装置が作動するかもしれないが、薄っぺらい箱に安っぽい鍵だ……形だけだろう。
バールを右手で握りしめ、曲がった切っ先を溝に食い込ませる。
少女を起こさないために、ゆっくりと歩いて弧を描く。
箱自体が歪み、耐えきれなくなった扉も弾けて開く。
バールをバッグに戻しながら覗き込むと、『上』と刻まれたボタンが見える。
「よっ……と。」
オリハルの指をコツンとぶつけ、ボタンを押しこむ。
白色の光が放たれ、巨大扉の向こうから空洞が揺れる音がした。
扉の左右の隙間から風が吹いたと感じたところで、扉は上下に二分されて開く。
横の長さに驚いた大きなエレベーターは、更に奥行も長くてエレベーターに取りつけられた照明により、まるで屋内プールの広さなのかと錯覚をさせる。
『安全の確認をお願い致します』
「……危険そうなものは特に無いな。よし。」
金属の台座を素足で歩けば、耳障りな音がエレベーター内に響いた。
トラックが停車した際に隣合うであろう位置には簡素なスイッチが佇んでいて、そこでエレベーターを内側から操作が出来るみたいだ。
先程の箱と同じようなスイッチを押す。
ロックが外れたような振動と共にエレベーターは動き出し、吹き抜けの真っ暗な頭上から風が降り注ぎ始める。
……着く頃に少女の髪の毛が俺の体に絡まっていないか心配だ。
一分程度。
風が弱まったかと思えば再び床が振動し、固定される。
『安全の確認をお願い致します』
再度のアナウンスが流れて扉が上下にひっこむと、冷たい空気が足元に転がってきた。
一度、体に彼女の髪が絡んでいないか確認してから歩き出す。
一歩踏み出したところで、即座に駐車場に戻って『開』のボタンを押しながらバッグを片手で探る。
四方が壁に囲まれた空間で、完全に真っ暗だ。
コースター空間みたいな光源はひとつもないし、非常口を示す明かりもとりあえず見つけられない。
「流石に……片手だと難しいが……よし。」
バッグにバンドでライトを括り付け、再び姿勢を起こして歩き出す。
点々と立つ柱と黒色の床と天井に一見、ここは捨て置かれた駐車場だと予想。
エレベーターから直線的に進み、ダンゴムシの如く壁に当たるまで動くことする。
だが、道中で横たわった縞模様がライトに照らされた。
……横断歩道がひかれているとは珍しい駐車場な気がする。客に当たる人物が使うような駐車場なのだろうか。
ここまで巨大な駐車場に廃車がひとつもないとは珍しいと感じながら淡々と歩き続け、いくつかの壁を右に左に曲がりながら周囲を確認する。
「……やっと外か……」
かなり迷った気がするが、それを確かめようにも特色が無い空間では確かめようがない。
そうして蓄積されていく暗澹な気分は、ようやく見つけた坂と風の音に崩壊した。
まだ日が昇っていない。
やっとの外の空気を感じながら振り向けば、そこには病院が建っていた。
コンビニやレストランさえ内包していそうな大きさは恐らく総合病院だろう。
完全な廃墟となって、車輌も全て回収したのだろう。
少女の呼吸は
……背中から聞こえる寝息が妙に気になってしまったのは、言語化するより先に恐れていたからかもしれない。
気にする必要のない杞憂であれと望めば、それは文字となって強固な不安になる。
「……待てよ、こいつ……患者みたいな服してるよな。見つかったら不味くないか?」
熱波の中、廃墟の朝焼けを拝む人はいないだろう。
しかし……それが絶対だと言い切れはしない。
早めにトンズラさせてもらおう。
少女だって休むならば、俺の背中より電車の座席で横に寝かされた方が疲れが取れるに違いない。
『ご質問をどうぞ。』
どうやら数駅は隣の箇所までやって来てしまっていたようだ。
数駅で二百円以上は料金違うこのご時世、そこに一人分追加となると楽観出来ない出費だ……
俺は改札の横にある、キーボードの存在する機械の前に立っていた。
とあることが分からないため、回答を貰う為に。
「『同伴者が眠っていて、おんぶで改札を通るには?』……これでいいか。」
『検索中……』
『申し訳ありません。ご期待に沿える回答は見つかりませんでした。』
『類似した質問と回答がございます。ご覧下さい。』
薄々だが、確かに期待はしていなかった。
方向ボタンを押してスクロールするが、ざっと見たところ望む質問や回答が無い。
「……こいつ4歳以下ではないから関係無いな。ちっ、切符はどう買えばいいんだ。」
『検索中……』
『乗車の手順についてのデータがございます。』
『印刷しますか?』
『印刷中です……取り出し口付近に荷物を置かないでください。』
『完了致しました。ありがとうございました。』
タタン、と揺れる車内。
俺と少女以外は誰も利用していない、恐らく二発目になるこの列車。
死んだ街を億劫そうに照らす朝焼けが、俺の視界を侵していく。
ふとビルの影がよぎると、どでかいバッグを置いている男の姿が反射している。
俺なのだろう……
彼女は冷房の効いた座席の上で横にさせたところ、より深い睡眠をとっているようで、大きな服に対して鬱陶しそうに手をひっかけていた。
汗と水が気分を害しているのだろうけれど、公共の場なのでその先が起きないことを祈る。
点々と掲示されている広告は、カルト集団やゴシップばかりで余り読んでいたくないと感じることもあり、消去法で少女の様子か、窓から見える景色ばかりを見ていた。
……やはり車内を反射するたびに俺のRARによる姿が入り込むので鬱陶しいが、一瞬のことなので少女の容態でも注視しておくとしよう。
呆けていても時間がもったいない。
何か有意義なことでも考えるか。
「例えば……今回の戦利品をどうするか?」
無理に引き出した考えは、意図せず独り言となって口をついた。
事実を呑み込めていないのか、現実逃避をしている場合ではないと頭を横に振る。
まず親の説得が必要だ。
患者服の少女を連れ込んでいいか、と聞くのか?まさかな。
俺の親がまともに事情を理解したり、余計な事をせずに焦らず対応してくれるとは思えない。
家の鍵はもっている。
親の注意を逸らし、そのうちに少女を俺の部屋まで移動させる……そうしよう。
ただ見つかった場合……そうだ。少女の靴を買えば客人と詐称と偽る為の保険になるか。
ふと、視界から外していた広告が目に入る。
『真実は一つだけ!都合よく事実を変えてふんぞり返る官軍に抵抗しないと、この国に未来はありません!』
……流石に極端だが、似ているところはあるかもしれない。
俺の考える今後の指針は蔑ろにされるだろうが、だからといって家主の許可なく暫く他人を定住させる方が酷いのは明確だ。
少女を行政の元に届けるのが、一番正しい。そんなことは分かっている。
だが、日焼けた夏に彩りがやってきた……絶対に、こっちの方が楽しい。
この少女の様子が逐一分かれば良いが、しかし児童養護施設の生活を聞いても俺の楽しみにはならない。
彼女と、開いたブラックホール。
迸る閃光、舞い上がる花々。
声を阻む風の音が蘇り、高揚感が吹き上がる。
不可思議な事象を引き起こせる例外の存在を、一般的な正解に押し込めるなんて勿体ない。
「……ヤバい思想だよな。自己中な思考がここまでだとは。」
自虐しながら口を歪め、それでも、と視線を窓の外へ向けた。
俺の表情は笑顔だ。
昨日の曇天が空を横断する形で細く残っており、青、赤の両方に染め上がっている。
一応見ていた外の景色は、赤い色が昼の色に塗り替えられていく……と思っていたが、実際は太陽とは距離のおいた黒い部分が青くなっていく。
朝の景色をじっくり眺めたことはなかったから、俺にとっては意外なことだった。
視界の端で、僅かに茶髪が浮かび上がる。
「う……おはよう、ございます。」
「ん、おはよう……眩しかったか。」
彼女は鈍くはにかみ、太陽を手で隠す。
正面から日光が飛んできている今、太陽と反対側に座ったのは失敗だった。
昼であればそうすることで背中が燃えるのを避けるのだが、失念していたな。
少女の手をとり、対岸の端っこに座らせて日光を避けさせる。
その間にだいぶ目が覚めてきたのか、自身の服の惨状に気づいた彼女は驚いた表情で車内の人影を確かめた。
「こ、これって……というか、これは電車の席……」
「ああ、寝てる間に移動した。そんなに状況は変わってない、GPSで近くの駅まで調べて結構歩いたぐらいだ。」
「その……なにか寝言とか言ってませんでした?」
「いや、一切。」
「そうですか……よかったです。」
それから少女は、ほう、とため息をついて電車の扉を見た。
その仕草からして恥ずかしい癖があるとかではなく、単純に心配していただけの様。質問で追いうつのはやめる。
「ペットボトル、いるか?全然飲めてなかったし。」
「……はい、服が凄いことに……」
翡翠の目が車内の明かりを反射し、恐る恐るこちらを見上げる。
「背負っている間、ビショビショじゃなかったですか……?」
「俺は余り傘を開かない方のマキナ体だ。気にすることは無い。」
「すみません、ありがとうございます……いただきます……」
『間もなく美規、ビノル。お出口は左側です。』
「降車駅の駅のアナウンスだ、トイレとか行きたいか?」
「あっ……はい……えと……はい……」
降車駅だと伝え、手洗いに行くかと聞いたところなにやら少女の歯切れが悪い。
……いや、不躾な質問だったな。
異性から突然、こんなことを聞かれてそりゃ気分が悪くなるのは必然か。
「あぁ、すまん。もう少しオブラートに包めば良かったか。」
反省を示す。
だが、どうも彼女の複雑な表情は拭えない。それどころか、僅かに顔が赤くなっていた。
「……頑張ります。」
「……は?」
到着した小綺麗な駅。俺の家から最も近い駅は、夏の間だけ親しみがある。
だがそんな空間にも関わらず、多目的トイレに入った彼女を待つ俺はどうにも落ち着かなかった。
彼女がトイレに入る、その直前。
とある爆弾発言が残された。
取っ手で扉をスライドする彼女は、振り向かず、か細く言った。
「服を脱いだことも、生理現象も自分で処理したことがなくて……」
俺は、俺の耳を叩いた。
修繕中の聴覚センサー貸出を含めて、大体両方合わせて8万円ぐらいの出費になる。
うん、きちんと聞こえている。
……つまり、恐らく不具合は発生していない。
まさか俺の頭に問題が……?
「……ん?え、なんて……!?なんつったお前!?」
「無事に出てきたら……いえ、なんでもありません。」
さっきの発言は聞き間違えではない。
その事実は、彼女の姿が扉の向こうに消えていく光景なくして、受け入れられなかった。
「おい!ちょっ!?おまっ……どうしたんだお前!?」
……エチケットとして距離はとったが、心配でたまらない。
別に彼女は体が不自由という訳では無いだろうし『便座は倒して、座ってご利用ください』といった注意書きも貼ってあるだろう。
そこから連想するぐらいならば、今の俺なら記憶を無くしても問題ないと思う。
だがしかし俺の抱く彼女の像は、より背丈の小さい子供に思えてしょうがない。
幼い子供から目を離したら、すぐにトラブルを起こすと相場が決まっている。
……くそっ、もどかしくてどうにかなりそうだ……!