2話 ワシは青山千春♂(チハル)じゃ。
何人かの方が覗いてくださってるみたいですので、ぼちぼちアップすることにします。10年以上前に書いたものですから、拙すぎると思いますが。
1977年(昭和52年)春。ワシは広島県のはずれ、福山市の県立新市商業高校に入学した。
田舎である。ワシん家から自転車で学校まで約30分。
ワシん家から最寄り駅まで10分、電車で10分、新市駅から歩いて10分。ワシは電車通学にすることにした。やっぱ、高校生は電車通学なのじゃ。
JR福塩線(当時は国鉄福塩線)徳田駅、7時38分発。
親友の田中 年と乗り合わせる約束をしていたので、4両編成の一番前に乗り込んだ。
「おはよう青山くん」
「おっす、ネン。まだ寒いな」
田中の名前は『年』と書いて、ミノルと読む。当然みんなは彼のことを「ネン」と呼んだ。
ネンは中学時代、学年のトップの成績だった。なんでワシが行くような学校に(商業高校だぞ)進学したのかわからなかった。
聞くと、こう答えた。
「普通科出身の親戚の兄ちゃんが卒業後、税務大学に入って公務員になったんだ。そこで商業科出身の方が簿記とか知っているぶん、有利だって言うんだ」
「でも税務大学って、入るの難しいんだろう。新市商業なんかに行ったらそんな所に入るの無理じゃないのか?」とワシが言うと。
「大丈夫だよ。どういう受験勉強するかは兄ちゃんに聞けるからね」
……だとさ。
彼のなかでは税務大学に入って、税務署の公務員になるのは既定事実なんだろう。そして、事実そうなった。
頭のいい奴は選択肢が多くていいのじゃ。
「青山くんは、やっぱりマンドリンクラブに入部するの」
「うん、兄貴の命令じゃ。というより、要請に近いかもな」
ワシには青山 史浩という三つ違いの兄貴がおる。
今年、ワシの高校入学と同時に兄貴は卒業して専門学校に入った。ガキのころから中学卒業まで野球部で体育会系だったが、新市商業入学と同時に何故か兄貴は音楽クラブに入った。
それがマンドリンクラブだ。
兄貴は高校3年になると部長になった。そして卒業まじか、ワシにこう言った。
「チハル。新市商に行くんだったら、マンドリンクラブに入れ」
***
この一言から、その後の30年がはじまったような気がします。
当時の後書きも、本文としてそのまま掲載しています。