女性が怖すぎて超絶クールなフリしているのに、美少女先輩が可愛すぎる。
一ノ瀬司は冷たい男なのである。
もともとは、わりと温かめの性格だった。
それが数々の禍を招いていた。
その結果として、「冷たい男」になることを決意した経緯がある。
「俺はもう、女性にはなんの興味も関心もない男として生きようと思う」
司に惚れに惚れぬいた大学時代のゼミ仲間に「付き合ってくれないなら死んじゃう!!」と包丁を持って攻め込まれた日の夜、司はしみじみと言った。
まさに危機一髪。
部屋の中は竜巻が吹き荒れたみたいに滅茶苦茶だった。
司はといえば、警察にさんざん事情聴取をされてようやく解放された後。
この話がホラーなのは、司はその女性とは特に付き合っていなかった点だ。
相手の女性もそれは重々承知で「付き合ってくれないなら」と言っていたわけで、「気を持たせた」形跡すらほぼない。
思いつめて包丁を持って乗り込んできた相手が、不倫二股NTR等何らかの事情を背負っていたなら「痴話げんか(※訴訟・警察沙汰レベル)」とみなされるのもやぶさかではないのだが、と司は訥々と語った。
「大学内でよくすれ違っていて、挨拶を交わしたり、日常会話をしていただけなんだ。ごく普通に接していただけ、付き合ってもいない女性にここまで入れ込まれるのはもう『命の危機』を感じざるを得ない」
「にゃあ(同感なのである)」
「わかってくれるか」
「にゃあ(もっちろん)」
「よって、今後は意識的に女性には冷たくしようと思う。一生彼女ができなくても結婚できなくても構わない。それで幸せになる確率より、包丁で斬殺される可能性の方が圧倒的に高いんだ、俺の場合」
「にゃあ(それはいささか極端ではなかろうか)」
「わかってくれるか。さすが俺のニーチェ」
「にゃあ(待て。いまの会話は成立していない)」
「今日は飲もう。俺は今日を限りに女性とは会話をしない人生を歩む」
「にゃあ(猫なので飲まない。あと、敵は女性だけなのか。男性への警戒心は持たないでいいのか)」
「ニーチェさえいてくれたらもう、俺の人生には何もいらない……」
「にゃあ(猫なので。順当にいけば司より先に虹の橋を渡るぞ。すまんな。置いていく)」
「あっ、またたびがあれば良かった。俺だけ酔ってる場合じゃないや」
「にゃあ(いやいや構わない。包丁で殺されかけた日に飲める元気があるなら結構だ。好きなだけ飲め)」
そんなわけで、司はその日を境に冷たい男デビューを飾ることとなったのだ。
大学を卒業し、新入社員として企業に入社する、ほんの数日前の出来事だった。
* * *
司が就職したのは、それなりの大企業らしい。
最初の三か月は部署が正式配属になる前のお試し期間にあたるとかで、ひとまず総務課で女性上司の下について仕事を学んでいるとのことだった。
この女性が、五年先輩ということだったが、とにかくできる女。そして鉄の女。
美人にして、愛想絶無。
「ひとの噂だけどね。子どもの頃から可愛い可愛いって言われたのがトラウマになっているらしい。何をしても評価に『可愛い』がついてくる。うちの会社に入っている時点でかなりシビアな就職戦線切り抜けているはずなのに、『君は可愛いから人生楽勝でいいねえ』ってひとに言われたとか。入社以降も、どれだけそつなく仕事をこなしても『可愛いのはいいねえ』って仕事と関係ないこと言われ続けて、入社半年の飲み会でブチ切れたんだって。『誰も彼も私が顔で仕事しているみたいなこと言うし、聞きようによっては“枕”すら辞さないみたいに思っているみたいですけど!! ふざけんじゃないですよ!! 今度“可愛い”って言ったら全員ブチ殺しますよ?』って」
「にゃあ(ほえー……)」
ブチ殺す、とは。さすがに反応に困る。
司、その女大丈夫か? とよほど言いたい。包丁持って襲ってくる可能性は?
「それ以来ほとんど笑うこともなくなったって。四年以上だよ。すごい気合入っている。俺なんか笑わないように頑張っていても、やっぱり笑いそうになるし。それで女性社員に『一ノ瀬くんって笑顔が素敵』なんて思われたら命の危機だからね。我慢して、ひとがいないところでひとりで笑っている」
その光景、客観的に見て大丈夫なのか。絶対ひとに見られないようにしとけよ。
「にゃあ(お前も難儀なトラウマ背負ってるよなあ)」
楽しそうに一人で缶チューハイを傾けている姿に、にゃあにゃあと呼び掛けてみた。
そんなに酒には強くない司は、色白の頬を染めている。ほろ酔い。
髪は艶やかな黒髪で、顔はくっきりと彫りが深くパーツの一つ一つが端整で涼やかだ。細身で手足は長く背が高い。人間基準で言えば絶世のイケメンらしいが、猫から見ても文句なくイイ男。
「俺、あの人が先輩で良かった。生きることに対する警戒心と敵対心が半端なくて、絶対に恋愛なんかしなさそうだもん。仕事はできるし。一緒にいると滅茶苦茶、楽。こっちも仕事だけに集中できるから。さすがにね、楽させてもらうだけじゃ申し訳ない気持ちはあるよ。早くあの人の力になりたい」
「にゃあ(結構なことで。その調子で昇進しろよ)」
笑わない鉄の女(※可愛い)と、人を寄せ付けない冷たいイケメン(※女嫌い)。
おそらくその会話は、誰が聞いても冷ややかで事務的なのだろう。
だけど、本音の司は上司をこんなに尊敬していて、その力になりたいとすら思っている。
(さてさて相手はどうなんかね。この男にそこまで思われても大丈夫なのか)
鉄は、生半可な熱では溶けないから鉄なんだとは思うけれど。
* * *
二人の均衡が崩れてしまう出来事は、それから一ヶ月ほど後に起きた。
酒に酔って前後不覚になった司を、噂の先輩殿が部屋に連れて帰ってきたのである。
「鍵開けて中に入るところまで見届けたら帰る」
玄関方向から、生真面目そうな女性の声が響く。
「すみません、家まで送ってもらってしまって。もう帰ろうにも終電とかないと思うので。あの、俺はベランダで寝ていいですから。窓に鍵かけて川合さんは中でゆっくりしてください」
「そういうわけには」
「とりあえず、どうぞ。何もしませんから上がってください」
押し問答の末に、司は先輩「川合さん」を部屋に引っ張ってきた。
(こ……、これは!! 可愛い……!!)
年上の先輩(鉄製)と聞いて、想像していたのとはまったく違った。
小さい。
猫よりは大きいが、司と並ぶと鎖骨あたりまでしか身長がない。初夏というには暑い夜のせいか、服装は白のノースリーブワンピース。身頃部分はやや厚めの生地で大きめの胸をしっかりガード、スカートはシフォン地のプリーツ。足元は薄いストッキング。
白猫のような装いに気を取られてしまったが、髪はツヤツヤの黒のストレートで、顔は司より幼く見える童顔。手足や腰の細さを見たあとでもう一度胸に視線を戻す。しっかりと布地を押し上げるほど膨らみが主張している。巨乳だ。
もし「可愛い」と言われるのが本人はトラウマレベルに嫌いなら気の毒としか言いようがないのだが、誉め言葉として言ってしまう側の気持ちもわからないではない。可愛い。
「何か飲みますか。本当にすみません、俺、こんなに酔うと思わなくて」
司は指の長い大きな手で目元を覆い、溜息をついている。
川合さんは心配そうな顔で司を見上げながら「こっちこそごめんね」と言った。
「そこまでお酒に弱いと思わなくて。最初から先方に今日はアルコールNGって言っていれば良かった」
(そういえば今日は取引先のワイン卸会社の試飲会に招かれているって言ってたっけ……。勉強のつもりで行ってこいって声がかかったとか。川合先輩と二人で?)
指導役として新人の面倒を見るつもりでついていったら、司が潰れてしまったため、最後まで責任をもって部屋まで送り届けたという事情か。
「いや、ああいう場ですし、そういうわけにはいかないでしょう。何しにきたんだってことになりますよ。仕事しに行ったんです」
目元をおさえたまま、「すみません、顔洗ってきます」と司は浴室へと消えた。
手持無沙汰になったらしい川合先輩は、ローテーブル前にちょこんと正座する。プリーツスカートが動きに沿ってふわっと広がり、それを手で足に沿う程度に整えてから、背筋を伸ばして動きを止める。
身動きしないと、本当に人形のようだ。
先輩はあまり酔っていないのか、色白の頬にほんのり赤みが差している程度。
やがて、司がスーツ姿ではなく薄いTシャツにクロップド丈のパンツ姿で戻ってきた。
「お待たせしてすみません。顔洗おうとしたら思いっきり手元が狂って水を浴びてしまって、そのままシャワー済ませてきました。なんかこう、自分だけすみません」
「いえ。一ノ瀬君の家ですし、私に遠慮することはないと思います。大丈夫そうだったら帰ります」
「ええと……、川合さんの家がどこかは知らないんですけど、タクシー代、受け取って頂けますか」
「新入社員からお金を受け取る気はありません。今日は付き添いとして当然のことをしたまでなのでお気になさらず」
「それだと、ものすごく申し訳ないので。本当に俺のことはベランダに締め出していいですから、朝までここにいて頂くことはできないでしょうか。始発まであと数時間のことですし、明日は会社も休みなので……」
司はローテーブル越しに、今にも土下座しかねないほど恐縮しきっている。
正座してその様子を見ていた先輩は、困ったように唇に笑みを浮かべた。
(……!! おい、笑ってんぞ!!)
笑わないんじゃなかったか!? と司に目を向けるも、項垂れていて気付いていない。
その司に対して、川合先輩は淡々と言った。
「一ノ瀬君、プライベートのせいか少し印象が違いますね。いつも冷た~い感じで、失敗したらこっちが怒られそうだなって内心ひやひやしていたんですけど……」
言いながら、花開くような笑みがその顔に広がっていく。
司はがばっと過剰な仕草で顔を上げ、猛烈な勢いでまくしたて始めた
「そんなことないです、川合さんはいつも完璧ですし、仰ぎ見る感じです!! カッコイイなと思ってて。俺なんか足引っ張らないように背伸びしていただけです。ああ、でも結局こんなにしてもらってすみません。迷惑かけたくなかったのに。川合さんの下で働くのもあと少しってこの時期に。こんな失敗。あ~~~~ほんとマジありえねえ」
情緒不安定この上ない。ザ・酔っぱらいで、ひとりでもだもだと暴れている。その様子を、川合先輩はにこにこと見ていた。おい、司気づけ。いま笑わない女が笑ってるぞ!?
「お酒に弱いのは個人の特性です。酔いに任せて横暴な行動に出たり、卑猥なことを言ったわけでもないですし、もう気にしないでください。そもそも私がもっと気を付けていれば……」
(おいおい、この先輩、司が尊敬するだけあるな! 超いいひとじゃねえの!?)
司を見ると、顔を上げてふるふると震えながら目の前の先輩を見ていた。
まさしくいま、同じように「いいひとだ……!」と感動しているらしいのが、その崩壊寸前の表情から知れた。
司は、もともとがそんなに冷たい性格ではなく、放っておけば人好きのするタイプなのだ。本人も決して人間が嫌いなわけではない。むしろ他人に冷たくあたるのが苦手なくらいである。
ここまで誠意あることを言われてしまえば「冷たい男」を貫くのはもう無理だろう。
「入社以来お世話になりっぱなしで、ありがとうございます。川合さんと一緒に働けて光栄ですっ」
がつん。
がばっと頭を下げようとして、ローテブルにしたたかに額を打ち付けていた。
……っ、と声のない悲鳴を上げた司を気遣うように、川合先輩が腰を浮かす。膝立ちになりテーブルに手をついて、司を覗き込む。さらさらの黒髪が背中をすべる。
「大丈夫ですか? いつものクールな一ノ瀬君も素敵ですが、お酒が入るとそんなに変わってしまうものなの?」
涙目になった司が顔を上げた。
「どっちかっていうとこっちが地です。普段は無理しているっていうか……こう言うと嫌味っぽいかもしれないけど、俺、女性にモテたくなくて」
「ああ。うん、わかる。なんとなく女性が苦手そうだと思ってた。あー……ごめんね、もう少し適切な距離を」
心配したとはいえ、距離を詰めてしまったのを後悔するように川合先輩は身を引く。
痛むらしい額を手でおさえていた司は、勢いよく「大丈夫です!!」と言った。
「女性はだめですけど、川合さんは大丈夫です!! ……って言うと、なんか変かな。ごめんなさい。川合さんを女性だと思っていないという意味ではなくて、真逆。川合さんは別格すぎてすべての最上位っていうか。存在が尊い? 俺より小さいのに仕事めちゃくちゃできるし、『可愛い』って言われただけで敵意剥き出しにする戦闘力も半端ないし、こう……憧れっていうか。本当にカッコイイ」
言いながら、顔がどんどん赤くなっている以上、おそろしく恥ずかしいことを言っている自覚はあるのだろう。
恥ずかしいというか、それはもう告白だ。
(こんなの、好きでもない男に相手の部屋で二人きりの状況で言われたらドン引きだぞ)
そう思って先輩の様子をうかがうと。
司よりもさらに真っ赤になって固まっていた。心なしか、微かに震えてすらいる。
あー。
これはこれは。
「その、ありがとうございます。一ノ瀬君みたいなひとにカッコイイって言ってもらえると……働き甲斐があります。私も一ノ瀬君と一緒に働けてすごく嬉しいです」
震え声の返事は、業務仕様の皮をかぶってはいたものの。
そこに感情が決壊した司が最後のダメ押しまでする。
「好きです。……迷惑かもしれませんし、その、俺の気持ちが迷惑なら迷惑かけない形でこの世に存在しているようにしますので。この先部署が離れたとして、一日一回遠くから一瞬見るだけとか、本当にそれだけで大丈夫なんです。付き合って欲しいって包丁持って脅したりとか絶対しませんから」
司。
迷惑かけられ過ぎた過去のせいで、告白が常軌を逸してないか。
(絶対に余計なこと言ってるからな、いま)
ハラハラしたものの、川合先輩はその場にぺたんと座り込んでしまって、火を噴いている顔を手で押さえていた。
「びっくり……しましたけど。嬉しいです……。一ノ瀬君は仕事も伸びそうですし、部署が離れても見守りたいと思っていました……」
このひともほんと、仕事から離れられない性質みたいだな!!
照れ隠しにしても歪みねえわ!!
さんざん心の中でつっこんでいる猫の気持ち知らず、男女二人は目の前ではにかみつつ笑み交わしている。
やがて、司が立ち上がった。
ここらでついに「触れあい」でもするのかと思いきや。
「まず、お茶いれますね。酔った上での妄言と思われたくもないですし。この件はもう少し酔いが抜けてから後ほど改めてお伝えしますので、川合さんもそのつもりでいてください」
何言ってんのかよくわからないこと言い出した。
(酔ってやがる……)
酒にか、この状況にかは、わからないけれど。
一方で、こんな生殺し告白をぶつけられた先輩の方も、きちっと正座し直してにこにこと笑っていた。
「はい。お待ちしております」
いいのか。
(呆れて猫はもう何も言えませんな!)
ふと、川合先輩がこちらに顔を向けてくる。なぜかにこっと微笑んでから手を伸ばしてきた。
「このぬいぐるみ可愛い。触っても大丈夫?」
司に聞く。
「はい、どうぞ。触ると『にゃあ』って言うんです。子どもの頃、猫が飼えなくて代わりにってプレゼントでもらったんですけど、飼い猫同然に大切に扱っていたらボロボロになることもなくここまで一緒にきてしまいました……」
嘘じゃない説明。
晩酌の相手をさせているって話は、省いているみたいだったけど。
川合先輩はにこにこ笑いながら、そっと手を伸ばしてきた。
気安くさわるなよ、と言おうとしたところで頭を下げられる。「よろしくお願いします」とすばやく小声で囁いてから、鳴き声スイッチに触れてきた。優しく。
気安く……さわ……
「にゃあ(可愛いな)」
こっちこそよろしくな。
★お読み頂きありがとうございます!
普段はレストランを舞台にした連作短編「ステラマリスが聞こえる」という作品を書いています。そちらもよろしくお願いします!