1-2 チューリップの妖精が気付かせてくれた事
「わぁ、人間の食べ物がたくさん売ってるねー!」
「スーパーはそういう場所だからな。走り回るなよ?」
「あいっ! しょれ、なーに?」
「カートだよ。これにカゴを乗せて運ぶんだ」
「僕やりたい!」
「人にぶつけないようにできるか?」
「あいっ!」
カートに興味を示したのでカートを彼に動かしてもらう事にした。
子供用カートがある店で良かった。
「何にするか、夕飯……」
「おにいしゃんが元気になるご飯っ」
「肉って事か? そうだな、たまにはハンバーグにしてみるか。子供も好きなものだし」
普段ならカップ麺やコンビニ弁当で済ませるけど、子供がいるからにはそうも言ってられない。
「あと、子供用の食器も買わなきゃな。上のフロアの百円ショップで買うか」
「おにいしゃんっ! この木みたいな食べ物なぁに?」
「ブロッコリーってお野菜だよ」
「わぁ! これはー?」
「トマト」
「チューリップと同じ赤だねっ」
「そうだな」
スーパーで無邪気に喜ぶ彼を見ていると、心が落ち着く。
まさかこんな小さな子と突然一緒に暮らす事になるとは。
子供はあまり得意ではなかったはずなのに、この子には苦手意識がない。
自分に好意的な子が初めてだからだろうか。
スーパーで食材を一通り購入し、スーパー内にある百円ショップで子供に必要そうな物を一通り揃えた。
「いっぱいお買い物したね!」
「こんなに買ったのは久しぶりだ」
「お買い物楽しいね、おにいしゃん!」
「楽しい……か?」
「楽しいよ! おにいしゃんと一緒だもんっ」
ずっと一人だった俺の前に突然小さな小さな妖精は現れた。俺にとっては妖精というより天使なのかもしれない。
帰宅すると、俺は夕食の支度を始める。
「おにいしゃん何してるのー?」
「ご飯作ってるんだよ。こうやって肉をこねるんだ」
「僕もこねこねしたい!」
「え?」
「楽しそう!」
何に対しても好奇心旺盛なのが子供らしい。
とっくの昔に俺が無くした感情だ。
「こねこね、こねこねーっ!」
「まーるくこねるんだぞ?」
俺しかいない事で暗い雰囲気だった自宅は明るい雰囲気へと変わった。彼が現れてからは。
「はい、どうぞ。このくらいなら食べられるか?」
食事が出来ると、百円ショップで購入した子供用のくまの絵柄がついた皿に小さくこねたハンバーグとサラダを少し入れてあげた。
「僕がこねこねしたハンバーグ?」
「ああ」
「わぁ、色が変わったねー!」
「しっかり焼いたからな。ケチャップもかけてある」
「ワクワクだね!」
しかし、肉を食べるチューリップって……。
「頂きます」
「い……いただきます!」
「フォークで刺して食べるんだ? できるか?」
「あいっ! おにいしゃんのまねっこできる!」
誰かと食事をしたのも久しぶりだな。
「美味いか?」
「美味しい美味しいだよ、おにいしゃんっ!」
「良かった」
「おにいしゃんのご飯食べてハッピーだよ!」
「あ、口の周りケチャップだらけ。拭かないと」
「やっぱりおにいしゃんは優しいね!」
「そうか?」
「うん! おにいしゃんが優しいから僕は生まれたんだよ! お花の妖精はね、心がきれいきれいな人としかパートナーになれないの! おにいしゃんの心の色はまっしろけっけ!」
「見えるのか?」
「うん、魔法で見えるよ!」
そんな力まであるとは。
「すごいな」
「だから、みーんな心がまっしろけっけなパートナーを選ぶの!」
「他にも妖精がいるのか?」
「うん、春は桜の妖精さんとか!」
「へぇ、気になるな」
この子みたいなへんてこりんな子供が他にもいるって事か。
「これからは僕がおにいしゃんハッピーにするからねっ」
「ハッピーって……」
「大丈夫! 僕にまかしぇて!」
小さいのに頼もしい子だな。
だけど、この子が現れてから久しぶりにワクワクしているんだ。
今迄の退屈な日常が一変していく。
「おにいしゃん、チューリップの髪あわあわになったよ! あわあわあわあわ!」
「ほら、洗うからじっとして」
とりあえず人間の子供と同等に接してみてはいるけど、こんな感じで良いのだろうか。
夕飯を共にし、お風呂に入れ、一緒に眠る。
「ぶぉーん! 風がしゅごい!」
「ドライヤーな」
とりあえず、この子が手のかからない子だという事は一日で理解した。ワガママは言わないし、お風呂に入れる時も、ドライヤーで髪を乾かす時もされるがままだ。
普通の子供だともっと大変な気がするけど。
彼と同じ布団で眠り、朝を迎えた。
やはり彼と眠る事で俺は安眠を得られるようだ。
「はぁ、今日は会社行かないと。とはいえ、この子をどうするか……」
「僕、お家で良い子しゅる!」
「そうもいかないよ。あ、そうだ。チューリップに変身出来るんだよな。長時間変身する事になるけど……」
「変身できるよ!」
「ただし、俺が良いって言うまでずっと花の姿でいる事。出来るか?」
「あいっ! じゃあ変身ーっ!」
会社には花の姿になった彼を連れて行く事にした。
まあ、家に小さな子供を置いていくわけにもいかないし。
だけど、いざ会社に着くといつもの如く課長が不機嫌な様子で俺の元へやってきた。
昨日休んだ分、パワハラが倍になる予感しかない。
「昨日急に休むとはどういう事だ? 長谷川っ!」
「申し訳ありませんでした」
「全くこんな忙しい時期に体調不良で休むとは。迷惑なんだよ! 30年も生きていて体調管理が出来ないのか。本当に無能だな、お前は」
自分だって少し調子を崩したら休むくせに理不尽だ。だけど、自分の中にある不満はいつだって胸の中に溜まっていくだけ。
「以後気をつけます」
「昨日休んだ分たっぷり働いてもらうからな。今日は早く帰れないと思え」
「はい」
「全く、無能しかいないな、この会社は」
体調大丈夫ですかの一言さえもくれない。この会社には信頼できる人間はいない。
「うわっ! なんだ、これは」
だけど、課長が席に戻った瞬間だった。
突然課長のデスクの周りに大量のチューリップが咲き始めた。
まさか、彼の仕業か……?
「全く! 君、とっととこの花全部廃棄したまえ。何が起きてるんだ、全く……」
課長はチューリップの花の廃棄を近くにいた女性社員に頼む。
廃棄って……。
「せっかく綺麗なチューリップなのにね」
「でも、どうしていきなり床からチューリップが?」
俺は鞄を抱えて慌ててビルの屋上へと駆け込んだ。
「君がやったのか? あのチューリップ……」
「だって、おにいしゃんに意地悪する悪い奴なんだもん。お花見たら優しくなると思ったの」
「無いよ。あの課長に限ってそんな事」
「あの人、心がまっくろけっけだったよ!」
「まっくろけっけって……」
「あの人だけじゃないよ! たくしゃんの人がまっくろけっけだったよ」
ブラック企業だからな。
「まあ、何となく分かるけど。課長以外の上司や同僚もブラック思考だし」
「でもね、おにいしゃんは一番まっしろけっけ! だから、おにいしゃんが心配! ここにいたら心がしおしおになっちゃう」
「しおしおって……」
「おにいしゃんはもっと幸せにならないと!」
「君……」
あんなひどい会社にいても心の色は変わってないんだな、俺。
「チューリップ、捨てられちゃうの?」
「あ、そうだ! 俺が持って帰るよ。でも、もうあんな事したらだめだぞ。魔法禁止」
「チューリップみんなたしゅかる!?」
「すぐに廃棄を頼まれてた人の所に行くよ」
「やっぱりおにいしゃんはまっしろけっけ! こんな場所にいて良い人じゃないよ!」
「えっ?」
「たーくしゃんこんな悪い奴らばかりの所で頑張ってておにいしゃんはえらいよ!」
偉いなんて初めて言われた。
この会社にいて褒められた事は一度たりともない。
チューリップの廃棄を頼まれた女性社員に話しかけると、彼女も元々廃棄するのは気が引けていたと答えた。
彼女と俺でチューリップを分けて持ち帰る事にした。
「またチューリップが増えたな」
でも、チューリップを見ると心は穏やかになる。
彼と話している時のように。
課長がそんな花廃棄してしまえと荒れているのを見た瞬間、何で俺は今までこんな人の心の無い人間に頭を下げてばかりいたんだろうと今更ながら思った。
もしかしたら、俺もずっと普通じゃなくなっていたのかもしれない。
毎日暴言を吐かれる事も、やたら残業を強いられる事も正しく無い事だと普通ならすぐ分かる事なのに。
こんな所にいるべき人間じゃ無いと言った彼の言葉がずっと頭に残っている。
予想通り、22時過ぎまで残業となってしまった。
「おにいしゃん、おちゅかれしゃまっ!」
「ありがとうな。悪いな、遅くなって」
会社を出ると人の姿になったチューリップと駅に向かって歩く。
「おにいしゃん、いっぱいお仕事頑張ってしゅごい!」
「えっ?」
「でも、このままだと長生きできなくなっちゃう」
「まあ、寿命はとっくに縮んでる気はするが」
「おにいしゃんといっぱいいっぱい一緒いたい! いっぱい笑ってるおにいしゃんが良い!」
彼は小さな手で俺の手を取り、懇願する。
「まあ、小さな子が来た以上このままの生活は続けられないよな」
チューリップの花の姿にして深夜まであんなブラックな会社にいさせた事に罪悪感も感じていた。彼は純粋な子供だ。
「おにいしゃんがハッピーだと僕もハッピーなの! 嬉しいんだよ! だから、いっぱいいっぱい悪い奴らと戦って頑張るのはかっこいい、しゅごいけど……笑顔が無くなっちゃってるよ! ハッピー消えちゃう!」
「でも、今更新しい仕事なんて……」
「おにいしゃんなら大丈夫だよ! 僕がついてるもん! フレーフレーおにいしゃん毎日しゅるの! だから、お願いお願い!」
こんな小さな子に心配かけて、お願いされて、30にもなって俺は情けないな。
というかこんなに誰かに心配されるなんて今迄無かった。
「まあ、倒れたら君の世話出来ないもんな。チューリップに言われて今日、ようやく実感した。今迄いかにひどい環境にいたか。チューリップを廃棄しようとする心が真っ黒な上司に頭を下げてなんて愚かだろうって」
「おにいしゃんはもっと優しいしぇかいにいるべきだよ!」
「優しい世界……あるかな」
「大丈夫! おにいしゃんみたいに心がまっしろけっけな人いっぱいいるよ!」
彼の自分には前向きさに俺は救われる。
30歳になって初めて出来た友人はとてもとても小さいけれど、頼もしい。
「ーー仕事、辞めるよ。良い子のお願いだからな」
「わぁ、やったぁ! おにいしゃんありがとう!」
「いっぱい応援してくれるんだよな?」
「あい! チューリップがついてれば大丈夫!」
小さな小さなできたばかりの友人の言葉で俺はようやく目が覚めた。
彼が現れてからずっとどんよりとした曇り空のような色をしていた世界が色付いていく。
「これからはいっぱいもぐもぐしていっぱいおねんねしていっぱい僕とあしょんでねっ!」
「肝に銘じます」
「おにいしゃんの日本語難しいよ!」
「ごめんごめん」
これから始めるこの子との物語を考えるとワクワクする。
「他の子にも会わないとね!」
「他の妖精か。楽しみだな」
課長に辞めたいと話すのは憂鬱だけど、この子が側にいて見守ってくれていると思ったら気持ちが軽くなる。
俺は30歳になったのを機に人生をやり直す。
チューリップの妖精のおかげでようやく決断したのだった。