65 魔王のカケラ
「どう、なってるんだ……クラリスさん、だよね?」
俺は彼女に歩み寄っていく。
刹那。
彼女もまた俺に近づいてきた。
ただし歩くのではなく、一足飛びに。矢のような勢いで俺の首に両手をかけ、地面に押し倒し、信じられない力で締めてきた。
まずい。HP残量があるから首の骨が折れたり、皮膚が破けたりはしないが、気道が圧迫され、息が苦しい。
「Aa……AAAAaaaa」
クラリスは人のものとは思えぬ声を上げ、更に力を強くしていく。
そして額から黒い二本の角が生えてきた。
爪が鋭く伸び、俺の首にめり込む。HPが減る速度が速まった。
ああ、おまけに牙まで伸びてきたぞ……。
俺の頭に、さっきクリスティアナたちが言っていた言葉が浮かぶ。
魔王のカケラ。
ともに歩もうとするなら大変。
選択しなければならない。
ここで俺がクラリスに殺されるかもしれない――。
「うわぁぁぁあああああっ!」
俺は訳が分からなくなって叫び、クラリスを蹴飛ばす。
彼女の体が浮かび上がる。それでも首から手を放さなかった。
だから俺はクラリスの銀色の髪を掴んで引っ張り、投げ飛ばした。
ようやく首が解放され、俺の肺に酸素が入ってくる。
クラリスは大木に向かって飛んでいくが、翼を広げて姿勢を直し、ゆっくりと地面に降りてきた。
彼女の爪と牙はますます鋭くなっていく。
角と翼は肥大化し、スカートの下からは尻尾も生えてきた。
あれはクラリスだ。
けれど、その体が何かに乗っ取られている。
『魔王のカケラ』と奴らは言っていた。
どうすれば、それを取り除くことができるのだ。
どうすれば、クラリスを取り戻すことができるのだ。
「クラリスさんは俺を殺そうとしているのか? 俺を殺せば元に戻るのか? それなら……」
それなら、どうしたというのか。
彼女を元に戻せるなら自分は死んでもいいと?
馬鹿な。俺は塔の最上層に行くのだ。ここで死ぬつもりは全くない。
では、自分の身を守るため、ここでクラリスを殺すのか?
それも否。断じて否。
彼女は俺のかけがえのない仲間だ。
見捨てるなんて絶対にありえない。
「そうだ。俺が犠牲になるんじゃない……クラリスさんを見捨てるのでもない……俺たち二人が! 二人で旅しなきゃ駄目なんだ! クラリスさんを助ける! 俺も生き延びる! 魔王のカケラだか何だか知らないが、クラリスさんを返せ! その子は俺の大切な人なんだッ!」
叫ぶ。
ありったけの想いを込めて。
俺自身に言い聞かせるため。
クラリスに届けるため。
クラリスを操っている何者かに宣戦布告するため。
そのとき一瞬だけ、クラリスに隙が生まれた。
俺は走る。
彼女の背後に回り込み、その翼を掴み、引き千切る。
「おおおおおおおっ!」
立て続けに翼を二枚とも剥ぎ取ってやった。
「AAAAAAAA!」
クラリスの尻尾が俺の足に絡まり、振り回そうとしてきた。
が、俺はそれも掴んで、翼と同じようにクラリスから引っこ抜く。
この黒いモヤが『魔王のカケラ』だというなら、その全てをクラリスから剥がしてやる。
俺がクラリスを助け――。
「aaAAAッ!」
稲妻のような速度で、クラリスの拳が俺の顔面を叩いた。
全く反応できなかった。
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HP:563/777(+5)
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一撃でHPが200以上も減ってしまった。
威力だけなら七層のモンスターにも匹敵する。
けれど、俺は怯まないし、倒れもしない。
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名前:ハイ・ライフヒール
説明:消費MPは40。対象のHPを200回複する。ライフヒールの上位魔法。
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吹っ飛びそうになるのを踏ん張って耐え、回復魔法を使いつつ、クラリスの腕を掴み、投げ飛ばして地面に叩きつける。
うつ伏せに倒れたクラリスの背中にまたがり、後ろから二本の角を握りしめ、へし折る。
さあ。
これで大きなパーツは全て取ってやったぞ。
頼むから元に戻ってくれ!
「aaaAAAAAA」
俺の願いをあざ笑うかのように、再び翼が生えてきた。
背中にまたがっていた俺は吹っ飛ばされる。
クラリスは四つん這いで俺に向き直る。
そして翼が更に二本生えて合計四本になり、それが腕のように変形して地面に接地した。
まるで八本足の蜘蛛のような姿。
彼女は口を大きく開けた。
「AAAAAA亜亜亜亜亜亜亜ッ!」
口から黒い槍が飛び出してきた。
クラリスの身長よりも長い槍だ。
それが爆音とともに俺に迫ってくる。
「っ!」
俺は転がってかろうじて回避した。
だが衝撃波だけで服が破れていく。
黒い槍は地面に当たり、深く深く抉っていく。
大人がすっぽり収まる幅の溝が、どこまでも伸びていく。
一撃で何十メートルも抉ってしまった。
こんな貫通力の攻撃を喰らったら……HPは瞬時にゼロになり、絶命は確実だ。
「けれど、ようは当たらなきゃいいんだろ!」
魔王のカケラが再生するなら、それを何度でも剥ぎ取る。
絶対にクラリスを取り返す。
手を伸ばす。
届け!
「亜亜亜亜亜亜唖唖唖唖唖唖唖!」
クラリスは八本の手足を使い、縦横無尽に木を登り、枝から枝に移動し、俺の死角から噛みつこうとしてきた。
それどころか、巨木をへし折って俺に叩きつけようとさえする。
でたらめなスピードとパワー。
しかし、俺はなお食い下がる。
「俺を舐めるなよ『魔王のカケラ』……俺は強くなるために転生してきたんだ」
そうだ。
クラリスは今、得体の知れない状態になっているが、俺だって『二周目の人生』という得体の知れない状態なのだ。
どちらもイレギュラー。
なら、どちらが勝つ?
俺だろう!
クラリスの背中から生えた黒い腕を、手刀で斬り、あるいは踏みつけて潰す。
それでも再生は続く。
彼女は巨木をまるで棒きれみたいに投げてくる。
俺はそれを蹴り返す。
黒い槍が何十発も連射され、俺は尽くを回避する。
すでに泉の周辺は森としての原型をとどめておらず、ただ木片が散乱するだけの場所と化してしまった。
そうやって戦闘を繰り返し、互いに何度もダメージを受け、俺は回復魔法を使い、『魔王のカケラ』もまた再生していく。
俺はもうMPがほとんど残っていない。
対する『魔王のカケラ』の再生はいつまで続くのだろう。まさか無限か、とさえ思うほどだったが、ついに再生速度が目に見えて遅くなってきた。
今、クラリスの背中から生えている黒い腕は三本だけ。あと一本はゆっくりと再生中だ。
このまま一気に押し切る!
俺はラストスパートをかけようとした。
だが、敵はまだ余力を残していたらしい。あるいは再生に使っていた力を攻撃に回したのだろうか?
今までで最大の黒い槍……というより黒い破城槌と呼ぶべき一撃が飛んできた。
しかし俺に命中せず、遙か手前の地面に落ちる。
狙いを誤ったのか?
という考えは浅はかだった。
奴の狙いは、この辺り一面。
地面に当たった黒い破城槌は大爆発を引き起こす。
俺の目の前が真っ白になった。為す術なく吹き飛ばされる。
一瞬、意識が飛ぶ。
何とか空中で我に返り、エアロアタックで姿勢制御。
そして眼下を見下ろして、俺は唖然としてしまった。
そこには巨大なクレーターが空いていた。
泉から水が流れ込み、丸かった泉はひょうたん型になる。
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HP:1/777(+5)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今の爆発で、俺のHPはほとんど削り取られてしまった。そしてハイ・ライフヒールどころか、通常のライフヒールを使うMPすら残っていない。
もはや、些細な攻撃がかすっただけで、俺を守る障壁は消え去り、生身の人間と同じになってしまう。
しかし、今の攻撃は奴にとっても諸刃の剣だったらしい。
俺に追撃する絶好のチャンスだというのに、まるで動かない。
あれほどの攻撃だ。撃った方もかなりの反動があったに違いない。
ならば、むしろ俺にこそチャンスがある。
『ラグナくん、斬って!』
不意にクラリスの声が聞こえた。
まるで頭に直接響くような声だった。
「斬れだって? 俺がクラリスさんを斬るわけないだろう。待ってて。今、助けるから!」
『そうじゃないの。こいつを斬って!』
蜘蛛のような姿勢だったクラリスは、ゆっくりと、ぎこちない動作で立ち上がる。
そして背中から生えていた腕が消え――代わりに襟元から黒いモヤが大量にあふれ出した。
モヤは丸く固まり、クラリスそのものよりも大きくなる。
『早く! ラグナくんがこいつの力を削いでくれたから、こうして抑えてられるの。でも、長くは持たないから……』
「そいつを切り離せば、クラリスさんは助かるってことだね!?」
『うん!』
だったら、一刻も早くやらないと。
クラリスがせっかく作ってくれたチャンスだ。
俺はちょうど近くに落ちていた、折れた剣を拾って走る。
『あ、駄目! 間に合わない!』
クラリスが悲鳴を上げる。
黒いモヤがうごめき、一部を触手のように伸ばして俺に攻撃してきた。
「問題ない!」
剣にはナイフ程度の刃がまだ残っている。
それで触手を斬りながら俺は進む。
どうやらクラリスは『魔王のカケラ』を抑えられなくなっているようだ。
触手の数が二本、三本と増え、動く速さも上がっていく。
「フリーズウェーブ!」
俺は氷魔法で触手の動きを止めた。
奴のパワーならすぐに氷を砕いて動き出すだろうが、止めるのは一瞬で十分。
すでに肉薄しているから。
「おおおおおおっ!」
クラリスの服の中から溢れる黒いモヤ。
それに刃を振り下ろし、分断する。
「▂▂▂▂▂▅▅▅▅▅▅」
低いうめき声のような音を残し、切り離された黒いモヤの球体は霧散していく。
そしてクラリスは糸が切れたみたいにパタリと倒れた。
「クラリスさん!」
俺は彼女に腕を伸ばして体を支える。
体温はある。呼吸もある。
返事はないけど……大丈夫だ。生きている。
「クラリスさん、クラリスさん。起きてよ。もう終わったよ」
俺は彼女の頬を軽く叩きながら呼びかける。
「うん……ラグナくん……?」
「ああ……よかった……クラリスさん……クラリスさんだね……」
「そうだけど……私が私なのは当たり前でしょ? どうしたのラグナくん?」
クラリスはぽかんとした顔で俺を見つめる。
……まさか、乗っ取られていた間のことを覚えていないのか?
まあ、それならそれでいい。
楽しい記憶でもないし。
「私……あのアレクスって人に追いかけられて……それでどうなったんだっけ……ラグナくんがやっつけてくれたの?」
「やっつけることはできなかった。でも、アレクスもクリスティアナも帰ったよ。エルブランテの葉は俺が持っている」
「そっかぁ……ラグナくんがあいつらを追い払ってくれたのね。また助けられちゃった。よく分からないけど、夢の中でもラグナくんに助けてもらったような気がするし……」
「夢……それってどんな夢?」
「えっとね……私が何かモンスターみたいな姿になって暴れてるんだけど、ラグナくんが元の姿に戻してくれるの。変な夢でしょ?」
「……うん。変な夢だね。でも夢だよ。さあ、帰ろう」
「待って、ラグナくん。体に力が入らないの……」
「疲れちゃったんだね。おぶっていくよ」
「ごめんね……ラグナくんが一番疲れてるはずなのに」
「いいよ。気にしないで」
俺はクラリスを背負って歩き始める。
しばらく進むと「ひひーん」と鳴き声が聞こえてきた。
そして木の陰から、俺たちの荷物を背負った馬が現われた。
「お前、無事だったか。よかったなぁ」
「ひひーん」
「色々あったけど、全員無事でよかったわね」
「そうだね。本当にそうだ……」
目的のアイテムを手に入れたし、俺もクラリスも生きている。
馬が死んでいたら、貸してくれた馬小屋に違約金を払うところだったが、それも回避できた。荷物もちゃんとある。
クラリスを操っていた『魔王のカケラ』とやらも消えた。
もう心配することは何もない。
……本当にもう大丈夫なのか?
あれで『魔王のカケラ』は完全に消えたのだろうか。まだクラリスの中に残っていたりはしないのか。
ただ切り落とせばいいというだけなら、クリスティアナがあんな意味深なことを言い残して去ったりするだろうか。
だが、とにかく、今日のところは何事もなかった。
そのことを喜ぼう。
クリスティアナは、近いうちにまた会おうと言っていた。
そのときこそ、全てを吐かせてやる。
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