86 それぞれの決断
眠れない。
ランプの明かりを消し、真っ暗なベッドに横になってから、随分と時間が経った。
一時間くらいだろうか。
今も昔も俺はかなり寝付きがいいほうだ。休めるときに休むのも、冒険者として大切なことだから。
しかし今は頭がグルグルしていて、なかなか眠くならない。
そもそもクラリスは、俺と話し合うと言っていたはずだが。
クリスティアナについて行くか否か。
それを話題にすることなく、布団を頭まで被って寝てしまった。
明日の朝、話すのか。あるいは、もう一人で答えを出してしまった?
俺は、クラリスを一人で行かせたくない。
クリスティアナは得体の知れない相手だ。口でどんなに親切なことを言っても、あとで何をするか分からない。
魔王のカケラを制御するのに彼女の力が必要だという理屈は納得できる。
しかし、だからといって俺が邪魔ということには……いや、邪魔なのかもしれない。
俺は確かにクラリスに対して過保護だ。
一緒に塔を上ろうと俺から誘ったくせに、危険な目に遭って欲しくないと思ってしまう。
なぜ?
最初はこうじゃなかったはずだ。
いや、分かっている。
俺はクラリスを――。
「ねえ、ラグナくん……まだ起きてる……?」
隣のベッドからクラリスの呟きが聞こえた。
俺は声を出さず、寝返りを打つことで返答する。
するとクラリスが起き上がる気配がした。そしてなぜか俺のベッドへと近づき、布団に潜り込んできた。
「……クラリスさん?」
「……駄目?」
「駄目じゃないけど……」
駄目だろ。
ベッドが二つあるのになぜ同じベッドに?
若い男女が。
こんなくっついて。
背中にクラリスの体温が伝わってくる。
「ねえ、ラグナくん……私ね……クリスティアナと一緒に行く……一人で行く」
「駄目だ。俺も一緒に行く」
俺は自分でも驚くほど強い口調で答えてしまった。
気まずい。
何か言わないと。
「クラリスさん、あのね。俺はただ、クリスティアナが信用できなくて、あいつがクラリスさんに何かするんじゃないかって心配で……」
「うん。分かってる。ありがとう、ラグナくん……でもね。ずっと守ってもらってばかりじゃ、駄目だと思うの。私がラグナくんを守れるくらいにならなきゃ駄目だと思うの」
クラリスが、俺を、守る。
そう聞いて驚いた。驚いてしまったことに、嫌悪する。
だって俺はもともと、塔を攻略する仲間としてクラリスを誘ったのだ。対等な仲間になって欲しくてレベル上げに協力してきたはずなのだ。
仲間なら、守ったり守られたりが当然だ。
なのに、彼女が俺を守ってくれるところを想像していなかった。
それはつまり、いつの間にかクラリスを見下していたということ。
対等な仲間ではなく、守るべき対象としてしか見ていなかった。
いつからだ?
最初は違ったはず。俺はクラリスの瞳に冒険者としての信念を感じ、『成長負荷の印』という才能を貴重に思い、背中を預けられる戦力になってくれることを期待していた。
それがいつの間にか、傷ついて欲しくなくて、ただただ守りたくて。
俺はクラリスを守ることで、自己満足していた。
「でも俺は……クラリスさんと離れたくない……」
「私もラグナくんとずっと一緒にいたいわよ。でも、だからこそ。私、クリスティアナのところに行く。ちゃんと魔王のカケラを制御できるようになって、強くならないと、ラグナくんと一緒にいる資格、ないと思うから……」
資格。
そんなものは必要ない。
ただ俺のそばにいてくれればいい。俺が守るから――。
そう七歳の俺が頭の中で叫ぶ。
けれど。剣聖ラグナは分かっている。
今のままでは『天墜の塔』を上っていくなんて無理だと。
魔王のカケラという不安材料に加えて、俺の精神的な未熟さが、道を阻む。
「分かった……クラリスさん……俺たちは仲間だ。対等な仲間だ。目的のために別行動を取ることくらい、当たり前にある」
「うん。ちゃんと帰ってくるわ。だから安心して」
「安心して待ってるよ。俺はクラリスさんを信じてる」
俺がそばにいないと、クラリスは先に進めない。
だから手を引いてやる。
塔の攻略法を教えてやる。
モンスターとの戦い方を教えてやる。
そのことに優越感があった。
けれど、クラリスは俺の手を離れて、でもちゃんと同じ方向を向いて前に進むのだ。
それが仲間というもの――。
「ねえラグナくん。私ね、頑張るから。ラグナくんがいなくても頑張るから、今夜は甘えていい? それできっと勇気、湧いてくるから……」
そう呟いて、クラリスは俺の体に腕を回してきた。
少し震えている。
ああ、やはり怖いのだ。
クリスティアナのところに行くのも。
自分の中にある魔王のカケラと向き合うのも。
そして……俺と離ればなれになることも? そうであって欲しい。
だって、俺も怖いから。
「俺もクラリスさんに甘えるよ」
俺は寝返りを打ち、クラリスと正面から向き合う姿勢になった。
お互いの顔がすぐ近くにある。
クラリスは緊張した顔だった。
多分、俺も。
「クラリスさん、俺」
「ラグナくん、私」
二人で同時に口を開いて、言いよどむ。
見つめ合って。息を呑んで。それから。
「「好き」」
声が重なった。
そして沈黙。
数秒。
無言。無音。
互いの呼吸と、自分の鼓動だけが妙に大きく聞こえた。
先に沈黙を破ったのはクラリスだった。
「えへへ……えへへへへ」
「何だよ、クラリスさん……急に笑い出して」
「だって。凄く緊張してて。凄い勇気出して〝好き〟って言ったら。ラグナくんも一緒に〝好き〟って言ってくれて。こんなに嬉しいことないわよ。えへへ、私、幸せ」
クラリスの笑顔。俺が好きになった笑顔。
好き。
言葉に出して、俺はようやく心の底から自覚した。
俺はクラリスが好きで。クラリスも俺を好き。
嬉しくて、照れくさくて、ドキドキして、ああ、確かにこれは笑うしかない。
でも俺は、急にイジワルしたくなった。その笑顔を別のものに変えてやりたくなった。
だからクラリスの唇に自分の唇を、そっと重ねる。
「ラ、グナくん……?」
クラリスは目を見開く。声を震わせた。
そして。
今度はクラリスからしてきた。
「仕返ししちゃった……」
彼女は真っ赤になって言う。
暗くてよく見えないけど、それでも分かる。
唇がとても熱かったから。
「恥ずかしいよぅ……」
告白をして。キスをして。
今更、クラリスは目をぎゅーっと閉じた。
勇気が途切れてしまったらしい。
「ごめん、クラリスさん……キスは急すぎた……」
「ううん……ラグナくんからしてくれて、嬉しかった。だから……その……もっと、して欲しい……」
彼女は潤んだ瞳を向けてくる。
今度は俺が固まる番だった。
クラリスの口からそういう台詞が出てくるのが不意打ちだった。
「……恥ずかしいんでしょ?」
「うん……顔が熱いし、心臓が爆発しそう……でも……もっとしたい……私からはできないから……ラグナくん、して?」
甘えられた。おねだりされた。
可愛いとは思っている。でも子供だと思っていた。そのクラリスが色っぽい顔をしている。
ズルい。
これじゃ俺まで恥ずかしいじゃないか。
クラリスのほうが年上なのに。
前世の記憶があっても、今の俺は七歳だと言ったのはクラリスなのに。
「してって、何を?」
俺はいじわるなことを言って、恥ずかしいのを誤魔化す。
「そ、その……キス、とか」
「とか?」
「えっと、もっと色々……」
「色々って?」
「うぅ……言わなくても分かるでしょ! ラグナくん、前世の記憶あるんだから!」
「分からないなぁ」
「いじわる! ラグナくんも恥ずかしいからって誤魔化してるんじゃないの!?」
「え、それは……」
図星を突かれて言葉を詰まらせてしまった。
するとクラリスは目をパチパチとして、それからニヤリと笑う。
「あー、そっかー。ラグナくんも恥ずかしかったんだー」
「いや、それは……」
「えへへ、かわいい」
俺はクラリスに抱きしめられる。顔が胸のわずかな膨らみに押しつけられた。
前よりも少し成長している気がする。
クラリスは少しずつ女性になっている。
ああ、困った。これは困った。
本当に。恥ずかしい。
「ラグナくんの体温を覚えておきたいの」
クラリスはそう語り出す。
「明日から、しばらく会えないでしょ? 私、頑張るけど。もしかしたらくじけるかもしれないから。そのときラグナくんのこと思い出したら元気出ると思うから。だからラグナくんのこと、ちゃんと感じておきたいの」
「俺も。クラリスさんに会えないのが寂しいよ」
こうして人をちゃんと好きになったのは初めてだ。
ただ触れ合っているだけで幸せ。気持ちがいい。
俺たちはまた唇を重ね、触れ合って、体温を確かめ合って、眠りについた。
書籍版の2巻、6月15日発売です。
店によってはもう並んでいるところもあると思います。
よろしくお願いします!




