その1
ルスは憂鬱であった。所長からの頼みで実に面倒な仕事を請け負ってしまったのだ。
それは「結果ありきの物質的シミュレーションを行う」というものであった。
しかも当然であるが、その結果がさも自然に得られたものであるかのように上手に見せねばならない。
実験を行うだけならルスにも容易にできることであった。物質的シミュレーションの経験は何度もある。
しかしその結果を誘導すべく操作し、その証拠を残さぬことなど不器用なルスには及びもつかぬことであった。
シミュレーションには常時予測不能な様々な事象が絡み合い結果の予測でさえ困難を極める。だからこその物質的シミュレーションなのである。
理論的シミュレーションだけでは説得力不足であっても物質的シミュレーションから生じる「事実」という揺るがしがたい結果の前には誰しも納得せざるを得ない。
ここぞという時に相手方に突きつける絶対的な資料としての役割が物質的シミュレーションにはある。
そのようなシミュレーションの結果に恣意的に手を加えることなど道義上決して許されるものではない。
またシミュレーションの過程は相手方から徹底的に検証されるため、シミュレーション界外からの関与があればすぐに見破られてしまうのである。
そしてそのような不当シミュレーションを行った研究者は永久に業界から追放される。これは実にリスクの高い厄介な仕事であった。
しかしここで所長からの依頼を断れば研究所での昇進が止まる。辺境の出先機関に送られるかもしれないし、最悪の場合、「不要人物」の烙印を押されかねない。
ここの所長はそういうことを躊躇無くする。
だからルスは断れなかった。
ため息をつきながら自室までの道すがら、ルスはこのプロジェクトのおおよその構想を練る。
とても気乗りするものでなく、考えれば考えるほど不安になった。