62 本物の殺意
森に入って三時間ほど経った頃、ふと目の前が開けた。
そこには泉があった。
まるで測って作ったかのように丸い泉だった。
「ラグナくん。泉の真ん中に、何か変なのがいるわよ」
「うん。あれが目的のモンスターだ。こんなに早く見つかるなんて、運がいい」
泉から茎が三メートルほど伸びて、その上に巨大な赤い花が咲いている。
花の真ん中には口があった。鋭い牙すら生えている、本物の口だ。明らかに何かを捕食するための器官だ。
その花を中心に、水中から緑色の触手が何本も伸びて、うねうねと動いていた。
いや、その触手には葉が何枚か生えているので、実際は枝分かれした茎の一部なのだろうが……触手にしか見えないな。
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名前:エルブランテ
説明:植物型モンスター。澄んだ水が豊富な場所に生えてくる。地中に根を張っているので移動することはできないが、茎を動かして獲物を捕まえる。肉食。ソロで挑むならレベル15以上が望ましい。
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「甘い香りがする……あの花から?」
クラリスが呟いたとき、丁度、蜂型のモンスターが香りに釣られ、エルブランテに近づいていった。
俺が両腕を広げたのと同じくらいの大きな蜂だ。それに向かって、触手がもの凄い速さで襲いかかり、あっという間に縛り上げてしまった。
蜂はもがき、針で触手を刺すが、拘束は少しも緩まない。
エルブランテは口を大きく開き、蜂を頭から噛み千切った。
「……クラリスさんは近づかないほうがいいな」
「そ、そうみたい……」
いつも元気なクラリスだが、蜂が捕食されるシーンを見て、流石に青くなっている。
あの触手のスピードに、彼女はまだ対応できない。近づいたら、確実にあの蜂と同じ運命を辿る。
だが逆に言えば、近づかなければ触手は届かない。
遠距離から魔法で攻撃すれば、クラリスも戦える。
「よーし、フレアファランクスを撃っちゃうわよー!」
クラリスは杖をエルブランテに向け、十本の炎の矢を撃ち出した。
瞬間、エルブランテの口から超高音が流れ出し、大気を震わせる。
そして光のカーテンのような物が空中に現われ、フレアファランクスと衝突。
十本の全てが防がれた――だけでなく、クラリスに向かって跳ね返ってきた。
「ええっ!」
クラリスは固まって動けない。
「アイシクルファランクス!」
十本の炎の矢を、十本の氷の矢で相殺する。
「ふぅ……割と危なかった……」
「ありがとうラグナくん……あいつ、魔法を跳ね返せるの!?」
「どうやら、そうみたいだね」
とはいえ、跳ね返されたのはフレアファランクスだけだ。もしかしたら、他の魔法なら通用するのかもしれない。
が、通じなかったらMPの無駄遣いだし、何より跳ね返ってきて危ない。
「物理的な攻撃ならどうだ?」
俺は石を拾って投げつけてみた。
石は光のカーテンを素通りした。しかし今度は触手によって叩き落とされてしまう。
なら、触手を貫くほど強く投げたらどうなる?
二つ目の石は、かなり強めに投げてみた。
するとエルブランテの触手が水面を激しく叩いた。
その水しぶきで石の速度が殺される。
更に触手が束になり、分厚い壁を作り出す。
俺の投げた石は触手を何本も貫くが、しかし、束を破壊したところで勢いがなくなり、泉にポチャンと落ちてしまった。
それでも触手のほとんどを破壊できたので、これで接近するのが楽になった……と思った次の瞬間。
何と、触手が千切れたところから再生していくではないか。
「ラグナくん、あいつ元に戻っちゃったんだけど!?」
「凄い再生速度だなぁ……やっぱり近づいて殺すのが一番早いみたいだ」
「ラグナくんなら一撃よね」
「もちろん。ちょっと待ってて」
俺は助走をつけて、エルブランテのところまで一気にジャンプした。
しかし。
俺が到達するよりも早く。
どこからともなく飛来した丸太が、エルブランテの花を貫いた。
一撃でエルブランテは死に、光の粒子になって消えていく。
そして水面には、大きな葉が一枚、残された。
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名前:エルブランテの葉
説明:極めて効果の高い薬草。すり潰すと傷薬になる。茶にして飲むと病気に効く。
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これこそ、俺たちが求めていたアイテムだ。
だが、一体誰が丸太を投げたのだ?
俺は放物線を描いて飛びながら考える。
と、そのとき。
俺が着地するよりも早く、見知らぬ男がエルブランテの葉に手を伸ばした。
見た目は二十代前半の優男。
百九十センチくらいありそうな長身で細身。
まるで執事みたいに燕尾服を着ていて、ご丁寧に片眼鏡までつけている。
腰にはレイピアをぶら下げており、その佇まいだけで、かなりの使い手であると分かってしまう。
誰だ?
そもそもどこから現われた?
今までこいつの気配なんてなかったのに、とてつもない速さで水面を走ってきやがった。
いや、そんな疑問は後回しだ。
重要なのは、奴に葉を盗られそうだということ。
いきなり出てきて、人の獲物を横取りするなど、冒険者としてのマナーがなっちゃいない。
俺は自分にエアロアタックを連続で当てて、真下に加速する。
そして泉に落ち、底に足が着いた瞬間、全力で蹴った。
と同時にエアロアタックの加速も重ねる。
結果、俺は執事風の男の指がエルブランテの葉に触れるより早くそれを手に取り、一気に対岸まで駆け抜けることに成功した。
「な、に?」
男は信じがたいという声を出し、感情の読めない顔で俺を見つめる。
まさか、あの状況で俺が先に葉を取るとは思っていなかったのだろう。
しかし、俺は俺で驚いていた。
何せこの男、俺が葉に触れてから、ずっと俺の動きを目で追っていた。
俺の全力疾走に、視線だけとはいえ反応した――。
本当に何者だ?
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名前:アレクス・アンダーソン
レベル:99
・基礎パラメーター
HP:808
MP:0
筋力:715
耐久力:731
俊敏性:999
持久力:624
・習得スキルランク
なし
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なっ……レベル99だと!?
どうしてこんな奴が二層にいるんだ?
それに、こいつのパラメーター、偏りすぎだろう。
MPはゼロ。
習得スキルは全くなし。
使用頻度の高いステータス鑑定ですら覚えていない。
どういうことなんだ? 相手の情報を知りたいと思わないのか?
「貴様……その葉をよこせ。それはクリスティアナ様が欲する物だぞ。クリスティアナ様の許しなく触れるなど、万死に値する」
アレクスという男は静かに、されど力強く言葉を発した。
そしてレイピアを抜き、切っ先を俺に向けた。
その刃と眼光に込められているのは、殺意。
威嚇ではない。
本物の殺意だ。
……おい、マジか。
こいつ、人が戦っていたモンスターを倒し、あまつさえドロップアイテムを横取りしようとした上、俺を殺すつもりなのか?
もちろん、人を殺してでもアイテムを奪い取ろうとする者は、そう珍しくはない。
だが、そういう奴らは、自分たちの行いが悪であるという自覚があった。
悪であることを誇るか、後ろめたく思うか、何とも思わないか……色々な奴がいたが、少なくとも悪いことをしているとは思っていたはずだ。
ところがこいつは違う。
まるで正当な権利は自分にあるとでも言いたげに、怒っているのだ。
俺にエルブランテの葉を先取りされてイラだっている、という程度ではない。
まるで愛する者を傷つけられたかのように、激怒していた。
物事の考え方が、常人とは根本的に異なる。
こいつは危険だ。
その危険がクラリスに及ぶ前に――殺す。
問答無用でぶった斬る。
俺は剣を抜く。
何者なのか、何が目的なのかと問うこともしない。
まずは斬る。
考えるのはそれからだ。