第5話 オーバートレント
塔の二十一階層。
通称「黒の森」。
そこは二十階層まで広がっていた遺跡とはまったくの別世界が広がっている。
窮屈とした遺跡通路ばかりの階層から一転して開ける。
閉塞感と重圧が襲い掛かっていた迷宮じみた遺構は消え失せて、開放感が出迎えてくれる。
そこに広がっているのは深い青が超自然の形として顕現した黒に見える木々の葉が生い茂る森。
ありとあらゆる植物相が混在していて、塔の外の森と比べても深すぎる。
じわりと増す湿度と粘つくかのようなねっとりとした高い気温が覆い尽くし、前後左右、どこを見ても視線を切る植物と飛び回る羽虫。
この階層へと辿り着いた冒険者たちはまず、この環境の変化に対応できるかを試される。
既に情報を得ているならば虫よけを用意し、胸襟を開くか専用の魔道具なり衣類などを使って気温と蟲に対処するだろう。
もし知らなければ一旦、帰還を考えた方が良い。そのまま進めばどこかで必ず致命的な失敗を起す。
まず蟲であるが、これがまた厄介なのだ。
羽虫サイズであるが、塔の中にいる生物は須らく魔物である点を鑑みれば、この羽虫どもの当然魔物である。
潰せば死ぬ程度であるが、衣類の隙間より入り込み、肌を刺して血を吸ったり――であればまだ優しい方。
シャレにならない病毒を媒介するものもいれば、寄生し宿主を性転換させるようなものまで。
好事家連中は性転換しようとこぞってここにやってきて裸体をさらし、股間やらなんやらに手酷いしっぺ返しを喰らうというのが通例であったりする。
なのでしっかりと対策をした方が良い。
次いで暑さである。
思考を鈍らせるのは知っての通りだろうが、この森の空気はそれとは一味違う。
質量でもあるかのように暑さと共にのしかかりまとわりついて行動を阻害する。
わかりやすく言えばデバフがかかる。
毒や麻痺のように即時、致命的というものではないが、慣れていない者からすればどこかで致命的になり得る。
十四へ行きたくなければ念入りに準備すべしだろう。
リードたちはといえば、きちんと準備をしていたことで事なきを得ていた。
経験者であるリードが具申したのもあり、第一階層で安めの商店で虫よけを購入などもした。
「んじゃ、氷付与しますわ――ハシント」
気温対策に関してはハイゼがパーティメンバー全員に氷属性へと変性させられた魔力を付与することで凌ぐらしい。
氷属性の付与効果はすさまじく、それだけでまとわりつくような熱気が消え失せ、過ごしやすくなる。
「大丈夫なのか? 付与系の魔法って付与してる間、魔力を消費し続けるんだろ?」
「それは大丈夫や、わいのスキルは『魔力』つってなー。とにかく魔力が多くなるだけなんや。この階層を探索するくらいなら余裕やで」
「いや、それは結構すごいやつじゃないか」
「そか? 魔力だけ多なっても強くなるわけやないしなー。どうしよ思ってたところをルベルの姉さんに拾ってもらったわけやからそこは感謝なんやけど」
『魔力』はユニークに属するか、外れと言われるようなスキルが多いユニークスキルの中でも一番といってよいほどまともなスキルなのだ。
魔力が多くなるだけとは言うが、魔法を使うには魔力が必須であり、どれだけ契約できるか、どれほど魔法を使えるか、使い続けられるかということに直結する。
冒険者は様々な魔道具も使うことがあることを考えれば、最重要なステータスと言っても過言ではなかった。
それだけでもハイゼには突出した才能があることになる。
レベルが最大に達するまで役立たずであった『読書』とは雲泥の差であるとリードは一人ごちる。
「いやいや、すごいって」
「そか。ありがとな! それを言うたら、リードもすごいやろ」
「そうか?」
「剣に術って、まるで伝説の勇者様みたいな戦い方やないか。寝物語によう聞かされたからな」
ここまでくる道中、実力を見るということでリードがほとんどの戦いを担当した。
数が多い時はルベルやエラトマが加勢に入ったが、ほとんど必要ない程度で、突破できた。
自分でもこれほどできるとは……と思ったが、常日頃から一線級パーティである「黄金の剣」の戦闘を後ろから見ていたのだから当然であろう。
「それを言うと、あの二人の方がおかしいと思うんだけどね」
ただその認識があってなお、すさまじいという感想を抱かせたのがルベルとエラトマの二人である。
少ししか戦闘を行っていないが、その戦闘能力のすさまじさは垣間見ることができた。
少なくともこの二人に関しては、最前線である九十階層付近であっても問題はないだろうとリードも思ったほどだ。
「はいはい。無駄口はそこまで。付与が終わったし、虫除けも施したのならさっさと先へ進むよ」
そんな感じにしゃべりつつの準備をしていた二人に対して、ルベルがぱんぱんと手を叩きながら急かす。
そちらとエラトマの方も既に準備の方はできたらしい。
「わかりました」
「うーい、了解ルベル姉さん」
「――」
さて、そういうわけで一行は準備万端に二十一階層へと足を踏み入れる。
鬱蒼と茂る黒々とした森の中は、塔の中だというのに明るいが空を見上げようとしたところで木々の葉どもに邪魔されてみることは叶わないようである。
「それで、ルベルさんたちはここに何をしに?」
「どこまで行けるのか、その腕試しをしてる最中でね。この前が二十層、で、今回が三十層ってわけ」
なるほど、と口で言いながらもリードは意外に思っていた。
ルベルなどは剛毅な性格をしていると思っていたし、実力のほどは高いのはここに来るまでで散々見ている。
しかし、それなのに十層ずつ昇っていき実力を確かめているのだという慎重さ。
良いパーティのリーダーは慎重であることが求められるが、彼女はその資質を持ち合わせているようであった。
「まあ、進めるだけいってみよう。ハイゼの魔法がどの程度まで持つのかも知りたいですからね」
などと、そうルベルは言って先を歩く。
二十一階層から始まる森であるが故に既に先人が切り開いた道ができている。
そこから外れない限りは迷うことがない。
ルベルも他のパーティと同じようにその道を歩き始める。
二十一階層からさらに上、五階層、八階層、九階層と順調に進んだ。
一階層がそこらの街以上に広々としているとは言っても、地図があるならば迷うことはないし、先人が踏み鳴らした道もある。
ここで厄介なのは気温と蟲であるため対策さえしていればここは魔物が絶えず襲撃を仕掛けてくるような遺跡よりかは楽な道行となる。
「ふむ、三十階層まで行けそうだね。それじゃあ、本日のメインと行こうか。フロアボスと相対しようじゃないか」
塔に十層ごとにフロアボスと呼ばれる強力な魔物が出現する。
この三十階層のボスは二十一階層から始まる森に縁のある魔物である。
名をトレント。
大樹の化け物である。
火の術さえあればさほど苦労するものでもないが、ないのならばそれなりに苦戦を強いられる。
パーティのバランスが悪ければここで全滅の憂き目にあう。
来る前に術者を求めてギルドで募集を行う新人の姿も多い。最もしっかりとした担当者がいるのなら、最初から術者もキープしているので問題はならない。
ルベルのパーティであればハイゼがその手の魔法と契約で来ているし、リードは火術のスキルを覚えている。
「問題にはならないだろうけど、油断はなしだ。いいね」
ルベルの確認に頷いてボスフロアである三十階層へと足を踏み入れる。
そこは森ではなく、巨大な石の闘技場。
今までのうだるような暑さは消え失せ、戦う場へと変ずる。
ルベルらが脚を踏み入れた瞬間、トレントが現れ――。
――条件が達成されました。
――今回のトレントは、オーバートレントとなります。
何者かの声が響くと同時に現れたトレントは消失する。
「何だ……?」
リードは警戒する。
先ほどの声は読書でスキルを覚えた時にも聞いた声と似ていたからだ。
「オーバートレントって言っていたっけ」
オーバートレント。
その言葉に聞き覚えはないか記憶を探る。
ない。正体不明。
そして、現れるオーバートレント。
巨大な樹に顔を書いただけの化け物であるトレントとは似ても似つかないものが煙の中から現れる。
それは人型の木と例えるのが良いだろう。
顔に相当する部分には、二つの穴があり、下には切株をくっつけて作ったかのような鼻らしきもの、木彫りされた口などが見て取れた。
ともすれば木彫りの玩具にも見える外見であるが、放っている気配が尋常ではない。
そこにいるだけで押しつぶされそうになるほどの威圧感を放っていた。
リードの基準で、九十階層の魔物よりも強いのではないかと思うほどである。
彼の見立ては正しく、ここで出て来る魔物ではなかった。
「あれが何か知っているやつ」
そうルベルが聞くが誰もいない。
「完全なる未知との遭遇か」
さて、ここで普通ならば撤退を指示するところだし、ルベルだってそうしたいところであった。
しかし、ここはボスフロアの三十階層だ。
ボスを倒すか死ぬかしなければ出ることはできない。
「退くに退けない。なら、前に出ろだ。行くよ、エラトマ、ハイゼ。リードは貧乏くじ引かせちまって悪いけど付き合ってもらうよ」
「わかってる。大丈夫だ」
こういうことも覚悟して塔に挑んでいる。
「それじゃあ、行く――」
ルベルが号令をかけようとした瞬間、オーバートレントが起動する。
落ちくぼんだ眼孔から赤き光が迸り、刹那の踏み込み。
手には木の剣。
しかし、そこらの鋼よりも硬い代物だろうそれによる刺突。
「はっ……?」
気がついたときには既に目の前にオーバートレントがいる。
思わず呆けるほどの速度にリードの反応が遅れる。
「っ――!」
絶対絶命の窮地であったが、かろうじてそれに反応した者がいる。
エラトマが割って入る。
背の巨剣を抜く暇すら惜しみ、オーバートレントに背を向けて軌道上に割り込んだ。
轟音と共に木剣が激突する。
同時、エラトマが磨き上げた武威のままに身体を回す。
回転を加えることで衝撃を逃がし、そのまま振り向きざまに背より巨剣を抜き放ち一撃へと接続させる。
まさしく神業と言ってよいほどの技の冴え。
しかし、オーバートレントの敏捷性はなおもそれを凌駕していた。
突きからの跳躍で斬撃を回避する。
「はああああああ!」
その着地を狩るように槍を抜いたルベルが疾走する。
極低空の飛行と称していいほどの疾駆は、オーバートレントの刹那の着地に間に合う。
裂帛の気合いとともに刺突が放たれる。
「チィ、化け物め!」
しかし、それすらオーバートレントは木剣で受ける。
素早く突き出した剣を地面に突き立て即席の足場とし、突きを受けながらその威力を使って間合いを開く。
「おらぁ! エクリクスィ!」
「火炎弾!」
そこに遅れてリードとハイゼの魔法が飛ぶ。
オーバートレントの身体を構成しているのはどう見ても木材だ。弱点は火。よしんば魔法耐性を持っていたとしても魔物本来が持つ属性相性により全てを軽減されることはない。
『KISYAAAAA――!』
ただし、それが当たればの話だ。
さながら道化の如き機敏さでゆらりとしながら舞い踊り、オーバートレントは全ての炎の魔法を躱してみせた。
「――!」
続けざま、そこにエラトマの一撃が叩き込まれる。
回避位置をあらかじめ予測していた彼女は、その剛力を持って巨剣を叩き込む。
防がれるが、その防御の上から崩さんと叩き込む連打は、一撃一撃がこのフロアそのものを激震させているかのようであった。
小型の嵐が人の形をとったかのような勢いであるが、そのような攻撃を受けてなお、オーバートレントはへし折れることなく立っている。
柳の木とでも言わんばかりにしなやかに受け流していた。
「リード、ありったけの火力ぶち込んでくれ! わいじゃ足りひん!」
「エラトマも巻き込むぞ!」
「構わない。エラトマなら炎くらいならどうとでもなるはずや。それに即座にヒールかけたる」
一瞬の逡巡。
しかし、一瞬だろうと刹那だろうと戦闘の間に躊躇いは致命的な隙だ。
ぞくりと怖気が背中を這い上った時には遅い。
先ほどまでエラトマの乱打を受けていたオーバートレントは、巨剣を掴み取るとそのまま振り回し、ルベルの方へと投げ飛ばす。
「くっ!」
それを彼女が受け止めたと見るや否や、リードの背後に現れ木剣を振るっていた。
にやりとオーバートレントが笑ったように見えた。
「っ――!?」
驚愕に支配されたリードの思考は肉体の操作を放棄した。
故に剣聖スキルが咄嗟の判断を代行する。
振り向くのも惜しみ、脇から差し入れるように剣を背中に回す。
受けると同時に剣が砕けるが、リードはその勢いを利用し前に跳躍していた。
剣戟の衝撃が背中を打つ。
「がはっ――」
身体がへし折れるほどの衝撃であったが、一瞬での絶命は防げた。
だが、そのままの勢いで壁まで吹き飛ばされ、リードの意識は漆黒に沈んでしまった。
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