プロローグ3
ある日の夜。死にそうになるたびに現れるあの少女のことに思いを馳せながら、僕は自宅のベッドで眠りにつく。直近では気分が悪くて死にそうだった。その日の夜は、吐き気、鼻血、そんなものをこらえながらガンガンと痛む頭を冷やしながらそのときはベッドに入ったが、夢の中に、その少女がいた。しかし次の日には、体の絶不調はきれいさっぱり無くなっていており、いたって健康に登校した。
(でも、綺麗だった……)
初めて少女を目の目にしたときのことを思い出す。言われたセリフも衝撃的だったが、一番驚かされたのは、彼女のその美貌だ。明らかに日本人ではない顔立ち、長い睫毛、湖のように美しい瞳、左目の泣きぼくろ、揺れる銀髪。圧倒的な美だった。テレビに映るアイドルなんて霞んでしまうくらいに。
「会いたいとは、思わないけど」
ボソッと独り言つ。なんせ会うたびに死にそうになっているのだ。
(さて、早く寝よ)
明日は日課の特撮番組が朝に放送される。目覚ましも用意したし、準備は万全だ。目をつむり、眠りに入る。
「……」
ん? 部屋の外から、誰かが歩く足音が。おそらく家族の誰かだろう。こんな時間に、トイレだろうか。さして気にせず、眠ろうとする。
────ガラッ
おや? 部屋の扉が開けられる音。家族の誰かがどっかの部屋の扉を開けたんだろう────って、いや、音が近い。どこかじゃない、開けられたのは、僕の部屋か?
「……だれ」
眠気眼をこすり、薄くまぶたを開き、小さくぼやく。やっぱり、僕の部屋の扉が開けられており、部屋の前に誰かが立っていた。暗くて誰か分からない。その人間は、無言で僕の部屋に入ってきて、ベッドで寝ている僕の元へ来る。近づいてくる人間のシルエットがようやく見えてくる。だが、そのシルエットは家族の誰にも当てはまらなかった。
(えっ……?)
誰だ。突然の出来事に脳が急速に覚醒し、僕はその不審者の正体を認めようとする。起き上がって正体を────なんだこれ、体が、全く動かない⁉ 何かで拘束されたみたいに、ベッドからピクリとも動けない。ついに、ベッドのすぐ傍らにその不審者が立った。どうにか目線だけで、その不審者の姿を見ようとする。その正体は────長い銀髪が、揺れる。
「死んでください」
あのときと同じセリフ。あの銀髪の少女が、何か大きな棒のようなものを振りかぶって、そのセリフと共に、僕の胸に振り下ろしたのだった。
「……えっ」
目が覚める。僕は跳び起きた。
(なんだ⁉ 僕は今、何をされた⁉)
咄嗟に胸のあたりに手をやる。あの少女が、目の前に、僕の部屋に入ってきて、何かを振り下ろして、何かが僕の胸に突き刺さった。これがついさっきまでの記憶。だが、胸には傷一つ、痛みすらもなかった。
「どういうことだ……?」
なぜ、僕の部屋に、あいつが……? 後から疑問が湧いてくる。だがそんな疑問も束の間、不意に僕が辺りを見回すと、ここはさっきまでの僕の部屋ではなかった。周りをよく見てみる。ここは……どこだ? 部屋と呼べるような空間ではない。辛うじて形容するならば、ここは雲の上だった。天井はなく、青い空が広がっていて、地面は雲のように白くフワフワとした何か。それが、見渡す限り一面に、無限に広がっている、そんな光景だった。
「……」
言葉が出てこない。僕は立ち上がった。見渡しても、同じ景色が続いているだけ。突然の出来事の連続に絶句する。
「夢、なのか?」
そんな言葉しか口にできない。少女が現れたと思ったら襲われて、こんな理解不能な空間に飛ばされて────と、そこに。
「おはよう。天音くん。よく、眠れたかい?」
背後から声がした。僕は咄嗟にその声の方向に振り向く。さっきまでは何もなかったはずのそこに、男が立っていた。そしてその隣には、あの、銀髪の少女が。
「あなたは死にました」
少女が、そう僕に告げた。
銀髪の少女が、僕の目を見て、はっきりとそう言った。
「え……?」
訳が分からない。僕が死んだ……? それにここはどこなんだ。
「あーうん。混乱してるのは分かるよ。でもわめかないのは立派。最近の子は教育が行き届いてるなー。感心感心」
隣に立っている男が、芝居ががったようにうんうんと頷く。続けざまに、
「初めまして。私はこの世界の神様、のようなものです。まあ君は気軽に「神様」って呼んでくれ」
僕は喋りかけてくる男の姿を見た。白い布を体に軽く巻き付けてローブのように身にまとい、気さくに話しかけてくる。その男はメガネをかけていた。
「まずは落ち着いて私の話を聞いておくれ、天音くん。まずは深呼吸だよ」
トコトコと俺の目の前まで歩いてきて、両肩に手をそっと置いて諭すように俺に言った。
「あの、いったい……」
僕は狼狽える。誰だ、このやけに親し気に話しかけてくる胡散臭そうなメガネの男は。
「スーハ―スーハー。はい、落ち着いた? まだ? あっ、そうだ! 落ち着くためには座った方がいいよね」
パチン、と指を鳴らす。すると、地面の雲(?)から、なにか大きなものがゴゴゴと生えてきた。それは、炬燵だった。
「そう、炬燵! いやぁ、僕の世界の人間たちは良い方向に進化してくれたよ。君たちの世界の神様として誇らしいね! 炬燵は君たちが生み出した最高の発明品だよ!」
よくわからないことをペラペラと喋りながら、よっこらせと炬燵に入って座る、自称神様の男。
「さっ、君も座った座った! 落ち着くよー。炬燵最高!」
飄々とした様子の自称神様。その様子を見て、僕はなんだか落ち着いてきてしまった。言われた通り、その炬燵に座る。炬燵は暖かった。だが、この炬燵の電源はどこにあるのだろう。奇怪な方法で出てきた炬燵だが、見回しても電源コードのようなものは見当たらない。
「ん? おいおいルナ、なにボーっと突っ立ってるんだい。君も炬燵に入り給え。ほら、おいでおいで」
自称神様が後ろに立っていた銀髪の少女の方に座ったまま振り返り、手招きをする。
(ルナ……)
心の中で、初めてその少女の名を呼ぶ。僕は改めてその少女の全貌をはっきりと見た。来ているのは、無地の黒いTシャツに黒のショートパンツの出で立ちだった。長い脚にはいている靴も、膝上まで覆うハイソックスも黒い。僕の体面に座っている自称神様の、神秘的ともいえるような服装とは反対に、真っ黒だが、まるでそこらにいそうな女の子のような身なりをしている、ルナと呼ばれた銀髪の少女。ルナは、自称神様の呼びかけに少し顔をしかめるも、言われた通りにこちらに来て炬燵に座った。僕の右斜め、自称神様の左斜めだの位置だ。
「よしよし、みんな炬燵に入ったね。じゃあ本題、と、その前に炬燵に合うものを用意しないと!」
トントンとテーブルを叩く自称神様。すると三人の目の前に、まるで水面から浮かんでくるように、モクモクと熱い緑茶の入った湯呑と、市販のアイスクリームが生えてきた。この現実ではありえないような光景を見ても、僕は驚く気持ちがあることによって麻痺していた。あることとは、右斜めに座る銀髪の少女である。少女の美しさに目が釘付けになった。サラサラとした銀色の前髪から覗く、満月のように美しく輝く銀色の瞳……。左目の泣きぼくろもルナの大人っぽい雰囲気を、さらに強めていた。翻ってルナは身じろぎもせず、何もない前方をジッと見つめている。まるで人形のようだ。
「よし、これで落ち着いたかな、って、おーい?」
ルナをじっと見つめていた僕の目の前に、急に自称神様の手のひらが現れて手を振る。僕は視界を遮られ、ようやくこの自称神様の方を向いた。
「では、ようやく本題。長くなりそうだ」