第11話 大伽藍酒場
開かずの扉の先に現れた大伽藍と見知らぬ女。
その誘いに乗った一行は内部へと足を踏み入れた。
内部は外から見た目通りに広く、何より明るかった。
十一階層は地下遺跡の様相を呈しているから相応に薄暗く、松明や角燈でもなければ進むのが困難なほどに暗い。
その灯りの調達もまた冒険者としての資質のひとつとなるとされている。
だが、大伽藍の内部は外に漏れだした光の通り、蒸気灯と同じくらいに明るく照らされており、懐かしい風情のようなものが漂っていた。
それはどこかギルドを思わせる。
それもそのはずで外見は大伽藍という神聖不可侵を思わせる神域じみた、そんな言葉が浮かぶような威容であったのに中と来たら、また別の意味で驚くほどになじみ深いものであったから。
「こいつはまた……」
「酒場ですね、これ……」
「なんや、これ酒でも出るんか?」
「――――」
「あああ、未知ぃぃぃぃぃいぃ」
鳴き声をあげている一人は取り合えず無視するとして、大伽藍の内部は酒場である。
塔の中とは言えども世界有数と言っても良いくらいに寂寥感と無常を同時に感じる荘厳な大伽藍の中なのだから、さぞや由緒正しい大仏様なり何なりがその御姿をお見せしてくださるのだろうと思っていた一行を出迎えたのは酷く慣れ親しんだ酒場の内景である。
具体的に言うのならば、良く磨かれニスでもって光沢を与えられた木のテーブルであったり、よく酔っぱらいがそれを背にして潰れている安物の三脚丸椅子であったり。
奥には横長のカウンターがあり、いつの間にか女がここの主と言わんばかりに立っていて。
その背後には目もくらむような輝きを見せる珠玉だと宣言しているかのような酒瓶酒樽が所狭しと置かれている。
どこをどう見ても酒場である。
ただし、酒の匂いも冒険者どもがたむろすることによる汗の匂いも、食欲を刺激する食事の匂いもなにもない。
かぐわしい木の香りは新店といった風情であった。
場所が場所ならばさっさとテーブルに座って駆けつけ一杯でも頼んで乾杯して、塔探索で否応なく喉やらなんやらにたまった疲労やら澱やらを流してしまいたいところである。
「いやいや、何故にこんなところに酒場が?」
「ようやく人来た。遅すぎる。開店準備待ちで九七十年。やっぱり主神は衝動で何でもかんでもやるから事業計画が杜撰」
何やら巫女さんは主神に対する何事かの恨み言をぶつぶつと述べているわけだが、これ話しかけて良いのかというか、やっぱり人食い酒場なのでは? などとも思ったりして。
「あの……」
しかし、やはり何事も話しかけねば進まない。
意を決しリードが話しかける。
「注文は?」
「え……?」
「注文は?」
圧が強い。とにかく強い。
この神秘的な巫女なのか酒場のマスターなのか判断つかない女は、とにかく注文しろと無言の圧力をリードにかけてくる。
「え、っと何があるのかな?」
「なんでも、九十階層まで来た人類の文明レベルで飲める酒なら全部ある」
そうなると頼みにくくなるというものなのだが。
「全部」
はて、さっきのは誰の声だろうかとリードの背後から見知らぬ声が。
そこに断っているのはエラトマであったがまさか?
「全部」
リードが驚きで振り返った前で彼女は普段の寡黙さに似合う鈴音の如きか細い声を、これでもかと張り上げた様子で全部と言っていた。
初発言がこれで良いのかと天の神々も目を覆うかのようであったが、悲しいかなこれが現実であった。
「全部」
このエラトマという女、普段からたっぱがでかく静かでありながら戦闘中は身の丈以上の巨剣を軽々と振るう狂戦士っぷりを発揮するわけであるが、その実、酒にめっぽう目がない。
古今東西のあらゆる酒があると聞かれては酒飲みの矜持が飲めと叫ぶのも致し方ないのだろう。
普段の消極さはどこへやら、ずいっと前にでて注文する。
「いやいや、まてまて。エラトマ、あんたまったく喋らないから喋れないもんだと思ってたけど、喋れたのかい。念話でも収めてるから何か意思が聞こえてるもんかと」
「あれ、ルベル姉さん知らんかったん? エラトマ、寡黙なんやなくてただ声が小さいだけなんやで」
「そうだったの……じゃなくて! 全部って頼みすぎだし、こういうとこは大抵ぼったくり価格で!」
エラトマが喋ったことなどなど様々な勘違い諸々あったが、ひとまずパーティリーダーとして一行の資金を握っているルベルが気にするところの金回りはいかほどか。
これでぼったくりだったら目も当てられないことになる。酒と女に身を崩すのが冒険者の花道とはいう者もいるが、できることならそういう道は取りたくないというのが人情。
「それはないから安心して」
それを解消したのは目の前の女である。
きっぱりと否定してみせたし、アンテルシアではお目にかかることの難しい純白の紙を惜しげもなく使ったメニュー表を開いて見せる。
「酒はどれも良心的な値段。だったら料理は……これも普通。それなら席代とかそういうのがかかるんじゃ――」
「それもない。うちは良心的な酒場。そもそも刹那主義な冒険者をぼったところで継続的な稼ぎにはならないし。ここ人来ないし。で、全部で良いの?」
「全部」
「はいはい」
ルベルが止める間もなく全部を了承させたエラトマに女はてきぱきと応じる。
一人では無理だろうと思えるレベルの酒を運んできてみせた。
いや、というか増えている気がする。
「なあ、ハイゼ」
「何やリード」
「あの女の人増えてないか?」
「増えとるな」
「…………」
「…………」
塔では不可思議なこと理不尽なことは起こるものだ。
それに一々驚いていては冒険者は務まらないが、これはまた輪にかけておかしい。
しかし、こういうことにツッコムのはやめた方が良いだろう。
ロクなことにならないと理解している冒険者たちは、とりあえず席に座る。
酒を飲むエラトマは別のテーブル席で他はカウンター席に座る。
「まずはあなたの名前を教えてください!」
「ヨンレン。うん、ヨンレンでいい」
「ヨンレンさん……えへへ、じゃあ、ここはいったい何なんですか!」
もちろん疑問は解消しなければ気が済まない地図師のカティが率先して突っ込んでいく。
「ここは酒場。見たらわかるでしょ」
「何で、開かずの扉の中にあるんですか!」
「最初から楽をさせるわけにはいかないから」
「休憩の為の施設ですか?」
「ここは転移の為のサブ拠点」
「転移……?」
「転移の術は失われた? まあいいけど。この酒場は塔のあちこちにあるの。大体、フロアボスの次よ。酒場の奥に転移門があってそこで行き来できるわ」
「なん……だと……」
カティが驚愕で止まる。
リードたちですら先ほど女が言ったことの重大さの衝撃を喰らっていた。
普通、九十階層まで行く冒険者たちはわざわざ何週間、何か月もかけて塔を昇らなければならなかったし、帰る時も同じで長大な冒険となる。
さらに言えば聖勇教暦で月が変わるとフロアボスが復活するため、月始めの冒険は死力を尽くすものとなり、最前線を行く冒険者たちは非常に貴重になるわけだ。
数か月にも及ぶ冒険の果てに九十階層付近まで行けるのならば、相当な稼ぎになる。
ただ一度でもそこへ行き、そこの財宝や資源を持ち帰ることができたのならば、このアンテルシアで一生暮らせるほどの稼ぎを得ることだって夢ではないのだ。
ただし、全ての者が行けるとも限らないし、戻れるとも限らない世界なのを忘れてはならない。
ともあれそこまで行くのはかなりの時間を必要とする。実力と地図があれば九十階層付近まで行くのにかかる時間は数週間だが、予定外のことなどが重なると一か月、下手をしたら数か月は彷徨うことにもなり得る。
リードらが街にいても黄金の剣と出会わないのはそういう事情があるからだった。
彼らは今現在、八十階層のフロアボスに挑むべく塔を昇っているところだ。
ともあれ、今は転移についてだ。
「ほ、本当に転移で上に行けるんですか……?」
「行けますが、七十一階層まで行けるのはそちらの方だけで、八十一階層まで行けるのはあなただけです。他の方は二十一階層までです」
話を聞くに転移で行ける場所はその人の最高到達点に最も近い酒場のある場所ということらしい。
しかし、それでもこの情報を公開した場合、この塔の攻略速度が上がるのは間違いない。
「あ、そうだ。ヨンレンさん。開かずの扉の開く条件って何だったんですか?」
「条件は称号を得ること」
「百階層を突破するとチュートリアル終了の称号をとれるから、大体百階層を突破すればいい」
「え、スキル二つ以上とかじゃないんですか?」
「そんなわけない。スキル複数所持の条件がそもそもこの塔を千百階層まで昇ってクリアすることが前提。そこにいる主神を倒して世界を継承ルートに入らずに、塔の二周目を昇るを選択すればアンロックされる。二周目になるとフロアボスが特殊ボスに変化するから歯ごたえ十分って主神が言ってた」
「えへ、えへへへへ、千百階層、二周目え、えへへへへへへ」
「あああ、カティの奴が情報過多の嬉しさであちこちから体液たらしながら気絶しやがったよ!? ハイゼ、回復魔法! なんか喉詰まらせてる!」
「え、えへ、ぐぼぼぼぼ」
「あああ、ほんまや!? ほんと地図師ってやつらは! ああもう、アールツト! ってあかーん、今度はなんかびくんびくん痙攣しだしたぞ!?」
さて、カティ周りでてんやわんやあったが、ここが転移施設というのならばまず使ってみて実証しなければならない。
「というわけで使いたいんだけど、使うために料金とかは?」
「かかりませんよ。酒場で稼げますから」
たしかについ先ほどがっぽりと稼がれたのでその言葉に嘘はないだろう。
一人酒を浴びるほどに飲んで満足しきりのエラトマは何食わぬ顔で一行の定位置に戻っているのが少しばかり憎たらしいとルベルは思ってしまったわけであるが。
「なら使わせてもらう二十一階層だったね、あたしら全員が行けるのは」
「そう。使う?」
「ああ、使わせてもらおう」
「ならこっちに来て」
酒場の奥へ通じる通路を進むと、ようやく外観に見合う場所へとなってくる。
捨て去られた大伽藍そのものの威容溢れる空間が冒険者たちを迎えたのである。
静謐に過ぎる空間には照明の類はないはずだが、夜目のない者でも見通せるくらいには光に満ちているようであった。
それはこの床を覆う薄く発光した魔法陣によるものか、あるいはこの空間自体が何らかの術的作用を持っているのか。
一行にはまるでわからなかったが、全てが未知だ。解明されるのはこれからだと割り切り今は転移に備えようと思ったわけだが。
「構えて」
広大な部屋の中央でヨンレンが一行の前に立ちふさがる。
「おいおい、どういうつもり?」
「この転移門を使うに値するかは自分と勝負して決めてもらおうかと」
言うが速くヨンレンは戦闘状態へと移行する。
殺意の奔流とでも言うべき圧力が一行を襲う。
「く――」
全員が即応できたのは及第点。
そもそも殺意を受けて動けないのは冒険者としては落第。
戦闘本能が起動し、肉体を駆動させようと構えをとるのは二流。
「はあッ!」
一流は、殺意と同時戦闘行動へと超越する。
殺意にまかれた一行は全員が一斉にヨンレンへと襲い掛かっていた。
それを氷のような微笑――のようにも見える無表情で見据えるヨンレンは動かない。
まるでその一撃では無駄だとでも言わんばかりに前衛三人の攻撃を受ける。
「なっ――」
手ごたえ無し。
前衛らの一撃は確かにヨンレンに直撃したかに見えたが、その全てが紙一重の位置を刻んでいる。
「まだチュートリアルが終わってない。けど、悪くない」
何らかの術法か。
いや、魔力の流れをハイゼが感知しなかった。
ならば術技だ。
剣聖スキルの感知外。
少なくとも剣技ではない。
ならば、体術か。ヒット。
あの一瞬、桁違いの敏捷性でもって剣を掴み取り、それぞれ少しだけ己からズラしたのだ。
体術というよりはもう性能の差と言ってもいい。
人間というフォーマットで出せる限界値をとっくに超越しているのだ。
そもそうでなければここで酒場の店主やら転移門の管理やらの役職につくことはないのだから当然とも言えた。
攻略法はわからない。
ならばたたみこめ。
「カァアアア!」
喝破の声音で槍撃が奔る。
足腰から連動し全身を使って放たれる渾身の突き。
それに合わせて無銘剣に炎を纏わせ斬撃を放つ。
それらを包括し上から叩き込まんとするのがエラトマの巨剣。
三振一体となった一撃は連携習熟の間を考えれば実に見事と言えた。
さらに今度は逃げられぬようにカティの手持ち死霊がヨンレンの足を全力で封じにかかっている。
「うん、悪くない。それにそっちの剣はオーバートレントの根源剣。二週目の中でも弱い方だけど良く倒した。なら今回はオマケ」
轟音とともに激震が走り大伽藍を揺らす。
しかし、ヨンレンは健在。
今度は大きく後ろへ下がることでの回避であった。
「合格とする」
「えっと、これで良いんですか……?」
さて、先ほどまでの剣呑さはどこへやら。
ヨンレンは先ほどの酒場で見せたような人好き合いするような雰囲気へと戻った。
「力は見た。将来性があるなら問題ない。チュートリアルが終わってないから問題ないかだけ確かめる必要があった。チュートリアル終わってたら戦う必要はない」
「普通に遊ばれてたけどねぇ。あたしらの攻撃なんら効いてないというか当たってすりゃいない」
「当然。これでも千階層クラスだから」
塔の魔物は上に行けば行くほど強くなる。
自己申告が本当であれば圧倒的格上だ。
であれば、先ほどまでは本当に手加減してくれたのだろう。
避けるだけ、受け止めるだけに留めていたのがその証拠。
「じゃあ、あんさんが本気だしたら……?」
恐る恐るハイゼが聞いてみる。
「木端微塵、爆発四散、残るのはそこの木剣だけ」
「ひぃ……」
「そもそも本気で動いたらそれだけであなたたち全員死ぬから。本当人は脆い」
何というか、ここが周知された場合、この浮世離れした美人であるところのヨンレンにちょっかいを出す愚か者がでてきては、木端微塵にされる光景が思い浮かんだ。
いや、そもそもここを使うには百階層を突破して称号を手にした者が必要なのだから当分の間は安泰であろう。
「あれ? そういえばカティは何で入れたの?」
それからふとリードは疑問を覚えた。
ここに入るには称号を手にする必要があり、一番手っ取り早い称号の獲得法が百階層の突破だったはずであろう。
未だ九十階層でくすぶっている人類の先頭をひた走る地図師のカティには称号はないはずなのだ。
「その人持ってる」
「持ってるんだ」
「うん、変態の称号」
「変態」
「塔自体にあんなことした人はこの人だけ。だから主神が急遽あげるって言ってた。まったく百階層突破までは称号システム働かないのに」
やはり地図師はやべぇ、とリードの中にさらに深々と刻み込まれた瞬間であった。
「それじゃあ頑張ってね二周目の君」
「いや、二周目じゃないんだけど」
「じゃあ、一・五周目の君」
「普通に呼んでほしいんだけど……」
ともあれ、一行は無事に転移門を使わせてもらい無事に二十一階層の酒場に移動し、担当者のアルシェに事の次第を報告した。
彼女が情報と事態の大きさに呆れかえったのは言うまでもない。
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