25 勧誘。しかし……
「ねえ、ラグナくん。あなたの左目にある印……もしかして『無能の印』?」
朝ご飯を食べている最中、クラリスが俺の顔を見つめながら、そんなことを聞いてきた。
「ん? そうだよ」
本当は『上限突破の印』という貴重かつ強力な印なのだが、この国では『無能の印』と呼ばれている。
印の研究がまるで進んでいないのだ。
もしかしたら、他にも過小評価されている印があるかもしれない。
「そういうクラリスさんの印は?」
「わ、私の印……? それは……秘密よ!」
「えー……俺の印を見ておきながらそれは酷いよ。教えてくれたっていいじゃん」
「やだ!」
などと言って、クラリスは胸元を押さえた。
なるほど。彼女の印はそこにあるのか。
「ジ、ジロジロ見ないでよ! ラグナくんのえっち!」
「別にえっちな気持ちで見てるんじゃないよ。クラリスさんの胸、小さいし」
「はぁ!? はぁぁぁぁっ!? 私まだ十三歳だからこれから大きくなるし! って言うかラグナくん、あなた何歳よ!」
「七歳だけど」
「七歳のくせに女性の胸の大きさとか気にしてんじゃないわよ! 小さいうちからそんなだと……大人になってから凄いえっちな人になっちゃうわよ!」
クラリスは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「いや、大丈夫だって。クラリスさんの小さな胸を見たって、えっちな気分にはならないって。安心して」
「あなた本当に失礼ね! 今に大きくなるって言ってるでしょ!」
「はあ……クラリスさんはそんなに俺をえっちな気分にさせたいわけ?」
「どうしてそうなるのよ! あああ、もう本当に生意気ね! いいわ。私が隣に住むお姉さんとして、ラグナくんがまともな大人になれるよう教育してあげる!」
「いや、結構。クラリスさんはネクタイの結び方だけレクチャーして。あとは何も期待してないから」
「それだけ!? もうちょっと期待してくれてもよくないっ?」
クラリスは泣きそうな顔になり詰め寄ってくる。
表情がコロコロ変わる人だなぁ。
「じゃあ、胸が大きくなることを期待してるよ」
「うぅ……やっぱりラグナくんはえっちな子だ……私がお隣さんとして責任を持って何とかしないと……」
「そんなことに責任を感じて頭を抱えないでよ。ほら、早く食べちゃおう。だんだん人が増えてきた。人前でクラリスさんとこのやりとりするのは流石に恥ずかしいし」
「何よ! 私と一緒にいるのが恥ずかしいって言いたいの!?」
「別にそうは言ってないでしょ。やたらとクラリスさんがえっちな話を振ってくるから……」
「振ってないし!」
クラリスはムスッとした顔になり、朝食の残りをガツガツと食べる。
そしてトレイと食器を返却し、食堂をあとにする。
「並ばずに食べられたのは嬉しいけど、かなり時間が余っちゃったな。七時半に寮の前に先生が迎えに来るんだっけ?」
「そうそう。あと三十分近くあるわね。どうする?」
「まあ、部屋に戻って適当にダラダラしてればいいんじゃないの?」
「そうねぇ……じゃあラグナくんの部屋でダラダラしましょ」
「俺の部屋なの?」
「何よ。女の子の部屋に上がろうっての!? えっち!」
「訳が分からないよ」
そもそも女の子の部屋といっても、昨日引っ越してきたばかりだ。
生活の気配はまだ染みついていないはず。
どちらの部屋も似たようなものだろう。
「窓から見える景色も一緒ね。隣だから当たり前だけど」
俺の部屋に来たクラリスは、窓を開けて本当に当たり前のことを呟いた。
「この国のどこから見ても『天墜の塔』は大きいわね……」
「うん。山よりも高いからね。ところでさ、クラリスさん。どんな冒険者になりたくてこの学校に入ったの?」
「どんな冒険者って?」
「だからさ。生活費を稼げればそれでいいのか……あるいは。上に行きたいのか」
俺は少し緊張しながら尋ねた。
このクラリスという少女を最初に見たのは入学試験。
あのとき彼女は、試験官に善戦しただけで合格になる戦いで、勝ちにこだわっていた。
並大抵の負けず嫌いでは、あそこまでギラギラした瞳はできない。
だから俺は、クラリスが生活の安定などより、もっと別の理由で冒険者を目指しているのではと期待していた。
しかし、もし違うと言われたら――。
「てっぺん」
俺が固唾をのんで回答を待っていたら、クラリスは短く、しかしハッキリとそう答えた。
「塔のてっぺん。最上層。私はそこを目指すわ」
そう言って、彼女は窓の外に腕を伸ばし、塔のてっぺんを指さした。
風が吹き込んで、クラリスの銀色の髪をふわりと揺らす。
その光景が、俺にはとても美しく見えた。
「俺もだ」
意識していないのに、自然と言葉を返してしまう。
その瞬間、クラリスは髪をなびかせて振り向いた。
「俺も『天墜の塔』最上層を目指している。そこに何があるのか見たい。そのために人生をかけるって、ずっと前から決めている」
そう。前世のときから。
「……嘘」
「本当だよ」
「だって……そんなこと言われたの、初めてよ。最上層を目指してるなんて言えば、誰もが冗談だと受け取るか、笑って馬鹿にしてくるか、どっちかだもの」
クラリスは目を丸くしていた。
無理もない。
このヴァルティア王国は、二層に行って帰ってきただけで英雄扱いなのだ。
どこにあるのかも分からない最上層を目指すなど、夢物語にすらならない。
だが、その最上層を目指してこそ『真の冒険者』だろう。
「ねえ、ラグナくん。あなた、本気?」
クラリスは今までで一番真剣な眼差しで問いかけてくる。
「本気だよ。むしろ、俺こそ聞きたい。クラリスさんは全てを賭けてでも最上層に行きたいのか? もしそうなら、俺とパーティーを組まないか?」
彼女の実力はまだまだ未熟だ。
一層ですらソロでは不安が残る。
しかし、そんなものは重要ではない。
実力などあとからついてくる。レベルなどモンスターを倒せば上がる。
問題なのは、塔を上るという決意。
これがなければ、いくら強くても意味がない。
クラリスは今まで誰にも相手にされなかったと言う。
ならば、志を共にする俺の誘いを断らないはず――。
「……少し、考えさせて」
あれぇぇ?
なんでぇぇ?