16 稽古
よっ、よっ、よっ
「ねぇねぇタロウ。さっきから何しているの?」
「ん? これは剣の稽古だな」
俺は久しぶりの稽古に精を出していた。稽古といってもただ型通りに木刀を振るだけなのだが、これが最初に習った稽古であり、初心を思い出すにはちょうどいい。
一回一回の振りを蔑ろにせず、剣と身体を同化させるように動きに集中する。実際に剣での勝負というのは一瞬で勝敗が決まることがほとんどだ。
「かっこいい。僕もやりたい」
先ほどから隣で俺の稽古を眺めていたシンが言った。
「やってみるか?」
俺が木刀を渡すと、シンは新しいオモチャを手に入れたように目を輝かせ、一心に振り始めた。
オオカミの獣人の剣士というのはあまり聞いたことがない。なぜなら彼らは鋭い牙や爪を持ち、それを誇りとしているからだ。だが、シンは幼く、そうした価値観もまだ持っていないのだろう。
俺の教えることのできる剣術は「回斜流」「葉紋流」「連獅子流」「亞連獅子流」の四つだ。それぞれに特性があり、得手不得手があるのだが、全て習得しておいて損はない。
もっとも、四つとも習得するとなればかなりの時間を有し、この世界でも指折りの剣士となっていることだろう。実際に四つ以上の剣術を習得しているのは俺とダンテブル卿ぐらいで、それぞれの流派を組み合わせたスタイルはもはや我流の粋にまで達している。
「できてる?」
「あぁ。かなり筋がいい。まずはその動きを反復することだ」
木刀を振るって一時間ほどでシンはかなりコツを掴んだようで、特に「葉紋流」の動きとの相性は抜群だった。恐らく獣人特有の身体能力と、子供の身体のしなやかさが、流れるような動きを可能にするのだろう。
だが、実際に斬るという行為には肉の感触に躊躇しない覚悟が必要だ。俺は遊ぶように剣を振るうシンをみてそう思った。
「木の棒で何してるの?」
俺とシンが稽古に勤しんでいると、2mを越す大牙猪〈エリュマントス〉を引きずりながらテンがやってきた。
「剣の稽古だ」
「何それ。私たちには牙と爪があるじゃない」
「けど、タロウがやってたから…」
シンが自信なさげに言うとテンは少し不服そうに「ふーん」と反応した。最近、テンはシンと俺が仲良くしていることをあまり良く思っていないようだ。
「そんなことより見て! 私一人で狩ったのよ。しかも一撃で仕留めたんだから」
テンは血のついた牙を見せてニッコリと笑った。
テンは本当に狩りが上手くなった。褒めれば褒めるほど伸びるので、成長を見るのも楽しい。もしかすると獣人の狩猟本能というのが開花したのかもしれない。
「すごいぞテン」
「でしょ〜。撫でて撫でて〜」
それでもまだまだ子供だな。俺はモフモフの感触を楽しみながらそう思った。
「タロウはなんで剣の稽古をするの?」
頭を撫でられてご機嫌そうなテンが言った。
なんでと言われると答えは難しい。俺の目的は隠居なのだから、本当は稽古をする必要もない。
「守るためかな」
「何を守るため?」
「友達とか、知り合いとか、小さな村とか、大きな国とか、馬鹿正直な少女とか、優しすぎる王女とか、あとはお前らとか、色々だな」
俺は正直に答えた。守るという考えはエゴに過ぎないが、せっかくエゴを通せるだけの力があるのだから守れるものは守る。これが異世界に転移して力を得た今の俺の答えだ。
「守るものが多いのね。じゃあ私がタロウを守ってあげるね」
「僕もタロウのこと守るよ」
獣人姉弟は俺を取り合うようにくっついて言った。
「ありがとう」
守ると言われたのは初めてかもしれない。老後はこのモフモフたちに面倒を見てもらうかな。
だが、しばらくはまだ俺が守る番だな。
「葉紋流【木枯らし】」
俺が木刀を振るうと、森全体に衝撃波が広がり、木々は音を立ててしなり、鳥たちは羽ばたき去っていった。
そして一瞬の沈黙の後、木陰に隠れていた小鬼〈ゴブリン〉たちがバタバタと倒れた。
衝撃波に驚いたテンとシンは獣毛を逆立て、出し抜けに俺に質問してきた。
「どうやったの?」
「何やったのよ?」
「稽古すればできるようになる」
嘘は言っていない。相当な稽古が必要なことは確かだが。
「僕もできるようになりたい」
シンは目を輝かせて言った。
「どうしてタロウは魔法も剣もできるの?」
テンは不思議そう俺を見つめて言った。
「何もしてないよ。ただ、《本気》 で頑張ったんだ」
俺は手のひらを眺め、辛く厳しい修行の日々を思い出しながら呟いた。