今宵の月のように
ネオン輝く華の都――東京。街は光り輝き、夜の東京は幻想的な空気に包み込まれる。
いつもはこの幻想的な空気を無視して帰路を急ぐ会社員たちも、今日だけは急ぐ足を緩め、その幻想的な空気に身を委ねていた。
光のカーテンに包まれて肩を並べ寄りそう恋人達、何処をみても誰をみても幸福そうな雰囲気がある。
年に一度の『幸福』という、サンタクロースからのプレゼント。街はクリスマスで染められている。
潤は店頭でクリスマスケーキを売りながら、そんな光景を恨めしい気持ちで見ていた。
1週間前に彼女と喧嘩して、以来連絡をとっていない。彼女が、今年のクリスマスは家族と過ごすから会えない、といったのが喧嘩の始まりだった。
潤は、イブかクリスマスのどっちか会えないのか、といったが、彼女の返答は首を横に振るだけだった。
付き合って5年が経つ。高校で同じクラスになって、気が合うからと付き合い始めたのは高校2年のときだった。
確かに最近では二人の関係はマンネリ化し、付き合い始めた頃の新鮮味はなくなっていた。
だからこそ、こういう年に一度のイベントのときは二人で過ごし、マンネリ化した関係を打破しようと潤は考えていた。
しかし、彼女から返ってきた言葉はごめんね、ただ一言だった。
「やっと落ち着いた」
通り過ぎる人を見ながら呟いた。
潤がバイトをしている店は大きくないが、クリスマスには予約だけで300は超える。店頭販売でも200は軽く売れてしまうため、ピーク時には人が途切れず、一気に200がなくなった年もあった。
最初は若い女性客が多かったこの店に男性や家族連れが増えたのは、この店のケーキが人々に認められたのだろう、と潤は自分事のように嬉しく感じていた。 「おつかれさん。今年も盛況だな」
ぽん、と肩を叩かれ後ろを振り返ると、制服にクリームをつけた高橋が立っていた。
潤がバイトをしている洋菓子店の店長であり、潤が憧れているパティシエでもある。眉目秀麗、高橋は30代後半だが、20代前半といっても違和感がないくらい老いを感じさせない顔立ちと雰囲気をもっている。
「大盛況ですよ。もしかしたら去年を超えるかもしれませんね」
潤は店頭に並べられたケーキを見ていった。
200並べてあったケーキも残り50を切っている。売りはじめて2時間でこの数を捌いたのは初めてじゃないか?
「そうか。こんなに売れるとは、嬉しい忙しさだな」
高橋はそういうと、やわらかく笑った。
男にとっては何てことのない笑顔。しかし、相手が女性だと一瞬で胸を貫く恐ろしく切れ味の良い凶器。
この笑顔に今まで何人の女性が落とされてきたのだろうか、と潤は腕を抱き身震いするふりをした。
(こわい、こわい)
「それはそうと、潤」
急に高橋の声色が変わり、表情も真剣なものになった。
しかし、潤は驚きはしなかった。高橋が真剣な話をするときは女の話と知っているからだった。
「美紀ちゃんとは連絡とったのか? 喧嘩別れは後を引くぞ」
やっぱりと思った。彼女の名前が出て一気に機嫌が悪くなる。
「いいんですよ。もう別れたんですから、連絡なんてとりませんよ」
ごめんねといった彼女に、潤は別れを告げていた。
「そうか、おまえたちの為にケーキ取って置いてあるんだが……どうするか」
「おまかせします。お客さんに売ってもいいですよ。一人でクリスマスケーキは寂しいですから」
なるべく明るくいったが、笑顔が引き攣っていた。 「そうか、一人でクリスマスケーキは寂しいか」
高橋はそういうと、潤に顔を近づけ小声で話しだした。
「なあ、じゃあ優実ちゃんと一緒に食べればいいじゃないか」
「優実ですか?」
高橋につられて潤の声も小さくなる。
優実は愛想が良く、性別問わずお客さんから支持を得ているこの店の看板娘だ。
体格は小柄で身長は150ちょっとしかないといっていた。歳が2つ下というのもあってか、潤にとって優実は妹みたいな存在だった。
「優実は妹みたいなもんですよ。そういう関係にはなれません」
潤は店内にいる優実を見た。それと同時に優実も潤の方へ顔を向けた。目が合う。優実はお客さんにばれないよう潤に手を振った。それを見て潤も手を振り返りす。
「おまえたち結構いい感じだと思うんだけどなあ」
高橋は顎に手を当て、手を振りあう二人を見ていった。
「兄妹って仲がいいもんでしょ。それと同じ感じですよ」
潤は手を振るのをやめ、店頭カウンターの方に向き直った。
本当はただ美紀のことが忘れられないだけ、とは口が裂けても言えなかった。フッタのは自分なのだから。
「一人の女に執着しているようじゃ、大人の男にはなれないぞ。いろんな相手を抱いてこそ漢だ」
高橋は腰に手を当て、胸を張っていった。まるで自分の生き様を語るように力強く。
「その言葉、そっくりそのまま奥さんに伝えておきますね」
奥さんに弱いことを知っていた潤は、わざと奥さんの部分を強調することで、話を終わらせようとした。
そしてそれは見事に成功し、高橋は
「さあ、仕事。仕事」と何事もなかったかのように店内へ逃げていった。
一人になった潤は、通り過ぎる人々を目で追っていた。通り過ぎる人々の中に美紀を探していた。
「すいません」
カウンター越しの小さな声。潤は声に気づかない。 「あの、すいません」
さっきよりも大きい声。その声でやっと潤は目の前の客に気がついた。
「あ、すいません。いらっしゃいませ」
潤が見た先にいたのは、小学生くらいの小さな女の子だった。
「けーきください」
女の子はカウンターに手をかけ、一生懸命背伸びをしていった。そうしないとカウンターに体が隠れてしまうのだ。
「いちごの、しょーとけーきください」
急いでいるのか、女の子は仕切にキョロキョロと辺りを見ている。
潤はすぐにケーキを箱にしまい、紙袋にしまった。
「じゃあ1500円になります」
潤がそういうと、女の子はポケットに手を入れ、潤の前に差し出した。
女の子の手には100円玉が5つ。1000円足りていない。
「500円じゃ買えないんだよな」
買えないと聞いた女の子は見るからに落ち込み、いまにも泣きだしそうな顔になった。
「お母さんは一緒じゃないの?」
女の子は首を横に振る。
「じゃあ、お父さんは?」
またも女の子は首を横に振った。
困ったな。親が一緒にいれば親に支払ってもらえるけど、女の子一人だとそれができない。かといって自分の判断で勝手に値引きすることもできない。
「ちょっと待ってて」
潤は女の子にそう声をかけ、店内へ入った。
潤が店内に入ると、様子を伺っていたのだろう、優実が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「女の子がケーキ買いにきたんだけど、お金が足りなくて。店長は?」
あっち、と優実は調理場を指差した。潤はサンキュー、といって調理場に入った。
「どうしたんだ、潤。そんなに慌てて」
突然入ってきた潤に調理場にいた全員の視線が集まる。
「店長! 俺に取って置いてあったケーキってまだありますか」
「ああ。残ってるが、そんな急がなくても仕事が終わればやるぞ」
潤は女の子のことを話し、自分のケーキをその子にあげたいといった。
「お前がそれでいいなら構わないぞ。もともとおまえのために取って置いたケーキだしな」
高橋は冷蔵庫からケーキを取り出し、箱にしまって潤に手渡した。
「ありがとうございます」
潤はケーキを受け取り、急いで外に向かった。
「おまたせ……って、あれ?」
潤が戻ったときには女の子は店の前からいなくなっていた。
辺りを見回してみたが、あの女の子の姿は見えなかった。
「帰っちゃったのか」
午後8時過ぎ、潤はバイトが終わり、イルミネーションも見ずに帰路を辿っていた。すれ違う恋人達を横目で見ては、心の中で唾を吐いた。
帰りの電車の中、潤は何度もケータイを開いては、彼女の番号を押しては消すことを繰り返していた。
(いまさら遅いよな)
潤は悶々とした気持ちのままホームに降り、改札を抜けた。すると見覚えのある姿が目に入った。
「あれ? あの子は……」
潤の視線の先にいたのは、先程の女の子だった。
女の子は小さなメモを見ながら、キョロキョロと辺りを見ては首を傾げている。
「どうしたの?」
急に声をかけられ、女の子は驚いた様子で潤を見上げたが、その表情はすぐに笑顔に変わった。
「けーき屋さんのおにいちゃん?!」
「う、うん。そうだけど、どうしたの? もう晩いよ」
21時を過ぎていて、小学生が一人で出歩く時間ではない。
女の子はメモを見つめ、困った顔でいった。
「ここに行きたいの」
潤は女の子が差し出したメモを受け取り、書かれた住所を見た。
「ああ、ここなら家の近くだから分かるよ。一緒に行こうか?」
潤がそういうと、女の子はブンブンと首を縦に振って潤の手を取った。早く行こう、催促するように潤の腕を引っ張る。
帰っても一人ですることがないのと、こんな時間に女の子一人で歩かせるのは危ないという気持ちから、潤は送っていくことを決めた。
「じゃあ行こうか」
潤と女の子はメモに書かれた住所へと歩きだした。
「そういえば、君の名前って何ていうの?」
歩いている途中、潤は名前を聞くのを忘れていたことを思い出し、女の子に尋ねた。
「あい。お母さんがつけてくれたっていってた」
女の子は空に自分の名前を書いた。
「亜依か。良い名前だね」
「うん」
亜依は嬉しそうに跳びはねた。
「おにいちゃんは?」
「おにいちゃんは潤って名前なんだ」
潤は亜依と同じように空に漢字を書いたが、漢字が難しかったのか、亜衣は首を傾げ分からない、といった。
「はは。難しかったか」
会話が途切れ、ただ歩くだけの時間が続いた。
潤は亜依がつまらなくしてないか心配になったが、潤の心配を余所に亜依は楽しそうに歩いていた。そんな姿を見て、潤も自然と笑みが零れていた。
(子をもつ父親ってこんな感じなのかな)
そんなことを思いながら、頭の中では美紀のことを考えていた。
5年付き合って、正直結婚も考えていた。付き合った女性は美紀一人だけだったが、それでいいと思っていた。
結婚してこどもが出来て、3人で手を繋いで歩くのが夢だった。それなのに、一時の感情で別れるなんて馬鹿なことをした。
「おにいちゃん、どっち?」
亜依に腕を引っ張られ考えが飛ぶ。見るとT字路にぶつかっていた。
「ここは右だな」
右に曲がったところでふと疑問がわいた。
「亜依ちゃん、これから行くとこって、友達の家?」
潤は行き先が誰の家なのかを聞いていなかった。何となく友達の家だろうと思っていたが、この時間になるとそれも怪しい。
先程まで楽しそうに歩いていた亜依の顔は曇り、俯いてしまった。
「パパとママのお家」
消え入りそうな声で亜依は答えた。
パパとママの――
「それって亜依ちゃんの家じゃないの?」
潤の言葉に亜依は首を横に振っていった。
「亜依、赤ちゃんのとき孤児院に入れられて育ったから、亜依のお家は孤児院なんだ」
亜依の突然の告白に、潤は立ち止まった。メモに書かれた住所は、次の角を曲がってすぐのところにある。
潤の心の中で、会わせたいという気持ちと会わせてはいけないという気持ちが混ざり合っていた。 「おにいちゃん、次はどっち?」
潤と亜依は十字路の真ん中で立ち止まっていた。
「次は……」
左――。この十字路を曲がれば、亜依の両親がいる家がある。
「亜依ちゃん、パパとママに会ったら何を話すの?」
家に行く前に、亜依の意志を確認しておきたかった。
「わかんない。会ってみないと……」
「もし――」
潤がいおうとしていることが分かったのか、亜依は後の言葉を受け取った。
「わかってるよ。パパとママが会えないっていったら、諦める」
潤は亜依の意志を確認すると、力強く頷き歩きだした。
「もうすぐ着くよ」
角を曲がり、3軒目の家が亜依の両親の家だった。家にはクリスマスらしくイルミネーションが光り、庭の木には色鮮やかな飾りが施されている。
こんな立派な一軒家があって、イルミネーションや飾りにかけるお金があるのに、なぜ亜依を孤児院に入れたんだ、と潤は憤りを感じていた。
ふと潤は、家に着いてから亜依が喋っていないことに気がつき、亜依を見た。
亜依は少し離れたところで、じっと一点を見つめていた。気になり近寄ってみると、そこから家の中を見ることができた。
家の中ではテーブルに様々な料理が並べられ、3人分の料理が分けられていた。
そして椅子には赤ん坊を抱いた30代くらいの女性と、その隣に同じくらいの男性が座っていた。
「あの二人が――」
「うん。パパと、ママ」
二人は椅子に座って赤ん坊をあやしていた。
「赤ちゃん、かわいいね」
赤ん坊を見つめる亜依の目には涙が浮かんでいた。
「亜依ちゃん、いいの?」
亜依の様子から諦めの空気を感じた。聞くのも酷だと思ったが、ずっとこのまま此処にいるわけにもいかない。
「うん! 私もお家に帰らなきゃ。院長心配してるだろうな〜」
亜依は明るくいったが、無理していっているのだと潤には分かった。
「じゃあ、帰ろうか」
潤は亜依の手を取り、最後に家の中をもう一度見た。
赤ん坊をあやす二人の姿を見ると再び憤りを感じたが、それと同時にテーブルの上の料理と二人の表情に違和感を抱いていた。
帰る途中、亜依が急に公園に寄りたいといいだし、潤は誘われるまま公園に入った。
ベンチに座り、ぼんやりと空を見上げていた。
「今夜は満月か」
雲一つない空に、絵に描いたような円い月が浮かんでいる。
「亜依ね、お月様好きなんだ」
潤の横で、亜依も空を見上げていた。
「どうして?」
「院長が、亜依の笑顔はお月様みたいにきれいだねっていってくれたから」
「そうなんだ」
亜依の話に相槌を打ちながら、潤はさっき抱いた違和感について考えていた。
テーブルの料理は3人分に盛りつけはされていたものの、箸をつけた感じはなかった。それに3人分用意されていたのに、リビングにいたのは夫婦と赤ん坊一人。赤ん坊が盛りつけされた料理を食べるとは考えにくかった。
しかし、潤が一番気になっていたのは、二人が心配そうな深刻な顔をしていたことだった。
(もしかして……)
「亜依ちゃん、どうやって両親の顔と住所を調べたの?」
潤は微かな期待を込めて亜依に尋ねた。
「えーとね。かくれんぼしてて、亜依が院長室に隠れたときに、院長の机の上に亜依の名前が書いてある写真があったの。
そこにパパとママの名前も書いてあったから、この二人がパパとママなんだなって。住所はその横にあった紙に書いてあった」
亜依の言葉を聞いて、潤の中の微かな期待は大きなものに変わった。
「亜依ちゃん、孤児院の電話番号分かる?」
「うん、分かるよ」
後は院長に直接確かめるだけ。潤は逸る気持ちを抑え亜依がいった番号を押した。
『はい! こちら青葉養護施設。院長の春野です』
電話に出たのは女性だった。その声は落ち着きがなく、亜依がいないことを心配しているのだろうと分かった。
「もしもし。あの、私、青葉にあるラ・メール洋菓子店で働いている天倉 潤という者なんですが――」
潤は軽い自己紹介の後、亜依と会ったこと、それといま何処にいてどういう状況なのかを春野に話した。
『そうだったんですか。すいません、ご迷惑をおかけして。亜依は無事なんですね』
受話器越しに相手が安堵する様子が感じられた。
「いえ、こちらこそもっと早く連絡すべきでした。すいません。亜依ちゃんは大丈夫ですよ」
春野に心配かけてはいけないと、嘘をついた。本当は、亜依はさっきから下を向き泣いていた。
潤は亜依から少し離れたところで、気になっていたことを尋ねた
「あの、もし違ってたら違うっていって下さい」
前置きを入れて春野に本題を投げかけた。
そして、潤の問いかけに対する春野の答えは、潤にとって最高の返事だった。
『それでは、こちらからご連絡しておきます』
「あ、待ってください。連絡はしないでくれますか」
潤にはある考えがあった。
『それは……大丈夫でしょうか?』
「“笑顔とケーキをお届けする”がうちの店のモットーです。必ずお届けします」
心配する春野から何とか承諾を得て、潤は電話を切った。
潤は電話をしまい、亜依を見た。亜依は気持ちが落ち着いたのか、泣き止み月を見上げている。潤も月を見た。円い月はクリスマスのイルミネーションに負けないくらい輝いて見えた。
潤は一呼吸おいて亜依にいった。
「亜依ちゃん、お家に帰ろう」
潤と亜依は再び亜依の両親の家に来ていた。
来る途中何度もこっちじゃないよ、と亜依が拒んだが、それでも潤は亜依の手を引き此処まで連れてきた。
家の中を覗くと、料理が先程と変わらずテーブルの上に乗せられていた。椅子に座る二人の表情も深刻なまま変わっていない。
潤は意を決してインターフォンを押した。
バタバタした音の後、インターフォンから声が聞こえた。
『はい?!』
女性の声。亜依の母親だ。春野のときと同じ落ち着きのない声だった。
潤は、緊張で声が震えないよう気をつけながら、ゆっくりと喋った。
「すいません、ラ・メール洋菓子店の天倉です。お届けものを届けに来ました」
『ラ・メール洋菓子店? すいませんが、うちはケーキは頼んでいません』
期待が外れたのか、母親の声から落胆している様子がみてとれた。
潤は構わず話を続けた。
「確かにお客様の住所となっているのですが、確かめていただいてもよろしいでしょうか?」
『はい、分かりました』
迷惑そうな声とともにインターフォンがガチャリと切られた。
しばらくすると、玄関の扉が開き亜依の母親が出てきた。亜依は潤の後ろに隠れズボンの裾を握っている。
「夜分申し訳ありません」
潤は出てきた母親に頭を下げた。
「あの――」
「こちらの住所って、これであってますよね?」
潤は母親の言葉を遮り、メモを手渡した。
「はい。確かにうちの住所ですが」
「ご主人はご在宅ですか? 一応確認をとらせていただきたいので」
潤の言葉に母親は不信感を露に家に戻っていった。
しばらくして夫婦揃って玄関から出てきた。
「夜分申し訳ありません。こちらの住所なんですが――」
今度は男性の方にメモを手渡す。
「確かにうちの住所です。でも、失礼ですが、うちはケーキなんて頼んでませんよ」
父親の言葉に、潤はわざと困ったふりをして嘘をついた。
「そうですか。いや、実は亜依という子から、こちらの住所にケーキを届けてくれといわれて来たんです」
潤の言葉に真っ先に反応したのは母親だった。
「亜依と会ったんですか?!」
「ええ、お知り合いですか?」
この家の子であることを知りながら、潤は演技を続けた。
「亜依はうちの子です」
その言葉に反応したのは亜依だった。亜依は先程よりも強く潤のズボンの裾を握っていた。
「青葉養護施設から来たといってましたが……」
緊張感が高まる。ここからが本題だ。
「亜依が……」
言葉に詰まった母親の後を父親が引き取った。
「亜依が生まれたとき、私たちには亜依を育てるほどの経済力がありませんでした」
父親が話しはじめてから、ズボンの裾が小刻みに震えている。耳を澄ますと微かに亜依が泣く声が聞こえた。
潤は、亜依には話しておけばよかったと、いまさら後悔していた。
「だからって、孤児院に入れていいなんて理由にはなりません。でもあのときは、とても育てられなかった」
父親は悔しそうに両手に握りこぶしを震わせている。
「立派な家ですね」
潤は夫婦の裏に建つ家を見ていった。
父親も家を見ていった。
「親の家です。もう亡くなっていません」
親の家だったのか。でも、イルミネーションや飾り、赤ん坊がいるなら経済的には豊かになったんじゃないか?
潤は亜依の両親をまっすぐ見据えいった。
「私がいうのも変ですが……迎えに行かないんですか?」
しばらく沈黙が続いた。
亜依の泣き声はもう聞こえなかった。泣きつかれたのか、両親の次の言葉を聞き逃さないよう静かにしているのか、どちらかは分からない。
沈黙を破ったのは母親だった。
「迎えに……行ったんです。でも……」
俯き、消え入りそうな声。
「でも?」
潤は先を促すようにいった。
「亜依はいなかったんです」
「いなかった?」
「はい」
それだけいうと、母親は黙ってしまった。
「どういうことですか?」
潤は母親ではなく、父親に聞いた。
「今日、亜依を迎えに行ったんです。でも、青葉養護施設に着いたとき、春野さんから亜依がいなくなったと聞いて、家で春野さんからの連絡を待ってました」
父親は不甲斐ない自分への怒りなのか声が震えていた。
「亜依ちゃんは知ってて逃げたんじゃないですかね」
「どういう、ことですか?」
そういったのは母親だった。
「両親が迎えに来ることを何らかのかたちで知って、また捨てられるのを恐れて逃げたって可能性もあるんじゃないかと」
「ふざけないでください」
住宅街に母親の声が響いた。
「ふざけてなんてないです。そういう可能性もあるという話しです」
「あなたに亜依の何が分かるんですか」
潤の言葉にムッとしたのか、母親は潤を睨みつけている。
母親の言葉に潤もいらつき、睨み返した。
「あなたがいえたことじゃないでしょう。また捨てないと誓えるんですか? 本当に亜依ちゃんを愛しているんですか?」
怒りにまかせていってしまったが、潤の心の中は緊張でいっぱいだった。
この答え次第で、亜依ちゃんが両親の元に戻れるかが決まる。
潤の言葉に二人は顔を見合わせ頷きあうと、いままでにない真剣な顔でいった。
「愛しています。二度と寂しい想いはさせません」
その言葉を聞いて、潤は笑顔を浮かべた。
「だってさ」
潤はそういうと、亜依を自分の前にだした。
「亜依……?」
二人は状況が理解できないのか、互いの顔を見ては亜依を見ることを繰り返している。亜依は俯いたまま顔をあげない。
「すいませんでした」
潤は二人に頭を下げ謝った。
二人は混乱した様子で、オロオロとしている。
「実は――」
潤は二人に、亜依とケーキ屋で会ったこと、両親の家を一緒に探していたことを話した。
「そう、だったんですか」
父親が答えた。それでもまだ、二人は状況を理解出来ていないようだ。
「それともう一つ……。
実は、二人が亜依ちゃんを迎えに行っていたことも知っていたんです」
この言葉には、二人だけでなく亜依も驚いていた。
「亜依ちゃんから、両親の顔と住所を知った経緯を聞いて、春野さんに連絡をいれたとき聞いたんです。
もしかして、亜依ちゃんの両親が迎えに来ませんでしたか? って」
三人は黙って潤の話に耳を傾けている。
「そしたら春野さんから迎えに来ましたと聞いて、それで……お節介だと思ったんですが、二人の本音を亜依ちゃんに聞かせてあげたいって。すいませんでした」
潤はもう一度、今度は三人に頭を下げた。 度の過ぎたお節介だと、今更になって気づく。
「いえ、亜依をありがとうございました」
そういって二人は頭を下げた。微かに震えるその声は、泣いているのかもしれない。
「亜依ちゃん、ごめんね。黙ってて」
潤は亜依を見た。亜依は小さく首を振り、潤を見上げた。
「ありがとう。おにいちゃん」
亜依の瞳には涙が浮かんでいた。
しかし、瞳に浮かんだ涙に悲しみの色はなかった。
亜依は両親の顔を見ていった。
「ただいま。パパ、ママ」
亜依は自分で門を開き、両親の下へ駆け寄った。
「亜依!」
駆け寄った亜依を母親は抱きしめた。父親も亜依の頭を撫で、名前を呼んでいる。
(もう、大丈夫だろう)
黙って立ち去ろうとしたとき、手にもっていたケーキに気がついた。
「亜依ちゃん!」
亜依が振り向く。
「クリスマスプレゼント。ケーキ」
潤はケーキを亜依に手渡した。
「いちごの?!」
亜依の顔がぱあっと華やぐ。
「そう。ラ・メール洋菓子店自慢のショートケーキ」
「ありがとう!」
亜依の笑顔は、今夜の月のように輝いて見えた。
「僕の方こそ、ありがとう」
三人を見て、潤の気持ちに変化が起きていた。
(彼女に謝ろう。もう、遅いかもしれないけど。それでも、ちゃんと謝ろう)
家族といることの大切さを亜依に教えられた。彼女もそういう気持ちだったに違いない。
「では確かにお届けしました」
潤は三人に笑顔でいった。亜依に負けないくらい輝いた笑顔で。
「ありがとうございました」
二人は頭を下げる。
「失礼します」
潤も頭を下げ、最後に亜依を見てその場を去った。
帰り道。潤は電話をかけていた。
「もしもし、いま大丈夫? あのさ――」
潤は立ち止まり、月を見上げた。
月はまぶしいくらいに輝き、潤の歩く道を照らしていた。
短編とかいいながら、グダグダと長く書いてしまいましたm(__)m 読んで下さってありがとうございます。