その8
「あら、お帰りなさい。あなたのゴイムはほんとにひ弱ね。ラプト人そっくり。」
いつもどおりのイナンナの皮肉であったが、コアトルの様子はいつもとは違った。
背骨がのけぞり四肢をこわばらせ深くあごを引き、ぞっとするような冷たい視線でイナンナを凝視した。
その異形にイナンナも一瞬たじろいだがすかさず
「なんなのよ、ほんとにラプト人は頭がおかし…」
と嫌味を言いかけた刹那、コアトルはイナンナにとびかかった。
二人の距離はコアトルの歩幅で10歩分はあったのだが、コアトルはまさに一飛びでイナンナのもとに到達した。
あまりのことに動けないでいるイナンナの両肩をぐいとつかみ、コアトルはイナンナの頭部にかじりつき、体から食いちぎってしまった。
頭のあった場所からは血があふれ出している。
ゴキゴキと身震いするような音を立てイナンナの頭部を噛み砕き、ゴキュっと喉を鳴らしてそれを飲み込むと次は上体に食らいつき同様にむさぼった。
ルスもベルズブも凍り付いたようにその場に立ち尽くし、ただそのおぞましい光景を見るほかなかった。
コアトルがイナンナのほぼ全身を食べ尽し、散らばった羽や肢、体液をその長い舌でかき集め始めたころ、ようやくベルズブが大声をあげながら部屋の出口にむかって走り始めた。
ベルズブが動き始めるや否やコアトルはすかさず跳躍しベルズブの真上から飛び降り、彼を補足した。
コアトルがすかさず頭部を食いちぎったのでベルズブは悲鳴を上げる間もなかった。
ベルズブの体が次々とコアトルに噛み千切られていくなか、ルスは冷静であった。
なるほど、獲物が騒ぎ出す前に頭部を噛みちぎるのか。いや、即座に命を絶って動きを封じるためか。
研究者としての性なのか、このような悲惨な状況であってもルスは自然と観察をしてしまう。
ルスは生物がほかの生物を捕食する姿を初めて見た。
いや、モニター上では何度も見たことはある。現実に目前で見るのが初めてなのだ。
親友が同胞の体を引き裂き食いあさる、なんともおぞましい光景ではあった。しかし得も言われぬ美しさがそこにはあった。
これがラプト人のいう「自然本来の姿」なのであろうか。
強きものが弱きものを食う。なんとも合理的で納得のいくシステムである。
我々の種は互いに過保護になりすぎたのかもしれない。
肉体的な争いへの嫌悪からなのか弱肉強食の理論などとうの昔に捨ててしまったのだ。
いや、過保護というよりもむしろ生命に対する無関心から発せられた現象かもしれない。
我々が自らの手によって生命を生み出すことを造作もなくできるようになってどれほどの時間がたっただろうか。
もはや我々にとっての生命は有機的な機械に過ぎないものとなってしまった。
その意識は他者のみならず自己にもむけられ、結果として生命としての尊厳を保つ「闘争」をやめて最もロスの少ない効率的な生き方を最善としてしまった。
いま同胞を襲い糧として食らうコアトルを見て、ルスは恐怖や嫌悪を感じることなど無かった。
むしろコアトルの生々しい肉への執着に生命としての輝きを見いだしてさえいた。
その光景に見とれていたと言ってもいい。いつまでもその姿を見ていたかった。
しかしルスには仕事があった。
彼は事前に渡されていたレイブラスターを懐から取り出すと、慎重に狙いをコアトルに定め神経毒弾を発射した。
弾が命中するとコアトルは咀嚼をやめ地面につっぷした。
先ほどまで見せていた生命の躍動はすっかり色あせ、もはやぴくりとも動きはしなかった。
ルスは所内通信で所長に状況を伝えた。