1.迷い込む
普段通りだった、はずだ。
なのに視線を上げた時、目の前に開けているのは日常とは全く違う世界だった。
***
異世界転生や異世界転移。
小説では、なにかの神が現れて、状況説明や生き抜くための能力をくれる。
だけど俺にはそんな瞬間はなかった。
いつ足を踏み入れたのか、分からない。
少なくとも数歩前までは、いつもの仕事帰りの道だった。
俺は随分くたびれていたが、だからといって倒れて夢を見るほどの疲れは溜めていなかった、はず。
なのに、目の前には灰色の暗い世界が開いている。
螺旋階段が夢のように上へ下へと何本も伸びている。
振り返ろうという気持ちになる前に、俺はまず茫然とし、その状態で音を聞いた。
悲鳴だ。近づいてくる。大勢。
そう認識できた瞬間、俺の前に人がなだれ込むように現れた。右上から現れて左下へ。
尋常ではない雰囲気で、その中の一人が俺に気づいて視線を向けた。
「逃げろ! ここはもう見つかる!」
駆け去っていきながら掛けられたのは俺への注意だ。
「早く! 早く!」
通り過ぎる人々が、叫びながら駆け去っていく。
何だ。
“助けて”
“あぁ”
遠くからの声に、そんな言葉が混じっていた。近づいてくる。
危険
俺は慄いた。
このままここにいては、何かに見つかり、命が危ない。そう理解できた。
逃げなければ。
一歩踏み出すと、今俺がいるこの場も、螺旋階段の一部だと理解できた。
大勢の流れと合流し、螺旋階段を駆け下り出した。
こうして、何も分からないまま、逃げる日々が始まった。
***
ここは閉鎖された空間だった。縦長の建物の中。閉じ込められているようだ。
灰色の螺旋階段は何本も上下に伸びている。
その螺旋階段は、途中にいくつもの球体を巻き込んでいる。
それらは部屋であり、何者かがそれぞれ住んでいるらしい。
部屋には名前があり、『隠者』だの『天使』だの『悪魔』だのといった名前がついている。
だけど扉は見当たらず、外を逃げ惑っている俺たちには入る事ができない。
大勢が部屋に入れずあぶれている。俺もそのうちの1人で、部屋に入ることができたらと願いながら、追ってから逃れるために、螺旋階段を駆け上り下り、逃げ続ける。
俺を含めて、人間たちは、常に『悪魔』と『悪鬼』というものに狙われていた。人間を襲い、食い殺す。
俺たちは生き延びようとして逃げる。