だからテストはせいとあれほど
「中々良い場所だな」
小学生スタイルと化し人間界に降り立った魔王は、辺りに人がいないことを確認し満足そうに頷いた。
「そのようでございます」
魔王同様これまでの降臨と変わり映えしない黒一式の服装に身を包んでいるイハもまた、即座に周囲を確認する。
二人が到着したのは人気の無い公園。閑散とした小道に、ただ住宅が並んでいるばかりだった。
しかし大通りが近いのか、車の音だけはひっきりなしに聞こえてくる。それ以外には音のない、非常にのどかな場所だった。
周囲の確認が出来たイハは、即座に手持ちのパソコンを魔王に提示した。
「魔王様。ここ人間界であれば、この代物を気兼ね無く使用することが可能でございます。その効果の程、存分にご賞味下さい」
「ふむ」
魔王は右手で顎をさすり、イハから差し出されたパソコンに手を伸ばす。イハはパソコンを両手でしっかり持ち、魔王がホームポジションを取りやすい位置で固定した。
「ではさっそく……」
魔王が電源を入れると、モニターに入力欄が表示される。
「何だ、これは……」
「その空欄に必要な『キーワード』を入力頂ければ、立ち所にその人間の居場所が表示されます」
イハは位置関係上モニターを見ることは出来ないが、音や魔王のリアクションからだいたいの画面状態は分かった。
というよりそもそもの画面構成が『入力画面』『検索結果』の二パターンだけなのだから判定は容易である。
「キーワードとは……?」
「はっ。例えば魔王様のお望みである人材がより悪知恵の働く人間でしたら『狡猾』と入力頂ければ、その単語に即した人間の居場所が分かる仕組みになっております。複数単語での条件付けや文章形式での入力も可能です」
「なるほど……」
人工物であるパソコンに、活きた人間の情報を魔力を用いて入れ込むことで作成された抽出システム。それは抽象的なキーワードを用いることで、自動的に対象の人間をピックアップするという形式で構成されていた。
イハはリーダーだけあって設計段階の仕様をしっかり把握していた。その説明を聞いた魔王の声は明らかに上ずっている。
恐らくその目は欲しい玩具を目の前にした人間界の子供のようにギラギラと輝いていることだろう――とイハはパソコンを掲げながら想像した。
「それならさっそくやってみるぞ。私が欲しい人材は、そうだな……」
魔王はしばし考え込むが、やがて両手を床面のキーボードに添えた。
「とにもかくにも技術だ! 悪の心を持ちながら人類の叡智を持つ奴こそ即戦力! 私は『悪 技術者』と入力するぞ!」
そう宣告しながら、慣れた手付きでタイピングを行う。王室のパソコンを日頃から使いこなしているのだろう。小気味良いキーボードの音が公園に響いた。
「――おお!」
直後画面に現れたのは『該当アリ』の文字と検知者の現在地を指し示し点滅する矢印。魔王の歓喜の声に、イハはしてやったりの笑みを作った。
「早速結果が出たようですな」
「そうだ! 場所は……近いぞ!」
魔王はそう叫ぶなりパソコンから手を離し駆け出した。イハはパソコンを脇に抱え、急いで後に続く。
二人は公園を飛び出し、大通りへと続く道を疾走する。やがて大通りへと出ようという時、電柱に隠れるように一つの人影があった。
「魔王様、あの者に違いありません!」
「よし!」
二人で電柱を囲うようにガッチリと影の行く手を阻んだ。
「なっ――!」
その急襲に影は驚きの声を発する。
しかし、それ以上に驚愕を隠し切れなかったのは、影を取り囲んだ張本人達――魔王とイハだった。
「な、なんじゃあ、あんたら……」
二人の眼前に立つ人影は、老いてもなお盛ん、という逞しさを感じる老人だった。しかしその目と物腰は穏やかそのもので、二人の突然の登場にすっかり怯えきっている。鍬を手にしているが、防犯用というわけでは無く農作業に行くところだったようだ。
「ど、どうなっているんだ……技術といっても私は農耕の技術を望んだわけではないのだぞ……」
こんな人選は望んでいないとばかりに魔王は呆然と立ち尽くす。
「ま、魔王様、恐らくたまたま妙な検索結果となってしまったのでしょう……」
最悪の予感がし、イハの額には冷や汗が浮かび上がる。イハが恐る恐る近付こうとした瞬間、魔王はキッと振り返り自らイハへと間合いを詰めた。
「か、貸せっ……!」
魔王はイハからパソコンを強奪し、一心不乱にキーボードを叩く。
「お、おかしい……こんなはずは……」
超速で魔王が入力したキーワードは『体力』。
「魔界を生き抜く為の体力に溢れた輩ということですな」
場を取り繕うのに必死なイハの解説に返事もせず、検索結果の矢印を元に弾かれたように駆け出す。
幸い、次の検知者も現在地から程近い場所で遭遇出来た。
「な、なんじゃあ、あんたら……」
魔王は顎の骨が外れたかのように口をあんぐり開き、固まった。
眼前に現れた人間はまたも老人。杖をつく手はプルプル震えており、とても体力があるようには見えない。少なくとも、魔王にはその人間が魔界で生きていけるような者にはとても思えなかった。
「お、おい……イハよ……」
「――はっ!」
魔王の身体はぷるぷると小動物のように震えている。しかし、それは決して愛嬌のある動作では無く、天地震わす怒りの前兆であるとイハは直感的に理解した。
「何だこれは!! 全然出来ておらんではないか!!!!」
「も、申し訳ございませ――」
「やかましい!!」
咄嗟に平謝りを通そうとするイハの声は無残に遮られた。スイッチの入った魔王の怒声は止まらない。
「これでは全然役に立たんではないか! これだけ的外れな人間が検知されるのならむしろ非効率だぞ!」
「も、申し訳ございません……直ちに修正を……」
「当然だ!! さっさと!! 一刻も早くせい!!!!」
「申し訳ございません……修正を加えさせますので……」
「それと人間界でしか使えないのは不便だ!! 魔界で検索出来るようにせい!!」
「はっ……直ぐにそのように……!」
烈火の如き猛抗議を叩き付け、魔王は恐ろしい表情で魔界へと引き揚げる。
(魔王様……)
忠誠を誓う魔王の言いつけを守ろうとした結果、その魔王にここまでなじられてしまった。イハは無念極まり、足取り重くメンバーの元に向かうのだった。
「だから言っただろう、完成じゃあ無いんだからそうなるのも仕方ないぞ」
「そんな事は当然把握していた。それでもやらざるを得なかったのだ」
「全く……」
洞穴に戻ったイハの報告を聞いたアダコは深い憤りを覚えた。それはそうだろう、という思いが頭を支配していた。
「従って、直ぐに修正を加えろ。それと、魔界にいても検索出来るようにな」
「なんだって!?」
続けて放たれたイハの言葉に、アダコは思わず血が逆流しそうになった。アダコにとっては、それ程有り得ない話だった。
「人間界で検索しないといけないっていう話は既に通してあるぞ。おまえにも報告したはずだ」
「それは、知っている」
「それは追加の要望になるんじゃないのか。ただでさえ急がなきゃならないってのに、そんなことをしている場合じゃないぞ」
「つべこべ言うでない……やるのだ」
「まじかよ……」
アダコの脳内では、得体の知れない濁りが混ざり合い気分を悪くさせた。この男は決定事項を忘れていたのでは無いか。あるいはその場の勢いに圧され、つい要望を呑んだか――様々な想像が頭を駆け巡り、また気分が悪くなる。
「良いかアダコよ。どれだけ理不尽だろうと、顧客の声は絶対だ。それが魔王様だと言うのなら、尚更な」
「分かってるよそれは。分かってるけど――」
イハの言うことは当然心得ているつもりだった。しかし、それだけにアダコは気持ちを抑えられない。
任務を実行する側は、出来ること、出来ないことをしっかりと伝えるべきなのでは無いのか。もし出来ないことを言われたらその場で相手に伝えないと取り返しのつかないことになる。そう、その場で――。
瞬間、アダコの脳裏に全力の魔王の怒りが浮かんだ。
ただ頭にその光景を浮かべただけで、アダコの身体は硬直し、唇はただ震える。圧倒的な恐ろしさがそこにはある。
――そこでアダコは気付いた。実際に怒れる魔王の対面に立ったイハの苦悩は、果たしてどれ程のものだったか。
アダコの思考はイハの内面に及んでしまった。彼もまた、プロジェクトの被害者なのかも知れないと。
それでも――。
「……分かった分かった、分かりました」
深い思考の渦から現実に戻る。とどのつまり、やらなければならないのならやるしか無い。アダコは切り替わらない思考を無理やり切り替え、目の前の作業タスクを組み立てることにした。
「……ジン。魔界での検索、出来そうか?」
「……やってみないと分からない。とりあえず、時間はかかる」
「そうか」
いかに計画を立てようと、実際の作業者はジンである。更に技術的な部分となれば、ジンがお手上げだともうどうにもならない。ジン本人が実現可能なことかどうか、見極めることが先決だとアダコは感じた。
「やるのだ、ジンよ」
イハも同じ考えらしい。しかしアダコとは違いその言葉には『どうしてもさせる』という強制力を伴っている。ジンはその要請に黙って頷くしか無かった。
「ジン、上手く検索出来なかった点の修正もある。俺が予定を立てるから、まずは魔界でも検索出来るかどうかの技術調査を優先させてくれ」
心のしこりを無視し、アダコは追加要望の指示を出す。もう時間も無い。早速自らも作業に取り掛かろうとする。
――次の瞬間。
「貴様ら!」
アダコの耳に声が届く。威厳に満ちたその声は、正しく魔王バイオレットのそれだった。
「ま、魔王様……!」
その声はアダコだけで無くイハにも届いていた。
それどころか、気がつくと獣達による咆哮が止んでいる。どうやらこれは、王による魔界全体への呼び掛けらしい。
「貴様ら、魔王城へ集まれ!」
「何だと……?」
遥か彼方から魔王の声が降り注ぐ。アダコにはその意図が全く読めない。
「魔王城へは魔力の弱い者は辿り着けん。それでも来い……急いで来るのだ!」
魔王の声は次第に小さくなり、やがて消えた。次の瞬間、止んでいた咆哮がより激しく魔界に響き渡った。
「こいつら、城へ向かう気だな……!」
「魔王様、一体何が……しかし、呼び出されたからには行かなければなるまいな」
周囲が大きく振動する。怪物の大群が一斉に移動を始めているのだ。
「ったく、さっさと作業しなきゃいけないってのに……おい、早く行こうぜ! こいつらに遅れを取るわけにはいかないだろう」
「遅れ……? 笑わせるな」
イハはクックッと声を殺して笑う。
「我々が、この私が……あの雑魚共に遅れなど取ると思うか――!!」
瞬間、イハは圧倒的な魔力を纏い一目散に飛び出した。アダコとジンも負けじと最大限の魔力を以って後を追う。
「ったく、さっさと作業しなきゃいけないってのに……こういうのもたまには良いなあ!」
アダコは血が沸騰する程の快楽が身体を駆け巡るのを感じた。
魔界の猛者が一堂に会するなど滅多に無い機会。
魔王の意図は不明で、アダコ本人もプロジェクトの影響で最近は人間のように忙殺されているという自覚がある。
しかし、血で血を洗う世界に生きてきた本能が、この呼び掛けに闘争の匂いを感じない筈はなかった。全速飛行しながら、アダコはやはり自分は魔族なのだと感じずにはいられなかった。
――そして、終わりの見えないプロジェクトのストレスから一旦でも解放される喜びも、アダコは感じずにはいられなかった。