15 『英雄ハローの冒険譚』
やっとできた。
俺は自分の家の隣に作った小さな畑を眺めて満足感に浸っていた。
「それにしても小さすぎませんか?」
そう言うとリーナは、手についた泥なんて気にせずに額の汗を拭った。
「いいんだよコレで」
俺は一人分の作物さえ手に入ればそれで満足だった。広大な領地を治めるのは少し疲れた。今はこの小さな畑だけが俺の領地だ。
本当のことを言うと、魔法なしでの労働に少し疲れたというのもある。
「私とタロウの二人分だと、やっぱりちょっと小さい気がします」
陽射しに負けないような笑顔でリーナは言った。確かに二人分にしては小さすぎるかもしれないが、まるで夫婦気分だな。
仕方ない。もう少し拡張するか。まだまだ時間はある。好きな時に、好きな事を、好きなだけしよう。これこそ隠居の楽しみ方だ。
さて、今日も村人を診療し、獣人姉弟と戯れ、散歩したり、釣りをしたり、何にもしなかったりするか。剣術の稽古を再開するのもいいかもな。
「だけど、最近水質が悪くなってきたって婆様が言ってました。大丈夫でしょうか」
リーナは水車の方を心配そうに眺めながら言った。
「原因は分からないのか?」
「うん。川上の方で何かが起こっているのかもしれないって婆様が」
それほど深刻ではないだろうが、時間がある時に原因を探ってみるか。良い水がなければ良い作物も育たないだろう。小さな領地の緑色の領民のためにも人肌脱ぐか。
「それにしても今日は皆、元気だな」
何だか今日は朝から村の様子が騒がしい。とは言っても王都にしてみれば休息日みたいなものだが。
「今日は行商人がやって来る日なの。王都から珍しい品がいっぱい来るのよ」
なるほど。王都に住んでいた頃は当たり前だったが、こうした辺境に地では商業品が珍しいのか。
「お金は持っているのか?」
俺は素朴な質問をした。確かにこのカルバーリョ村にも貨幣は存在するが、交易には心許ないだろう。
「私たちは名産の〈ズミナ〉や〈ウキュリ〉、〈アカウマ〉と商品を交換するの」
物々交換か。王都にいた頃は考えられなかったが、田舎だとそれが普通なのだろう。
王都で俺が食べていた野菜や乗っていた〈アカウマ〉もここで育ったのかもしれないな。
「もしかして、タロウも何か買いたいの?」
お金の心配をされたのは転移したての頃以来だ。買おうと思えば行商人の持ってきた商品全てだけでなく、そのまま行商人を雇うことすら造作もない。その上、王都で何不自由ない暮らしをしていた俺に、もう欲しいものなんてほとんどない。
「いや」
俺が否定すると、リーナが俺の顔をじっと見つめる。
「一つだけですよ」
少し口をとんがらせて、リーナは言った。
俺はもう一度否定したが、リーナは「強がらないでいいですよ」と言って、聞く耳を持たない。確かにリーナの目から見れば、俺は一文なしの旅人なのだ。
「あ、来ましたよ!」
リーナが指した先には2頭の〈ミツコブラクダ〉に荷車を引かせる行商人の姿があった。
「寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。珍品異品に魔道具、魔石、何でもかんでも取り揃えてるよ〜」
二人の行商人は嘘っぽい笑顔を振り撒きながら、村の真ん中で荷車を止めて商売を始めた。
「さぁ。行きましょう」
俺はリーナに手を引かれて、行商人を囲う村人たちに加わった。
「さぁ、まず紹介するのは、この火蜥蜴〈サラマンダー〉の火袋。コレさえあれば暖炉要らず。冬でもお家の中がぽっかぽかだよ〜」
そう言うと行商人は握り拳サイズの火袋を掲げた。
確かに火蜥蜴〈サラマンダー〉の火袋は熱を持っているが、あのサイズだとせいぜい湯たんぽ代わりにしかならないだろう。その上、1年もすれば効果は無くなるのだが、それを言うつもりもなさそうだ。
俺の冷めた感想とは対照的に村人たちはざわめき立っている。隣のリーナも物欲しそうに眺めている。
「〈ズミナ〉3袋でどうだ!」
一人の村人が威勢良く言った。
〈ズミナ〉3袋は重さにして6kgほど、銀貨12枚にはなるだろう。あの大きさの火袋はせめて銀貨5枚が関の山だ。
「ちょっと少ないねぇ。まだまだ出せる者いないか〜」
まだぼったくる気か。そんな価値はないと言ってやりたいが、ここまで来た行商人の苦労も汲んでやろう。
「私は〈ズミナ〉3袋に〈アカウマ〉1頭をつけるぞ!」
「決まりだ!」
小さな火蜥蜴〈サラマンダー〉の火袋は破格の価格で競り落とされた。
誰だ、金貨1枚にもなる〈アカウマ〉を手放したバカは。
見るとそこには嬉々して火袋を抱えるサモンの姿があった。お前だったか。やはりお前は村長に向いていないかもしれない。
「次はこの綺麗な羽細工だ。王都でも指折りの職人が作った一級品だよ〜」
行商人たちの破格の商売はしばらく続いた。ほとんどの商品が王都では簡単に手に入る安価なものであったが、村人たちが喜んでいるのだから水をさす必要もないだろう。リーナも楽しそうに目を輝かせている。
「さぁさぁ、次はこの本『英雄ハローの冒険譚』だ。あの〈伝説の英雄〉ハロー直筆の冒険譚、襲いかかる魔物どもバッタバッタと薙ぎ倒す世界最強の男の物語だよ」
行商人が取り出したのは、美化された俺が表紙を飾る分厚い本だった。
直筆だと、俺はそんな本は書いていない。俺がいないことをいいことに、こんな本まで出ていたとは驚きだ。
俺が反応したのを気付いたのか、リーナは「あれが欲しいんですか?」と聞いてきた。欲しいわけではないが、少し中身が気になることも事実、どうしたものか。
「いや、まぁ」
俺が口ごもっていると、リーナは大きな声で「〈ズミナ〉1袋でどうですか?」と行商人たちに言った。
「ちょっくら安いが、こんなカワイ子ちゃんにはサービスしねぇとな」
そう言って行商人は本をリーナに渡し、そのままリーナは躊躇なく俺に渡した。
「はい。どうぞ」
「本当にいいのか?」
「はい。いつも魔法を教えてくれる授業料みたいなものです」
「ありがとう。大事にするよ」
「私にも読ませて下さいね」
屈託のない笑顔でリーナは言った。どうすればこんな良い子が育つのか。サモンは子育ての才能にだけは恵まれたらしい。
「羨ましいねぇ兄ちゃん。ところで兄ちゃん、どこかハロー様に似てねぇか?」
やばい。村人たちの目は誤魔化せても、行商人の目は誤魔化せないか。
「やめて下さいよ。僕があの〈伝説の英雄〉に似ているなんて恐れ多いですよ。こんなにカッコよくもないですし」
俺が焦りながら言うと行商人は「それもそうだな」と言って、また商売を再開した。
良かった。それにしても意外とバレないものだ。まぁこんな本が出回るぐらいだ。俺の事なんて空想の人物扱いなのかもしれない。
俺が一息ついていると、隣でリーナがボソボソと言った。
「私はタロウの方がカッコいいと思いますよ」
リーナはそう言うと恥ずかしそうに下を向いた。
どうやら俺は俺よりカッコいいらしい。恋は盲目とはよく言ったものだ。
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