その3
惑星の形を取り戻した第3区画では空間中に散らばっていた水が惑星の重力で引き寄せられ地表に降り注ぎ海を形成した。
また、彗星衝突時に区画内部に眠っていた多様なガスが噴出し大気を形成した。
第3区画は予想以上に順調にシュミレーションに適した環境となった。
「シミュレーションなんてね、考えるよりもまずは実行。区画の1つや2つどうとでもなるんだから。」
青い海をたたえる惑星となった第3区画をモニターで見ながらイナンナは言った。
所長にさんざん甘やかされてきた彼女だからこその発言である。我々一般の研究員などは誤って区画を消滅させてしまった場合、自己の給与から弁済しなければならない。
岩石性区画など高価なものは年収に近い値段になるため区画の扱いには慎重であったが彼女にはそれがなく区画を実に軽々しく扱う。しかし、今回はその軽率さがことを上手く運んでくれた。
「ねえルス。ゴイム種は私に選ばせてよ。私が作った区画ですものいいでしょ?」
プロジェクトは次の段階に進んでいた。シミュレーション対象とする生物ゴイムの育成である。
今回のプロジェクトにはある程度の知性を持つ生物を必要とした。そのためどのような種でもよいわけではなく、それなりの選別が必要となる。
ルスなどはこういうことには全く頓着がなかったが研究者の中には異様とも言って良いほど種の選別にこだわる者もいる。
といってもたいした理由があるわけではなく大体は外見の問題である。
これは見た目が気持ち悪い、これは可愛いなどといってルスから見たら理解不能な判断基準で種の選択をする。どうやらイナンナもこういった手合いであるようだ。
確かに区画整理に関する彼女の功績は大きい。ここで断って無用な諍い起こしたくもない。
余り時間をかけないようにとだけ伝え、ゴイム種の選別をイナンナに一任した。
第3地区に生物の素が散布されてから1週間ほどで知性保持器官を持ちうる種が登場した。
それは2本の牙を持ち、全身にキチン質の装甲をまとい、多数の節足を持った中々見事な外観の生物であった。
他のいかなる生物よりも巨大な体躯をももち、悠然と泳ぎ、時に他の生物を襲って捕食し水の海を支配した。
「いやはや…これはなかなかの種ですね…。生物の王たる風格です。コレクションに欲しいくらいだ…。」
ベルズブは気に入った種を収集する趣味がある。
そのような者達は奇抜な見た目や生態をもつ種を持ち出しては自室で飼育し、仲間内で見せ合って互いに自慢し合っていた。
シミュレーション区画内からの生物持ち出しは研究法で禁止された行為であったが、所長からしてその趣味を全く隠そうとしなかったため研究所ではなかば公然と行われていた。
「早速、知性の素を与えましょう!ゴイムにするんです!」
珍しくベルズブが積極的な姿勢を見せた矢先、
「全然可愛くない。それになんだか生意気だわ。これじゃダメ。やり直しよ。」
イナンナがそう言い放ってリセットボタンを押した。
モニター上の第3区画に質量弾が衝突し火柱を上げる。あれでは区画上のほとんどの生物が死滅したであろう。
「な、なんてことをするんです!せっかく素晴らしいゴイムが誕生するところだったのに!」
ベルズブが感情を露わにした。ルスでさえもこれほど激昂したベルズブを見たことはなく、イナンナの行為よりもむしろそちらに驚いた。
「今回のゴイム種は陸棲型の方が望ましいのよ。陸上に上がってきて欲しいのよ。あんなずっと海に潜ってる連中じゃとてもシミュレーションが進まないわ。それに選任権は私にあるの。君は黙っててちょうだい。」
確かにイナンナの言うことにも一理ある。
生育圏を分けるため陸上生物の方が望ましい。
海は区画全体に広がっており、海中に住む生物では棲み分けが難しいからだ。
しかし、イナンナの気に入らなかったのはそこではなかったのだろう。
彼女のもつ選任権を阻害されたくなかったのだ。